🌸「グレート・ジヤーニー」アジア集団とは2
⛳新石器時代のユーラシア大陸にいた「9つの集団」
☆1万年前の新石器時代、アナトリアとイラン地域では農耕が始まる
*各々の集団は遺伝的には異なっていた
*農耕民と狩猟採集民は分かれて暮らしていた
☆ヨーロッパの狩猟採集民、東西各々遺伝的なクラインがある
*西・東ヨーロッパの狩猟採集民として区別している
☆シベリアでも東西の狩猟採集民は遺伝的に分化した
(シベリアの集団、東アジアの集団と遺伝的なつながりがある)
*東西シベリアの狩猟採集民の遺伝的な違いがある
☆南インドには、現在のアンダマン狩猟民につながる集団がいた
☆東南アジアと東アジア、そこから派生した遺伝的に区別しうる狩猟民集団がいた
☆1万年前のユーラシア大陸、遺伝的に区別出来る9つの集団がいた
*これらの集団の離合集散が、青銅器時代以降の集団の形成に関わる
☆ヨーロッパ東西の狩猟採集民集団と広大なユーラシアのステップ地域の集団
*4千年前の地域集団の遺伝的な変遷が明らかになっている
*その中で、古い集団が、ヤムナヤ集団
☆ヤムナム集団は、青銅器時代、ウクライナから東西両方向への拡大を始めました
☆青銅器時代の後期にユーラシアステップに興ったアンドロノヴォ文化集団
*ヤムナヤ文化集団と同様の東西両方向の拡散をした
☆このふたつの文化集団はインド・ヨーロッパ語を使っていた
☆青銅器時代に続く鉄器時代には、異なる集団の動きも始まる
☆中央アジアでは、古代東アジア集団に由来する遺伝的な要素が強くなり
*東ヨーロッパの狩猟採集民の遺伝的要素が減少していく
☆この地域では東ユーラシアからの集団の進入が続いた
⛳遊牧騎馬民族
☆鉄器時代に当たる紀元前8世紀から前2世紀
*地域を支配した遊牧騎馬民族スキタイは、文化的には共通する要素を持つが
*地域によって遺伝的な構成が異なっていた
*グループは、遺伝的に異なる集団の連合体だった
☆西ユーラシアのスキタイの中には、
*青銅器時代初期のヤムナヤ文化の遺伝的な要素が認められている
☆各々の地域のスキタイのグループに、遺伝的な影響が認められる
*青銅器時代牧畜民やヨーロッパの農耕民や南シベリアの狩猟採集民等の
☆紀元前3世紀にはユーラシアステップの東部に匈奴が出現する
☆ゲノム解析から、匈奴はふたつの異なるグループ
☆東アジアの集団とスキタイの一部との混合によって成立したグループ
*紀元4世紀から5世紀、ヨーロッパを侵略する遊牧民フン族
*匈奴もフン族も、言語的にはトルコ語を含むテュルク語族の言葉を話していた
☆彼らの出現以降この地域では
*インド・ヨーロッパ語族からテュルク語族ヘ言語へ交代した
☆広大な中央アジアのスッテプ地域
*遺伝的に単一の集団が支配したことはなく
*同じ文化としてまとめられる集団
*遺伝的に異なる地域集団の連合体であった
(敬称略)
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⛳出典、『人類の起源』
「グレート・ジヤーニー」アジア集団2
(『人類の起源』記事・ネットより画像引用)