2018年5月24日 【同級生と行く金沢・アルペンルート2018】 石川県
金沢城2018 100名城
石川県金沢市丸の内
天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。慶長7(1602)年、落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより城の構造が変化するなかで。武家屋敷も城外へと出されました。内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されませんでした。細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。現存する石川門は、この後天明8(1788)年に再建されたものです。
▼石川門櫓
▼石川門から入城
▼三ノ丸広場より
▼河北門(三ノ丸広場より)
▲右から 菱櫓 五十間櫓 橋爪門続櫓(二ノ丸広場より)
▲橋爪門続櫓
▲五十間櫓 橋爪門続櫓
▲菱櫓
▲橋爪門続櫓
▲石川門櫓
▲菱櫓と五十間長屋(新広場より)
▲戌亥櫓石垣
▲旧第六旅団司令部
▼三十間長屋
▼鶴丸倉庫
▼鶴の丸休憩所より
上:橋爪門続櫓 下:菱櫓
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