🌸天武天皇の鑑は聖徳太子2
⛳『古事記』は、口誦の仏教語
☆『古事記』の成立事情
*仏教語は、天武天皇の口誦の言葉で稗田阿礼が唱える
*大安万侶が筆録で勝手に仏教語を採用するこは考えられない
☆天武天皇は、仏教に心を寄せていた
☆天武天皇は、仏教に心を寄せていた
*大海人皇子は、聖徳太子の『法華義疏』を参考に
*鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』に深く親しんでいた
☆大海人皇子は、天皇に即位してからの政治は
☆大海人皇子は、天皇に即位してからの政治は
*伝えられる聖徳太子の事績に、基本的に模範を仰いだ
*天武天皇の修史事業は、その意思を継ごうとしたもの
⛳地方豪族は物部支持
☆対立にはじまった抗争(物部対蘇我)
⛳地方豪族は物部支持
☆対立にはじまった抗争(物部対蘇我)
*開明派(国際派)蘇我氏の勝利となった
*畿外の地方豪族、保守派(国粋派)の物部氏側への共感強かった
☆大海人皇子が高市皇子にいった言葉
*高市皇子に総司令官としての自覚を持たせて
*畿外の地方豪族、保守派(国粋派)の物部氏側への共感強かった
☆大海人皇子が高市皇子にいった言葉
*高市皇子に総司令官としての自覚を持たせて
*励ますためのものであったとおもわれる
⛳壬申の乱での大和の戦い
☆約1箇月におよんだ壬申の乱
⛳壬申の乱での大和の戦い
☆約1箇月におよんだ壬申の乱
*大海人皇子は勲功を賞して、吹負を倭京将軍に任命した
☆使者に立った大伴安麻呂
☆使者に立った大伴安麻呂
*吹負の甥で、万葉の歌人、大伴旅人である
『海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ
わが宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも
現身は数なき身なり山河の清けき見つつ道を尋ねな』
大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ
わが宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも
現身は数なき身なり山河の清けき見つつ道を尋ねな』
☆壬申の乱に勝利を収めて、即位する天武天皇
*新たな皇居を飛鳥浄御原に定められた
☆武門の大伴氏を率いる大将軍御行の没後
*安麻呂はしだいに栄進して大納言、正三位に叙され
*その子旅人は、酒を讃め称える歌を詠みながら
*67歳まで生きて、大納言、従二位にまで栄達した
☆大伴氏はもともと『古事記』の天孫降臨で
☆大伴氏はもともと『古事記』の天孫降臨で
*天降る隊列の先頭に立って警衛にあたった
*天忍日命の後裔の家柄である
☆壬申の乱で大海人皇子が敗れ、大伴氏も滅んでいれば
*『万葉集』はこの世に現われていない
*『古事記』も生まれるはずもない
*『古事記』も生まれるはずもない
(敬称略)
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⛳出典、『「古事記」の真実』
「古事記=仏教語」「大伴氏」「海行かば~」
(ネットより画像引用)
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