私たちがマラッカのホテルにチェックインし、夕食のためにチャイナタウンに行ったのは、現地時間の7時半頃でした。空にはわずかに昼間の明るさが残っている時間です。しかし、町の店はこの写真のように、ほとんど閉まっていました。いくら地方都市だといっても、あまりに早い閉店時間におどろいたものです。
チャイナタウンではニョニャ料理を食べるつもりでした。何がニョニャ料理か知らないタカ長ですが、ババ・ニョニャ文化の一端に触れずしてマラッカは語れないのです。そしてババ・ニョニャ文化を語るには、その歴史を語らないといけないのです。
ババ・ニョニャ文化を語れば、話は古く明王朝の時代までさかのぼります。当時から海上交易の要衝だったマラッカとの関係強化を狙った明王朝は、皇女をマラッカの統治者に嫁がせ、その婚礼のときに皇女の側近数百名とともにマラッカにやって来たのです。
以来東西交易の要衝として栄えたマラッカに、新天地を求めてやって来た華人商人や職人たちが、現地のマレー人女性と結婚して、その子孫の男性がババ、女性がニョニャ、総称してプラナカンと呼ばれているのです。
彼らの生活スタイルの特徴は、言語はマレー語で、食生活や衣服にはマレースタイルを取り入れる一方で、冠婚葬祭などの儀式は中国古来の風習を守っている点です。中国系、マレー系それぞれの文化がチャンポンになっているのがババ・ニョニャ文化なのです。
このことを語るように、このチャイナタウンの一角にマレーシア最古の中国寺院、春雲亭(チェン・フー・テイン)があります。今でも参拝者は絶えず、タカ長が訪ねたときも、両膝を突いて参拝している人の姿が見られました。その寺院の一角には、名前は知らないのですが日本で言う位牌が無数に並べられていました。今はその先祖をたどっても誰の先祖か分からない、いわば無縁仏と言えるものです。遠くマラッカにやって来て財をなした人もいますが、夢破れた人も多くいたのです。その人たちが生きていた小さな証が、マレーシア最古の寺院の一角に残されていることに感動しました。
初期のプラナカンは商業で財を成した人も多かったようです。その人たちの生活の一端に触れる施設として「ババ・ニョニャ・ヘリテージ」があります。写真はその入り口で、最初に訪れたときは閉まっていました。
ババ・ニョニャ・ヘリテージは、以前チャン家の私邸だった家を家宝と共に一般公開しているプライベートミュージアムです。京都の町屋と同じように間口が狭くて奥行きのある、うなぎの寝床と言われる造りになっています。
タカ長も入ってみましたが、中国やヨーロッパから持ってきた家具などが所狭しと展示されています。2階には伝統的な中国の婚礼衣装も飾ってありましたが、館内は撮影禁止なのでここでは紹介できないのが残念です。
マレーシアに行く機会があれば、是非訪れて頂きたいのがマラッカです。ゆっくり歩けば面白い町ですが、タカ長は涼しいフレーザーヒルから行ったので、暑さがこたえ少々バテ気味でした。そのためかどうか、観光にも探鳥にも集中できなかったのが、今にして思えば残念に思われます。
チャイナタウンではニョニャ料理を食べるつもりでした。何がニョニャ料理か知らないタカ長ですが、ババ・ニョニャ文化の一端に触れずしてマラッカは語れないのです。そしてババ・ニョニャ文化を語るには、その歴史を語らないといけないのです。
ババ・ニョニャ文化を語れば、話は古く明王朝の時代までさかのぼります。当時から海上交易の要衝だったマラッカとの関係強化を狙った明王朝は、皇女をマラッカの統治者に嫁がせ、その婚礼のときに皇女の側近数百名とともにマラッカにやって来たのです。
以来東西交易の要衝として栄えたマラッカに、新天地を求めてやって来た華人商人や職人たちが、現地のマレー人女性と結婚して、その子孫の男性がババ、女性がニョニャ、総称してプラナカンと呼ばれているのです。
彼らの生活スタイルの特徴は、言語はマレー語で、食生活や衣服にはマレースタイルを取り入れる一方で、冠婚葬祭などの儀式は中国古来の風習を守っている点です。中国系、マレー系それぞれの文化がチャンポンになっているのがババ・ニョニャ文化なのです。
このことを語るように、このチャイナタウンの一角にマレーシア最古の中国寺院、春雲亭(チェン・フー・テイン)があります。今でも参拝者は絶えず、タカ長が訪ねたときも、両膝を突いて参拝している人の姿が見られました。その寺院の一角には、名前は知らないのですが日本で言う位牌が無数に並べられていました。今はその先祖をたどっても誰の先祖か分からない、いわば無縁仏と言えるものです。遠くマラッカにやって来て財をなした人もいますが、夢破れた人も多くいたのです。その人たちが生きていた小さな証が、マレーシア最古の寺院の一角に残されていることに感動しました。
初期のプラナカンは商業で財を成した人も多かったようです。その人たちの生活の一端に触れる施設として「ババ・ニョニャ・ヘリテージ」があります。写真はその入り口で、最初に訪れたときは閉まっていました。
ババ・ニョニャ・ヘリテージは、以前チャン家の私邸だった家を家宝と共に一般公開しているプライベートミュージアムです。京都の町屋と同じように間口が狭くて奥行きのある、うなぎの寝床と言われる造りになっています。
タカ長も入ってみましたが、中国やヨーロッパから持ってきた家具などが所狭しと展示されています。2階には伝統的な中国の婚礼衣装も飾ってありましたが、館内は撮影禁止なのでここでは紹介できないのが残念です。
マレーシアに行く機会があれば、是非訪れて頂きたいのがマラッカです。ゆっくり歩けば面白い町ですが、タカ長は涼しいフレーザーヒルから行ったので、暑さがこたえ少々バテ気味でした。そのためかどうか、観光にも探鳥にも集中できなかったのが、今にして思えば残念に思われます。