世にはびこる薩長史観はウソだ‐軍国主義が絶対天皇主義を導き太平洋戦争ヘ
「錦の御旗」はでっち上げ
☆安倍政権は明治維新150年を記念して盛大な事業を行おうとしている
☆明治維新の精神は真から賞賛に値するものだろうか?
☆薩長史観とは、薩長が行ったテロや殺致、強奪、強姦の犯罪行為を正当化する史観なのでは?
(絶対的天皇主義のもとで正当化した)
☆薩長は、大政奉還を無効にするために、幕府に直轄領の返納を強要した
☆西郷隆盛は、江戸で強盗・殺人など「薩摩御用盗」の騒乱を起こさせた
☆西郷隆盛は、江戸城を放火して大坂にいる幕府軍を憤激させ、鳥羽・伏見の戦いを惹起した
☆薩長は、無益な戊辰戦争を強引に引き起こし、日本の国土を血に染めた
☆「錦の御旗」が掲げられたが、「官軍」を自称するためでっち上げられたもの
☆「官軍」の美名のもとで、逆らうものを「朝敵」「賊軍」として、暴虐の限りをつくした
薩長は「尊皇攘夷」⇒「尊王」⇒「王政復古」での討幕活動
☆下関戦争や薩英戦争で大敗すると、薩長は攘夷を棄てて尊皇を基軸として討幕を目指す
☆孝明天皇の理解が得られないと、公家の岩倉具視の協力を得て天皇を毒殺
☆薩長の息がかかった明治天皇を擁立する
☆薩長が行った数々の暴虐行為は天皇を絶対視することですり替えた
☆「王政復古」という時代錯誤号令で薩長の行為を糊塗する
☆国民が一致して天皇を現人神として崇める思想を強要した「教育勅語」
(無条件に天皇に命を捧げることが愛国心との教え)
☆薩長の為政者が恣意的に国民を支配し従属させるための愛国教育
西郷と勝会談に密約(江戸城無血開城)
☆明治維新が、薩長主導のもとで平和裏に行われたという印象を与えられている
☆まやかしで「官軍」による「賊軍」の掃蕩が密約されていた
☆西郷は、開城の条件として、徳川慶喜を助けた藩主は厳罰に処すとした
☆勝は、「官軍」に逆らうものを「賊軍」として討伐することを容認した
☆西郷は「敬天愛人」を唱えたが、行動は「汚天殺人」
「官軍」は捕虜を虐殺し放置ヘ
☆長州の大村益次郎は、強引に戦火を開いて、彰義隊を殺毅した
☆「官軍」は、遺体を野晒しにして死臭に満ちさせた
☆会津では「官軍」の殺人、家財の強奪や強姦などが横行
☆戦後の会津処分は苛烈を極め、これを強行したのが長州の木戸孝允
(同志が殺された京都の池田屋事件の報復か?会津人を根絶やしにする勢い)
☆戊辰戦争以来、東北地方は明治政府にとって蔑視し排除する対象になった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS2月号(歴史家・作家武田鏡村氏)』
薩長の「明治維新」が日本を誤らせた(『THEMIS2月号』記事、ネットより画像引用)
「錦の御旗」はでっち上げ
☆安倍政権は明治維新150年を記念して盛大な事業を行おうとしている
☆明治維新の精神は真から賞賛に値するものだろうか?
☆薩長史観とは、薩長が行ったテロや殺致、強奪、強姦の犯罪行為を正当化する史観なのでは?
(絶対的天皇主義のもとで正当化した)
☆薩長は、大政奉還を無効にするために、幕府に直轄領の返納を強要した
☆西郷隆盛は、江戸で強盗・殺人など「薩摩御用盗」の騒乱を起こさせた
☆西郷隆盛は、江戸城を放火して大坂にいる幕府軍を憤激させ、鳥羽・伏見の戦いを惹起した
☆薩長は、無益な戊辰戦争を強引に引き起こし、日本の国土を血に染めた
☆「錦の御旗」が掲げられたが、「官軍」を自称するためでっち上げられたもの
☆「官軍」の美名のもとで、逆らうものを「朝敵」「賊軍」として、暴虐の限りをつくした
薩長は「尊皇攘夷」⇒「尊王」⇒「王政復古」での討幕活動
☆下関戦争や薩英戦争で大敗すると、薩長は攘夷を棄てて尊皇を基軸として討幕を目指す
☆孝明天皇の理解が得られないと、公家の岩倉具視の協力を得て天皇を毒殺
☆薩長の息がかかった明治天皇を擁立する
☆薩長が行った数々の暴虐行為は天皇を絶対視することですり替えた
☆「王政復古」という時代錯誤号令で薩長の行為を糊塗する
☆国民が一致して天皇を現人神として崇める思想を強要した「教育勅語」
(無条件に天皇に命を捧げることが愛国心との教え)
☆薩長の為政者が恣意的に国民を支配し従属させるための愛国教育
西郷と勝会談に密約(江戸城無血開城)
☆明治維新が、薩長主導のもとで平和裏に行われたという印象を与えられている
☆まやかしで「官軍」による「賊軍」の掃蕩が密約されていた
☆西郷は、開城の条件として、徳川慶喜を助けた藩主は厳罰に処すとした
☆勝は、「官軍」に逆らうものを「賊軍」として討伐することを容認した
☆西郷は「敬天愛人」を唱えたが、行動は「汚天殺人」
「官軍」は捕虜を虐殺し放置ヘ
☆長州の大村益次郎は、強引に戦火を開いて、彰義隊を殺毅した
☆「官軍」は、遺体を野晒しにして死臭に満ちさせた
☆会津では「官軍」の殺人、家財の強奪や強姦などが横行
☆戦後の会津処分は苛烈を極め、これを強行したのが長州の木戸孝允
(同志が殺された京都の池田屋事件の報復か?会津人を根絶やしにする勢い)
☆戊辰戦争以来、東北地方は明治政府にとって蔑視し排除する対象になった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS2月号(歴史家・作家武田鏡村氏)』
薩長の「明治維新」が日本を誤らせた(『THEMIS2月号』記事、ネットより画像引用)
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