秋田市南部地域、農村部の旧道沿いにあるモノのお話。
あえて場所は明記しませんが、周囲の写真で分かるかと思います。写真は今年早春に公道上から撮影しています。
もし実際に訪れる場合は、交差点とカーブがあり、そこそこ車も通るので、事故と近隣への迷惑にならないよう、配慮をお願いします。また、私有地へは立ち入らないでください。
右手前は田んぼ
かつて「村」の中心地だったことがしのばれるように、地域の拠点の施設がいくつか建つ。新しい建物になったものも。
上の写真左側に、赤い車がお尻を向けて写っている。
最初に気付いたのは2018年。キッチンカー、キャンピングカー、あるいは幼稚園バスみたいなのが駐車しているのかと思った。
近づくと,
ナンバープレートがない
周りに軽ワゴンなどが何台かあり、それもナンバープレートがないものもある。廃車体だ。
赤い車の窓ガラスには「ノンステップバス」と、一般路線バスの車とそっくりな表記もある。
側面後部には「01-0083」という社番のような数字。さらにその下に雑に消されているが、
「大阪市交通局」!
大阪市営バスの廃車が、はるばる来たらしい。
大阪市バスについては、たしか民営化か何かされた程度の知識しかなく、こんな小型バスがあったとは知らなかった。
そして、この小型バスそのものも、初めて見た車。
外国製バスの流用であった日野ポンチョの初代モデルと雰囲気は似ているが、ちょっと違うかも。
塗装は赤を基調に、後部と(よく見えないが)前部は黄色くて、手がきの模様のようなしっぽのようなものも描かれている。落書きじゃなさそうだけど、何?
道路上からはこれ以上見られないので、観察は以上。
ネットで調べたら、いろいろ分かった。
まず、大阪市交通局のバス事業は、2018年に「大阪シティバス(もともとは交通局の外郭団体)」へ移管されていた。
赤い小型バスは、交通局時代、2000年から2013年まで、市内各地(住宅地も繁華街もあったようだ)で運行されていた100円均一のコミュニティバスの車両。その名も「赤バス」。
車種はボルボ系のスウェーデン製「オムニノーバ・マルチライダー」。定員25~27名なので、中型免許で運転可能。
Wikipediaによれば日本では日産ディーゼルが発売し、全国で10ちょっとの事業者が導入。
大阪市交通局は70台も導入したそうだが、故障が多かったとのこと。後に製造元が倒産したこともあり、後継は日野ポンチョを真っ赤ではない塗装で導入。
大阪のマルチライダーは2012年頃から廃車が始まり、2013年の赤バス自体の廃止時までに全車が引退。一部は別の土地で走っている車もあるとのこと。
そうして引退・放出されたうちの1台が、秋田へ流れてきたことになる。
この局番「01-0083」号車は、2001年導入で「なにわ200あ83」ナンバーだった。「大正ループ」という路線専属だったらしい。
赤だけでない独特の塗装は「シーサーバス」だから。見えない正面にはシーサーの顔が描かれているはず。
大阪市大正区は、沖縄出身者が多いそうで、「大阪市大正区の区制80周年と沖縄本土復帰40周年を記念」し、「大阪市立泉尾工業高校ファッション工学科」の生徒がデザインし、大正ループ2台のうち1台に塗装し、2012年12月24日から赤バス廃止時まで運行された。(同校ホームページ等より)
したがって、たった1台だけ、3か月ほどしか営業運転しなかったデザインの車が、秋田にある。
なお、現役時には、「出入口」表示の右に円形のロゴマークがあったのが消え(痕跡あり)、「リアウインドウ下に「お出かけには赤バスをご利用ください」と書かれていたのも消えている。にしては、「大阪市交通局」の消し方が雑で、そのおかげでここまで分かった。
秋田市営バスも「赤バス」と呼ばれた。
※実際には、中央交通と競合しているエリアにおける区別のための呼び名というのが実態だと思う。市営バスしか走っていない地区では赤バスなどと呼ばなかった。単に「バス」といえば市営バスだった。
置かれている場所の前も、かつては市営バスが走っていた。これも縁なのか。
秋田で走らせるつもりだったのか、単なる廃車体として持ってきたのか。
お尻向きながら道路からよく見える位置であること、実はフェンスをはさんだ隣が子どもが訪れる施設であることを踏まえれば、もしかしたら「見てもらいたくて」置いたようにも思えるのだが…
【2024年8月9日追記・撤去?】Googleマップストリートビューの2024年5月撮影の画像では、この敷地の建物や車の並びが変わっていて、少なくとも道路から認識できる位置に赤バスは見えなくなった。
あえて場所は明記しませんが、周囲の写真で分かるかと思います。写真は今年早春に公道上から撮影しています。
もし実際に訪れる場合は、交差点とカーブがあり、そこそこ車も通るので、事故と近隣への迷惑にならないよう、配慮をお願いします。また、私有地へは立ち入らないでください。
右手前は田んぼ
かつて「村」の中心地だったことがしのばれるように、地域の拠点の施設がいくつか建つ。新しい建物になったものも。
上の写真左側に、赤い車がお尻を向けて写っている。
最初に気付いたのは2018年。キッチンカー、キャンピングカー、あるいは幼稚園バスみたいなのが駐車しているのかと思った。
近づくと,
ナンバープレートがない
周りに軽ワゴンなどが何台かあり、それもナンバープレートがないものもある。廃車体だ。
赤い車の窓ガラスには「ノンステップバス」と、一般路線バスの車とそっくりな表記もある。
側面後部には「01-0083」という社番のような数字。さらにその下に雑に消されているが、
「大阪市交通局」!
大阪市営バスの廃車が、はるばる来たらしい。
大阪市バスについては、たしか民営化か何かされた程度の知識しかなく、こんな小型バスがあったとは知らなかった。
そして、この小型バスそのものも、初めて見た車。
外国製バスの流用であった日野ポンチョの初代モデルと雰囲気は似ているが、ちょっと違うかも。
塗装は赤を基調に、後部と(よく見えないが)前部は黄色くて、手がきの模様のようなしっぽのようなものも描かれている。落書きじゃなさそうだけど、何?
道路上からはこれ以上見られないので、観察は以上。
ネットで調べたら、いろいろ分かった。
まず、大阪市交通局のバス事業は、2018年に「大阪シティバス(もともとは交通局の外郭団体)」へ移管されていた。
赤い小型バスは、交通局時代、2000年から2013年まで、市内各地(住宅地も繁華街もあったようだ)で運行されていた100円均一のコミュニティバスの車両。その名も「赤バス」。
車種はボルボ系のスウェーデン製「オムニノーバ・マルチライダー」。定員25~27名なので、中型免許で運転可能。
Wikipediaによれば日本では日産ディーゼルが発売し、全国で10ちょっとの事業者が導入。
大阪市交通局は70台も導入したそうだが、故障が多かったとのこと。後に製造元が倒産したこともあり、後継は日野ポンチョを真っ赤ではない塗装で導入。
大阪のマルチライダーは2012年頃から廃車が始まり、2013年の赤バス自体の廃止時までに全車が引退。一部は別の土地で走っている車もあるとのこと。
そうして引退・放出されたうちの1台が、秋田へ流れてきたことになる。
この局番「01-0083」号車は、2001年導入で「なにわ200あ83」ナンバーだった。「大正ループ」という路線専属だったらしい。
赤だけでない独特の塗装は「シーサーバス」だから。見えない正面にはシーサーの顔が描かれているはず。
大阪市大正区は、沖縄出身者が多いそうで、「大阪市大正区の区制80周年と沖縄本土復帰40周年を記念」し、「大阪市立泉尾工業高校ファッション工学科」の生徒がデザインし、大正ループ2台のうち1台に塗装し、2012年12月24日から赤バス廃止時まで運行された。(同校ホームページ等より)
したがって、たった1台だけ、3か月ほどしか営業運転しなかったデザインの車が、秋田にある。
なお、現役時には、「出入口」表示の右に円形のロゴマークがあったのが消え(痕跡あり)、「リアウインドウ下に「お出かけには赤バスをご利用ください」と書かれていたのも消えている。にしては、「大阪市交通局」の消し方が雑で、そのおかげでここまで分かった。
秋田市営バスも「赤バス」と呼ばれた。
※実際には、中央交通と競合しているエリアにおける区別のための呼び名というのが実態だと思う。市営バスしか走っていない地区では赤バスなどと呼ばなかった。単に「バス」といえば市営バスだった。
置かれている場所の前も、かつては市営バスが走っていた。これも縁なのか。
秋田で走らせるつもりだったのか、単なる廃車体として持ってきたのか。
お尻向きながら道路からよく見える位置であること、実はフェンスをはさんだ隣が子どもが訪れる施設であることを踏まえれば、もしかしたら「見てもらいたくて」置いたようにも思えるのだが…
【2024年8月9日追記・撤去?】Googleマップストリートビューの2024年5月撮影の画像では、この敷地の建物や車の並びが変わっていて、少なくとも道路から認識できる位置に赤バスは見えなくなった。
ワンロマは80年車が1992年、85年車は2001年で廃車のはずです。
移管当初の中央交通は、日野といすゞの中型車ばかりを欲しがってました。大型は小田急のツテがあり、三菱と日産ディーゼルは所有実績がなくて使いたくなかったのでしょう。その数年後には、2社も導入を始めるわけですが…
そんなわけで、2000年代初期引退の市営バスは、車齢10年ちょっとで廃車されてしまったものもあるので、倉庫などでなく走らせる目的で引き取られた車もあったのではないかと推測します。
85年も2台河辺にあり、片方はかなり乱雑です。
20年近く前にに市営バス廃車無料であげますという広告を見ましたが、その時にもらったにしては古いはず。
特に大型は中央が他社を優先してかなりが去就不明、人口も減り公民館を急いでつくる需要もなし。
どっかに眠ったのか海外に行ったのか。
その中央も大量に廃車があると問題になったような。
バス公民館だと調べたら東部にかなりむかしの市営バスを使ったのが最近まであったようで。
今はどうかわかりませんが。
今は閉鎖されましたが車体を追うサイトだと雄物川河川敷や中央郵便の近くに置いていたこともあったとか。
河辺のワンロマ廃車体って、今もあるのでしょうか。あれは1985年式のもう1つ前・1980年の車だったと思います。
バスの公民館がけっこうあったそうですね。広面には今もありますが、外に新幹線っぽい塗装の覆いがついて外観は見えず。中尊寺金色堂みたいだけど、だからこそ長持ちしているわけですが。
キャンピングカーやキッチンカーでも、小さい空間を有効活用していますが、バスだったら広々と使えそう。レントゲン検診車もバスベースだけど、窓がないのと部屋が仕切られているから、本当のバスのほうが広々と長くて、バス暮らしを実感できそうです。
河辺にありますが、ワインレッドなワンロマ市営バス(85年式)を思い出しましたが状態良好。
仁井田だと公民会館の建造が遅れて90年代まで古い市営や中央の車体のバス公民館を良く見ましたが、その施設が近いしコミセンもありますから違いますね。
小さい頃は大きくなったらバス公民館みたいな離れ屋に住んでみたいとおもってましたし、いまでも住みたいと思います。
本来なら市営バスのワンロマとか希望で。
広さ的にアパートより少し広めで、最近見なくなったカラオケボックスや田舎ラブホみたいな感じになるんでしょうか。
ただ、水利ですかね。
仁井田から姿をけしてきた時が下水道が完成してきたときと被ります。
ぽっとんや浄化槽が使えなくなり駆逐されてしまったのかもしれなく、あれに下水工事はね、と。