光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
こちらはメインブログのアーカイブとなります。

X70系トヨタマークⅡのはなし

2015-07-14 09:14:15 | アクセサリー
 夏風邪の方は相変わらずです。
 と言いますか今週初め頃よりさらに具合が悪くなっている気が(汗)

 単に体調だけではなく最近の不順な気候も関係していそうです。
 今日も一日中雨で最高気温は24度を割っていますし。
 そんな訳で今回もお茶を濁します(汗)


 先日トミカでリリースされたX70系マークⅡ
 マークⅡとしては最後の5ナンバーHT仕様のクルマですが、これが出てからもう30年経つ事に時代な流れと言う奴を痛感します。
 当時はバブルのちょっと前辺りで「コロナより高級、でもクラウンより格下」な立ち位置だったマークⅡ自体が大衆車並みに売れ始めた時期でした。兄弟車のチェイサー、クレスタも同様で兄弟車でありながら微妙に雰囲気が異なる造形で差別化されたためか相乗効果で3姉妹トータルでの販売台数ではライバル(ローレル、ルーチェなど)を寄せ付けない状態が以後しばらく続くことになります。

 本来スペシャリティ性が高くそれまで若者しか買わなかったハードトップボディの方がセダンより売れるという現象が定着したのもこの辺りからです。実際乗ってみると室内の狭さときたら「天井が低く横幅も狭い」とたまったものではなかった記憶がありますが、それでもこのタイプがファミリーカーとして認知されたのだから世の中は判りません。

 実車のイメージカラーになり、実際街中で最も見かけたのが今回入手した「白いマークⅡ」です。

 この時期、マークⅡのライバルとしては日産のローレルやマツダのルーチェ辺り、FF化したばかりのギャランΣも該当しますがそれらと並べて見るとデザイン的にマークⅡが一番スポーティさと高級感のバランスが取れている感じがします。
(そのせいか、実際に乗って見た時の居住性が一番劣っていたのも確かですが)

 あの当時のマークⅡは高級ファミリーカーとしてお父さんが選ぶ車の最右翼でしたがその一方でいい若い者も結構飛びついていた車でもありました。雰囲気的に「4ドアのソアラ」みたいな所もあったからでしょう。
 その目で見るとC130ローレルはデザインがぶっ飛び過ぎていましたし、ルーチェは微妙に安っぽく、Σは更に安っぽかった印象があります。この手の「誰でも選ぶ車」として当時のユーザーの期待の最大公約数に近い所にいたのがマークⅡ兄弟だったとも言えます。
 このデザインセンスは極めて微妙なバランスの上に成り立っていると思います。このマークⅡのデザインの中の高級感、スポーティさ、保守性のどれかが突出するだけでもここまで売れる車にはならなかったでしょう。

 その中で一番犠牲になったのが居住性ですが、歴代のマークⅡで一番居住性に気を配ったと思われる最終GX110系が一番ぱっとしないままに終わってしまったというのも何か皮肉な気もします。

 NサイズミニカーのマークⅡは以前これのひとつ前の型のHTがカーコレクションで出ています。
 ですが世間での普及と認知度の高さ、言い換えれば「風景の構成要素としての時代の証人」として使うならこれより後の3代くらいのマークⅡが似つかわしい気もします。

カラーブックス「国鉄の電車」

2015-07-12 06:47:36 | 書籍
 夏風邪の方が相変わらずなもので今回はサブブログで以前やったネタでお茶を濁させて頂きます(汗)
 カラーブックス鉄道本ネタから。

 今回は「国鉄の電車」を書こうと思います。

 本書はそのタイトル通り出版当時の国鉄電車を俯瞰する構成です。
 特急型に始まり、急行型、近郊型、通勤型と羅列する展開は当時の鉄道本の定番でした。



 こうして見ると地域的に車種の偏りが多い私鉄に比べてほぼすべてのジャンルにまんべんなく形式がばらけている国鉄の電車群は見た目にバラエティに富み、結構楽しいですし、それぞれの車種への馴染みも大きい事を再確認させられます。

 とりあえず「電化されていれば本書の中のどれかの電車はほぼ必ず近所を走っていた」訳ですから。鉄道好きならだれにでも進められる一冊だったのは確かです。

 その一方で、この当時そろそろ引退・消滅の時期に当たるいわゆる「旧国」電車もまだまだ最新鋭機に混じって活躍できていた最後の時期を偲ばせてくれます。
 そう言えばまだこの頃は「荷物電車」も現役でした。

 ですが気が付くと「国鉄」が「JR」になってから大分経ち、本書で掲載された最新型の電車もその大半は耐用年数に達したり既に引退したものも多くなって来ました。
 その意味で今読み返すと時代の変転も感じますし、感慨深い物があります。

夏風邪にやられました(汗)

2015-07-11 06:46:36 | その他
もう7月だというのにいきなりの夏風邪にやられました。
 日曜日のとあるイベントで体力を使い果たした辺りから体調は良くなかったですが、平日休の昨日一日寝ていればどうにかなるかと考えていたのが甘かったようです。

 7月なのに一日中梅雨空で雨かじめついた気候。
 暑くはなくても湿度の高さも身体にはよくないです。
 先月来の気候でがたついてきた身体のしわ寄せが今になって襲ってきたという感じです。

 という訳で今日のブログはこれ位で勘弁させて頂きます。
 済みません

近所で見かけた不思議な建物たち(笑)

2015-07-10 06:43:42 | ストラクチャー
 先日、とあるイベントである施設に出かけたのですが不思議な異世界感覚が結構楽しめたので今回はその話でもしようかと。

 ビルの壁面に崖が刻まれているというのは結構なインパクトでシュールさすら感じます。
 何となく登ってみたい気もしますが実際それをやったらかなり怖いでしょう(笑)

 脇に回ってみるとこういうのもあります。

 隣接している鉄塔と管制塔を思わせる構造物も広っぱらにぽつんと建っていると独特の異様さがあります。

 下半分は普通のビル、上半分は鉄骨造り。
 別に工事を中断した訳ではなくこれが完成形です。
 隣接する櫓様の構造物も不思議な味があります。

 一見、何てこと無いプレハブの様に見えますが

 この図体の建物がキャスターで移動可能になっている辺りもシュールです。

 ふたつの櫓の間にはロープが張られています。

 まるでどこぞの秘密基地の様ですが、普通の街並みでは見かけないこういう建物が実在するのを見るとレイアウトにこういうのを組み込んでみたくなる気もしないではありません。
 実際スペースさえあればこれらをモジュールのテーマに選んでみるのも一興ではないかと(笑)

鉄道模型と流行り物のはなし

2015-07-09 06:41:26 | 思いつくままに・考察
1
 最近、近所はもとより帰省や上京時に中古ショップを見るたび感じる事から。

 これらのショップをトータルすると普段覗いて行く中古屋は結構な数になると思うのですが、そこを覗いていてかなりの確率でお目に掛かるモデルがあります。
 TOMIXのEF63「さよなら碓氷峠」の2両セット。或いはKATOのEF63 一次形です。

 どうかするとひとつのショップに複数が並んでいる事すらありますが、これだけ出物があるのに不思議と価格が高止まりしており、そのせいかいつまでも店頭に残っている事も多いモデルです。
 (興味を持ったのでネットオークションをチェックして見ましたがこちらも大体同じ傾向で普段は殆ど入札者がいないのに、たまに安いのが出るとそこだけ入札が集中している事が多いらしいです)

 これは十数年前の碓氷峠廃止に伴う流行とモデルラッシュの残渣なのでしょう。

 単純に思えば流行の時期にあれほど飛びついたのにいざ流行が過ぎ去れば惜しげもなく捨てられ、或いは売り払われる」事に虚しさと腹立たしさを感じる事もありますし、何か勿体ない感じを受ける事もあります。

 もしこのEF63が明らかに流行便乗型のお粗末な代物であればそれも無理ない事です。
 ですが、うちに入線しているKATOやTOMIXのEF63(2両一組の運用なら別々のメーカーの方が面白いという理由でバラを買いましたが汗)を見直してみるとどちらも非常に気合いの入ったモデルで流行を別にしても十分評価に足る出来なのです。

 この2社が出るまでEF63のNモデルと言うと1セット2万円弱の夢屋のバラキット(それも動力を1から作る奴)しかありませんでした。
 ブーム以前だったら「EF63をレイアウトで活躍させる」には2両一組の運用の性質上、バラキット2両分と16番並みの工程をNでやらなければならない技術力(塗装と動力調整のスキルを含む)が必要ですし、仮にそこまでできたにしてもその2両のEF63がレイアウト上で運用できる保証はありません。

 ですが、もしあのブームが無ければEF63に関する限り、いつまでたってもバラキットしかないという状況だったろうという事は想像に難くありません。
 相当なベテランの車両工作オンリーの人ならともかく、レイアウト派や運転派にはこれは相当なハードルの高さだった筈です。

 そう考えるとデメリットもあるにせよ流行にもそれなりの御利益はあった気もします。
2
 鉄道模型を巻き込んだ実車のムーブメントとしては60年代終わり頃から70年代半ばにかけてのSLブームとわずかなインターバルを開けて70年代の終わりから80年代初頭にかけてのブルートレインブームが双璧と言って良いと思います。

 私などは辛うじて当時の空気の一端を微妙に覚えている年代と言えますが、SLブームの場合は模型以上に写真・8ミリ・レコードの比重が高く「SLの走る線路沿いにカメラの放列とテレコのマイクの群れ」と言う印象が強かった記憶があります。

 一般へのインパクトも非常に強くファン以外からすれば「ひたすら蒸機機関車が走るシーンだけを1時間半観させられる」という映画「すばらしい蒸気機関車」が封切館で公開されるわ、東映まんが祭りで「D51の大冒険」なんてアニメ映画が仮面ライダーやマジンガーZそっちのけでメインプログラムだったりもしました。

 予てこのブログで紹介している機関士の親類は当時定年直前の時期だったのですが、この時期はSLよりもED75の方に思い入れがあったらしくED75の16番を2両も自作していました。
 蒸機の運転経験も多かった筈なので今にして思えば不思議な気もしますが、やはり現場の感覚からすると勾配区間の連続する線区でのSL乗務にはマニアほどには好い思い出は持てなかったのかもしれません。
 その小父さんが16番のSLを購入したのはC57 135が営業運転を終えた直後、C58とC54というこれまた不思議な組み合わせでした。
 D51でもC62でもなくC54という所に現場を経験した者ゆえの何かがあった気もしてなりません(C54は新製直後に試験運用で暫く地元の機関区にいた事があります。もっとも当時は私は生まれていないので写真でしか見た事がありませんが)

 私自身がこの趣味に入ったのも実は小父さんがこれらの蒸機を買ったのとほぼ同じ頃です。
 しかも当初からレイアウト志向でしたからSLブームとの縁はそれほどなかった感じでした。最初に入線させたのもKATOのキハユニ26でしたし。

 もう一つのムーブメントであるブルトレブームはその直後の事です。

 実際に鉄道模型、特にNゲージの普及を後押ししたのはむしろこちらの方ではないかと思います。
 尤も、社会的にはSLブームに比べるとそれほどの大波にはなりませんでしたし、Nが売れたと言っても鉄道と無関係の雑誌では「小ブーム」程度の扱いでした。

 SLと異なり編成単位で魅力を発揮するブルートレインは確かに模型向けの題材ではありましたし、直前に登場したTOMIX規格の組み立て線路の登場は16番以上に「我が家で鉄道模型」の夢を現実に近づけたのも確かだと思います。
 (SLブームの折に16番メーカーの大半がその波を生かせなかったのはSLと言う素材が「単独のキャラクターとして独り歩きした」結果、模型の方も走らせる事よりも飾るための細密化の方向に舵を切ってしまった事もその要因のひとつだったのではないかと思います)

 当時は野球漫画の「ドカベン」にまで「BT学園(もちろんBTとはブルートレインの略)」が登場するわコロコロコミックの「ゲームセンターあらし」にまでブルトレ改造のゲーム列車が出てくるわ(爆)
 確かに周囲にここまで浮かれ狂われればそれ以前からのファンのへそも曲がろうというものです。

 だからという訳ではないのですが当時鉄道模型をやっていながら私自身はこのブーム自体は冷めた目で見ていました。本当に可愛げのない餓鬼です(汗)

 当時あれほど人気だった24系25型の模型も本格的に増備したのは3年ほど前に自分が乗った「いわて平泉号」を作った時だったりしますからブームもへったくれもありません。
 ただ、醒めた目でこそ見ていましたがブームそれ自体を否定する気持ちにはならなかったのも確かです。
 24系を増備しなかったのにしても個人的に20系の方が好みだっただけの話ですし。

 そんなわけで流行というものにはメリットもデメリットもあるとは思うのですが、あまりムキになっても面白くないなと言うのが正直なスタンスです。


「それにしてもこんなお祭り騒ぎをやって、どうするつもりなんでしょうね」
「ぼくらにとっては、なんだかおかしくてしょうがないんですよ。(中略)」

「それに―この頃の政治という奴は、次から次へとシンボルや目標を打ち出して世の中を引きずって行かないと為政者が無能視されるからねー(中略)今度は君たちが旗振りの役にされているわけだ」
「ずいぶん皮肉な見方ですね」
「だけどーほんとはわれわれの方も、このブームに感謝すべきなんでしょうね。―今のうちにちゃっかり取り込むものをとりこんで、ブームが去った時に備えておかないといけませんね」

「それにやっぱり・・・ブームってのはいい事でもあるな、カラ騒ぎの面もあるが、実質的に残って行くものがあって、それで少しづつ進歩して行く。この船だって…」
(小松左京「復活の日」の冒頭よりの引用)

 ブルトレブームの真っ最中の頃、当時の私の心に一番よく刺さったのがこの一連の件りだったりします。

 ですがよく考えてみたら「復活の日」自体が角川メディア戦略丸出しの当時大ブームの映画だったのですが(大爆笑)
 もっとも、このくだりは映画には出てきません。

 が、冒頭の碓氷峠ブームの申し子モデルの事を思うとき、この一節がふと思い浮かびました。
 事実、ブームが過ぎればこれだけよく出来たモデルが中古でそこそこ安価に入手できるわけですし、その点ではそう悪くはありません。

 アイドルやファッションと違って鉄道模型の中古の多くは20年や30年経っても十分使えるという事も最近の中古モデルで実証済みですし。
 30年前の旧モデルでも何かしら見どころがあれば流行と別なところで活用する事もできる。
 鉄道模型自体がそう言う側面を持っている事は大変なメリットですしもっと認識されても良い所ではないでしょうか。
 (但し一部の工芸品モデルを除けば「利殖に向かない骨董趣味」でもあります)

「ファンの意識は非常にいろいろで、俗にハードなマニアとかファンは、ミーハー族をバカにする。ところがそのミーハー精神というのは、一番ファンに大切なところで、コレクターも、その他のプロも全部ミーハーのなれの果てで、その辺の精神を忘れてしまって自分はコレクターだとか、ファンだとか何様の様な感じをひけらかせている雰囲気が昔のファンの間にある。新しいファンというのを非常に受け入れにくい気分にしているという感じがします。まあ、われわれのところはブームに関係なく、例えばスターウォーズが大ヒットしても、うちはボリスカーロフの特集をしているという訳ですからね」
「そしたら石田君のところは、少し前のオカルトブームも同じことが言えるわけですね」
「そうですね。大体オカルトという名前が我々にとって非常に気分の悪い物なんです。ただ、そのブームが去った後、消し炭のようなものでもあれば僕らでそれを拾っていこうと思います」


 これは特撮専門誌の「宇宙船」の創刊号のファンジン(当時は同人誌をカッコよくそう呼んでいた)編集者の座談会からの引用です。

 こちらもブームに対するファンの意識としての示唆に富む内容と思います。
 意識、無意識にかかわりなくこの言葉も最近の私の購買行動に影響を与えているような気がします。

 その伝で言うと私などは消し炭ばっかり拾っている屑屋も同然ですが(汗)それでも何かしら拾ってよかったと思うモデルが最近は多いですね。

エンドウのEF58・おかわり

2015-07-08 06:39:39 | 車両・電気機関車
 先日来、妙にエンドウづいている当レイアウトですがまたまたエンドウ車の入線です。
 この間行きつけの中古屋で入手した「ジャンク袋」

 中身はエンドウのEF58、TOMIXのEF66、KATOのナロネ21&ナロネ21と言う陣容でわたし的にはハズレの少ない物でした。
 (その理由については後述)

 今回はその中からエンドウのEF58から
 以前も書きましたが、エンドウのEF58は後のEF58ブームの直前というタイミングでリリースされたNゲージ初のEF58です。

 当時はEF58のモデル自体Nゲージでは唯一だったのでかなり持て囃されましたが、ブラス製なのはともかくディテーリングはないに等しく、プロポーションは異常なほど腰高。
 Nゲージは運転を楽しむためのゲージであるというメーカー側の割り切りが強く感じられるモデルでした。

 後のワールド工芸やキングスホビーなどの製品を見ればお分かりと思いますが、ブラスでもディテーリングに凝った細密志向のモデルを出す事は十分可能ですからコストとメーカーのポリシーの兼ね合いの方が大きかったのでしょう。
 
 私自身40年前に初めてこれを買ってもらった時は細密度なんて考えもしませんでしたし、運転して楽しむ分には旧型電機らしい走りが楽しめた記憶があります。
 とはいえ、趣味の再開からこの方エンドウの58は既に2両入線しています。

 それなのに今回新たに飛びついたのはブルートレイン仕様の庇付きと言うこれまでなかったバージョンだったからです。
 個人的にはEF58の中でこのブルトレ仕様のカラーリングは好きなものでしたから尚更です。
 上述したように「ジャンク袋の中の1両」でしたから1両辺りの価格は先日入線のEF57より安い位で(笑)

 入線させて感じるのはこれまでのモデルの中で最も走りが良かった事です。
 スムーズとは言えない物のそこそこスローも効きますしガラガラ音を立てながら走る様は如何にも旧型機っぽい物です。
 これが似合う編成と言うとやはり20系辺りとなりそうですが、最近のモデルの細密さと比べると落差が大きい気もします。

日本型Nゲージの50年と思い出から・初期型EF58編

2015-07-07 06:33:41 | 車両・電気機関車
  昭和39年版の「模型と工作・鉄道模型ガイドブック」から50年前の16番モデル工作とそれ以降のNモデルの思い出を語るある意味支離滅裂な企画(汗)です。

 本書で取り上げられている16番の工作記事はその90パーセントがペーパー車体のモデルですが、少ないながらもブラスの工作記事も掲載されています。
 今回はその少ない中のひとつであるEF58(初期型)を。

 デッキの付いた電機、それも台車枠から自作するという中々本格的な工作記事で金属モデルの工作の入門用としては今でもそれなりに通用しそうです。

 ブラス工作と言うとはんだ付けが付き物ですが、そこでも
「この場合、ペーストではうまく付きませんから塩化亜鉛を使います。塩化亜鉛は希塩酸に亜鉛を入れて作っても良いし薬局に行けば白い粉末の塩化亜鉛を売っています。これは劇薬なので購入の際には印鑑が要ります。これを10倍くらいの水に溶かして使いますとはんだが水の様に流れハンダ付けが楽しくなります」
 結構物騒な事をさらっと書いている様に見えますが、あの当時はフラックスを使うのも最先端のテクニックだったという事でしょうか。

 とはいえ、当時子供だった私はこのくだりを読んでたかが模型の工作に「購入時に印鑑がいる様な劇薬を使う」と言うのは結構なカルチャーショックではありました(笑)
 ですから、ごく最近16番のC58の補修の折に模型屋でフラックスを購入した時にはそれなりに感慨深い物を感じたりしました。

 一方でこの記事では台車周りの板バネや細かいパーツの取り付けなどでスーパーセメダインやボンドマスターなどの接着剤も取り入れています。
 最近の工作記事などを見るとハンダ付けオンリー、逆に瞬着オンリーの両極端の話を結構聞きますが。
 して見ると当時は今以上に適材適所の考えが浸透していたと思います。

 さてNゲージのモデルですが流線型のEF58の方はどこのメーカーも手掛けていますし、どこのショップにも必ず置いてあると言っていい位に普及しています。
 ところがデッキ付の初期型は量産品としてはマイクロエースから出ているのみ。
 あとは金属モデル専門のメーカーが少数のキットや完成品をリリースしているにとどまります。

 今回動員したのはワールド工芸の「EF18」
 元々はEF58だったのをギア比を変えて貨物機に変更したという曰くがあるので外見上はEF58と大きな違いはありません。
 今回はホキ4200の貨物列車を牽いてもらいました。

 16番の製作記事もブラスならNのモデルもブラス製。
 旧型EF58は不思議とブラスづいた機関車の様です。

三菱パジェロと90年代レイアウト

2015-07-05 05:33:56 | アクセサリー
Nスケールが欲しいミニカーから

 今回は狂的とも言えた90年代クロカン四駆ブームの立役者、三菱パジェロのはなしです。
 パジェロ自体は今でも三菱のイメージリーダーのひとつとも言えますし、海外を中心にブランドイメージもそれなりにあるクルマです。

 ですがそれでも初代の後期から2代目に掛けての大ヒットは今考えても異常と言って良いレベルだったと思います。


 当時の四駆ときたらウレタンバンパーもモノコックシャシも、どうかするとフルタイムAWDもなし。
 当然四駆に入れたらちょっとした路地ですらタイトコーナーブレーキ現象が起こって曲がれない。
 床も高いから乗降性は最悪、居住性も同クラスのセダンより室内高が高い以外大したメリットもなし。
 単純に実用性だけ取ってみればカローラのバンよりひどいレベルでした。

 それでも四駆の持つワイルドなイメージだけであれだけの大ブームになったのだから凄いものです。
 
 (因みに私自身からして当時はテラノに乗っていましたが)
 パジェロの場合はパリーダカールラリーでの戦績の伴うイメージアップもかなり貢献したでしょう。

 とは言えだからと言ってパジェロ自体が悪いクルマだった訳ではなく三菱ジープの実質的な後継者としてかなり洗練度を高めてオーナーカーとして通用できるレベルに持って行ったのは凄いと思います。
 (大体、上述の四駆ブームが起こったのはパジェロがデビューしてから5年近く経ってからです。それまでの蓄積が無ければあのムーブメントが起こらなかったのも確かだと思いますし)
 
 トミカの初代パジェロも実車の登場に合わせてのリリースですが、モールドはシャープで実車の持つ垢抜けた印象を的確に再現した傑作と思います。
 新車デビュー当時に買ったトミカなだけに見た目に相当くたびれていますがそこはご勘弁を。
 
 むしろ後から出た2代目、3代目のミニカーの方が妙にぼってりした感じになってしまい初代よりピンとこなかったくらいです。


 いずれにしてもこのパジェロが徘徊しているレイアウトなら90年代初頭~中頃の空気は容易に再現できると思います。

「蒸気機関車のソノシート」を聴いてみる

2015-07-04 05:32:08 | 書籍
 先日の秋葉行きの折見つけた雑誌から。

 「朝日ソノラマ」の蒸気機関車の写真集。
 私にもそれなりに馴染みのある花輪線8620の3重連も題材になっている奴だったので手を出してしまいました。

 ところで「朝日ソノラマ」と言うと最近の人には出版社としてのイメージが強いと思うのですが、この当時は「書籍+ソノシート」が売りでした。
 私の幼少時、本屋で「主題歌付きのテレビ漫画絵本」と言う奴が並んでいましたが、その中の一大ブランドが朝日ソノラマだったのです。

 絵本の巻末か表紙に入っていた「真っ赤なソノシート」
 これを見ると友人の家で見かけたアニメやらヒーロー物やらのそれがまず連想されます。

 ソノシートそのものも今では知らない人が多いかもしれません。
 アナログレコードの簡易仕様と言うか薄っぺらなビニールシートに音溝をプレスしたものと言えば良いかもしれません。
 音質は勿論レコードには劣りますし耐久性も十分とは言えません。それでも安価なのと手軽な事から本のおまけ、雑誌の付録として80年代中頃まで普及していたものです。

 ですが、上述のイメージの事もあって「蒸気機関車の走行音のソノシートまで出ていた」というのは結構意外だったりします。

 帰宅後さっそく再生。
 材質がペラペラなのでプレーヤーの音飛びが怖かったのですがどうにか音は出てくれました。
 これをPCに取り込んで保存します。

 花輪線の8620の3重連は70年代初め頃まで東北本線奥中山と並ぶSL撮影&録音の名所でした。
 花輪線自体典型的なローカル線でしたし、60年代の8620もそういう線にふさわしいロコではありましたから、再生して見るとD51やC57等の幹線級蒸気とは異なる独特の軽さが感じられる気がします。

この他、小樽築港構内での9600の入れ替え作業音とかもそれなりに臨場感が感じられます。

 それにしても、
 真夜中に一人PCの前に陣取ってブログやら書類やらの作成をしながらBGM代わりにこのサウンドを聴いていると意外なほど癒されます。
 人によっては単なる騒音以上の物ではないのに(笑)

エンドウのNゲージ線路に思う「レール戦国時代のころ」

2015-07-03 05:29:02 | 鉄道模型 
 先日紹介のエンドウEF57に関連して。

 エバーグリーンショップでは実はもうひとつ特売していた品がありました。
 エンドウのエンドレスレールセット。これまたひとセット500円というバーゲンプライスだったりします。

 エンドウはこれを出す直前に16番の金属道床に準じた形態の組線路を売り出していた事がありました。
 ですが既にTOMIXがこのジャンルで先行していた、ばかりかシステム性でははるかに上回っていた為に当時店頭でよく見かけた割にはあまり売れなかったようです。

 その反省からかただちにプラ道床の第2仕様を投入したという経緯のある製品です。
 セットのレールは本来の基本セットというよりも増設用の複線外側レールでこれも安かった理由のひとつでしょう。
 さて、このレールの構成は317Rのカーブレールと280の直線レール4本。

 こう聞いて「あれっ?」と思われた方も多いと思います。
 実はエンドウ線路は金属道床仕様は自社オリジナル規格なのですがプラ道床の仕様は寸法に関する限りTOMIXのそれに完全に準拠していたものなのです。
 ほかのセットの仕様を見ると280、541Rの曲線と140,72,5の直線、541R基準のポイントもラインナップされていたようです。

 但しジョイント部はエンドウオリジナル。
 接続に力が要りますがTOMIXよりも接続部の信頼性は高そうです。
 線路自体も当時TOMIXには存在していなかったコンクリート枕木の灰色道床。
 線路の間の枕木の造形もきちんとコンクリしている所がポイント高いです。

 フィーダーもエンドウオリジナルで二つの金具を互い違いに道床に引っ掛ける形式で見た目にしんどい反面線路上のどこにでもフィーダーが付けられるという、お座敷運転ではむしろ親切な設計。
 特殊な端子形状でもないので当時の形式であればパワーパックを選びません。

 ためしにエンドレスを組んでトレーラーを走らせたのですがまるで流れる様に車輪が転がったのには驚きました。とても30年以上前の製品には見えないどころか走りの質感では本家TOMIXをも上回ります。

 全体にTOMIXの規格に準拠していながらエンドウなりのバージョンアップと差別化が図られた一品と言えます。

 この当時はエーダイ(後の学研)も独自規格のプラ道床線路を出していましたがこちらはカーブの径を微妙に変えて独自性を打ち出した一方でTOMIXと接続するためのアダプター線路を早くからリリースしており先行するTOMIXと共存と差別化をよく考えていたようです。

 してみるとすでにこの当時からNの線路は少なくともKATOがユニトラックを出すまではTOMIX規格を中心に回り始めていた訳ですが、規格準拠のサードパーティと言える他のメーカーも単に先行規格の軍門に下るのではなくクオリティや拡張性で独自性を出すべく腐心していた事が伺われ興味深い物があります。

エンドウのEF57の奇跡(笑)

2015-07-02 05:25:10 | 車両・電気機関車
 先日、天賞堂のエバーグリーンにて掘り出した物から。

 エンドウのEF57です。

 このモデルは結構あちこちの中古屋に出物があるのですが殆どのモデルがベンチレーター周辺のダイカストパーツが経年劣化で逆Uの字に変形している物ばかりです。
 そんな変形があっても値段だけはけっこうする物が多いので中々手が出せない機種でもあります。
(上の写真は数年前に購入した中古モデルから。これよりひどい変形の物も店頭で見かける事があります)

 それが今回はどこかの模型屋のデッドストックの処分品なのか纏まった数が置かれていました。
 上述の事情は店も承知の様でお値段は機関車としては異例の1両1000円。
 
 私自身も大して当てにせずにいくつか検品してから選びました。

 それがこのモデルですが実用上気になるほどの屋根上パーツの変形もなく結構な掘り出し物でした。
 ある意味奇跡的と言えるかもしれません。この幸運を思えば帰りに宝くじでも買って帰れば良かったです(笑)
 走行もエンドウとしては割合スムーズな方でしたし。
 あとこのモデルで有難かったのは他の中古品と違ってナンバープレートがちゃんと付属していた事です。

 金属ボディの旧型電機は後にワールド工芸やシバザキ模型なんかが細密感に溢れるモデルを続々リリースしており、相対的にエンドウの製品の影が薄くなりがちな感じもします。
 実際、ボディのディテーリングはないに等しい上に動力ユニットの関係で妙に腰高です。
 (尤もそのおかげで当時としては珍しくエアータンクは台車ではなく一応実物通りにボディ側についていますが)
 パンタグラフなどはこれまたディテーリング皆無の大味な代物で下した状態ではV字型になってしまうほどです。

 にも拘らず何故か憎めない表情が感じられるのがエンドウの人徳の様なものでしょうか。
 1000円という安さにつられたのは確かに事実ですがそれ以上に新品同様のクオリティとこの「表情」に惹かれたのもまた確かです。 

 先日の秋葉詣では妙にエンドウづいていた様でこの後の買い物でも妙にエンドウのアイテムに当たりましたが、それらについては後ほど。

鉄道模型のサイズのはなし

2015-07-01 05:23:21 | 思いつくままに・考察
 今回の話もやや戯言めきます。
 しかも考えたままを垂れ流しているのでいつになく長いです。
 ですので酔っぱらいの戯言のつもりで読んでいただいた方が良いかと(汗)

 ここ数年の間にNばかりかHO(16番)やZゲージにまで手を広げてしまいましたが、それぞれの走行性の違いや質感、細密度の違いを感じる事も増えました。

 その中でサイズの違いからくる車両の造形の文法の差異や、走行性の違いは特に感じるところです。
 また、OゲージからHOゲージ、HOからNへとゲージやサイズの変化に伴うメインストリームの変遷はそれ自体が興味深いものがあります。

 さて、それらについて語られる時、一般的にはゲージの幅の観点から捉えられる事が多い気がします。
 あるいは実物に対する再現性の観点からスケールの違い(広義にはいわゆる「ガニ股論議」もこれに含まれる気がします)

 ですが不思議な事に「それでは鉄道模型の場合模型として楽しむにはどれくらいの大きさがふさわしいのか」という観点からの論議を殆ど聞きません。

 これはある意味仕方のない部分です。
 走らせて楽しむ前提なら既存の規格に乗っ取ったモデルの製作や購入が一番楽ですし、予算も掛かりません。
 特に日本の場合、戦後に鉄道模型車両自体が輸出産業として成立してきた経緯から先行する海外の既存規格に依存した模型作りがなされてきています。

 ましてや走行だけでなく、工作やコレクション、レイアウトなど目的の幅が意外に大きいのが鉄道模型ですからそれに応じた最適サイズというのも自ずから異なって来るのも仕方ありません。むしろ「それらをすべて満たした至適サイズ」と言う物は存在しないと考える方が良いのかもしれません

 今回の話はそういった要因がある事を承知で敢えて考えて見たいと思います。

 一般的に子供が手にとって愛玩する「オモチャ」の場合はそれを扱う子供の手の大きさがサイズ(操作するオモチャならその操作部のサイズ)が設計ポリシーを決める大きな要素となります。
 欧米に於いてすらその出発点が子供の玩具から出発している鉄道模型も少なくともライオネルのOゲージモデル辺りまでならその影響も大きかったと思います。


 実は今回の考察の出発点となったのは私が初めてNゲージのモデルを見た時の感動と違和感からです。
 16番の場合は既に親類が何両か製作したり買ったりしたモデルを見ていますから「プラレールより長くて精密」という位の先入観は持っていました。
 ですがNの場合それまでが精々広告写真程度でしたから実際に店頭でN(当時のナインスケール)を見た時「こんなに小さいのか」と驚かされたのです。

 それは結構新鮮な感動でしたが、同時に「このサイズで大丈夫かな」という違和感があったのも確かです。
 当時小学生だった私にもNの華奢さは壊れやすさの印象に繋がり、当時からあった「Nゲージなんてオモチャ」といった世間の論議と逆に子供には手に負えない代物ではないかと思えたのです。

 実際には細密な車両工作さえやらなければそれほどでもなかったですし、大事に使えば50年前のモデルでも十分走行可能という事もその後認識しました。
 実際使い慣れてくればこの大きさで十分だなと思えてきたのも確かです。

 ですが「車両を実際に手に持って見た時の馴染みやすさ」については16番やHOのモデルの方が良かったのも確かです。
 Nの場合、サイズの小ささから車両の保持も拇指~中指までの3本の指で行なう事が多いのですが16番だと機関車だったら指5本、20M級の電車だったらどうかすると両手で持った方がぴったりきます。
 細密度も計算すると実際にはそうもいかないのですが(特に高級ブラスモデルなど)機関車1両をゴジラさながらに手で握って遊ぶというなら16番くらいが手になじむという意味ではほぼサイズとしての下限の様な気がします。

 NやZだと線路に車両を乗せるだけでも余程熟達していない限りリレーラーが必須ですが16番以上なら手で楽に載せられる事が多いですし。

 16番のサイズのごく近い玩具というとまず思いつくのが「プラレール」です。これなどは未就学児が手に持って遊ぶ前提の玩具ですが、それだけにサイズの設定にはかなり熟慮されていたのではないでしょうか。
 最近の「たのしい幼稚園」なんかだと「プラレールの既存の足回りを使ってペーパー車体のボディを作る付録」なんていうのも登場していますが単に遊ぶだけでなく自分で作るにも子供の玩具としてはほぼ最下限のサイズという事は言えそうです。

 一方でNゲージ以下のサイズというとこれは車両そのものを愛でるというよりはある程度走らせる、それも風景の中を走らせることで真価が発揮される事を念頭に置いたサイズ設定という事は言えそうです。
 ただ、そうなると今度は「走らせるうえでのスペースの至適サイズは?」という話になりますがこれについては以前レイアウトのサイズの話で仮説は立てていますからここでは割愛します。
 
 ただ、鉄道模型の様にサイズやスケールの規格化されたフォーマット単位で趣味を楽しむという方向性の強い趣味はどうしても既存の規格に縛られがちです。
 そして大概の場合「自分の子供の頃に主流だった規格」を持って優劣が語られる事が多いようです。

 いま、この趣味のメインストリームを担う世代の半数以上は生まれた時に既にNゲージがあってそれを当たり前として育った世代と思います。
 ですから「テツドウモケイ」のサイズとしてのNゲージの大きさには大した疑問は持っていない気もします。

 同じ事はそれより上の世代にとっての16番についても言えるでしょうし、アメリカンドリーム華やかりし頃の1940年代後半~50年代に少年時代を送った世代のアメリカン人にとってはライオネルやアメリカンフライヤーのOゲージモデルのサイズこそが当たり前の存在かもしれません。
 ですがそれらはあくまでも「子供の頃にそうだった」というだけの話です。

 この種のサイズ論は以前触れた「鉄道模型の価格のはなし」と同様に今すぐ結論が出るという性質のものではありません。
 ですが自分がこれまで慣れ親しんでいた規格やサイズが果たして本当に自分にあったものだったのかを考えるきっかけ位になれば面白いかもしれないという程度の事です。

 単純に飾って楽しむ、あるいは自慢するのが目的ならばモデルはスペースが許す限り大きい方が良いに決まっています。事実最近流行の「週刊●●を作る」ディスプレイモデル製作誌のそれは市販のプラモデルよりは大きめのサイズですし、それ以前にフランクリンミント辺りが新聞広告で売り出して見せたディスプレイ用のD51とかもかなりの大きさです。

 あるいは「実車と同じ動作機構を可能な限り再現する」事を主眼に置いているモデルでもこれは同様でしょう。あるいは「人を乗せて走る模型鉄道」なんかもそうかもしれません。

 また、「鉄道模型」の括りとしては抵抗を感じる向きの多いプラモデルメーカーのディスプレイモデルはOゲージとHOゲージの中間サイズの50分の1があったりします。

 まあ、飾るだけだったらそれも良いのですがそこに「レイアウトで走らせる」とか「集める」という要素が入って来ると徐々に話が変わってくる気もします。

 このはなし、まだ考えたりない所もありますので続きはいずれまた。