慶喜

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虎ノ門外科部長「大腸がん」制圧ヘ

2022年09月23日 | 医療

🌸虎ノ門副院長・黒柳外科部長「大腸がん」制圧ヘ

 ☆黒柳氏、体の負担が少ない手術を海外でマスター

 ☆黒柳氏、腹腔鏡手術、結腸はもとより直腸でも成功させた

大腸がん手術、5~10ミリの穴を5か所開ける
 ☆日本人が罹るがんの中で、右肩上がりで増え続けているのが大腸がん
 *年間に大腸がんになる日本人は15万人を超え

 *12万人台の胃がんや肺がんを上回る
 ☆検査は内視鏡によって行われる
 *腸内の状態を観察し、切除可能なポリープが見つかれば、その場で取り除く

 *内視鏡的治療が可能なのは、がんが大腸の粘膜にとどまっているか

 *粘膜下層への浸潤が1ミリ以下の場合で、それを超えていたら手術が必要

 ☆従来、大腸がん手術は開腹するしかなかった

 ☆現在は患者の体に負担が少ない高い腹腔鏡手術が主流

 *腹腔鏡手術は腹部に5~10ミリの穴を5個開けるだけ

 *術後に残る傷も小さく、入院期間も短くて済む
 ☆虎の門病院の副院長で消化器外科部長を務める黒柳医師
 *腹腔鏡を日本に定着させた伝道師の1人

 ☆全国の主要病院の腹腔鏡の割合は約30%前後

 *圧倒的に開腹手術を第1選択肢とする病院が多かった時代

 *虎の門病院では腹腔鏡が大腸がん手術の90%台後半を占めていた

 *それが、黒柳氏が″腹腔鏡の伝道師”と称されるゆえん

黒柳氏世界的権威に教えを請う
 ☆黒柳氏にとって転機が訪れたのは国立京都病院時代
 *海外留学制度を使い、マウント・サイナイ病院に留学した

 *そこで、腹腔鏡手術の世界的権威、ミルソン教授と出会えたこと
 ☆黒柳氏が教授の技術を間近で見ることができた

黒柳氏、精神力で年間約450件の手術を
 ☆ニューヨークでの経験は、黒柳氏に飛躍をもたらした

 ☆大腸がんは結腸がんと直腸がんに分けられる

 *腹腔鏡手術は結腸がんには大丈夫でも

 *直腸がんには向いていないというのが定説だった

 ☆この定説に異議を唱えたのが黒柳氏

 *経験を積んだ医師が臨めば

 *直腸がんにこそ腹腔鏡手術が向いていると主張する
 *黒柳氏は腹腔鏡を定着させる立役者となった
 ☆黒柳氏の座右の銘「折れない心」
 *技術があっても、心が折れてしまえば何の役にも立たない

 ☆虎の門病院では年間約450件の大腸がん手術を行っている

 *それを支えるのは強い精神力なのである

                      (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS9月号』

虎ノ門外科部長「大腸がん」制圧ヘ

 

(『THEMIS9月号』記事・ネットより画像引用)

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南・東南アジア集団の多様性1

2022年09月23日 | 歴史

🌸南・東南アジア集団の多様性

南アジア集団の成立
 ☆インドを中心とした南アジアは、現在では10億人以上の巨大な人口を抱える地域

 ☆現代人集団の遺伝的な多様性も大きい

 *この地域の集団の成立が複雑なものであることを示している
 ☆それを反映して、この地域で話される言語も複雑
 ☆インドで使用されている言語は大きく4つの語族に分類できる
 ①ヒンディー語、インド・ヨーロツパ語族に属する言語(人口の約80%が話す)

 ➁ドラビダ語族の諸言語で、人口の約18%の人びとが使っている

 ③ヒマラヤ山麓の集団が話すシノ・チベット語族系の言語

 ④ビハールやベンガル湾東側に住む部族集団が話すオーストロアジア語族の言語

 ☆現代のインド人の核ゲノム解析の結果、インドの地域集団は

 *北方のヨーロッパ人と祖先を共有するグループと

 *インドにいた在来の南インド集団の混合によって形成された
 *その混合の比率は、20~80%と幅があり、言語学が構成と一致している
 ☆インドは、過去3千年カースト制度が保持されていた
 *地域間や社会階層をまたいだ婚姻が他の地域よりも制限されていたため
 *地域集団による遺伝的な違いが長い間保持されていた

 ☆言語とゲノムの構成から、現代のインドの人たちのルーツ

 *従来、北方集団は農耕をもたらした集団で

 *南方集団は初期拡散でインドに定着した狩猟採集民集団だと考えられていた

 ☆古代ゲノム研究が進んだことで判明した

 *在来の南方集団自体も、現在のアンダマン諸島集団につながる

 *両者の混合が完成し、その後に北方集団との新たな混合が起こった

 *3回にわたる移住の波が今日の南アジア集団の遺伝的な構成を決定した

インダス文明
 ☆移住の「第三の波」が到達する以前4600~3900年前

 *インドの北西地域に興ったのがインダス文明

 *南部の狩猟採集民とイラン系初期農耕民が混合した集団

 *インドを代表する古代文明を生み出した

 ☆インダス文明の形成に関与した初期農耕民

 *イランの牧畜民や狩猟採集民の持つゲノムをあわせ持っており

 *集団が分化する以前の祖先集団から派生した集団だと推察される

 ☆インダス文明では、北方集団の影響はなかった
 ☆「第三の波」をもたらした集団の正体

 *彼らはヤムナヤ文化集団とは直接関係がない
 *ボタイ遺跡の人びと、バイカル湖周辺の東シベリア狩猟採集民に連なる系統

 *ヤムナヤ文化を生んだ西シベリアの遊牧民とは非常に古い時代に分岐した集団
 *ステップの遊牧民は東西方向に徐々に変化している

 *すべてが均質な集団であったわけではありません

 ☆南アジアに進出した集団とヤムナヤ集団のつながり

 *見られなくとも不思議ではない

東南アジア集団の成立
 ☆南アジアに到達したホモ・サピエンスはその後、東南アジアに展開する
 ☆化石の証拠から、5万年ほど前には、この地にホモ・サピエンスが到達していた

 *東南アジアも南アジア同様、古人骨とそのDNAの保存に適した場所ではない
 *基本的に現代人のゲノムデータを用いて考察が進められている

 ☆その中で、デニソフ人系統の人類との混血が認められる
 *旧人類との複雑な交雑の状況が予想されている
 ☆アボリジニ人やパプアニューギニアの人・東南アジアの先住民

 *ミトコンドリアDNAの系統の中に

 *直接アフリカに結びつく分岐の古いものが存在する

 ☆東南アジアには、初期拡散で初めてこの地に到達したホモ・サピエンス

 *ホモ・サピエンスが持っていたゲノムが間違いなく残っている

                      (敬称略)                                     
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⛳出典、『人類の起源』

南・東南アジア集団の多様性1

(『人類の起源』記事・ネットより画像引用)

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悲劇の人・ヤマトタケル1

2022年09月23日 | 歴史

🌸悲劇の人・ヤマトタケル1

ヤマトタケルの東国遠征

 ☆景行天皇は、ヤマトタケルが大和へ帰ってくる次のような命令を与えた
 *東方12カ国の荒ぶる神々や、服従しない者どもを平定し服従させよ

 ☆天皇が与えたのは、供の者と矛だけで、ヤマトタケルはむっとした

 ☆ヤマトタケル勅命であるので背くわけにはいかない

 *父を敬愛し、父に忠実でありヤマトタケルは東国遠征に出発する

 ☆出立にあたり、ヤマトタケルは伊勢の神官に立ち寄って参拝した

 *伊勢には、叔母のヤマトヒメ(景行天皇の妹)がいる
 ☆ヤマトタケルは、叔母に景行天皇の非情を訴えた
 ☆叔母のヤマトヒメは、草薙の剣を授け、こう言う

 *草薙の剣は、スサノオがヤマタノオロチを退治したときに得たもの

 *姉の天照人御神に献上したた剣である

ヤマトタケル野火攻め

 ☆尾張国に到着したヤマトタケルは、豪族の娘であるミヤズヒメの家へ入った

 *ミヤズヒメと契りを結んで一緒になるつもりであったのだが、
 *東国を平定した帰りにしようと、約束だけをして東国へ向かった

 *その途中、荒ぶる神々や服従しない人々を平定しさせた
 ☆相模国で、国造の勧めで、ヤマトタケルに野原に足を踏み入れた
 *野の四方から野焼きのような火が迫ってきた
 *ヤマトタケルは編されたことに気づきく

 *心底から激しく怒りが込みいかんともし難い

 ☆叔母のヤマトヒメからもらった剣を思い出す

 *剣でまわりの草を薙ぎ払い、身のまわりから燃える草をなくした

 ☆無事に野原を脱け出ることができたヤマトタケル

 *国造の一族をことごとく斬り殺した

 *火をつけて焼いたので、その地を焼津という
 *古事記での、火攻めに遭うのは相模国ではなく、駿河国の間違い

オトタチバナヒメの入水

 ☆ヤマトタケルはこの浦賀水道を渡ろうとするが、海峡は荒れており潮流が速い

 ☆ヤマトタケルは、海神の怒りを鎮めて先へ進みたかった
 ☆ヤマトタケルに、同伴していた妻のオトタチバナヒメが提案する
 *私があなたの身代わりとなって海中に身を沈めます

 *あなたは東征の使命を呆たして、そのご報告を天皇にしなさい
 ☆荒れる海を鎮めるには生贄を捧げるのが一番と信じられている時代

 *ヤマトタケルはオトタチバナヒメを人身御供とすることにした
 ☆オトタチバナヒメが海神の妻として捧げられると

 *浦賀水道は自然と穏やかになる

 *ヤマトタケルは船を進めて上総国に渡っていくことができた
 ☆『古事記』にオトタチバナヒメとの出会いは記されていない

                      (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳出典、『眠れないほど面白い古事記』

悲劇の人・ヤマトタケル1

(ネットより画像引用)

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