2016年4月11日 岩手県
毛越寺(もうつじ) 世界遺産
岩手県西磐井郡平泉町
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。 Wikipedia
毛越寺ホームページより転写
本堂:平成元年建立 毛越寺一山十八坊の本坊
中央が本尊の薬師如来(平安時代作) 両脇に日光・月光菩薩
▼開山堂
毛越寺を開かれた慈覚大師円仁(794~864)をお祀りする堂である。慈覚大師は天台宗第三代座主となり生前の業績を称えられ、日本初の大師号を授けられた。在唐九年間の紀行「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅうれいこうき)」はマルコポーロの「東方見聞録」、玄弉三蔵(げんしょうさんぞう)の「西遊記」とともに三大旅行記として高く評価されている。現地説明板より
▼鐘楼跡
金堂円寺から左右対称に翼楼が延び、それぞれ大泉が池の汀に向かって南に折れ進む。東廊の先端に造られたのが鐘楼である。土壇の礎石は16個のうち13個が完存する。 現地説明板より
▼常行堂
本尊は宝冠阿弥陀如来。奥殿には秘仏摩多羅神をまつる。毎年正月二十日に古式常行三昧の修法が行われ、国指定の重要無形民俗文化財である「延年の舞」が奉納される。現在の常行堂は、享保十七年(1732)に再建されたものである。 現地説明板より
▼遣水
この遣水は、庭園の発掘調査中に往時の姿のままに発見されたもので、遣水の遺構は奈良の宮跡庭園を除いては例が無く、平安時代の遺構としては唯一のものである。遣水は池に水を取り入る水路であり、玉石を底に敷き詰め、流れには水越し、水切りの石、その他水の曲がり角や池への注ぎ口に石組を配するなど平安時代の指導書「作庭記」の様式を余すところなく伝えている。その美しい流れとせせらぎは浄土庭園に風雅な趣を添えており、「曲水の宴」の舞台ともなる。
曲水の宴
毛越寺の「曲水の宴」は、昭和61年5月18日、藤原秀衡公八百年御遠忌特別大祭の記念行事として、藤原氏三代の栄華を偲び再現されました。曲水の宴とは、遣水の流れに盃を浮かべ、流れ来る間に和歌を詠み、終わって盃を戴くという、中国から伝わった催しで平安時代に盛んに行われました。
鐘楼堂
現在の鐘は、昭和50年(1975)、人間国宝・香取正彦氏によるもので、当時、天台座主であった山田恵諦大僧正(やまだえたいだいそうじょう)の銘が刻まれています。護摩に願い事を書いて納め、この鐘を響かせることができます。 現地説明板 なお、この鐘は500円で突くことがべきるが・・・・
▲隣接する観自在王院跡
世界文化遺産。二代基衡公の妻が建立したと伝えられる寺院跡。ほぼ完全に残っている浄土庭園の遺構。世界遺産。 じゃらん
▲洲浜
の東南隅に築山と対照的に造られた洲浜は、砂洲と入江が柔らかい曲線を描き、美しい海岸線を表しています。他に比べて池底を特に浅くし、広々と玉石を敷き詰めているので、水位の昇降に応じて現れるゆったりした姿を眺めることができます。 毛越寺ホームページより
出島遺組と池中立石
毛越寺大泉が池のなかでも東南岸にある荒磯(ありそ)風の出島は、庭園中最も美しい景観の一つです。水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2メートルの景石が据えられ、庭の象徴として池全体を引き締めています。 毛越寺ホームページより
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