🌸仏教伝来の道・漢字になった仏教経典の意味(1)
☆百済の聖明王によって日本に仏教が伝えられた
☆百済の聖明王によって日本に仏教が伝えられた
☆日本への仏教伝来は、ブッダの入減から千年近くが経過していた
☆中央アジアのフイルターを通じて中国に伝わった仏教
☆「経典の漢字への翻訳」を通じて、まったく新たな局面を迎える
☆「経典の漢字への翻訳」を通じて、まったく新たな局面を迎える
⛳我々日本人が身につけた仏教とは何か
☆インドと中国を結ぶ回廊で、仏教も多様な形で中国に伝わった
☆ブッダが悟り、布教していた時代から
*約500年で仏教は中国に伝わる
*その後、500年を要して日本に辿り着いた
☆約千年の経過の中で、仏教はどう変質していった
☆ブッダが生きた紀元一世紀頃の世界
*この頃「救済の宗教」が動き始めた
*ユダヤ教から普遍的愛を語るキリスト教が登場した
☆仏教で、自己の解脱を目指す「ブツダの仏教」(初期仏教)から
*他者の救済をも視界に入れた大乗仏教が登場した
⛳人類史的観点から考えると
☆定住革命から約8千年を経て、人間社会の政治的関係が複雑化した
☆部族、民族を超えた国家体制たる「帝国の登場」
☆人々の心に部族・民族を超えた「救済」を求める志向が芽生えた
☆人間の内なる世界に厳しく向き合い
*「自燈明」と言い残して入滅したブツダの思想
☆世界は、大乗「衆生救済の大きな船」に向かい始めた
*時代に「救済を求める心」が存在していた
⛳中央アジアを経由した仏教(シルクロードを越え)
☆インドガンダーラから中央アジアへ伝播した仏教
☆インドガンダーラから中央アジアへ伝播した仏教
*最盛期の王カニシカが仏教に帰依した
*中国に仏教を本格的に伝える触媒となった
*仏像など仏教美術を花開かせた
☆仏教が「救済の宗教」という性格を帯びるにつれ
☆仏教が「救済の宗教」という性格を帯びるにつれ
*「ブッダの姿を見たい」という衆生の願望を受けて
*救済者を象徴する像が求められた
☆紀元一世紀頃にガンダーラとマトゥラーで仏像が創られ始めた
☆紀元一世紀頃にガンダーラとマトゥラーで仏像が創られ始めた
*中央アジアに仏教美術が花開いた
☆中央アジアを経由し、仏教は世俗社会との関係を深めた
☆中央アジアを経由し、仏教は世俗社会との関係を深めた
*「衆生救済」「国家鎮護」という性格を帯び始めた
*仏像の発展もその象徴といえる
*修行による自らの解脱に専心するより
*仏教教理を深く受け止めるより
*直接的な救済の希求に傾斜した仏教となった
☆仏菩薩像に「南無」(帰依すること)と念ずる
*「行法の単純化」が図られた
*多様な部族宗教との接触、融合で
*仏教は民族の特性を反映するものとなっていった
☆紀元7世紀以降、イスラム教が浸透し中央アジアから仏教が消えた
☆13世紀モンゴルが中央アジアを席巻する
*モンゴルは、チベット仏教の影響下にあったが、宗教には寛容であった
(敬称略)
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⛳出典、『人間と宗教』
仏教伝来の道・漢字になった仏教経典(1)
(ネットより画像引用)