2017年5月17日 【同期と行く新潟2017】新潟県
新発田城 100名城
新潟県新発田市大手町
新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました。新発田城は一般に多くある山城とちがって、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城です。石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法でつくられ、北国の城特有の海鼠壁は全国的にも珍しいものです。
城の表門前に、すっと立っているのが堀部安兵衛の像。赤穂義士の討ち入りで中心的な役割を果たした安兵衛。像の顔は、しっかりと江戸を見つめています。新発田城はかつて本丸、二の丸、三の丸からなり、堀や石垣に囲まれ、新発田川の水を巡らせた平城で、11棟の櫓と5棟の門が並び壮観な景観を呈していました。中でも、天守閣の代わりを果たしていたのが三階櫓です。3匹の鯱を配するという独特の櫓で、全国にも例がない大変珍しいものです。平成16年には、この三階櫓、辰巳櫓が復元されました。
▼二の丸隅櫓 重要文化財
新発田城は溝口氏六万石の居城で、現存の建物は江戸末期の再建である。 表門は櫓門で、二の丸隅櫓は二重二階櫓である。 これらの遺構は建築年次は新しいが、いづれも古様を帶び、地方色も豊かに、北陸地方としては遺例が少い貴重な遺構である。
▼本丸表門 重要文化財
1732年に再建された現存の櫓門。2階に格子窓を設け、門の真上の床を外して石落としとする構造となっている。国の重要文化財。
▼辰巳櫓
本丸の南東に建つ層塔型2重2階の二重櫓。三階櫓とともに木造で復元された。
▼辰巳櫓
▲木造建物は自衛隊の施設らしい。
▼三階櫓
▼二の丸隅櫓
▼堀部安兵衛像
赤穂四十七士の中でも、名声の高い堀部安兵衛は、新発田の生まれ。新発田藩士中山弥次右衛門の息子で、母方の祖母は藩祖溝口秀勝の娘という由緒正しい血筋でしたが、13歳のときに中山家が断絶。家名再興を志して江戸に出た安兵衛は、高田馬場の仇討ちによって名を挙げて、赤穂藩士堀部家の婿となり、討ち入りに加わって本懐を遂げました。
その堀部安兵衛の像が今も江戸の方向を見据えています。
2017-07-12 05:41:30
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