2015年10月8日 山梨県
甲府城跡2015 100名城
山梨県甲府市 丸の内
甲府城は、古くは甲斐府中城、一条小山城、舞鶴城、赤甲城などとも呼ばれていました。天正10年(1582)甲斐国は戦国大名・武田氏の滅亡後、まず織田信長の領国となり、本能寺の変の後は徳川家康の支配するところとなりました。しかし、豊臣秀吉が天下統一をなしとげると、秀吉の命令により甥の羽柴秀勝、腹心の部下である加藤光泰らによって築城が始められ、浅野長政・幸長父子によって完成をみました。また、慶長5年(1600)関ヶ原の戦い以降は再び徳川の城となり、幕末まで存続しました。甲府城は江戸時代の初めは、将軍家一門が城主となる特別な城でしたが、宝永元年(1704)時の城主・徳川綱豊が第5代将軍・徳川綱吉の養嗣子となり、江戸城西の丸へ移ると、この後に祖先が甲斐出身で側用人の柳沢吉保が城主となり、大名の城として最も整備され、城下町とともに大きく発展しました。しかし、吉保の子・吉里が大和郡山城主として転封された後は、甲斐国は幕府の直轄地となり、甲府城は甲府勤番の支配下におかれました。その間、享保年間の大火により、城の本丸御殿や銅門を焼失するなど、次第にその壮麗な姿は失われていきました。 以上甲府市ホームページより
▲ 稲荷櫓
▲ 鍛冶曲輪
▲ 稲荷櫓
▲ 本丸櫓跡
▼ 天守台
▼ 天守台より
▼ 鉄門:2013年1月10日に本丸を守る城門・鉄門(くろがねもん)が140年ぶりに復元されました。
▼ 中の門跡
▼ 鍛冶曲輪門
内松陰門
▲銅門跡
基礎石
☆ お堀 2011年12月23日撮影
2015-12-04 06:18:41
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