2016年12月25日 【ぐるっと四国一人旅2016】 高知県
中村の町並み
高知県四万十市
中村は土佐の小京都と言われているが、風情のある町家造りの建物があるわけでもないし、街中に由緒ある神社仏閣も点在していない。
ここ中村は関白一条教房公が応仁の乱をさけ、京都からこの地に逃れてきた。一条教房公はこの地を京都に模して、町づくりをした。ただ、道路は碁盤の目になってはいるが・・・・ これらのことから土佐の小京都と呼ばれているのだろうか?
土佐の小京都ということでここにやって来たのであるが、少々拍子抜け!
とりあえずは駅前からタクシーで中村城跡へ
タクシーのドライバーさんとの会話
当方「中村は土佐の小京都と呼ばれていますが、どうしてそう呼ばれるのでしょうかね~」
ドライバーさん「わからないな~京都らしい地名は残っていますが・・・」
ちなみにドライバーさんは地元で生まれ育った方。う~む
▼一条房基供養塔
土佐一条家三代目当主
▼中村城
高知県四万十市(旧中村市)丸の内にあった中世から近世にかけての平山城(ひらやまじろ)。西に四万十川(しまんとがわ)、東に後川が流れ、中村平野を一望する丘陵地に築かれた。中村城の起源は明らかでないが、豪族の為松(ためまつ)氏が城を築き、居城としていたと考えられている。1468年(応仁2)、前関白の一条教房(いちじょうのりふさ)が京の戦乱を避けて、荘園があった中村(土佐幡多(はた)郡)に逃れてきた。この時、為松氏は国司となった一条氏に家老として仕え、中村古城を整備、以来一条氏の居城になった。為松城(ためまつじょう)ともいう。
この石垣は当時のものか?
▲「中村城跡二の丸」と刻まれている。
天守閣風の四万十市立郷土資料館
▲一条房家:土佐一条家二代目当主
▲遠くに見えているのは四万十川か?
▲中村城で使用されていた瓦
▲これは土塁か?
▼一條神社(高知県四万十市中村本町)
この神社は、文久2(1862)年、中村御所跡の一部の小森山山頂にあった一條家御廟所跡に、土佐一條氏の遺徳を偲ぶ有志によって建立されました。
土佐一條氏は応仁の乱を避け下向した前関白一條教房に始まり、以後4代、中村の文化、経済の発展に力をそそぎました。
この神社には教房の父、兼良を始め、土佐一條氏歴代の霊を祀っています。
市民には、「いちじょこさん」と親しまれ、毎年11月に行われる大祭は、市内一円で3日間、御神火提灯行列や稚児行列、神楽など様々な行事が盛大に開催され、町は数万人の人出で大いに賑わいます。現在の社殿は、昭和19(1944)年の建立です。
▼中村御所跡
市街地の中央に盛り上がった小森山がある。この丘にはもともと愛宕神社あったが、一條教房が中村下向のとき他へ移しここに御所を構えた。
▼中村駅
駅前の様子
特急「あしずり」で高知(駅)へ
☆cosmophantom