🌸日本の柱を意識した『日蓮』4
☆日蓮は法然の浄土教には激しく挑みかかったが、親鸞への言及していない
☆親鷲は没後に弟子達によって偉大な存在にされた
*若き日蓮の視界ではまだ遠い存在だ
☆現代の日本において日蓮系(創価学会)も親鸞系(浄土系)も信徒数約2200万人
☆約4500万人の日本人が2人の宗祖の精神社会に影響されている
⛳法華経の至高性の意味
☆親鸞の浄上系仏教は「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏への帰依を唱える
☆日蓮系の仏教は「南無妙法蓮華経」と「法華経」経典への帰依を表明する
☆日蓮は、法華経に帰依することを仏教者としての基軸とした
☆法華経
*ブッダの入減から約500年後
*「ブッダの仏教」衆生救済の大乗仏教へと動き始める時期に成立した経典
*ブツダの仏教の原点に還り、大乗と小乗の対立を止揚する試みであった
*釈尊最後の8年間の教えが集約され、この経典の中に釈尊がいるとされている
☆多くの日本人には鳩摩羅什の漢訳経典『妙法蓮華経』全8巻が読まれている
*漢訳音読みの経典理解である
☆中東一神教は、絶対者(神)を人智を超越した存在として人間の外に置く
☆仏教では絶対者(仏)はあくまで人間の内に存在している
*真の自己と法という価値に目覚め、それを以て他者に光を放つ
☆ブッダ最後の言葉、「自燈明、法燈明」が仏教と確認しているのが法華経
☆日蓮は、法華経だけに登場する菩薩である
*日蓮は「地涌の菩薩」(法華経を護り弘める新たな主体)と
*日蓮は「常不軽菩薩」(誰も如来となるのを導く菩薩)を自らの使命に引き寄せ
*日蓮は「法華経の行者」として生きようとした
⛳日蓮の人物像
☆日蓮は天台宗の僧侶で、経験的に天台系の法華経を受容し
*法然の浄土宗を批判する教義を吸収した
☆故郷の清澄寺に戻り、立教開宗を宣言、日蓮と名乗った
*日蓮「法華経至上主義」に基づく他宗批判と激しく批判する
☆日蓮の『立正安国論』
*日蓮は『立正安国論』を書き、前執権の北条時頼に提出した
*国を安んじることよりも正法の確立を主張するものだった
*幕府からは無視され、過激な他宗派批判のため伊豆流罪となった
☆日蓮にとって流された佐渡での生活
*辺境を生きる人間社会を見つめ、自らの役割を確信する時間であった
☆日蓮の生きた時代はューラシアが鳴動した時代
*モンゴルの影が東アジアに迫っていた
*元寇は、日本人にとって異民族の侵攻という歴史的衝撃事件
*「世界」と接触し、「日本」を意識せざるをえない瞬間でもあった
*日蓮の「日本」を束ねる民族意識・正法が求められることに日本人の意識が響いた
☆日蓮の生きた日本
*武家政権たる鎌倉幕府が北条執権体制に移行していた時代であった
*「末法の世」を思わずにいられない社会状況だった
⛳日蓮を心に親鸞を生きた宮沢賢治
☆宮沢賢治の人生は日蓮と親鸞の狭間での心の交錯といえる
*父親が真宗の熱心な信者の環境で育ち
*青年期に法華経に目覚め、日蓮に傾倒した賢治
*賢治は、現実世界を愚直に、民衆の目線で親鸞的に生きた人物であった
☆賢治は、日本の近代を生きた知識人は魂の基軸を求めて格闘した
☆仏教に心惹かれた日本人
*仏教界を2分するかのごとき日蓮と親鸞の存在どこかで意識せぎるをえない
☆日蓮と親鸞、相反するように見えるが、引き付けあった磁場もある
*宮沢賢治的に「相関」もあってよいのだ
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