🌸中東一神教の近親憎悪(2)
⛳メディナヘの聖遷の意味(ユダヤ教との決別)
☆メッカでの布教を始めて約10年
☆メッカでの布教を始めて約10年
*「絶対神の下での平等」を訴えるムハンマドの活動
*多神教徒をイスラムに改宗させ、貧者、奴隷にも訴え始めた
*結果、メッカの支配層との対立を引き起こした
☆イスラム教は、多神教を掲げる守旧派とり
*秩序を破壊する危険な勢力
*イスラム教徒を迫害する圧力が高まった
☆ハンマド、ムスリム勢力を引き連れてメディナに移住
*イスラム共同体を形成し始めた
*ムハンマドは「メディナ憲章」を発表
*メデイナ住民との共存を意図する契約で
*ユダヤ教徒の宗教と財産を保障し、義務と権利を明確にした
*ユダヤ教徒との関係は微妙であった
☆ユダヤ教は、アブラハムを大祖先
*旧約聖書とモーゼを尊崇する同祖宗教
*新たな預言者とは認めなかった
☆ユダヤ教の教典トーラー、タルムード
☆ユダヤ教の教典トーラー、タルムード
*ユダヤ人は強烈な選民意識に立ち
*ユダヤ人以外を預言者としては認めない
⛳ムハンマドは「神の啓示」により
☆礼拝の方角をメツカとするように指示
*イスラム教徒はメッカに向けての礼拝を始めた
*ユダヤ教とイスラム教の決別であった
☆中東一神教の不幸な対立の淵源はここにある
*イスラムとは「服従」を意味し
*全身全霊でアツラーに服従することに徹する
☆平伏礼は傲慢・思い上がりを制する象徴的ない義礼である
*富の公平な分配や相互の思いやりを重視する
*ウンマを全ての基礎とした
☆ムハマドは、メディナで体制を整え軍事力でメッカを征服した
*カアバ神殿の偶像を破壊し尽くした
*権力と権威を掌握するムハンマド自身が実践した史実
*「聖俗一体の共同体を目指す」イスラムの原動力となっていく
⛳「片手にコーラン、片手に剣」の意味
☆イスラムの教義
*神の意思の下での平和と公正、ウンマの平穏を求める
*敵対する者に「片手にコーラン、片手に剣」で妥協しない
*「ジハード(聖戦)」を掲げた対峙する事も意味する
☆メッカ征服の2年後にムハンマドは死を迎える
☆メッカ征服の2年後にムハンマドは死を迎える
☆初代カリフから四代までのカリフ
*ムハンマドを直接取り巻いた指導者「正統カリフ」と呼ばれる
*それ以後の対立が今日のスンニ派とシーア派の対立の淵源となる
☆ムハンマドの従兄弟で娘婿四代目カリフのアリーが暗殺された
☆ウマイヤ家出身のムアーウイヤがウマイヤ朝を開く
*その後14代、ウマイヤ家がカリフの座を独占する
☆シーア派イスラムの原点は、アリーの系統の正統性を支持する
*ウマイヤ朝に反発する勢力
⛳世界のイスラム人口は約16億人(約80%がスンニ派)
☆シーア派はイランを中心に15%程度である
☆ウマイヤ朝は、勢力を拡大して北アフリカを席巻
☆ウマイヤ朝は、勢力を拡大して北アフリカを席巻
*イベリア半島を制圧しフランク王国と激突する
*フランク王国は「ラテン化したゲルマン」
*ローマ教皇によってキリスト教化された存在
☆フランク王国がウマイヤ朝と戦うことが
*「キリスト教共同体としての欧州」を束ねた
*中核としての自らの役割を自覚する契機となった
☆ダマスカスのウマイヤ朝は革命によってアッバース朝に減ぼされる
☆ダマスカスのウマイヤ朝は革命によってアッバース朝に減ぼされる
☆ウマイヤ朝は後ウマイヤ朝として生き延びた
*イベリア半島最後のイスラム政権が崩壊するのは15世紀末
*イベリア半島最後のイスラム政権が崩壊するのは15世紀末
☆欧州には、トラウマとしてのイスラムが詰め込まれた
(敬称略)
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⛳出典、『人間と宗教』
中東一神教の近親憎悪(2)
(ネットより画像引用)