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今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)跡100名城 世界遺産

2015-02-17 06:32:10 | 100名城

2015年2月9日 沖縄県

今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)跡 100名城 世界遺産

沖縄県国頭郡今帰仁村

今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。攀安知(はんあんち)時代に、中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは、監守(かんしゅ)が派遣されるようになり、1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残されました。 今帰仁城ホームページより

▲今帰仁城ホームページより

▲ 平郎門(正門)

 

正門の狭間

 

▲ 歩きやすいので「七五三の階段」にしらたらしい

▲ 階段脇の旧道

▲ カーザフかな?

カーザフは、平郎門からはずれた右側のくぼ地になったところをいいます。ここは、一段と低い所でその両側は切り立った「谷底」になっています。この地名の語義は「川迫(さこ)」つまり、川の谷間として理解されています。露頭した岩盤に直接積んだ堅固な石積みは、かつて城壁として鉄壁をほこったものと想像することが出来ます。今帰仁城ホームページより

▲ カラウカー :拝所

 

▼ 主郭

大庭の東にある一段高くなった郭を主郭と呼んでいます。主郭には多くの礎石が現存し、桜の植樹のためか、一部移動させられている石もありますが、かつての建物の形がいくらか想像できます。1982年から4年間発掘調査が行われました。発掘調査の結果13世紀終わりころから17世紀初め頃まで機能していたことがわかりました。監守引き上げ以降は、火之神の祠が設置され、さらに来歴碑が建立され祭祀を行う場所として利用されています。発掘調査が完了し、現在のように整備されました。今帰仁城ホームページより

礎石

▲火之神の祠

▲ テンチジアマチジ(城内上の御嶽)

御内原の隅に自然石が、高さ1メートルくらいの石垣で囲まれた拝所となっています。今帰仁城の中で最も神聖な場所です。オモロで「今帰仁(みやきせん)のカナヒヤブ」と謡われています。今帰仁村ホームページより

 

城(ぐすく)とは周辺を石垣で囲ったものとする説もある。。。

▲ 東シナ海

 

拝所:古宇利殿内(ふいどぅんち)

 

2015-02-17 06:32:10 

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