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歴史を操る「見えない力」(川中島の呪法合戦)

2022年11月18日 | 歴史
🌸歴史を操る「見えない力」(川中島の呪法合戦)

 ☆江戸初期に出版された「甲陽軍艦」軍学書の記載内容
 *戦国大名、武田氏の戦略や戦術をはじめ
 *合戦に「魔法」の力が関与していたとの記述が出てくる
 ☆勝敗には、兵や武器だけでなく、加持祈蒔や占星術等
 *”目に見えないカ”が使われていたと記載されている
 ☆「川中島の戦い」は信玄と謙信による”呪法(じゅほう)合戦”だった

戦国史上最大の死闘時の軍師・山本勘助
 ☆4度目川中島合戦は膠着状態
 *妻女山に陣取った上杉謙信と海津城の武田信玄が対峙していた
 ☆信玄は、軍師山本勘助が考案した兵力を2分し
 *背後を突く「キツツキの作戦」を実行した
 *”夜襲′′を直感した謙信、軍勢を引いて下山し勝負決着しなかった

”宿命のライバル”を呪い殺すべく”調伏祈薦”を双方依頼した
 ☆謙信は、打倒信玄を期し、呪法に頼ろうと考えた
 *謙信は「五壇法」による”諷伏(ちょうふく)″を領国の宮に依頼した
 *調伏の相手は、信玄と、彼に加担してた北条氏康
 ☆信玄もまた、呪法で謙信を呪殺しようとしていた
 *謙信を呪い殺すべく
 *比叡山延暦寺の正覚院に″調伏祈幅”を依頼していた
 *相手は、血を吐いて死ぬといわれている
 ☆信玄と謙信の戦い
 *呪法と呪術を駆使した”調伏合戦″でも決着がつかなかった

信玄・謙信”守護神の霊験″まで拮抗していた
 ☆信玄が常に身の守りとして携帯していた二体の「守り本尊」
 *一体が「刀八昆沙門」、もう一体が「勝軍地蔵」
 *信玄が合戦臨むとき崇めた軍神だった
 ☆謙信も「刀八昆沙門」を祀る
 *合戦に際して五壇護摩を焚き、戦勝祈祷を行なっていた
 ☆信玄・謙信、5度の川中島の合戦でも勝敗つかなかった
 *双方の”守護神の霊験″も、甲乙つけがたいものだったのかも
                     (敬称略)                                     
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『日本史・意外な話』






歴史を操る「見えない力」(川中島の呪法合戦)
(ネットより画像引用)

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