立山からの帰り、世界遺産集落に立ち寄りました。世界遺産としての白川郷・五箇山合掌造り集落は富山県と岐阜県にある3か所です。
① 富山県南砺市、五箇山菅沼合掌造り集落(小規模にまとまっています)
(↑お土産用の手芸品)
② 富山県南砺市 五箇山相倉集落(屋根の上に窓がついています)
③ 岐阜県白川村 荻町合掌造り集落(大規模でした。城跡の展望台からも見ました)
それぞれの土地の風土や生活の必要のために江戸時代末期から明治初期に作られたかやぶき屋根の集落。今では水田になっていますが、本来は桑や雑穀の畑だったこと、ダムや生活の変化で近隣の多くの集落は昔の姿を失ってしまったそうです。詳しくはこちら。
世界遺産として守られているわけを、建物の特殊性以外からも考えさせられました。最近読んだ「きみがモテれば、社会は変わる」の影響かもしれませんが、もうとっくに終わっているニッポンを変えるためにはどうしたらいいか、私たちは本来それぞれの地域で生かされてきたことを忘れてはいけないですね。
市立美術館で開催中の写真展ですが、上の階では「色えんぴつ画作品展 いわたてつやと仲間たち」という展示会も開かれています。グループの皆さんが色えんぴつで描く世界を楽しんでいる様子が伝わってきました。豪華なお花も何杯も飾ってありました。
中でも、いわたさんの「流木」の絵の下に張ってあったこの詩にとてもひきつけられたので、紹介します。詩は少しする、とのことでしたが、むしろ詩の方が長いのでは?「老木と呼んでください」という言葉が耳に残っています。
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「名は流木」
豊かな土地に根を張り
青々とした葉を持ち
甘い果実の宝石で身を飾り
麗しき名で呼ばれ
次の世の命を育み 幾年月を
あの豊かな土に生きてきた。
やがて自然が私に幕を降ろし
為す術もなく大地のふるさとを追われ
身にまとうものも今はなく
この島に流れ着いた。
昔の名さえ忘れ、砂に埋もれた
裸の私はそれでも生きている。
私の名前は「誇り高き老木」
私の名前は「誇り高き流木」
吉備津神社から吉備津彦神社に向かう途中、福田海本部(福でんかいほんぶ)」という看板が見えます。比叡山の流れをくむ宗教法人で、お経の中のありがたい言葉に由来するそうです。少し詳しい説明はこちら。
ここの敷地の奥に、鼻ぐり塚があります。鼻ぐりって?
ここは、行ってこそわかる、いわゆる「ディープな雰囲気の」一角。切り身の魚しか知らない、のと同じく、パックされた肉しか知らないのも、どこかおかしいよ!と言われているみたいでした。