光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
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鉄道模型と流行り物のはなし・2

2015-07-22 06:25:01 | 思いつくままに・考察
鉄道模型を巻き込んだ実車のムーブメントとしては60年代終わり頃から70年代半ばにかけてのSLブームとわずかなインターバルを開けて70年代の終わりから80年代初頭にかけてのブルートレインブームが双璧と言って良いと思います。

 私などは辛うじて当時の空気の一端を微妙に覚えている年代と言えますが、SLブームの場合は模型以上に写真・8ミリ・レコードの比重が高く「SLの走る線路沿いにカメラの放列とテレコのマイクの群れ」と言う印象が強かった記憶があります。

 一般へのインパクトも非常に強くファン以外からすれば「ひたすら蒸機機関車が走るシーンだけを1時間半観させられる」という映画「すばらしい蒸気機関車」が封切館で公開されるわ、東映まんが祭りで「D51の大冒険」なんてアニメ映画が仮面ライダーやマジンガーZそっちのけでメインプログラムだったりもしました。

 予てこのブログで紹介している機関士の親類は当時定年直前の時期だったのですが、この時期はSLよりもED75の方に思い入れがあったらしくED75の16番を2両も自作していました。
 蒸機の運転経験も多かった筈なので今にして思えば不思議な気もしますが、やはり現場の感覚からすると勾配区間の連続する線区でのSL乗務にはマニアほどには好い思い出は持てなかったのかもしれません。
 その小父さんが16番のSLを購入したのはC57 135が営業運転を終えた直後、C58とC54というこれまた不思議な組み合わせでした。
 D51でもC62でもなくC54という所に現場を経験した者ゆえの何かがあった気もしてなりません(C54は新製直後に試験運用で暫く地元の機関区にいた事があります。もっとも当時は私は生まれていないので写真でしか見た事がありませんが)

 私自身がこの趣味に入ったのも実は小父さんがこれらの蒸機を買ったのとほぼ同じ頃です。
 しかも当初からレイアウト志向でしたからSLブームとの縁はそれほどなかった感じでした。最初に入線させたのもKATOのキハユニ26でしたし。

 もう一つのムーブメントであるブルトレブームはその直後の事です。

 実際に鉄道模型、特にNゲージの普及を後押ししたのはむしろこちらの方ではないかと思います。
 尤も、社会的にはSLブームに比べるとそれほどの大波にはなりませんでしたし、Nが売れたと言っても鉄道と無関係の雑誌では「小ブーム」程度の扱いでした。

 SLと異なり編成単位で魅力を発揮するブルートレインは確かに模型向けの題材ではありましたし、直前に登場したTOMIX規格の組み立て線路の登場は16番以上に「我が家で鉄道模型」の夢を現実に近づけたのも確かだと思います。
 (SLブームの折に16番メーカーの大半がその波を生かせなかったのはSLと言う素材が「単独のキャラクターとして独り歩きした」結果、模型の方も走らせる事よりも飾るための細密化の方向に舵を切ってしまった事もその要因のひとつだったのではないかと思います)

 当時は野球漫画の「ドカベン」にまで「BT学園(もちろんBTとはブルートレインの略)」が登場するわコロコロコミックの「ゲームセンターあらし」にまでブルトレ改造のゲーム列車が出てくるわ(爆)
 確かに周囲にここまで浮かれ狂われればそれ以前からのファンのへそも曲がろうというものです。

 だからという訳ではないのですが当時鉄道模型をやっていながら私自身はこのブーム自体は冷めた目で見ていました。本当に可愛げのない餓鬼です(汗)

 当時あれほど人気だった24系25型の模型も本格的に増備したのは3年ほど前に自分が乗った「いわて平泉号」を作った時だったりしますからブームもへったくれもありません。
 ただ、醒めた目でこそ見ていましたがブームそれ自体を否定する気持ちにはならなかったのも確かです。
 24系を増備しなかったのにしても個人的に20系の方が好みだっただけの話ですし。

 そんなわけで流行というものにはメリットもデメリットもあるとは思うのですが、あまりムキになっても面白くないなと言うのが正直なスタンスです。


「それにしてもこんなお祭り騒ぎをやって、どうするつもりなんでしょうね」
「ぼくらにとっては、なんだかおかしくてしょうがないんですよ。(中略)」

「それに―この頃の政治という奴は、次から次へとシンボルや目標を打ち出して世の中を引きずって行かないと為政者が無能視されるからねー(中略)今度は君たちが旗振りの役にされているわけだ」
「ずいぶん皮肉な見方ですね」
「だけどーほんとはわれわれの方も、このブームに感謝すべきなんでしょうね。―今のうちにちゃっかり取り込むものをとりこんで、ブームが去った時に備えておかないといけませんね」

「それにやっぱり・・・ブームってのはいい事でもあるな、カラ騒ぎの面もあるが、実質的に残って行くものがあって、それで少しづつ進歩して行く。この船だって…」
(小松左京「復活の日」の冒頭よりの引用)

 ブルトレブームの真っ最中の頃、当時の私の心に一番よく刺さったのがこの一連の件りだったりします。

 ですがよく考えてみたら「復活の日」自体が角川メディア戦略丸出しの当時大ブームの映画だったのですが(大爆笑)
 もっとも、このくだりは映画には出てきません。

 が、冒頭の碓氷峠ブームの申し子モデルの事を思うとき、この一節がふと思い浮かびました。
 事実、ブームが過ぎればこれだけよく出来たモデルが中古でそこそこ安価に入手できるわけですし、その点ではそう悪くはありません。

 アイドルやファッションと違って鉄道模型の中古の多くは20年や30年経っても十分使えるという事も最近の中古モデルで実証済みですし。
 30年前の旧モデルでも何かしら見どころがあれば流行と別なところで活用する事もできる。
 鉄道模型自体がそう言う側面を持っている事は大変なメリットですしもっと認識されても良い所ではないでしょうか。
 (但し一部の工芸品モデルを除けば「利殖に向かない骨董趣味」でもあります)

「ファンの意識は非常にいろいろで、俗にハードなマニアとかファンは、ミーハー族をバカにする。ところがそのミーハー精神というのは、一番ファンに大切なところで、コレクターも、その他のプロも全部ミーハーのなれの果てで、その辺の精神を忘れてしまって自分はコレクターだとか、ファンだとか何様の様な感じをひけらかせている雰囲気が昔のファンの間にある。新しいファンというのを非常に受け入れにくい気分にしているという感じがします。まあ、われわれのところはブームに関係なく、例えばスターウォーズが大ヒットしても、うちはボリスカーロフの特集をしているという訳ですからね」
「そしたら石田君のところは、少し前のオカルトブームも同じことが言えるわけですね」
「そうですね。大体オカルトという名前が我々にとって非常に気分の悪い物なんです。ただ、そのブームが去った後、消し炭のようなものでもあれば僕らでそれを拾っていこうと思います」


 これは特撮専門誌の「宇宙船」の創刊号のファンジン(当時は同人誌をカッコよくそう呼んでいた)編集者の座談会からの引用です。

 こちらもブームに対するファンの意識としての示唆に富む内容と思います。
 意識、無意識にかかわりなくこの言葉も最近の私の購買行動に影響を与えているような気がします。

 その伝で言うと私などは消し炭ばっかり拾っている屑屋も同然ですが(汗)それでも何かしら拾ってよかったと思うモデルが最近は多いですね。