7月24日、祇園祭の後祭りの中の花傘巡行を見に行きました。ニュースでは見るけれど、あの人ごみに出かける理由が今までありませんでした。
祇園祭の起こりは平安時代869年の御霊会で無病息災を祈念したことから。その後、多くの紆余曲折を経て少しずつ時代に合わせて変更が繰り返されて現在に至ります。八坂神社が祇園社と呼ばれていたことが名前の由来。
朝9時の八坂神社境内
花傘巡行参加者が順次お参りをして出発です。これは鷺踊の子どもたち。ひときわ目立っていました。
花傘巡行は昭和44年に創設された行事で、山鉾巡行が男性だけの参加であるのに対して、女性や子供が多く、また、各種の演芸や文化を演出することに意味があります。1000人とも言われる行列の多種多様なこと!それぞれのいわれや組織は複雑ですが、京都の町のいろいろな団体の活力を表現していました。
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花飾りブログにちなんで、花傘巡行の花飾りをご紹介します。
このような、花飾りのついた傘の車が10台ほど歩いていました。「花傘とは、古来より厄除け・災難除けの傘とされ、天から降る
疫神を傘で避けて無病息災を願うという習わしに由来します」とのこと。
児武者の背中にも花飾り。う=。
宮川町の車にも花飾り。この飾り、ないほうがいいのでは・・・?
家族が参加したので、このために見に行ったのですが・・・・花傘娘。後ろの織商鉾と合わせて、この着物姿の行列は京都織物卸商業組合が用意していました。
花は造花で仕方がないでしょう。近頃の造花は質感や表情がとても進歩しているので、炎天下の行列には合理的でしょう。しかし!もう少し素敵に飾り付けができないものか、とつい辛口になってしまいました。衣装や道具にある程度の文化的意味があるのなら、それに釣り合うお花の使い方をしてほしいものです。
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さてこの日、河原町通りに出ると、西から回ってきた山鉾の行列が南下するところを見ることができました。鉾10基の後に寺町を回った花傘の列が合流して、四条河原町で東西に分かれて戻るという演出です。
動く美術館、この風景は確かによかった。お囃子は欠かせません。
外国人のみなさん、こんな静かなお祭りをどう感じるのでしょう。
後祭り最後の鉾は150年ぶりに復活した大船鉾。倒れないかと、心配になりました。
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2時間あまりの行列が終わって、八坂神社の境内では、戻った人たちの芸能舞台がさらに続いていました。
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見たのはほんの一部、調べていると果てしなく深く複雑な祇園祭です。暑い盛りですが、夜の風景はやはり見る甲斐があることでしょう。