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松前城(100名城)~北海道松前郡松前町松城

2016-05-17 05:47:59 | 100名城

2016年5月10日 【道南2016】北海道

松前城 100名城

北海道松前郡松前町松城144

松前家の初代藩主・松前慶広がこの地に築城したのは、1606(慶長11)年のことです。その後の火災や修築などを経て、十七世藩主・松前崇広は1849(嘉永2)年7月10日、外国船の出没に備え津軽海峡の警備強化を図るため、幕府から築城を命ぜられ、城主大名になりました。設計は当時の三大兵学者の一人である高崎藩の市川一学に一任しました。一学は海防上から福山は無理であり、箱館後方の桔梗野にある庄司山付近に築城するよう上申しますが、藩士たちは移転を好まず福山館を拡大して築城することになりました。5年の歳月をかけ、1854(安政元)年9月に完成した松前福山城は、日本最後の日本式城郭になりました。完成した新城は面積約7万7800平方メートルで、本丸、二の丸、三の丸、楼櫓6、城門16、砲台7座を備えていました。
1941(昭和16)年に国宝に指定され、戊辰の役や開拓使の取り壊し、太平洋戦争にもかろうじて残った松前福山城天守閣でしたが、1949(昭和24)年6月5日未明に松前町役場から出火した飛び火により焼失してしまいます。現在の天守閣は町民の切なる願いと、全国からの善意により1961(昭和36)年に再建されたものです。

搦手二ノ門

 

▲松前城資料館 門の様な建物は観光用だろうな

 

本丸御門 重要文化財

かつての福山城本丸御殿にいたる正門。1606(慶長11)年と1849(嘉永2)年築城の旧城郭を取り壊し、新しい城郭を建設した際の御門です。石垣は凝灰岩を方形に加工し、隙間なく石をすり合わせています。
背面の屋根は正面よりも急勾配とし、石垣の上端まで葺き下ろしています。

     

▲本丸表御殿跡

 

2016-05-17 05:47:59

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