11月3日、龍泉寺の桜
この落ち葉で、初めて落ち葉染めをしてみました。右はミョウバン媒染。
これは庭の桜の落ち葉で染めたもの(無媒染)。まだまだ紅葉が浅い状態でしたが待ちきれず・・・・
もう少し紅葉が進んできてから、今度は布やリボン、モヘアにも挑戦。
去年教えていただいて、待ちに待った桜の落ち葉染め、やっとアップできました。葉の状態や量など、場合によって色に変化があるようですが、どれもこれが落ち葉と思うと感動しないではいられませんでした。(なべの中にある落ち葉を見て子どもがお母さんがボケた~と驚いてもいました)
どんどん散ってしまうものと心配していたのに、赤く色づいたまま、まだまだ枝にしがみついているので、もう一度桜で染める事ができそうです。
先月中ごろいただいたカラハナソウの実。リースにしてその後も・・・・
乾いてからカゴに入れてみたり・・・
枝と組み合わせてみたり・・・・
極めつけ。実を煮出すアイデアを教えてもらって毛糸を染めてみると・・・・
茶色なんだけど、やわらかいピンク色も含んでいました。不思議ですね。
春から成長を見守ってきたイヌコウジュが、やっと紫に変身しました。まだ花もついていたり、日陰では緑の葉のままだったり。
夕日に当たって輝いている、そうそうこんな姿が見たかった。
葉と花のついた枝を博物館で見てもらって、イヌコウジュでしょう、ということでした。見分けにくいというヒメジソやヤマジソも、見たいものです。去年のお気に入り、イヌコウジュのリースを出してみたら、色の変化はありませんでした。
そろそろ冷え込む日もあるしアサギちゃんも来ることはなさそう。フジバカマも終わりなので刈り取ろうと思ったその日、寒さが和らいで風もなく穏やかな真昼・・・11月4日アサギマダラ一頭を確認。刈り取りストップして蝶が去るのを待ちました。
10月12日から3週間、見かけたのは7頭でシーズン終了です。
そんな終わりかけのフジバカマを干しておくと、モコモコ綿毛のボールの束に変身しました。干している間中やさしい香りが漂って、平安貴族の雅な気分(どうやら私だけ・・・)
イヌタデと合わせてリースにしてみました。毛糸玉みたい。すご~い!なんて喜んでいるのももちろんわたしだけ・・・・
今年もまた実り多いフジバカマでした。
ドライフラワーと言えばカントリー調のナチュラルな飾りか、アンティーク家具に似合う装飾として使われます。
けれど、枯れた花を飾る、と言うととたんにイメージ悪くなりますね。それでも懲りずに枯れたもの、落ちたもの、乾かしたもの、の数々を使いたくなってしまいます。枯れたものは、急がなくてもいい。待ってくれる。やさしい。勝手にそう思っています。
最近読んだ文章に、その、枯れた植物を飾ることについての興味深い一節があったので、記憶のためにここに抜粋しておきます。
・・・・本郷弥生町の高村光太郎のアトリエに写真を撮りにいったとき、応接間の壁の亡妻・智恵子さんの写真のそばに、枯れたつる草がピンで止めてあった。いわば仏前の献花である。やはり古い頭のぼくは、何か異様な感じがして、そのヒョロヒョロした枯れたつる草をながめていた。僕の気持ちを察してか、「この枯れた線が美しいのでね」と、光太郎はいった。「美しい」と光太郎に注釈されて、ぼくもはじめて眼があいたみたいに、その枯れたつる草を美しいと思った。咲いた赤い花だけが美しいのでないことを知った・・・・少なくとも高村光太郎に切りとられて、壁の上にピンでとめられた瞬間から、それは美しいものになった・・・・(土門拳『拳魂』p.152「形式でなく心である」世界文化社より)
このくだりは、勅使河原蒼風がいけばなにはじめて枯草を生けて華道界から非難を浴びた話題の中に挿話として語られています。
明治生まれの超一流の芸術家たちが登場する挿話と次元が違うのですが、「枯れているからだめだ、と決め付けたものでもない」程度のお墨付きをもらったような気がしてうれしく思いました。枯れ草の季節です。