武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

民主党、韓国、中国共産党は世界のルーピーズ

2010年05月01日 | 国際外交の真実

★ニッポン人には日本が足りない。
春に芽が吹き、桜が舞う春高楼。
夏の蝉時雨、山河の緑、そして華麗なる秋紅葉、
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺。
冬に耐える日本の心。
この美しい日本、我が故郷。

★上海万博と中国共産党。
中国共産党に批判的な報道で知られる香港の新聞。
上海万博は、香港新聞の記者来訪を認めなかった。
香港紙は、「中国の報道規制は、大国の名を裏切るものだ」と批判した。しかし大国は大国でも言論弾圧、人権弾圧の大国であるということ。
そもそも中国は銭湯の壁に描かれたペンキ絵国家で、離れて見れば「経済成長という発展」だが、近くで見れば、「貧富の格差」という共産社会に13億の人民は飢えている。そして、その経済成長の原動力は、日本の資金と技術援助であり、工場を移転し、技術を提供し、日本人のエンジニアが額に汗して、中国を助けている。
その一例を挙げれば、1999年に開港した近代的な上海空港、1600億円という巨額の建設資金は日本が出したものだが、日本の支援だとはおくびにも出さない。それどころか中国共産党の長期戦略は、どうやれば日本を奪取(軍事支配)できるか、対日の戦略戦術を巧妙に練っていると見るのが正しい視点だ。

★小泉・竹中と日本郵政。
本ページは、小泉さんと竹中平蔵を批判したが、唯一評価するものがある。
それは1990年代のバブル崩壊後の不良債権に対する取り組みだ。日本の失われた10年の不良債権を、不退転の決意で取り組んだのは小泉・竹中コンビだった。
それまでの自民党のボス連中と財務官僚は、洪水のようにあふれ出る不良債権に呆然と立ち尽くすまま何もやらなかった。そういう意味では、小泉・竹中は凄かった。
但し、それ以外は駄目。労働派遣も駄目、強欲金融主義も駄目、医療改悪も駄目、成長戦略も駄目。そして何よりも小泉さんの本丸・郵政民営化は見事に失敗した。小泉さんの郵政民営化は欺瞞に満ちたものだった。なぜなら郵政官僚の支配を強化しただけの虚偽の民営化だった。その証拠に民主党とドン亀によって国営へ戻される。
2005年に郵政民営化法が成立したが、その時点で完全民営化になるのに12年を要するということを、何人が知っていただろうか。そしてそれまで郵便局を支配していた郵便貯金法という根幹法が廃止になったのだが、日本郵政株式会社になった途端、一字一句変えられずに、その法律が復活した。当時、それを知ったときは、小泉・竹中の欺瞞と、郵政官僚のしたたかさを見る思いだった。さらにいえば、今でもそうだが、日本郵政株式会社というのは何の権限も持っていない幽霊ダミー会社なのだ。郵政を本当に支配しているのは日本郵政機構という官僚組織である。
さて、ドン亀、約20万人の非正規社員のうち10万人を正社員化するという。
そのこと自体は素晴らしいが、正社員化で人件費は年3千億〜4千億円分膨らむ。
果たして、それで日本郵政に未来はあるのか。ドン亀と妖怪ガマの目論見は、郵貯の上限を2千万円にすることで、郵貯だけで360兆円の国民のカネをかき集め、その8割で国債を買い、288兆円の利子1.4%、つまり4兆円の金利を国民の税金からかすめ取ろうとするものだ。その4兆円は本来、国民に還元されるべきものなのだが、国民から富を収奪して恥じない民主党ルーピーズ。
夏の参院選では民主党を壊滅に追い込む。
★総務大臣の腹黒こと原口は、郵貯と簡保の資金を海外投資などに使うという。公共事業とか株式投資をやりたいということだが、国がそういうことをやって、うまくいく訳がない。つまり官僚は3年経てば異動する。だから誰も責任を取らない。そしてそれ以上に問題なのは、年金機構の資金運用で明確に法律に謳われているのだが、官僚が投資運用に失敗しても、その責任は問わないという条文があるのだ。
だから日本の大借金973兆円が生まれた。

★韓国の女性登山家、呉銀善(44)。
こういう話は、韓国朝鮮人には普通に発生する。
4月27日、韓国の呉銀善は、ネパールのアンナプルナ(8091メートル)の登頂に成功し、女性として世界で初めてヒマラヤ8000メートル峰14頂を制覇したという報道が流れた。ところが、実際に14頂すべてに登頂したのかどうか、疑惑が持ち上がった。
アンナプルナ登頂の瞬間は韓国にテレビで生中継され、呉さんは、頂上に韓国国旗を立てて「マンセー」と、カメラに向かって叫んだ。
だが、呉さんが2009年に登頂したとされるネパールとチベットの国境にあるカンチェンジュンガについて、スペインのエドゥルネ・パサバンら複数の登山家が、呉の登頂成功に疑問を表明している。
パサバンは言う、「呉はカンチェンジュンガに登頂していないのではないか」。
なぜなら呉が頂上で撮ったとする写真について、パサバンも同時期にカンチェンジュンガ登頂に成功したのだが、パサバンは頂上を覆っていた雪の上に立っているが、呉の方は岩の上に立っており、一面に雪はなかった。つまりそこは頂上ではないとパサバンは疑問を述べている。
韓国人にとって、頂上の近くまで行ったということと、登頂したという意味は、同じこと。
そうでないと韓国人というか朝鮮人は自棄(やけ)を起こして、暴れますからご注意。
(ムラマサ、鋭く斬る)

コメント
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