タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

俺はバケモノ?

2017年11月11日 | 日々雑感
本日の画像はすべてネットから借用したものです。

今日も好天ですが、保釈中の身のタカ長は休養日と言うことにしています。

山は逃げないので焦ることはありません。

    

タカ長は青春のころ何度か穂高岳に行きました。

山小屋利用で行ったり、涸沢にテントを張ったり、、、、、

その涸沢をベースに穂高の稜線を歩きました。そのころのタカ長にとっては、北アルプスと言えば穂高、槍ヶ岳も剣岳も眼中にありませんでした。

穂高に行っても槍ヶ岳に登ってみたいと言う気持ちさえ起きませんでした。

涸沢から北穂の南稜を登り北穂小屋へ、、、その小屋のそばを通って滝谷の第二尾根の上までは行けましたが、、、、

タカ長が行けるのはそこまで、、、、

生来、体のバランスが悪くて岩登りを落ちこぼれたタカ長は、鳥も止まらないと言われた滝谷の岸壁にとりつくことなど出来ませんでした。

    

滝谷の岸壁を間近に見て、、、たとえば、、、、滝谷ドームを登るクライマーを見ながら、、、、

あいつらは自分とは別人、まったく別世界の登山者だと感じていました。

         

タカ長が行ったのは無雪期ですが、世の中には冬にこの岩壁を登る登山者もいます。

この滝谷をゲレンデとして育ち、はるかヒマラヤやヨーロッパアルプスの岸壁に羽ばたく登山者もいます。

そのような登山者を見ていると、、、、あいつらはバケモノのように見えてきます。

その彼らの足もとにも近づけないタカ長ですが、、、、先日、心臓の修理のために入院して、いろいろ考えました。

    

山を歩いた次の日に緊急入院して車椅子に、、、、、。そのような状況になったことは褒められることではありませんが、、、、

修理を終わって退院すればその日に山を登ることは可能でした。

それをしなかったのは体をいとったからで、やれば出来るだけの体力も脚力もあるのです。

一方で、入院中に見たのですが、治療は終わってもすぐには歩きまわることが出来ないで、、、、

リハビリと称して「今日は30メートル歩いてみましょう。きつかったら途中で止めても良いですよ」と言われている人がいました。

そのような人から見ると、、、治療が終われば病棟を鼻歌を歌いながら歩くことが出来るタカ長はバケモノみたいに見えたかも分かりません。

このようにヒトの体の個人差は大きなものがあります。

今回イエローカードをもらったタカ長ですが、それでも健康でまだまだプレイできます。

そのように健康なのは日ごろから健康に注意しているから、と考えるのは思い上がりです。不遜なことです。

神か仏からそのような体を頂いていることに感謝しながら、タカ長としては一日でも永くバケモノを続けたいと考えています。

そういえば同級生から「お前はバケモノみたいだ」と言われたこともありますが、、、、

そのバケモノも今回のことで少しだけ同級生のほうに近づいたようですね。


やはり裏山

2017年11月10日 | 山歩きから
    

仲間たちとの裏山歩き、今日もきれいに晴れました。

しかし、この空ですが気温は高め、ピリッとした寒さは感じられません。

何があっても腰割りだけは継続しているタカ長、スポーツ選手のような言い方をすれば、いまは調子が良いのです。

でも、いまは執行猶予中か保釈中の身ですから、、、、、自重、自重、、、、、、

    

仲間たちには先行してもらい、タカ長はその後をのそり、のそりと歩いて、、、、

椿尾根の第一集会所まで行きました。ここまでは急な登りが無いのです。

タカ長がそこについた時、先行した仲間たちは休憩を終えて登り始めていました。しかし、、、タカ長はここまで、、、、。

第一休憩所から15分ひき返して、、、またまたUターンして、、、、今度は17分かけて第一休憩所に登り、、、、

Uターンする度に腰割りをして、、、、、

そのようなことを何回もくり返していました。

そのようにして、、、、山を下りてきた仲間たちといつもの駐車場に帰って万歩計を見たら11,000歩になっていました。

歩数的には山に登った仲間たちとあまり違わないはずです。

    

裏山のことは様子が分かっているので、病気リハビリ中の時はどこをどのように歩けばよいか、、、、

チョッと山らしい山に行く前は、そのトレーニングとしてハードなコースを歩きますが、その時はどこを歩けばよいか、、、

そのようなことが分かっています。

この裏山のことは私たちが一番よく知っていますから、先行する仲間も、、、、後を歩くタカ長も、、、、

お互い安心してそれぞれの行動がとれるのです。

勝手知ったる裏山、、、、、やはり裏山はいいですね。


青春の風景

2017年11月09日 | 日々雑感
朝いち、わが町の川土手を歩いてきました。

カメラも持たないで、、、、短い距離ですがマジメに歩きました。

胸のほうはストレスフリー、、、、、と言いたいのですが、よ~く見ると何やらあるような、、、、

と言うような気がするのはもう1っヶ所工事ヶ所が残っているからでしょうか?

その工事が終わり、、、、執行猶予をとかれ、、、、、晴れて娑婆に出て来たら、前にもましてガンガン歩けるはずです。

その日にそなえて来年の山行プランをあれこれ考えているところです。

    

先日恐羅漢山に行ったときに写した写真です。何でもない写真ですが、、、

タカ長にとっては青春の風景とも言える写真です。

左に見えているのが砥石郷山で、正面に見える草山が深入山、そしてその手前が牛小屋谷。

基本的には何も変わっていませんが、タカ長が足しげく通ったのは昭和30年代のことで、、、、

そのころの風景はスキー場の造成によって変わっています。そのことを思えば胸がいたくなるような風景なのです。

あの頃、、、ここ牛小屋高原のススキの中に座り、仲間たちと人生を語り、歌を歌い、、、

ここには数えきれないほどの想い出がありますが、、、その頃の風景はなくなっているのです。

    

そのころ週末ともなれば登山者がつめかけ、どこの民宿もいっぱいでした。

ここ横川(よこごう)谷の集落、古屋敷や二軒小屋には確かに山村の生活があり、それなりに活気がありました。

しかし、、、、、そのような時に、、、、38(さんぱち)豪雪、、、、、

あの雪が降り始めたのはタカ長が山から下りる日でした。古屋敷から内黒峠に登る時、古老から、、、

「この雪の降り方はいつもと違うから気をつけて行くように、、、、」と声をかけられたことがいまだに忘れられません。

あの豪雪で山の集落は一気に壊滅、、、、タカ長が定宿としていた人たちも広島市内に出て、その家は無人になりました。

次の秋だったのでしょう、独りその集落を訪ねた時には人は一人もいなくて、集落のススキが風に吹かれてカサカサと音をたてていました。

あの音も耳からはなれません。

そのような姿を見てきたので、ここにスキー場が出来ることは容認しないといけない、、、、

スキー場が出来ればここに人が帰ってきて、、、、、というようなことをタカ長なりに考えたのです。

しかし、スキー場が出来ても人は帰ってこなかったようです。

いまこの横川谷に暮らしている人が何人いるのか知りませんが、健全な生活が成り立つほどの人はいないように思われます。

そのような姿を見ると、、、、あのスキー場開発は何だったのか、、、、

ブナの森を伐り、重機をいれて地形まで変え、、、端的に言えば自然破壊をして開いたスキー場が地元にどれだけの利益をもたらしたのか???

と言うようなことを考えると、、、、まだブナの原始林が残されていたころの山が思い出され、、、、

複雑な気持ちになるのです。

    

人みな花に酔うときも  残雪恋し山に入り

と言う「坊がつる讃歌」の歌詞の通り、4月の残雪期にスキーを担いで山頂まで登り、山頂から滑降したこともあります。

すいすいと下りてきたと言いたいのですが、途中の急斜面で見事に転倒、何十メートルも流されました。

幸い怪我はありませんでしたが、流されてゆくときに右手を下にしていたのでしょうか、ザラメ雪の上を思い切り滑った親指のあたりが麻痺したようになり、、、、、

あの何とも言えない感覚は今でも右手親指のあたりに残っているように感じることがあります。

思い出せばキリがない恐羅漢山をめぐる思い出、、、、、

自然破壊の産物としてのスキー場と衰退した集落を見ると何とも複雑な気持ちになるタカ長です。





あれは正夢

2017年11月08日 | 日々雑感
昨日行った恐羅漢山、山麓に紅葉が少し残っているだけで、稜線の木は葉を落としていました。

間もなく雪の季節を迎える山で、残りの紅葉を探して歩くのは悪くありません。

息せき切って登るのだけが山ではありませんから、、、、

これからはタカ長の病気とは無関係に、昨日のような山歩きを企画したいと考えています。

    

さて、今日の話題です。

タカ長が入院して、、、、、一番正念場の10月25日の、、、、その前夜のことです。

その日を前に緊張するところかも分かりませんが、タカ長の心は安定していて、その前夜も眠れる自信もありましたが、、、、

念のため睡眠剤を飲んで眠りました。

    

その夜、夢を見ました。

夢の中でタカ長は学校向けの家具の営業をしていました。

ある学校の話をまとめて帰ろうとしたら、、、、私たちの学校はここだけではなくて、全国にチェーン校があると言われ、、、

話がドンドンと広がって、、、、、それに対応していたらアメリカから引きあいの電話が入り、、、、

英語での対応に苦労していた時に目が覚めました。

    
    

現役のころ家具関係の仕事などしたことのないタカ長ですが、、、

その仕事の話が末広がりに広がって行く夢、、、タカ長は翌日の施術の成功を確信しました。

このような、物事が良いほうに、良いほうに流れて行くような夢をそれまで見たことがなかったからです。

そして10月25日、タカ長は大船に乗った気分で手術台に上がりました。

先生たちはかなり苦労されていることが感じ取れましたが、、、、、時間の経過とともにウトウトとしてきて、、、

そして、、、タカ長が思い描いていた通りの結果になりました。

    

施術は成功、、、、、あれは間違いなく正夢だったのです。

その後いろいろな人から聞いた話を総合すると、タカ長の状況は最高ランク(もしくは最低ランク)にランキングされるほどの状況だったようです。

しかし、本人にはこれと言った自覚症状はなく、、、、、若い看護師さんたちにかこまれて、、、、リゾート気分で生活しながら三途の川の近くから帰って来られたのですから、、、、

やはりラッキーだったとしか言いようがありません。

あのような夢を見る下地がもともとあったのか、、、、

それともあのような夢を見たからいい結果になったのか、そのようなことは凡人には分かりませんが、、、、

いずれにしても、ここは関係者の皆さまにいくら感謝しても感謝しきれないようですね。

本当に有難いことです。




仲間と別れて、、、

2017年11月07日 | 山歩きから
仲間たちとの山歩き、今日は広島県の最高峰、恐羅漢山に行きました。

と言っても、、、、

    

執行猶予中のタカ長は仲間たちと一緒に歩くことはしないで、、、、

最初から仲間たちと別れて、、、、彼らが歩いたナツヤケノキビレに向けて、独りで歩きました。

体調としては悪くないので、彼らと一緒に歩くことは可能なのですが、、、

いまのタカ長は病人なのですから、最初から彼らとは別行動をとることにしたわけです。

    

    

牛小屋高原からナツヤケノキビレへの道は紅葉のシーズンも終わった感じで、落ち葉の道になっていました。

そのような中、、、、残された紅葉を探し、、、、撮影をしながら、、、、、

    

    

ゆっくり、ゆっくりと歩いたのですが、、、、

晴れていた空がいつの間にか曇り、、、、

時間はあっても思い通りの写真は撮れなかったようです。

今日は最初から恐羅漢山のふもとをトレッキングするだけ、、、、、と言う予定だったので、、、

デジイチにマクロレンズを付けて行ったのですが、、、、、

    

    

肝心のモデルさんがいなくて、、、、

その意味ではイマイチのトレッキングでした。

でも、一番の目的はリハビリなのですから、、、、

心拍数を上げることもなく、独りでのんびり歩けたのですから、、、、、

満足できる恐羅漢行きでした、と言うことにします。

    

ナツヤケノキビレのコースを往復したあとは往路をひき返してスキー場に行きましたが、、、、

スキー場の中にはお気に入りの被写体が無かったので、、、、

仲間たちが下山してくるコースに先行して、、、、

そこで空を見ながら昼食をとりました。

双眼鏡を出す前に一瞬、、、、大型のタカが恐羅漢山の稜線上に見えたのですが、、、、

すぐに隠れてしまったので確認できませんでした。

それと、、、、近くからウソみたいな声がしたのですが、これも未確認、、、、

鳥的にもいいことがなく、、、、

山頂から下りてきた仲間たちと最後の何百メートルかを一緒に歩いて駐車場に帰りました。

それでタカ長のトレッキングは終わり、、、、歩数は6000くらい、、、、、

これって良いリハビリなのか、、、それとも軽すぎるリハビリなのか、、、、

それはよく分からないのですが、最適なリハビリだったことにしておきます。








読書三昧?

2017年11月06日 | 日々雑感
    

執行猶予中のタカ長ですが、、、、本当のところは、、、、、体調はとてもいいのです。

エンジンの一番悪いところの修理は終わり、、、、カロリー管理された病院食のおかげで体重も落ち、、、、

腰割りやスクワットを継続している足腰は動きがスムースで、、、、、体が軽くなったようで、、、、

とにかく体調はとてもいいのです。

しかし、ステントを入れた心臓のことなど自覚できなくて、タカ長には未知の世界、、、

ステントのつきあい方が分からないので、慣らし運転と称して心拍数を上げないように注意しているだけなのです。

昨日も団地内を散歩しましたが、ほとんどの時間は自宅で読書???

    

最近は磯田道史さんの本に注目しています。何となく性に合うような気がします。

この本ではいろいろなことを考えさせられます。その一章です。

    役人は員(かず)少なきを善(よし)とす。安井息軒   

安井息軒(そっけん)は幕末明治の儒者、宮崎の人ですが、タカ長には初めて聞く名前です。

役人は「少なければ人材が選びやすく費えも少ない」「多ければ不肖の人が混入し費えが多く弊害が多い」

息軒は国費節約の根本を説いているのですが、それから100年以上経ても「吏を省く」ことが出来ないこの国、、、

息軒の指摘に賛同するのはタカ長だけではないと思うのですが、、、、、。

    

明日は仲間たちと恐羅漢山に行きますが、、、、

どんなに体調が良くてもタカ長はふもとのトレッキングだけ、、、にします。

本当のところは、、、、、、

    
                     画像はネットより借用

平戸島に行ってイトラッキョウなどの花を見たいのですが、この時期に行くのは何となく不謹慎みたいな気持ちもあり、、、、

結局あきらめることになりそうです。

いまは心臓の修理が一番の優先事項、、、、早く済ませて、、、一日も早く通常運転できるようにしたいですね。


今日は完全休養日

2017年11月05日 | 日々雑感
綺麗に晴れました。

いつもならソワソワして紅葉の山を思うのですが、今日は完全休養日と言うことにします。

いまのタカ長は執行猶予中の身ですから、、、、、、、。

    

拙宅の紅葉、と言うことにして下さい。(笑)

    授かりし余生愛しみ初紅葉   鷹長

人さまから言われるまでもなく、いろいろなことを総合すると、、、、

タカ長は三途の川を見おろす丘を歩いて来たはずですが、本人にはその自覚が無くて、、、

そして、、、、幸か不幸か、、、おそらく幸運なことに苦しい思いなど一度も経験していなくて、、、

今回の入院生活も楽しいことはあっても苦しいことはゼロ、誠に恵まれた患者でした。

    

そのようなことで、今回のことがあって人生観が変わった、、、、、と言うようなことはありません。

しかし、今まで考えてきたことをもっと深く考えて、、、、と言うようなことは意識しています。

たとえば、、、、今年からと言う訳ではありませんが、、、あまり行かない山を歩くとき、この山を歩くのはこれが最後かも分からない、、、、

と言うようなことは意識していました。これが最後になるかも分からないので、今日のこの山を大切に歩きたい、と言うことです。

    

今回のことがあってこの思いが強くなるような気がしています。

日々の山を大切に、、、、、その思いは山歩きだけではないのでは、、、、、。

日々の生活を大切に生きる、、、、と言うことにつながるのでは、、、、、、。

と言っても、凡人タカ長としては何もできませんが、それでも心に期すものはあります。

しかし、それはプライベイトなことなので門外不出と言うことにします。

    

仲間たちとの山歩き、次回は7日に広島県の最高峰、恐羅漢山に行きます。

タカ長も仲間たちと一緒に歩くことは可能ですが、、、、それをしたら病人らしくないので、タカ長は山麓の高原を歩き、、、

秋の花や紅葉、、、そして野鳥などを楽しむつもりです。

青春のころからの想い出が無数にある恐羅漢山やその山麓、そこをのんびり逍遥するのは最高のリハビリになるはずです。

下2枚は三瓶山の紅葉です。

防災講習会に参加

2017年11月04日 | 日々雑感
執行猶予中(?)の身ですが、通常どおりのスケジュールをこなしています。

今日は町内会の人たちと広島市総合防災センターに出かけての防災講習会です。

と言っても消防署のバスでの送迎つきです。団地から広島市の中心部を通って防災センターまで約1時間のバスの旅、チョッとした観光気分???

その集合場所へ行くのも普通に歩いて行けました。歩き始めはゆっくりと、、、、と言うような気づかいは不要です。

このようなところにも症状が回復していることが見て取れます。

    

防災センターでは室内で土砂災害などについてのレクチャー、、、

広島市の災害現場や先日の北九州での土砂災害の様子なども紹介されました。

その後タブレットを使っての情報収集法の講習、、、、などなど済ませて、、、、

休憩の後は、、、、、

    

煙が充満した廊下を通って逃げる訓練、、、

訓練用の白い煙で何も見えない中を廊下の壁に触りながら逃げました。

当たり前のことですが、この写真は撮ることが出来ません。

    

その後は消火器の使用法の訓練でした。

室内で消火器の一般的な説明を受けたあと、屋外に出て、、、、

    

説明を聞いたあとは実習、、、、燃え盛る油を消火器で消す訓練です。

消火器を使う訓練は団地での防災講習会でも行われますが、その時に使うのは訓練用の水消火器です。

今回は本物の油に火をつけて、、、、本物の消火器で消します。

    

訓練と言ってしまえばそれまでですが、指導を受けながらすると、消火剤が噴射される15秒の間に、簡単に消すことが出来ました。

    

その後はてんぷら油に火が入ったことを想定した講習、、、

鍋のふたを落ち着いてかぶせ、、ガスの栓を閉め、、、と言うような講習です。

天ぷら火災を起こさないためにはどうすればよいか、、、、と言う質問に、、、

天ぷらをしなければよい、、、、、と答えて座布団を3枚もらいました。これも正解、、、、

どうしても天ぷらを食べたいときは高級天ぷら店に行けばよい、、、とは講師の先生のお答えです。

他にも地震体験などもあり、短時間に密度の濃い講習会でした。

タカ長がここでの講習会に参加するのは2回目、前回は高いところからロープを使って下りる訓練がありましたが、今回はありませんでした。

もしあったら、この訓練だけは病気を理由にキャンセルするつもりでしたが、その心配はなかったようです。

これで昼の部は終わり、、、、夜は定例役員会があります。忙しいなぁ???


タカ長流リハビリ術

2017年11月03日 | 山歩きから
    

今朝の運動公園。

サクラの葉も紅葉もほとんど終わり、、、、しかし、晴れて、、、光があふれていました。

光の秋、、、、と言う言葉はないのでしょうが、、、とにかく、そのようなイメージの朝です。

    

キジバトに見送られて、仲間たちとの裏山歩き、、、、、

第1日目の修理を終えた体の調子は良いのですが、でも、まだ、完成検査が済んでいないので、、、

しばらくは楽なコースを歩くようにしています。

    

と言えば、わが裏山では中国自然歩道、、、、、

オオルリ沢の先に短い急登がありますが、そこをゆっくり通過すれば、あとはダラダラ登りだけ、、、

病後のリハビリには最適なコースだと思われます。

若いころ、ジョギングでひざを痛めた時も、ここでリハビリ、、、、

散歩と称して自宅のまわりを歩くより、ここを歩くほうがタカ長には良いリハビリになります。

    

確か、、、、三途の川を見下ろす丘の上まで旅をして来たはずですが、、、、

本人にはその自覚症状も、、、、、自覚もなくて、、、、

若い看護師さんたちに身のまわりの世話をしてもらって、、、楽しいリゾート旅行をした気分だけが残っています。

まことに不謹慎な患者ですが、諸事深刻に考えるより楽しく考えるのがタカ長流、、、、

と言うことでお許しいただくことにします。

    

エンジンのほうは調子がいいのですが、足まわりのネジはすこしゆるんだ感じがしました。

丸々2週間山を歩いていないので仕方ありません。

このねじを締めるのも裏山、、、、、時間を見つけて、、、、、疲れないように、、、、脈を上げ過ぎないように、、、、

注意しながらタカ長流のリハビリをすることにします。

本日の歩数は12900。体力的には何の問題もありませんが、リゾート生活でゆるんだ足だけが疲れています。




体質と言う罠?

2017年11月02日 | 今日の一枚
本日は2005年1月に歩いた、ニュージーランドのルートバントラックの写真を使っての更新です。

少し古い、、、、いや、古すぎる写真ですがご容赦ください。


        

ルートバントラックのトレッキングは自分たちだけでパーティを組み、旅行社に依頼してお世話してもらいました。

旅行社は営業経費を使わないで済むのだから、その分だけ安くしてくれ、、、、と言うような交渉をしたのも楽しい思い出です。


    

ルートバントラックのトレッキング第1日目。遠くに見えるのは落差80mのイアーランド滝です。

さて、今日の話題です。

タカ長は自分の体の状態については、おそらく、人並み以上に気をつけていたはずですが、、、、

そのタカ長があわや一巻の終わり、、、、と言うことになるまで心臓の異常に気がつかなかった???

と言う問題です。

それはタカ長の体質と深くかかわっているのではないかと言うのが、タカ長の結論ですが、、、

それは素人の結論ですから、当たっているか外れているか、本当のところは分かりません。

    

ルートバントラックのイアーランド滝付近、このあたりはルートバントラックでも雨量の多いところで、、、、

確か、年間雨量は5000ミリを超えると聞いたような記憶があります。


タカ長が運動を始める時に胸にある種のストレスを感じるようになったのは1998年12月頃からです。

そのため1999年6月、定年と同時に今回の病院に行って精密検査を受けました。その結果は異状なし、、、、、。

その後も何度かドックを受けましたが、そこでも心臓のことが問題になることはありませんでした。

だから、動き初めに激しい運動をすると胸にストレスを感じるのはタカ長の体質だと思っていました。

15分もすれば問題なくガンガン歩けるし、その15分もゆっくり歩けばストレスを感じないのですから、スタート時の歩きすぎを抑制するセンサーみたいなものだと重宝していたほどです。

    

ルートバントラック第2日目。

最初の写真を撮ったマッケンジー湖からオーシャン・ピーク・コーナーへの登り。苔むした森の中を登ります。


そのような状態でしたが、、おそらく2010年過ぎまでは本当に病変はなかったのだと愚考しています。

そうして、、、、、いつしか本格的なドックに行かなくなって、、、、そのころから、、、、と言っても何年ころからか分かりませんが、、、

とにかく、、、そう遠くない頃から異変が始まったのでは???

異変が始まっても、表に現れる症状は異変のない時と同じでした。

結果から言えば、体質と言う罠にいつの間にかはまっていた、と言うことになります。

    

ホリフォードフェイスはルートバントラックでももっとも風雨にさらされるところで、大きな木はなかったように記憶しています。

今から考えると、ここ何年かは歩くスピードが落ちたように感じていましたが、それは加齢による変化だと思い、気にしていませんでした。

そのようなことも病変を見つける面では邪魔になっていたようです。

加齢とともにいろいろなことが出来なくなるのは自然なことですが、何もかも加齢現象のひと言で片づけるのは考え物かも分かりません、と言うことになりそうです。

    

遠くにダーラン山脈の雪山を見ながら歩きます。先頭を行くのはいつもガイド、そして最後尾もガイド。私たちはその間を歩くことになります。

他にもスタッフはいて、その人たちが先行してお茶の準備をしてくれたり、小屋に先着して食事の準備をしてくれたり、、、、。

夏とは言っても私たちにはふるえるような寒さでしたが、現地のガイドは皆さん短パンで歩いていました。


暑がりのタカ長ですが、そのくせ夏でも体を冷やすと頭が痛くなります。これも体質?

このようなことは皆さんにもあるはずですが、、、、それを体質だからと言って決めつけないで、もう少し注意すべきではないか、、、、

と言うのが今回の反省点です。特に胸のあたりのストレスですから、もう少し注意すべきでした。

幸いなことに、気がついたら三途の川の川岸だった、、、、と言うことにならなかったから良いのですが、、、、

一歩間違えればそのようになっていたはずですから、ここは素直に反省することにします。

    

ハリスサドルからルートバン滝ロッジへの下り。

ルートバントラックはこれらロッジのベットの数だけしか入山することが許されていません。だからオーバーユースもなし、、、、

入山者はベルココンベアーに乗せられて歩くようなもので、天候が急変しても元の小屋にひき返すことはできません。そこにはその日に泊まる人がいるからです。

だから、歩けないときはヘリコプターに乗せられて次の小屋へ運ばれることになります。

タカ長が聞いた話ですが、ルートバントラックを歩きに行ったのに、天気が悪くて歩くことが出来ず、ヘリコプターに乗せられて移動してして来た、、、、

と言うような不運な人もいるようです。その点タカ長たちは予定通り歩くことが出来たのでラッキーでした。

第1日目13キロ、第2日目15キロ、第3日目10キロ、距離は短くても風景はめまぐるしく変わる、箱庭を歩くようなルートバントラックのトレッキングは高齢者にもお勧めのコースです。


一番の難工事を終えて、いまはおそらく快適に山を歩くことが出来ます。

しかし、もう1ヶ所残っていますし、先生からも1ヶ月は慣らし運転するように言われているので、、、、

今年中は間違っても脈が上がり過ぎないよう、いつも以上にのんびり歩くつもりです。