2015年2月9日 沖縄県
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)跡 100名城 世界遺産
沖縄県国頭郡今帰仁村
今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。攀安知(はんあんち)時代に、中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは、監守(かんしゅ)が派遣されるようになり、1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残されました。 今帰仁城ホームページより
▲今帰仁城ホームページより
▲ 平郎門(正門)
正門の狭間
▲ 歩きやすいので「七五三の階段」にしらたらしい
▲ 階段脇の旧道
▲ カーザフかな?
カーザフは、平郎門からはずれた右側のくぼ地になったところをいいます。ここは、一段と低い所でその両側は切り立った「谷底」になっています。この地名の語義は「川迫(さこ)」つまり、川の谷間として理解されています。露頭した岩盤に直接積んだ堅固な石積みは、かつて城壁として鉄壁をほこったものと想像することが出来ます。今帰仁城ホームページより
▲ カラウカー :拝所
▼ 主郭
大庭の東にある一段高くなった郭を主郭と呼んでいます。主郭には多くの礎石が現存し、桜の植樹のためか、一部移動させられている石もありますが、かつての建物の形がいくらか想像できます。1982年から4年間発掘調査が行われました。発掘調査の結果13世紀終わりころから17世紀初め頃まで機能していたことがわかりました。監守引き上げ以降は、火之神の祠が設置され、さらに来歴碑が建立され祭祀を行う場所として利用されています。発掘調査が完了し、現在のように整備されました。今帰仁城ホームページより
礎石
▲火之神の祠
▲ テンチジアマチジ(城内上の御嶽)
御内原の隅に自然石が、高さ1メートルくらいの石垣で囲まれた拝所となっています。今帰仁城の中で最も神聖な場所です。オモロで「今帰仁(みやきせん)のカナヒヤブ」と謡われています。今帰仁村ホームページより
城(ぐすく)とは周辺を石垣で囲ったものとする説もある。。。
▲ 東シナ海
拝所:古宇利殿内(ふいどぅんち)
2015-02-17 06:32:10
cosmophantom
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