慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

菅前総理大臣の弔辞絶賛される

2022年09月29日 | 官僚

🌸菅前総理大臣の弔辞絶賛される

 ☆安倍元総理大臣が銃撃されて亡くなった奈良市の事件現場

 *菅前総理大臣、初めて訪れ、手を合わせた

 ☆菅前総理大臣語る

 *現場に行くと胸中差し迫るものがありました

 *本当に無念で残念で悲しい気持ちでいっぱいです

🌸「弔辞」が絶賛された菅前首相

 ☆改めてその経験・見識・手腕を再評価する動きがある
 ☆岸田首相は「棒読み」弔辞で評価ダダ下がり

菅義偉前首相の弔辞喝采を浴びている

 ☆安倍晋三元首相の国葬で披露した友人代表としての弔辞が感動的だった

 ☆これほど泣かせるスピーチができる人だったのか、と誰もが思った

 ☆棒読み調で官僚答弁的な岸田文雄首相とは極めて対照的

 ☆菅氏はストレートな気持ち、思いをありのままに表現した

 ☆10日以上も前に書き上げられた「ありのまま」の気持ち
 (スピーチライター等の)特訓を受けたわけでもない。ありのまま

 ☆弔辞の本文自体も、菅氏自身の言葉で書き上げられていた

 *特筆すべきは、相当早い段階で弔辞の原案が固まっていた点

 ☆聞く者の心震わせた「菅義偉 生涯最大の達成」の言葉
 ☆アドリブが得意とはいえない菅氏、当日の会場の様子にまで踏み込んでいく

 *武道館の周りには、花をささげようと

 *国葬儀に立ち会おうと、たくさん人が集まってくれています

 *二十代、三十代の人たちが少なくないようです

 *明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています

恋文は2人だけの世界に入っていく

 ☆しかも政策にまつわる思い出話が多い

 ☆一般的に知られない事実も盛り込まれていた

 *2人の出会いのきっかけとなった拉致問題

 ☆「菅義偉 生涯最大の達成」

 *菅氏が銀座の焼鳥屋で3時間にわたって安倍元首相を口説き

 *総裁選出馬を決断させた有名なエピソード

伊藤と山県、安倍元首相と菅前首相
 ☆TPP、特定秘密保護法、安保法制、改正組織犯罪処罰法改正等にも触れる

 *「難しかった法案を、すべて成立させることができました」と総括する

 ☆党内や世論が二分した“案件”を次々に挙げた

 *安倍元首相と菅氏だけがみていた景色なのだろう

 ☆圧巻なのは、岡義武著『山県有朋』のくだり

 *衆院第1議員会館、1212号室のあなたの机には、読みかけの本がありました

 *菅氏は、山県が伊藤博文を偲んで詠んだ歌を読み上げた

 *山県も伊藤も、幕末の動乱をくぐり抜け、明治維新の立役者となった指導者

 ☆2人の関係が、安倍元首相と菅氏との関係にも当てはまる

 *年下ながら先に首相になり、先に亡くなったのが伊藤

 *しかも、伊藤もハルビンで凶弾に倒れている

 ☆安倍氏は伊藤、菅氏は山県に重なる

 「かたりあひて 尽し尽し 人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」

 *寂しさと悲しみが頂点に達した状態で弔辞を結び、会場から拍手が沸き起こった

菅氏の復権はあるのか

 ☆岸田政権が低空飛行を続けている

 ☆高い支持率だけが取り柄の無策の岸田政権は、ゆっくりと沈んでいる

 ☆「聞く力」に愛想をつかし、世論調査の支持率は低いところで20%台後半

 ☆来年の統一地方選が終わる前に「岸田おろし」の可能性もささやかれる

 ☆来年5月の広島サミットでの岸田花道論も出てくる

 ☆菅氏は渾身の弔辞で負のイメージを刷新することに成功した

 *今後、政局の中心に座るケースが増えるだろう

 ☆完全に終わったと思われていた政治家の復権を感じさせる弔辞だった

                      (敬称略)                                     
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東アジア集団の成立2(日本渡来の起源)

2022年09月29日 | 歴史

🌸東アジア集団の成立2(日本渡来の起源)

⛳日本への渡来の起源
 ☆一般的には、農耕の中心地で人口の増加が起こる

 *それが周辺に波及するというプロセスの中で言語が拡散していく

 *そのような状況がアジアでも起こったのかが検証された

 ☆中国内モンゴル自治区東南部から遼寧省北部へ流れる西遼河流域の古人骨

 *田園洞人骨の持つゲノムから派生するものであった

 ☆その確認される古代ゲノムに、日本や韓国の現代人との共通性を見出せる

 *西遼河流域が日本語や韓国語の祖語の起源地と考えられる

 *不思議な事に西遼河流域子人骨の持つゲノム

 *朝鮮半島や日本列島以外の地域への広がりを見せない

 *モンゴル語族・テュルク語族・ツングース語族集団が暮らす地域との関係がない

 ☆西遼河流域で農耕とともに起こった集団の動き

 *弥生時代初期の農耕民の流入という形で日本列島に影響を与えた

 ☆西遼河流地域で雑穀農耕が起こったのがおよそ5千年前

 *その後、2千年ほどして日本に影響がおよんだ
 ☆日本列島における弥生時代の農耕の始まり

 *水田稲作の流入を契機とする

 ☆ゲノムの解析から、日本に農耕をもたらした人びとの起源だ

シノ・チベット語族の起源
 ☆シノ・チベット語族に属する集団

 *5千年ほど前の黄河流域のキビ栽培をしていた農耕民に起源がある
 ☆南のチベット高原へと拡大したグループにより

 *チベットーブータン語が生み出された
 ☆中原に向けて南と東、東の海岸に拡大した集団の中から

 *漢民族の言葉である中国語が生まれた 

 ☆北方にはふたつの雑穀農耕のセンターがある
 *各々農耕民が拡散することで多様な言語集団を生み出した
 ☆南のセンターは、稲作農耕を主体としたもの
 *東アジアの大陸部

 *北方の2の雑穀農耕民と南方の稲作農耕民が拡大し

 *各々混合が続くことで現代人集団が形成された

 ☆東南アジアや日本列島などの東アジアの沿岸部

 *初期拡散で定着した人びとと農耕民の混合によって

 *現代に続く集団が形成された
 ☆1万年前以降に起こった各地の農耕

 *集団の拡散を促しさまざまな言語グループを生み出した

                      (敬称略)                                     
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⛳出典、『人類の起源』

東アジア集団の成立2(日本渡来の起源)

(『人類の起源』記事・ネットより画像引用)

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15代応神天皇(子だくさん)

2022年09月29日 | 歴史

🌸15代応神天皇(子だくさん)

応神天皇、可愛いのは年上か年下か?年下

 ☆神功皇后は、息子のオオトモワケが成人する日まで摂政を務める
 ☆皇后に替わってオオトモワケが天下を治め、のちの応神天皇と呼ばれる
 ☆応神天皇は男子11人、女子15人の子をもうけた(異母兄弟)
 ☆応神天皇は、子どもが子供を持つようになった時期、3人の息子に尋ねた

 *「お前たちは、父親として年上の子どもと年下の子ども、どちらが可愛いか」と
 ☆こう尋ねるのには、理由があった

 ☆天皇は皇位を一番下の息子、ウジノワキ郎子を天皇にしたかった
 ☆3人の息子にこんな命令を下した
 *弟オオヤマモリは海と山の部民を管理

 *兄オオサザキは私の統治する国の政治を補佐する

 *一番下の子、ウジノワキ郎子を天皇へ

心の底から魅せられた乙女
 ☆応神天皇が皇位を譲ろうと考えた息子・ウジノワキ郎子

 *心の底から魅せられた乙女、豪族の娘ヤカワエヒメが生んだ子

 *ヤカワエヒメは、木幡の道で出会つた乙女

 ☆天皇はヤカワエヒメという乙女に、心の底から魅せられた
 *乙女とまぐわいして生まれた子どもが、ウジノワキ郎子

乙女を息子に譲る父

 ☆応神天皇は、乙女には目がなかった
 ☆日向国に麗しい乙女がいるという噂を耳にした天皇

 *側近に仕えさせようと、乙女・カミナガヒメを呼んだ
 ☆カミナガヒメの乗る船が難波の港に着いたとき

 *天皇の息子オオサザキはその乙女に心を動かされる

 *オオサザキは、カミナガヒメを、私に下さるよう

 *天皇にお願いしてと大臣に頼む

 ☆大臣が、その旨を天皇に伝えて許しを願うと、天皇はあっさり承知した

 ☆オオサザキは、父である天皇とうまくいっていたのだろう

上の兄、オオヤマモリの反逆
 ☆応神天皇が没すると

 *オオサザキは天下を弟のウジノヮキ郎子に譲った
 *1番上の兄オオヤマモリは不服であった

 ☆オオヤマモリは、天皇の生存中は逆らえなかった

 *天皇が没すると、今こそ自分が天下を治める絶好の機会

 *弟のウジノヮキ郎子の殺害を企み、武器を準備した

 *軍勢を集めて弟を攻めようとする
 ☆驚いたウジノワキ郎子は思案を巡らし策を講ずる

 *オオヤマモリが宇治川を渡る船と櫓に細工をした

 *身を潜ませていたウジノヮキ郎子の軍勢が一斉に矢を射った
 *オオヤマモリは溺れ死んでしまう

 ☆オオサザキとウジノワキ郎子の二人

 *皇位を継承すべきかで、互いに譲り合い、らちがあかなかった

 ☆弟のウジノワキ郎子が若くして死んでしまう
 ☆オオサザキが応神天皇のあとを継ぎ、第16代仁徳天皇の誕生である

                      (敬称略)                                     
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15代応神天皇(子だくさん)(ネットより画像引用)

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