コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

禄剛崎(ろっこうさき)灯台~石川県珠洲市狼煙町

2015-09-13 06:38:15 | 灯台

2015年9月1日 石川県

禄剛崎灯台

石川県珠洲市狼煙町

能登半島の最先端で、ちょうど外浦と内浦との接点にあたるところ。ここは「海から昇る朝日と、海に沈む夕陽」が同じ場所でみれることで有名です。明治時代にイギリス人の設計で造られた白亜の禄剛埼灯台です。無人のため灯台内は見学不可ですが、年に数回一般公開があります。 すず観光ナビネット

1883年(明治16年)7月10日  設置 初点灯

   

菊の紋がある灯台はここだけとのこと。

銘板には「明治十六年七月十日初点灯」と刻まれているかも?


   

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すず塩田村(石川県珠洲市清水)

2015-09-12 05:55:59 | その他

2015年9月1日 石川県

すず塩田村(奥能登揚げ浜塩)

石川県珠洲市清水

奥能登塩田村では、500年前からこの土地で続けられて来た製法で、塩作りを行っております。塩作りは天候とのにらみ合い。
与えられた自然条件のなか、太陽の光と海、そして山からの風の恵みをうけて出来上がっていきます。塩作りは大変過酷な重労働。揚げ浜式製塩は、現在日本で唯一この地区だけに残る製法なのです。奥能登揚げ浜塩ホームページ

容量600㍑の塩釜 釜焚は22時間で100kgの塩ができる

引桶(しこけ):汲んだ海水を溜めるための桶

かえ桶(かえおけ):海水を汲む

打桶(おちょけ):塩田に海水を撒く際に使用

 

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白米千枚田(世界農業遺産)~石川県輪島市白米町

2015-09-11 05:35:44 | その他

2015年9月1日 石川県

白米千枚田 世界農業遺産

石川県輪島市白米町

白米千枚田(しろよねせんまいだ)は石川県輪島市白米町にある棚田です。日本海に面して、小さな田が重なり海岸まで続く絶景は、日本の棚田百選、国指定文化財名勝に指定され、奥能登を代表する観光スポットとして親しまれています。水田一面あたりの面積は約20平方メートルと狭小で約3.8ヘクタールの範囲に1004枚の典型的な棚田風景が展開し、古くより「田植えしたのが九百九十九枚あとの一枚蓑の下」「越中富山は田どころなれど能登は一枚千枚田」等の古謡が唄い継がれています。 白米千枚田ホームページより

 

 

 ※ 以前より千枚田が狭くなっている気がするが・・・

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輪島朝市~石川県輪島市

2015-09-10 05:25:16 | その他

2015年9月1日 石川県

輪島朝市

一千年以上も前から続く、輪島の朝市。この歴史の中で売る者と買う者との心の触れ合いが生まれてきました。売る者も女、買う者も女の朝市。町の一日は、朝市の「買うてくだぁー」の呼び声から始まります。野菜などは周辺農家のおばちゃん、活きのいい魚貝・海草は漁師町の女衆が売りに出ます。朝市で売られるものに「値札」はあまり付いていません。値段は交渉しだい、買い手も売り手もこれを楽しんでいるのです。輪島を訪れた都会の主婦は「朝市で買って、料理をすれば、どんなに楽しいだろう」、「活きのいい魚、艶のある野菜、気安く、気軽に買える輪島の朝市が何よりもうらやましい」と言います。 輪島市観光協会

  

のどぐろ?

むしあわび 100g 8640円。。。。。。。。

  

市で買った物をここで焼いて食べることができるらしい。無料?
 

  

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輪島塗漆器工房~石川県輪島市小伊勢町日隅

2015-09-09 05:47:41 | 博物館・資料館等

2015年9月1日 石川県

輪島塗漆器工房

石川県輪島市小伊勢町日隅

輪島塗は木地に生漆、米糊、焼成粉末珪藻土(輪島地の粉)を混ぜた下地を厚く施し、丈夫さと美しさを両立させた、輪島市で作られる漆器のこと。特に微生物の化石からなる珪藻土を水で練って素焼きし、細かく砕いたもの(輪島地の粉)を漆に混ぜて下塗するのが輪島塗の大きな特徴。石川県の輪島で江戸時代享保期頃より技術が確立し、現在では外国でも高級漆器としてその名を知られている、日本の伝統工芸となっている。塩安漆器工房ホームページより

 

工程は沢山あり、完成まで時間がかかる。

   

 

※ 母はネックレス、妻はブレスレット、当方は650円の独楽二つ・・・・・・・・


巌門・能登金剛~石川県羽咋郡志賀町

2015-09-07 05:50:30 | 自然

2015年9月1日 石川県

巌門・能登金剛

石川県羽咋郡志賀町

巌門

険しい断崖と荒々しい波は、能登金剛を最も象徴する光景。中でも巌門は代表的。侵食により、ぽっかりと開いた洞門の向こうには見果てぬ海が広がり、岬の頂には老松が茂る。強い大自然の技は、どれも挑むような姿を見せてくれます。 志賀町観光協会

能登金剛

海岸線が朝鮮半島の金剛海岸のように美しい所から能登金剛と呼ばれている。能登を代表する景勝地で、福浦港から関野鼻までの約29キロメートルの海岸線をさし、奇岩、奇勝、断崖が連なっている。代表的なものは巌門、機具岩、ヤセの断崖、増穂浦の世界一長いベンチなど。中でも一番の見どころは巌門で、岩に空いた大きな穴は圧巻。遊覧船も運航していて、奇岩を海上からも楽しめる。じゃらん

 

遊覧船で巡る

岩の中程に見える白い物は海鳥の忘れ物とのこと

    

 

▲福浦港

旧福浦灯台

日和山(ひよりやま)と呼ばれる絶壁の上にある日本で一番古い木造灯台。慶長13年(1608年)に日野資信が持ち舟の安全をはかるため断崖上でかがり火を焚いたのが始まりで、明治43年、旧福浦村営の灯台になるまで、日野家代々の手で守られて来た。

この岬には灯台がある
  

能登富士(高爪山) 二つの岩は「夫婦岩(機具岩)」

※ 下船して海岸へ

 

  

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妙成寺~石川県羽咋市

2015-09-06 06:24:24 | 神社・仏閣・教会

2015年8月31日 石川県

妙成寺

石川県 羽咋市 滝谷町

北陸における日蓮宗の本山です。1294(永仁2)年、日蓮聖人の弟子日像聖人が師命により妙法を京都に広めようと、佐渡から都上がりの途中、船中で能登石動山天平座主の満蔵法印(日乗聖人)を教化改宗し、一寺を建立したのが妙成寺の始めです。重要文化財の十棟は、加賀藩前田家初代から五代にわたって造営されたもので、特に三代利常は生母寿福院の菩堤(ぼだい)所として本堂、祖師堂、五重塔等を造立しました。前田家御用大工の坂上又三郎が親子三代にわたって腕前を披露し、桃山時代の雄渾華麗な面を遺憾なく発揮しているといわれています。

▲ 総門

この総門は、同寺の正門で、寺院としては珍しい「高麗門」という装飾性の少ない城門の形式がとられていることが特徴です。寛永5年(1665)の建立。間口(幅)が約4.4㍍棟高約5.9㍍屋根は杮葺で左右に銅板葺の控屋根がつながれています。簡素な造りですが細部には宗教建築としての様式も認められます。

▲▼二王門 重要文化財

寛永二年(1625)建立。単層三間一戸の楼門で屋根は入母屋造り棧瓦葺である。上階の中央に佐々木志津磨の揮亳による『金栄山』の山号額を掲げ正面中央を通路としその両脇に透連子窓を設け中に二王像が安置されているので二王門と称する。別名「山門」ともいう。仁王像は阿形、吽形である。

    

▲▼鐘楼 重要文化財

寛永二年(1625)建立。純和様を以て作られ、袴腰と呼ばれる腰回りの板囲いは入母屋屋根とよく均整を保っている。本堂、祖師堂、五重塔と共に日蓮宗伽藍制度を象徴するものである。

 

▲▼経堂 重要文化財

寛文十年(1670)建立。四代藩主前田光高の遺願によって建立。前一間通りを吹放しとし他は板壁を以て構成、天海版一切教を納める。北陸地方最古の法華経版木(応永22年)を蔵する。建築は室町時代を思わせる程の古式であり屋根の反りなど江戸期では数少ない美しさである。

 

▼五重塔 重要文化財

元和四年(1618)建立。五重塔は日本最古の法隆寺五重塔以来、仏舎利をまつる仏塔で卒塔婆または塔婆と呼ばれる日本独自の美しい大塔である。総高34.18m、露盤下まで27.27m、方三間、屋根は栩葺(とちぶき)すべて円柱で初重では野面石の上に土台をおきその上に建て心柱は礎石上に建っている。心柱の直径1m、建物周囲には切目縁を廻らして擬宝珠高欄付、正面と両側面に五段の木階段を設ける。この栩葺(とちぶき)の屋根は五重塔としては全国唯一である。初重正面唐様の須弥壇があり羽目板に蓮の彫刻を入れてあるところは室町風といわれる。五重塔の美しさは相輪の高さとの比にあるといわれる。相輪は上から宝珠・竜車・水煙・九輪(宝輪)・請花・伏鉢・露盤によって成る。塔は相輪が最も重要なものにしてことに宝珠を一番大切にする。建立は元和元年に起工し四年の歳月をかけて前田家御用大工、坂上越後守嘉紹らによって竣工したことが棟札によって知ることができる。

 

  

▲▼番神堂 重要文化財

十九年(1614)建立。番神堂は、加賀藩第三代前田利常が大阪出陣の際、戦勝祈願のために建立したと古文書が伝える。一説には京都北野天満宮より移したとも伝える。内陣には日本の国神三十体を祭祠しているので三十番神と称日蓮宗伽藍として重要な堂舎である。建物は和洋を基調とし純然たる神社建築で三間社流造、屋根は柿葺正面に軒唐破風がある。
柱も虹梁も上品であり蟇股等立派な出来である。桃山時代の技法をよく生かして洗練された美しさを表している。

  

 ▼三光堂 重要文化財

元和九年(1623)建立。加賀藩第三代前田利常公の帰依により前田家御用大工坂上又三郎を棟梁として建立された。京都建仁寺流の流儀により桃山建築の粋を集めて建築された。正面桁行五間側面梁間五間一間の向拝をつけ屋根は柿葺入母屋造でこけら葺である。様式を祖師堂と比較すると平面計画や天井廻りに素密の差こそあれ唐様を主調とし驚くほど類似した建物である。このお堂は藩主前田家の武運長久の祈願を朝夕三光堂において行われていた。日天・月天・明星天の3光天を安置し三光堂と言われている。一名「鎮守堂」とも呼ばれている。

  

 ▼三十番神堂拝殿

慶長十九年(1614)建立。桁行三間、梁間二間、入母屋造り、正背面に軒唐破風付屋根は柿葺。本殿と共に建てられたが明治六年、廃仏毀釈により同市円井町に売却される。平成三年三月解体修理し現在地に復す。本殿が和洋を基調としているのに対し拝殿は随所に唐様式を取り入れる。蟇股等は時代的特色を示し優美であり本殿と意匠を同じくしている。

 ▼丈六堂(釈迦堂)

貞享三年(1686)建立。一丈六尺(5m)の立像の釈迦牟尼仏を奉安。一般に丈六堂とも呼ばれる。中正院日護上人作とされる。堂は桁行三間、梁間四間、重層入母屋造、昭和五十五年九月より一年をかけての解体修理完成。四柱を撤去し二柱寄せ棟造を重層入母屋造に桟瓦葺をこけら葺とし建立当時の姿に復元した優美な建物。

 

▲釈迦牟尼仏

▼本堂 重要文化財

長十九年(1614)建立。加賀藩第三代前田利常公の帰依により前田家御用大工坂上又三郎を棟梁として建立された。
京都建仁寺流の流儀により桃山建築の粋を集めて建築された。正面桁行五間側面梁間五間一間の向拝をつけ屋根は柿入母屋作りで基礎は亀腹を築き野面石の上に柱を建る。建物の各所に唐様の形式が用いられる堂々たる貫禄を示している。
伽藍の中心であるとともに礼拝の中心となる御堂である。昭和五十一年にこけら葺に復元した。本尊は一塔両尊、四天王四菩薩などである。

 

 ▼庭園

▲書院 重要文化財

万治二年(1659)加賀藩第五代綱紀が建立したと伝えられる。前田家代々の菩提と利常公生母寿福院殿、息女浩妙院殿の冥福を祈るための御霊屋を営んで併せて参拝のときの御座所として建てられたものである。装飾を多く用いず構造美を主とし江戸時代の建築であるが桃山時代の豪快な面を有する。(前庭は蓬莱形式で五重塔を背景にしている。)書院から五重塔を遠見する景観は賞賛に価する。

 ▼祖師堂 重要文化財

寛永元年(1624)建立。前田家御用大工坂上一統の手によるもので方五間単層入母屋造、屋根は柿葺、本格的な唐様式で
軒の組物がまことに巧妙であり妙成寺建築物中出色貴重なものである。内部は正面一間通りを外陣に両側面一間通りを脇陣とし中央部正面三間、側面四間に円柱を建てて内陣としている。内陣後方に須弥壇を設けその上に唐様の厨子を置く。須弥壇下の蓮華の彫刻並びに内法貫間の天人の彫刻は出色である。屋根両側面の妻飾りは桃山時代の特徴をよく表している。堂内の厨子も重要文化財に指定され宗祖日蓮大菩薩の尊像を安置する。中正院日護上人の作である。

 

 ▼客殿 元和2年(1616客殿を建立

※記事は全て妙成寺もホームページより転記

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宇都宮の町並み~栃木県宇都宮市

2015-09-05 05:49:38 | 町並み

2015年4月29日 栃木県

宇都宮の町並み

栃木県宇都宮市

宇都宮の歴史は古く、その昔、蝦夷平定のため、はじめてこの地に足を踏み入れた豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が開祖といわれており、これを祀った二荒山神社の門前町として栄え、池沼が多いことから「池辺郷」とも呼ばれていました。 「宇都宮」の地名は、藤原宗円が二荒山神社の社号「宇都宮」を氏とし、鎌倉幕府の中枢にあって、治政をあげたことに由来するといわれています。江戸時代には城下町として栄え、参勤交代や日光東照宮の造営などにより往来も多く、「小江戸」と呼ばれるほど繁栄しました。明治17年に栃木県庁が置かれ、同22年に町制、同29年に市制が施行されました。以後、県内の政治経済の中心となり、また、14師団が置かれて軍都としても有名となりました。昭和20年の空襲では市街地の大半を焼失しましたが、いち早く戦災復興土地区画整理を進め、全国でもまれにみる復興をとげました。 うつのみやホームページより

 

▲宇都宮駅

▲駅前の餃子店は大賑わい

▲松が峰教会:大谷石造りの聖堂

 ▲二荒山神社▼

 

▲宇都宮城▼

▲旧篠原家住宅▼

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宇都宮城~栃木県宇都宮市

2015-09-04 05:43:56 | その他の城

2015年4月29日 栃木県

宇都宮城

宇都宮市本丸町、旭1丁目地内

宇都宮城(うつのみやじょう)は栃木県宇都宮市本丸町にあった日本の城。関東七名城の一つ。江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった。遺構は殆ど残っていないが、本丸の構造物の一部(清明台、富士見櫓、土塁・堀、土塀)が外観復元され、宇都宮城址公園として一般に公開されている。今後、本丸御成御殿、本丸清水門、本丸伊賀門を復元する計画がある。

▼清明台

▼富士見櫓

   

▼御本丸広場
  

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