慶喜

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日本人のルーツ(日本列島集団の起源)1

2022年09月30日 | 歴史

🌸 日本人のルーツ(日本列島集団の起源)1

二重構造モデル

 ☆日本人の起源も発掘された人骨の形態をもとに研究されてきた

 ☆明治以来行われてきた形質人類学の研究の結果

 ☆日本列島集団には2つの大きな特徴がある
 ☆1つ目は、縄文時代の人骨と弥生時代の人骨で、明確に認識できる違い

 ☆2つ目は、現代の日本列島に形質の異なる集団が存在していた

 *集団とは、北海道のアイヌ集団と琉球列島集団

 *本州・四国。九州を中心とした本土日本人

 *3つの集団は、姿形に区別出来る

 ☆このような違い、日本人の成り立ちに深く関わっており

 ☆「二重構造モデル」学説が定説である
 *旧石器時代に東南アジアなどから北上した集団

 *日本列島に進入して基層集団を形成

 *彼らが列島全域で均一な形質を持つ縄文人となった
 *他方、列島に入ることなく大陸を北上した集団

 *寒冷地適応を受けて形質を変化させた

 ☆大陸でのヒトの移動

 *古代ゲノムの解析で、ある程度理解が進んでいる
 *大陸の沿岸部と内陸部を北上した2つのルート

 *二重構造モデルのシナリオは単純化しすぎたものだ
 ☆大陸北部での寒冷地適応

 *中国黒竜江省から集団の交代に近い状況が起こり

 *田園洞遺跡の人骨この遺伝子変異を持つ個体が最寒期以降に増加している

 *中国黒竜江省の付近が、二重構造モデルの起こった場所

二重構造モデルの視点
 ☆弥生時代以降、渡来系弥生人と在来の縄文人系の人びととの混血が行われていく

 *稲作が入らなかった北海道と北部九州約2千年遅れた

 ☆10世紀ごろになって稲作が始まった琉球列島

 *縄文人の遺伝的な影響が強く残り、見た目の類似性を生んだ

 ☆南北300KMを超える日本列島

 *南西諸島の集団の成立を正確に説明できるのかも考えておく問題

ゲノム解析による地域別比較

 ☆地域的に現代日本人の持つゲノム比較すると

 *北海道のアイヌの人たちと沖縄の集団を除くと

 *本州・四国・九州(本土日本人)はおおむねよく似ている

 ☆本土日本の現代日本人の形成過程は

 *ある程度共通性を持っている
 ☆都道府県別に行った核ゲノムのSNP解析

 *近畿・四国などの本土日本の「へそ」の部分と

 *九州や東北とのあいだに違いがあることがわかっている
 ☆畿内を中心とした地域

 *渡来系集団の遺伝的な影響が強く、
 *周辺域では縄文人の遺伝的な影響がより強く残っている
 ☆北海道と琉球列島では、縄文系の比率が高いと考える二重構造

 *日本列島のそれぞれの地域には異なる文化の歴史がある
 *集団の成立史は地域別に考えるほうが自然

 ☆二重構造モデルの枠組みでは

 *混血の様子などを正確に捉えることは難しい

 ☆日本人の成り立ちを考える際

 *先に「日本人」とか「縄文人」という枠があり

 *地域の歴史の総和が列島集団の歴史である

 ☆アイヌと沖縄の現代人集団のゲノム研究
 *個別の形成過程を持っていることが示唆されている

                      (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳出典、『人類の起源』

日本人のルーツ(日本列島集団の起源)1

(『人類の起源』記事・ネットより画像引用)

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16代仁徳天皇(女狂い)

2022年09月30日 | 歴史

🌸16代仁徳天皇

聖帝の御代

 ☆第15代応神天皇は子だくさんの天皇であった

 *後継者として息子オオサザキが皇位を継ぐことになる

 *第16代仁徳天皇と呼ばれた
 ☆仁徳天皇は難波の高津の宮で天下を治めた

 *どの家々の竃からも、食べ物を煮炊きする煙が立ちのぼつていない
 ☆人々はこの御代を、聖帝の御代と呼んで讃えている

嫉妬が生む濃厚な密会

 ☆仁徳天皇の皇后はイワノヒメ

 *イワノヒメは大臣の孫娘にあたる
 ☆イワノヒメは天皇を愛していたが、気位が高く、妬み深かった

 ☆それでも天皇は美しい女には目がなかった

 *クロヒメは皇后のイワノヒメに妬まれるのが恐ろしくなり

 *船で故郷の吉備国に逃げ帰ってしまった

 *皇后のイワノヒメは、クロヒメを心底から妬ましく思い怒った

 *港に乗り込み、クロヒメを船から下ろしてしまった

 *クロヒメは故郷の吉備国まで歩いて帰らねばならなかった

 ☆天皇は、クロヒメをいっそう恋しく思う気持ちを募らせた

 *天皇は旅立ち、天皇はクロヒメの元へやつてきて、寄り添った

 *二人は激しく燃え上がり、濃厚な密会を堪能した

 ☆天皇は、いつまでもゆつくりしているわけにはいかない

 *天皇が都ヘ帰らなければななない

皇后を愛す天皇

 ☆皇后の留守の間に

 *天皇は、恋心を抱いていたヤタノヮキ郎女とまぐわいした

 *昼も夜もヤタノワキ郎女をそばに置き、遊び興じた
 ☆ヤタノワキ郎女は、急逝した異母弟ウジノワキ郎子の妹
 *天皇は異母妹にあたる娘と恋に落ちた

 ☆そんなことを知る由もない皇后

 *役所の人夫は女官の一人に語った
 *天皇は、ヤタノワキ郎女という娘と昼も夜も戯れて遊んでおられる

 *皇后はご存知ないから、のんびり柏の葉などを集めておられる
 ☆女官はすぐに皇后の乗った船に追いつくとご注進に及んだ
 *皇后はたちまち怨みと怒りの感情が湧き起こる
 *怒りを抑えかねた皇后は天皇のもとには帰らなかった

 ☆天皇は戻ってこない皇后にイラついてきた

                      (敬称略)                                     
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⛳出典、『眠れないほど面白い古事記』

16代仁徳天皇(女狂い)

(ネットより画像引用)

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史上最もダメな戦国武将

2022年09月30日 | 歴史

🌸最も駄目な戦国武将

 ☆群雄割拠する戦国大名の中で、負け組とされる武将たちにスポットライトを当てる

 ☆日々戦いに明け暮れた戦国時代は、まさに弱肉強食の世界

 ☆今回は、三英傑ならぬ、“三愚将”を取り上げ、敗者から見た戦国時代に迫る

小田 氏治(常陸の武将、戦いに弱く7回も居城をとられる)

 ☆常陸の大名小田氏15代にして小田氏最後の当主

 ☆室町幕府第12代将軍足利義晴の従弟に当たる

 ☆戦いに敗れ、居城を7回も占領された

今川 氏真(文化人お人好し武将)

 ☆今川氏12代当主

 *父・今川義元が桶狭間の戦いで織田信長によって討たれ

 ☆戦国大名としての今川家は滅亡した

 ☆桶狭間の戦いで今川家を離反した徳川家康と和議を結び、臣従し庇護を受ける

 ☆氏真以後の今川家の子孫

 *徳川家に高家待遇で迎えられ代々の将軍に仕えて存続した

蘆名盛隆(無類の男好きで男の嫉妬で殺された?)

 ☆最期、黒川城内で寵臣であった大庭三左衛門に襲われて死亡した

 ☆盛隆の早すぎる死(24歳)が、蘆名氏滅亡を早めた原因

                      (敬称略)                                     
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⛳出典、『WIKIPEDIA他』

史上最もダメな戦国武将

(『日本歴史鑑定』テレビより画像引用)

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