ハイタカの渡りを見ることを密かに願っていたのですが、、、、、
今日は山登りの日です。行き先は広島県の最高峰恐羅漢山(1346m)です。
恐羅漢スキー場では先月仲間がハイタカの渡りを見ています。タカ長としてはそのことを頭においてプランした山登でしたが、タカの渡りを期待させる天気ではありませんでした。
スキー場の斜面を登ります。近くの木には多くのヤドリギがありました。この冬に来たときはスキー場の近くのヤドリギに多くのレンジャクがいました。冬の最中にも餌があるのですからレンジャクはタカ長団地に現れないのかも分かりません。
しばらく登ると雨がやって来ました。傘でしのげる程度の雨です。タカ長は雨具をつけないで傘をさしました。
稜線に近づくと谷筋には雪が見えました。小さな雨もこのあたりまで、稜線に立つころには上がりました。しかし、いつ降ってもおかしくない天気です。そのため頂上に登って記念写真を撮ったら草々に頂上を後にしてナツヤケノキビレに向けて下りることにしました。大幅な予定縮小です。
鳥など見ながらゆっくり下りて行きました。このときはコガラを見ていたのです。
恐羅漢山には何十年も前から何度も何度も行っています。この稜線も何度も歩きましたが、今はものすごく広い道になっています。ブナ林の雰囲気もまったく違います。タカ長一代でもずいぶん姿を変えるものです。
下りたところがナツヤケノキビレです。この指導標には夏焼峠になっていますが、ここはナツヤケノキビレでないといけません。タカ長が若いころこのあたりを歩いていたときはナツヤケノキビレとして通っていました。それがいつの間にか夏焼峠になっていました。その経緯は知りません。
山の鞍部をキビレとかクビレとか言うので、そこから峠のことをキビレと言うことになったのでしょう。
「西中国山地」(桑原良敏著)によると「夏焼峠」と漢字表記したらいつの間にか「ナツヤキ」にとってかわる状態になりつつある、と書かれています。
この付近は去る年の夏に、不注意から山火事をおこして、焼けたことがあるので、この呼称が生まれた。採草地を自主的に焼くことがあるがそれは春であって夏ではない。<ヤク>ことと<ヤケル>こととは異なっており、<ナツヤケ>が正しい。
そのように書かれています。私たちが山を歩いているときに通るのは普通「峠」と言っているのがほとんどです。「キビレ」と言うのはここしか知りません。そのためタカ長の単なる思いかも分かりませんが、キビレと言う呼び方を大切にして欲しいのです。
最近設置された指導標にはナツヤケノキビレと書かれていました。地名もひとつの文化、それを大切にしたいと思う人が地元にもおられるのでしょう。
この指導票が設置されている「早手のキビレ」と言う地名は知りませんでした。ここで紹介した「西中国山地」にもその記載はないようです。しかし、「ボーギのキビレ」「ケンノジキビレ」などの記載は見えます。また、その本の略図には、この「早手のキビレ」のところに「ヤハチのキビレ」と書かれています。「早手のキビレ」と「ヤハチのキビレ」がまったく同じところなのか、同じところだとしたらなぜ二つの名前があるのか、そのようなことはまったく知りません。地名のことは難しいのです。
この略図には他に「ジョシのキビレ」「カマノキビレ」などの記載があります。この「キビレ」と言う言い方はこのあたりだけのものなのか、全国的に見ても普通に見られるものなのか、不勉強なタカ長には分かりません。しかし、タカ長の記憶のなかには、他のところで「キビレ」と言う峠はありません。
ナツヤケノキビレまで下りると本格的な雨になりました。
牛小屋高原に帰って東屋で昼食。半日の、約11000歩の山歩きでした。
今日の結果
4月8日 曇のち雨
観察者 ジューヤク トビ吉
観察時間 8:00-11:00
ノスリ 1
ハイタカSP 西向き 1
タカ長観察地も11時頃から雨になり撤収したそうです。
今日の角島情報
観察者 アル長 W.MK
観察時間 5:30-10:00
ハイタカ 143
下関のグループは明日も観察に行くと張り切っています。結果が楽しみですね。まだまだ渡りは続きますから、、、、、。今度天気が回復した頃大きな山が来る???
楽しみですね。
今日は山登りの日です。行き先は広島県の最高峰恐羅漢山(1346m)です。
恐羅漢スキー場では先月仲間がハイタカの渡りを見ています。タカ長としてはそのことを頭においてプランした山登でしたが、タカの渡りを期待させる天気ではありませんでした。
スキー場の斜面を登ります。近くの木には多くのヤドリギがありました。この冬に来たときはスキー場の近くのヤドリギに多くのレンジャクがいました。冬の最中にも餌があるのですからレンジャクはタカ長団地に現れないのかも分かりません。
しばらく登ると雨がやって来ました。傘でしのげる程度の雨です。タカ長は雨具をつけないで傘をさしました。
稜線に近づくと谷筋には雪が見えました。小さな雨もこのあたりまで、稜線に立つころには上がりました。しかし、いつ降ってもおかしくない天気です。そのため頂上に登って記念写真を撮ったら草々に頂上を後にしてナツヤケノキビレに向けて下りることにしました。大幅な予定縮小です。
鳥など見ながらゆっくり下りて行きました。このときはコガラを見ていたのです。
恐羅漢山には何十年も前から何度も何度も行っています。この稜線も何度も歩きましたが、今はものすごく広い道になっています。ブナ林の雰囲気もまったく違います。タカ長一代でもずいぶん姿を変えるものです。
下りたところがナツヤケノキビレです。この指導標には夏焼峠になっていますが、ここはナツヤケノキビレでないといけません。タカ長が若いころこのあたりを歩いていたときはナツヤケノキビレとして通っていました。それがいつの間にか夏焼峠になっていました。その経緯は知りません。
山の鞍部をキビレとかクビレとか言うので、そこから峠のことをキビレと言うことになったのでしょう。
「西中国山地」(桑原良敏著)によると「夏焼峠」と漢字表記したらいつの間にか「ナツヤキ」にとってかわる状態になりつつある、と書かれています。
この付近は去る年の夏に、不注意から山火事をおこして、焼けたことがあるので、この呼称が生まれた。採草地を自主的に焼くことがあるがそれは春であって夏ではない。<ヤク>ことと<ヤケル>こととは異なっており、<ナツヤケ>が正しい。
そのように書かれています。私たちが山を歩いているときに通るのは普通「峠」と言っているのがほとんどです。「キビレ」と言うのはここしか知りません。そのためタカ長の単なる思いかも分かりませんが、キビレと言う呼び方を大切にして欲しいのです。
最近設置された指導標にはナツヤケノキビレと書かれていました。地名もひとつの文化、それを大切にしたいと思う人が地元にもおられるのでしょう。
この指導票が設置されている「早手のキビレ」と言う地名は知りませんでした。ここで紹介した「西中国山地」にもその記載はないようです。しかし、「ボーギのキビレ」「ケンノジキビレ」などの記載は見えます。また、その本の略図には、この「早手のキビレ」のところに「ヤハチのキビレ」と書かれています。「早手のキビレ」と「ヤハチのキビレ」がまったく同じところなのか、同じところだとしたらなぜ二つの名前があるのか、そのようなことはまったく知りません。地名のことは難しいのです。
この略図には他に「ジョシのキビレ」「カマノキビレ」などの記載があります。この「キビレ」と言う言い方はこのあたりだけのものなのか、全国的に見ても普通に見られるものなのか、不勉強なタカ長には分かりません。しかし、タカ長の記憶のなかには、他のところで「キビレ」と言う峠はありません。
ナツヤケノキビレまで下りると本格的な雨になりました。
牛小屋高原に帰って東屋で昼食。半日の、約11000歩の山歩きでした。
今日の結果
4月8日 曇のち雨
観察者 ジューヤク トビ吉
観察時間 8:00-11:00
ノスリ 1
ハイタカSP 西向き 1
タカ長観察地も11時頃から雨になり撤収したそうです。
今日の角島情報
観察者 アル長 W.MK
観察時間 5:30-10:00
ハイタカ 143
下関のグループは明日も観察に行くと張り切っています。結果が楽しみですね。まだまだ渡りは続きますから、、、、、。今度天気が回復した頃大きな山が来る???
楽しみですね。