先日、秋田市山王大通り周辺のバス停の表示板交換を取り上げた。その番外編。
交換対象外ながら特徴的なものだとちょっと触れていた、「県立体育館前」停留所。
文化会館・八橋球場前と山王交番前(寺内方面は分岐して秋田市保健所・サンライフ秋田前)の間が、県立体育館前。
県立図書館の最寄りということもあってか、利用者はそこそこ多い。運賃境界で、駅方面だとここから値上がりするので、文化会館前で乗り降りしたほうが安いから、そうする人もいるけれど。
また、羽後交通の急行秋田・本荘線は、県立体育館前が起終点。先日、本荘から到着した空っぽの急行バスを目撃したが、きちんといったん停車してから、営業所へ回送して行った。
上り側には、市営バス末期設置と思われる、上屋(椅子なし)がある。
以前触れたように、かつては、羽後交通のポールと、中央交通用としては上下とも共用タイプが置かれていた。2009年5月ではそうだった。移管後作成と思われる、スーラ書体・ローマ字入り(下に写真あり)。
その後、2012年10月までの間に、共用タイプが撤去された。その後、現時点までは、
上り側
上りは順当に円形表示板に交換。細いスーラを縦長にして、ローマ字入り。中央交通がスーラを採用した初期の仕様。
なお、羽後交通はローマ字なしで以前の楷書体(羽後交通の書体についてもいつか)。
そして下りは、
こんなものが!
見慣れぬ、ソーラーパネルが付いた、薄い埋めこみ式ポール。
2009年5月では、羽後交通との間に共用タイプがあった
このようなケースでも他のバス停では、共用タイプの代わりに円形表示板を置いて、ポールが林立し続けるのが、中央交通のよくあるパターンなのに、ここはすっきりと既存ポールへ集約。でも、そのポールが謎。
このポールの正体。
かつては、事業者名部分に「市営バス」だったか「秋田市営バス」だったか表記されていた。今はシール貼りしている。この青地白文字のシール上辺には、社章の下が少しだけ見えている。移管された円形表示板に上貼りした、社章・社名シールの社章部分をカットして貼ったのだろう。
共用タイプが中央交通専用だったことも合わせて、元は市営バス専用のポールだったことになる。
2009年。元は各社1本ずつだった
真横。右が謎ポール。傾いてしまっているけど、薄い
これは現在の写真、上とは反対面。以前より傾きが大きくなった?
上の写真の下の青い部分には、
「(財)日本宝くじ協会協賛/(社)公営交通事業協会」
交通局の自費ではなく、そこから補助してもらったのだろう。市営バス時代には、同じ組み合わせでバス停上屋がいくつか設置されていた。通町、豊町、市立病院西口など。その事業のバス停ポール版か。
一般社団法人公営交通事業協会ホームページに「モデルバス停留所施設 設置事業」として紹介されていた。
「宝くじ助成事業として昭和62年度から平成3年度まで実施していた案内板に引続き、平成4年度からモデル・バス停留所施設設置事業として上屋の設置を実施している。さらに平成7年度からソーラー照明付き標識の設置も実施している。」とのこと。
ソーラー照明付バス停標識の写真も掲載されていて、これと同一。
年度別の設置事業者も掲載されている。秋田市では、上屋が平成4、8、11年度におそらく1つずつ。標識は平成12年度だけなので、県立体育館がそれで2000年度設置と考えられる。※上屋についてはこちら。
【2023年8月29日補足・2021年5月時点で、徳島市の「徳島中央公園・鷲の門前」バス停(その数年前まで「公園前」の名)に、同型と思しきものが設置されていた。】
表示部分とソーラーパネルの間に、バッテリーなど入っていそうな厚めの箱があり、そこも銘板があった。
「太陽電池表示灯」
「テック大洋工業株式会社」の「TB-611Z」。
製造年月は消えて見づらいが、「10」月らしき痕跡があるので、2000年10月製か。
「テック大洋工業株式会社」について。
東京に本社がある、ベンチ、案内板、照明といった公園設備などのメーカーで、ソーラーや風力を使うものも得意なようだ。
事業所(工場?)は2つあり、静岡県三島市と秋田県大館市。
ホームページの商品紹介>クリーンエネルギーのところに、簡単に「太陽光発電バス停留所標識」が紹介されている。これも県立体育館前と同一らしき写真で、上に「市営バス」、下に宝くじと協会の名が記されているようだ。それなのに「佐賀バス」と実在しない事業者名のキャプション。「佐賀市交通局(佐賀市営バス)」じゃないでしょうか…
「ソーラー照明付バス停標識」だから、どこかが光るはずだが、ライト類は見当たらない。
また、秋田市交通局から中央交通へ移管された、他の電照式バス停と同様、今はおそらく点灯しなくなってしまった。電力供給は不要ながら、20年も経てばバッテリーの劣化などはあるだろう。
移管から3年後、2009年春の段階では、まだ光っており、写真を撮っていた。
赤ではなくオレンジ色のLEDが入っているのだろう。時刻表を貼る面全体が内側から穏やかに光っていた。
当時は横にサンクスがあって明るいが、この程度の照明でも時刻表がいくぶんは見やすくなるだろう。
真っ暗な道なら、バス停の存在と時刻表確認に効果を発揮しそうだが、街灯代わりにはならないだろう。
秋田市交通局では、末期に「市営バス」とバス停名の文字が赤色で点滅(ソーラーでなく電力供給【2024年8月25日訂正】ソーラーパネルがあった)する埋めこみ式ポールを設置していたが、時刻表部分は照明なしだった。このタイプの方が意味はあるかな。
でも、今は弘南バスのようにLED懐中電灯みたいなので代用はできそう。ちょっと昔の、公営交通ならではのアイテムなのかもしれない。
それにしても、秋田市交通局では、どうしてこれをここに設置したのだろうか。
おそらく公営交通事業協会から、1本割り当てがあるから、場所を決めろと言われたのだと思うけど。
下り方向では、前後の各バス停は、既に何らかの電照式(バスロケ、バスロケもどき、LED点滅のいずれか。どれも現存)になっていたが、ここだけそうでなかったからという理由かもしれない。
今は点灯せず、脚が曲がり、ソーラーパネルの天を向いた3本の角(ツノ)みたいなのの1本も曲がってしまっている。しかもパネル下辺にはコケが生えている。
※この角の役目って何? こういう小型太陽光電池にはたまにあるみたいだけど。なお、点灯していた時代も曲がっており、動作への影響はなかった模様。
公営交通事業協会からの贈り物という、市営バスならではのバス停で、かつ秋田市では“1点もの”という存在。このまま朽ちていくのか。
ちなみに、市営バスでほかの1点ものバス停といえば、
(再掲)「築地下丁」下りの小型電照式
(再掲)撤去済み・「木内前」の天井吊り下げ・両面の2代目バス接近表示(方面別に4台あったけど)
あとは、電柱に巻き付く上り「自衛隊入口」、未紹介だけど、古くて新しい(?)デザインの船場町経由の下り「割山町」も。
微妙な違いとか同型が撤去されて残り1つになってしまったものとしては、いずれも電照式の上り「登町上丁」、上り「東通仲町」などが挙げられる。機会があればいつか。※続きは割山町。
交換対象外ながら特徴的なものだとちょっと触れていた、「県立体育館前」停留所。
文化会館・八橋球場前と山王交番前(寺内方面は分岐して秋田市保健所・サンライフ秋田前)の間が、県立体育館前。
県立図書館の最寄りということもあってか、利用者はそこそこ多い。運賃境界で、駅方面だとここから値上がりするので、文化会館前で乗り降りしたほうが安いから、そうする人もいるけれど。
また、羽後交通の急行秋田・本荘線は、県立体育館前が起終点。先日、本荘から到着した空っぽの急行バスを目撃したが、きちんといったん停車してから、営業所へ回送して行った。
上り側には、市営バス末期設置と思われる、上屋(椅子なし)がある。
以前触れたように、かつては、羽後交通のポールと、中央交通用としては上下とも共用タイプが置かれていた。2009年5月ではそうだった。移管後作成と思われる、スーラ書体・ローマ字入り(下に写真あり)。
その後、2012年10月までの間に、共用タイプが撤去された。その後、現時点までは、
上り側
上りは順当に円形表示板に交換。細いスーラを縦長にして、ローマ字入り。中央交通がスーラを採用した初期の仕様。
なお、羽後交通はローマ字なしで以前の楷書体(羽後交通の書体についてもいつか)。
そして下りは、
こんなものが!
見慣れぬ、ソーラーパネルが付いた、薄い埋めこみ式ポール。
2009年5月では、羽後交通との間に共用タイプがあった
このようなケースでも他のバス停では、共用タイプの代わりに円形表示板を置いて、ポールが林立し続けるのが、中央交通のよくあるパターンなのに、ここはすっきりと既存ポールへ集約。でも、そのポールが謎。
このポールの正体。
かつては、事業者名部分に「市営バス」だったか「秋田市営バス」だったか表記されていた。今はシール貼りしている。この青地白文字のシール上辺には、社章の下が少しだけ見えている。移管された円形表示板に上貼りした、社章・社名シールの社章部分をカットして貼ったのだろう。
共用タイプが中央交通専用だったことも合わせて、元は市営バス専用のポールだったことになる。
2009年。元は各社1本ずつだった
真横。右が謎ポール。傾いてしまっているけど、薄い
これは現在の写真、上とは反対面。以前より傾きが大きくなった?
上の写真の下の青い部分には、
「(財)日本宝くじ協会協賛/(社)公営交通事業協会」
交通局の自費ではなく、そこから補助してもらったのだろう。市営バス時代には、同じ組み合わせでバス停上屋がいくつか設置されていた。通町、豊町、市立病院西口など。その事業のバス停ポール版か。
一般社団法人公営交通事業協会ホームページに「モデルバス停留所施設 設置事業」として紹介されていた。
「宝くじ助成事業として昭和62年度から平成3年度まで実施していた案内板に引続き、平成4年度からモデル・バス停留所施設設置事業として上屋の設置を実施している。さらに平成7年度からソーラー照明付き標識の設置も実施している。」とのこと。
ソーラー照明付バス停標識の写真も掲載されていて、これと同一。
年度別の設置事業者も掲載されている。秋田市では、上屋が平成4、8、11年度におそらく1つずつ。標識は平成12年度だけなので、県立体育館がそれで2000年度設置と考えられる。※上屋についてはこちら。
【2023年8月29日補足・2021年5月時点で、徳島市の「徳島中央公園・鷲の門前」バス停(その数年前まで「公園前」の名)に、同型と思しきものが設置されていた。】
表示部分とソーラーパネルの間に、バッテリーなど入っていそうな厚めの箱があり、そこも銘板があった。
「太陽電池表示灯」
「テック大洋工業株式会社」の「TB-611Z」。
製造年月は消えて見づらいが、「10」月らしき痕跡があるので、2000年10月製か。
「テック大洋工業株式会社」について。
東京に本社がある、ベンチ、案内板、照明といった公園設備などのメーカーで、ソーラーや風力を使うものも得意なようだ。
事業所(工場?)は2つあり、静岡県三島市と秋田県大館市。
ホームページの商品紹介>クリーンエネルギーのところに、簡単に「太陽光発電バス停留所標識」が紹介されている。これも県立体育館前と同一らしき写真で、上に「市営バス」、下に宝くじと協会の名が記されているようだ。それなのに「佐賀バス」と実在しない事業者名のキャプション。「佐賀市交通局(佐賀市営バス)」じゃないでしょうか…
「ソーラー照明付バス停標識」だから、どこかが光るはずだが、ライト類は見当たらない。
また、秋田市交通局から中央交通へ移管された、他の電照式バス停と同様、今はおそらく点灯しなくなってしまった。電力供給は不要ながら、20年も経てばバッテリーの劣化などはあるだろう。
移管から3年後、2009年春の段階では、まだ光っており、写真を撮っていた。
赤ではなくオレンジ色のLEDが入っているのだろう。時刻表を貼る面全体が内側から穏やかに光っていた。
当時は横にサンクスがあって明るいが、この程度の照明でも時刻表がいくぶんは見やすくなるだろう。
真っ暗な道なら、バス停の存在と時刻表確認に効果を発揮しそうだが、街灯代わりにはならないだろう。
秋田市交通局では、末期に「市営バス」とバス停名の文字が赤色で点滅(
でも、今は弘南バスのようにLED懐中電灯みたいなので代用はできそう。ちょっと昔の、公営交通ならではのアイテムなのかもしれない。
それにしても、秋田市交通局では、どうしてこれをここに設置したのだろうか。
おそらく公営交通事業協会から、1本割り当てがあるから、場所を決めろと言われたのだと思うけど。
下り方向では、前後の各バス停は、既に何らかの電照式(バスロケ、バスロケもどき、LED点滅のいずれか。どれも現存)になっていたが、ここだけそうでなかったからという理由かもしれない。
今は点灯せず、脚が曲がり、ソーラーパネルの天を向いた3本の角(ツノ)みたいなのの1本も曲がってしまっている。しかもパネル下辺にはコケが生えている。
※この角の役目って何? こういう小型太陽光電池にはたまにあるみたいだけど。なお、点灯していた時代も曲がっており、動作への影響はなかった模様。
公営交通事業協会からの贈り物という、市営バスならではのバス停で、かつ秋田市では“1点もの”という存在。このまま朽ちていくのか。
ちなみに、市営バスでほかの1点ものバス停といえば、
(再掲)「築地下丁」下りの小型電照式
(再掲)撤去済み・「木内前」の天井吊り下げ・両面の2代目バス接近表示(方面別に4台あったけど)
あとは、電柱に巻き付く上り「自衛隊入口」、未紹介だけど、古くて新しい(?)デザインの船場町経由の下り「割山町」も。
微妙な違いとか同型が撤去されて残り1つになってしまったものとしては、いずれも電照式の上り「登町上丁」、上り「東通仲町」などが挙げられる。機会があればいつか。※続きは割山町。
そこで、それらの停留所も近々最新のダルマ型のスーラ表記の看板が付いたポール式に交換されるかもしれませんが、さて、どうなる事でしょうか。
2代目バスロケのほうがより重いでしょうから、より危険な気もします。
どちらにしても、バス会社・道路管理者・設置者であった秋田市には、事故にならないうちに検討してほしいものですが…
後、電照式とはまったく関係ありませんが、最近になり、寺内経由の沿線の停留所のポール看板が、最新型でスーラ表記のダルマ式に交換されていました(秋田城跡歴史資料館前の上下と幕洗川・港南一丁目の下り側は除く)。
これで残ったのは、将軍野線(通町・県庁経由とも)、神田旭野線、添川線、泉ハイタウン線、新屋線、新屋西線(栗田経由も含む)、川尻割山線(船場町・天秤野経由とも)、手形山西町経由、秋田温泉方面、桜ガ丘線、桜台線、南ヶ丘線、上北手日赤線、二ツ屋中丁・大住みなみ野団地方面の市営バス時代の古いタイプや中央交通移管後に交換した表示板も、あのような感じに交換されるのではないかと見ました。
ついでもって、長崎屋経由の中央交通本社前~たけや製パン前間や城東消防署経由梨平行きの東通仲町~東通四丁目間、通町経由市民生協入口行きの旭北栄町~高陽青柳町間の表示板も、今後はあのようなタイプに更新した方が良いと思います。
そして、毎年恒例のダルマ型表示板の交換が今年もですか。やはり秋田営業所優先っぽいですね。
今年の交換がまだあるのか、来年になるのか。
バスロケが付いた1981年組同期はどんどん先に引退する中、42年も人より小さい体でたちつづけた事に賛辞と敬意を送りたいです。
雨の日も風の日もとありますが、日本海中部地震や東日本大震災にも耐え、84や06の豪雪にも耐え、りんご台風や爆弾低気圧など幾多の二面バス停を殺した風にも耐え、85年の水害に耐え最後の夏は7月豪雨。
災害都市で波乱万丈の一生で、よくここまで頑張ったと。
こないだ間近で見てみたら傷やサビや割れがすごくあり、42年間満身創痍であったことがわかります。
42年前の南中生は新校舎世代と呼ばれ今は60歳間近と見ればどれだけ歴史があったか。
交通政策わからぬ老害どもよりずっといい歳取り方しました。
しかも路線とともにいう定年的な終わり。
長い間お疲れ様でしたと同時に、交通遺産として静態保存を求めます。
ところでこのポールの設置時期なのですが、厳密に断定できるものなのでしょうか。見た目からして、初代バスロケとだいたい同世代なのは間違いないとは考えられます。しかし、一般サイズの電照式(または初代バスロケ)とは枠の部材が違うなど、まったくの同時製造ではないような気もするのです。初代バスロケより少し古い、あるいは少し新しい可能性もあるように思えます。