古い写真と話ですが、2018年4月、平日の11時前、秋田市中央部でこんなトラックを見かけ、珍しいと思って撮影していた。
中型トラックサイズのパネルバンってやつか。
箱は銀色で、太い楷書で黒々と書かれた文字に目を奪われた。「秋田市立河辺学校給食センター」。隅に小さく「NO.2」。
秋田市内で「新潟運輸」と書かれたトラックをたまに目にするが、文字の雰囲気はちょっと似ている(無関係ですが)。
通り過ぎるのを見送った数分後、この近くにある市立小学校につながる小路から出てきて、どこかへ向かって行ったところまで確認。その前も、その後も、ほかの場所でも、このトラックを見る機会はない。
車体の文字と曜日・時間を踏まえると、学校給食に関わる何かを運んできた可能性が高そう。でも、この車がここでそれをするというのも、かなり引っかかった。ここは「河辺学校給食センター」の管轄外のはずだから。
以前も取り上げたように、平成の合併以前からの秋田市エリアにある市立小中学校の給食は、各校でそれぞれ調理する「自校調理」か、近隣の数校分をその中の1校でまとめて調理して配送する「(狭義の)給食共同調理場」方式。たくさんの学校分をまとめて、学校から独立した施設で調理する「給食センター(広義では共同調理場に含む)」方式は行われていなかった。
一方、2005年に秋田市と合併した、旧雄和町・河辺町では、それぞれが給食センターを持っていた。合併後は、秋田市立の2つの給食センターになり、引き続き、それぞれの地域内分を調理しているものと思っていた。
トラックの車体には、「秋田市立」が取ってつけたように上にあって、「河辺」の前に3文字分の余白がある。
河辺町時代の表記を、合併時に書き換えたのだと思われるが、それにしては元の字と追加分の筆跡がそっくり。フォントではないだろうから、同じ人が揮毫したのか。
ただ、消した部分に「市」と書かれていたような感じもする。ひょっとしたら「市立」ではなく、合併直後に「秋田市河辺~」という名称だった時代があったのかもしれない。
トラックが出入りしていた小学校は、自校調理のはず。仮に河辺で調理したものを運ぶにしては、けっこうな輸送距離になる。条例の定めがないとできなさそうな気もするし。
憶測だけど、下ごしらえを給食センターで行ったとか、一括で納品された食材を各調理校へ輸送する業務も行っているとか、そんなところかも。いつもやっているのか、この時だけ突発的だったのかも分からない。
と思ったのが2年前。
今回、Googleストリートビューで、河辺学校給食センターを見てみた。和田駅や旧町役場である河辺市民サービスセンターなどの近く、河辺の中心部にある。
2012年10月撮影ストリートビュー
上の画像では、今まさにトラックが出発しようとしている。そのトラックには「NO.2」とあり、冒頭の写真と同一車両だ。古めのトヨタ製であることが分かり、5代目「ダイナ」か5代目「トヨエース」、ライトやドアガラスから1987~1995年の中~後期型のようだ。
奥の車庫内にもう1台トラックが写っているが、別車種で箱は白っぽい車。これがNO.1?
同じ場所の2018年7月のストリートビューでは、
更地になっている!!
河辺学校給食センターがなくなった?!
調べると、河辺のセンターは2017年3月で廃止され、雄和学校給食センターへ統合されていた。早々に解体されていたのだった。
広大な秋田市の中では、雄和と河辺は隣接していて遠くはない。しかも、児童生徒数の減少が著しく、学校の統廃合が進んでいた。
雄和地区では、2016年度に小学校を1校に集約し、既に集約されていた雄和中学校と同一敷地内に校舎を建設。つまり、雄和学校給食センターは、実質的に1つの学校分の給食しか作っていなかった。
「平成27(2015)年度 教育要覧(秋田市教育委員会)」によれば、
河辺学校給食センターは、敷地面積1862平方メートル、建物は調理室169平方メートル、事務室他239平方メートルで、3小学校・2中学校分600食を調理。
雄和学校給食センターは、1529、183、289平方メートルで4小1中分400食。
両給食センターはどちらも昭和44(1969)年設立らしい。※雄和は1969年当時はまだ雄和村。
そして、雄和は2001年に建て替えられたようで、ストリートビューで見ると建物は新しい。トラックもいくぶん新しく、車体の文字は似ているが、「秋田市立」も一行に収まり、活字の楷書体。
建物は河辺が老朽化し、雄和はまだ新しいこともあって、雄和を存続させたのか。
「秋田市立学校給食共同調理場等管理運営規則」では、秋田市立雄和学校給食センターの対象校は「雄和小学校および雄和中学校ならびに岩見三内小学校、河辺小学校、戸島小学校、岩見三内中学校および河辺中学校」。
河辺のトラックは、2年前見かけた時点で既にその所属先を失って丸1年、車齢も20年を越えているはず。1年以上書き直さずに使い続けていたのがすごいけど、所属はどこなのだろう。雄和以外に秋田市に給食センターはないから、雄和? 今はどうなっているだろう。
秋田市内の給食共同調理場方式をとる学校間での輸送は、民間業者に委託しているはず。今は知らないけど、昔は日本通運などが受託し、これと同じようなトラックで運んでいた。
フジテレビ「ひらけ!ポンキッキ」の「はたらくくるま(関連記事)」(詞 伊藤アキラ、曲 越部信義)では、第2作2番の3つ目に「おひるのおべんとう きゅうしょくうんぱんしゃ」が出ている。
映像では、今回のものより小さい、ダイハツのトラックが写る。白い箱には「祝一給食センター」。江戸川区に本社がある「株式会社祝一(しゅくいち)」で、今は宅配弁当、社員食堂(中央官庁や大手企業も)、学校給食、高齢者施設食堂運営をやっている。
中型トラックサイズのパネルバンってやつか。
箱は銀色で、太い楷書で黒々と書かれた文字に目を奪われた。「秋田市立河辺学校給食センター」。隅に小さく「NO.2」。
秋田市内で「新潟運輸」と書かれたトラックをたまに目にするが、文字の雰囲気はちょっと似ている(無関係ですが)。
通り過ぎるのを見送った数分後、この近くにある市立小学校につながる小路から出てきて、どこかへ向かって行ったところまで確認。その前も、その後も、ほかの場所でも、このトラックを見る機会はない。
車体の文字と曜日・時間を踏まえると、学校給食に関わる何かを運んできた可能性が高そう。でも、この車がここでそれをするというのも、かなり引っかかった。ここは「河辺学校給食センター」の管轄外のはずだから。
以前も取り上げたように、平成の合併以前からの秋田市エリアにある市立小中学校の給食は、各校でそれぞれ調理する「自校調理」か、近隣の数校分をその中の1校でまとめて調理して配送する「(狭義の)給食共同調理場」方式。たくさんの学校分をまとめて、学校から独立した施設で調理する「給食センター(広義では共同調理場に含む)」方式は行われていなかった。
一方、2005年に秋田市と合併した、旧雄和町・河辺町では、それぞれが給食センターを持っていた。合併後は、秋田市立の2つの給食センターになり、引き続き、それぞれの地域内分を調理しているものと思っていた。
トラックの車体には、「秋田市立」が取ってつけたように上にあって、「河辺」の前に3文字分の余白がある。
河辺町時代の表記を、合併時に書き換えたのだと思われるが、それにしては元の字と追加分の筆跡がそっくり。フォントではないだろうから、同じ人が揮毫したのか。
ただ、消した部分に「市」と書かれていたような感じもする。ひょっとしたら「市立」ではなく、合併直後に「秋田市河辺~」という名称だった時代があったのかもしれない。
トラックが出入りしていた小学校は、自校調理のはず。仮に河辺で調理したものを運ぶにしては、けっこうな輸送距離になる。条例の定めがないとできなさそうな気もするし。
憶測だけど、下ごしらえを給食センターで行ったとか、一括で納品された食材を各調理校へ輸送する業務も行っているとか、そんなところかも。いつもやっているのか、この時だけ突発的だったのかも分からない。
と思ったのが2年前。
今回、Googleストリートビューで、河辺学校給食センターを見てみた。和田駅や旧町役場である河辺市民サービスセンターなどの近く、河辺の中心部にある。
2012年10月撮影ストリートビュー
上の画像では、今まさにトラックが出発しようとしている。そのトラックには「NO.2」とあり、冒頭の写真と同一車両だ。古めのトヨタ製であることが分かり、5代目「ダイナ」か5代目「トヨエース」、ライトやドアガラスから1987~1995年の中~後期型のようだ。
奥の車庫内にもう1台トラックが写っているが、別車種で箱は白っぽい車。これがNO.1?
同じ場所の2018年7月のストリートビューでは、
更地になっている!!
河辺学校給食センターがなくなった?!
調べると、河辺のセンターは2017年3月で廃止され、雄和学校給食センターへ統合されていた。早々に解体されていたのだった。
広大な秋田市の中では、雄和と河辺は隣接していて遠くはない。しかも、児童生徒数の減少が著しく、学校の統廃合が進んでいた。
雄和地区では、2016年度に小学校を1校に集約し、既に集約されていた雄和中学校と同一敷地内に校舎を建設。つまり、雄和学校給食センターは、実質的に1つの学校分の給食しか作っていなかった。
「平成27(2015)年度 教育要覧(秋田市教育委員会)」によれば、
河辺学校給食センターは、敷地面積1862平方メートル、建物は調理室169平方メートル、事務室他239平方メートルで、3小学校・2中学校分600食を調理。
雄和学校給食センターは、1529、183、289平方メートルで4小1中分400食。
両給食センターはどちらも昭和44(1969)年設立らしい。※雄和は1969年当時はまだ雄和村。
そして、雄和は2001年に建て替えられたようで、ストリートビューで見ると建物は新しい。トラックもいくぶん新しく、車体の文字は似ているが、「秋田市立」も一行に収まり、活字の楷書体。
建物は河辺が老朽化し、雄和はまだ新しいこともあって、雄和を存続させたのか。
「秋田市立学校給食共同調理場等管理運営規則」では、秋田市立雄和学校給食センターの対象校は「雄和小学校および雄和中学校ならびに岩見三内小学校、河辺小学校、戸島小学校、岩見三内中学校および河辺中学校」。
河辺のトラックは、2年前見かけた時点で既にその所属先を失って丸1年、車齢も20年を越えているはず。1年以上書き直さずに使い続けていたのがすごいけど、所属はどこなのだろう。雄和以外に秋田市に給食センターはないから、雄和? 今はどうなっているだろう。
秋田市内の給食共同調理場方式をとる学校間での輸送は、民間業者に委託しているはず。今は知らないけど、昔は日本通運などが受託し、これと同じようなトラックで運んでいた。
フジテレビ「ひらけ!ポンキッキ」の「はたらくくるま(関連記事)」(詞 伊藤アキラ、曲 越部信義)では、第2作2番の3つ目に「おひるのおべんとう きゅうしょくうんぱんしゃ」が出ている。
映像では、今回のものより小さい、ダイハツのトラックが写る。白い箱には「祝一給食センター」。江戸川区に本社がある「株式会社祝一(しゅくいち)」で、今は宅配弁当、社員食堂(中央官庁や大手企業も)、学校給食、高齢者施設食堂運営をやっている。
雄和以外の給食にどう関与しているのか、相変わらず謎です。
たしかに一行のアルミコンテナで、客室屋根に/型のウイングあり。
9号から戸島に行く新道から出る様子でした。
雄和に行くのか仁井田に行くのかは不明でした。