たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る旅の思い出・「別府地獄めぐり」(再)

2024年03月27日 10時36分30秒 | 旅行記

気力も体力も減退してしまった老夫婦、旅行や山行等で遠出することがほとんど無くなり、最近は専ら、外付けHD内の古い写真を引っ張り出しては、懐かしがっているところだ。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだ等と自嘲しながら・・・。

9年前の2015年(平成27年)5月、まだまだ自営業を続けていた頃ではあったが、すでに、「その内いつか・・・」等と言ってられない歳になっており、強引に休みをとり、どうしても一度は訪れたかった九州の「九重山」を訪ねたことが有った。「九重山」については、すでに、ブログ・カテゴリー「山歩記」に、書き留めているが、その際、「ちょこっと観光」も楽しんだのだった。
その一つは、「別府地獄めぐり」だった。
「別府地獄めぐり」も、旅行らしい旅行等、指折り数える程しかしていない老夫婦にとっては、貴重な旅の思い出の一つになっており、今となっては、あの時、思い切って行ってて、本当に良かったとつくづく思っているところだ。


古い写真から蘇る旅の思い出
「別府地獄めぐり」(再)

「九重山(平治岳・大船山)・坊ガツル 山行」からの帰途、ちょこっと別府を訪れた。湯けむりが、市内各所で見られる風景は、「NHKの21世紀に残したい日本の風景」で、富士山に次いで 第2位に選ばれているという別府、長年に渡り、一度は訪れてみたいと思っていた地だった。
わずか、6時間程度の滞在だったが、見どころ「別府地獄めぐり」観光をし、街中をちょこっと歩き、小さな旅を満喫したのだった。
別府の温泉は、人が入浴出来る温泉としては、湧出量が世界一なんだそうで、泉質の種類も多く 世界中に有る11種類の内、10種類が湧いているというから驚きである。
「別府八湯(べっぷはっとう)」と呼ばれる、八ヶ所の温泉郷を中心に、湧き出していると聞き 観光マップを見てみると、それらの温泉郷は、別府の市街地をぐるっと囲んでいる感じで、街全体が温泉の上に有るということが分かる。
「別府八湯」とは、「別府(べっぷ)温泉」「鉄輪(かんなわ)温泉」「観海寺(かんかいじ)温泉」「明礬(みょうばん)温泉」「亀川(かめがわ)温泉」「柴石(しばせき)温泉」「堀田(ほりた)温泉」「浜脇(はまわき)温泉」
各所に、観光客向けに大型ホテルも林立しているが、市内には、100ケ所を超える「共同浴場」が有って、ほとんどが、1回、100円で入浴出来るのだという。毎日、温泉につかっている市民も多そうで、温泉=日常の暮らしとは、うらやましい限りだ。

◯地獄めぐり
なにはともあれ、別府を訪れたからには、「地獄めぐり」・・・。
「地獄めぐり」には、別府駅東口から、1日、数便、発着している「観光バス」が便利・・と教えられていて、朝8時台発の便に間に合せたのだ。特に事前予約等不要で、乗り込んでから料金を支払ったと思う。
出発から帰着までの「観光バス地獄めぐり」の所要時間は、2時間30分~3時間、料金は、各地獄観覧料も含めて、大人 3,740円と割安だった。
添乗観光ガイドが、案内と説明をしてくれるので、別府を初めて訪れる者等にとっては、時間の節約にもなり、便利で有難い存在だと思われる。車内では、若い添乗観光ガイドが、ずっと受け継がれてきたという、好評の別府観光特有「七五調案内」を披露してくれる。

海地獄

鬼石坊主地獄

山地獄、かまど地獄、鬼山地獄、白池地獄、

血の池地獄

龍巻地獄

◯別府駅周辺
「地獄めぐり」を終えて、観光バスがJR別府駅に戻ってきたのが、11時30分頃。
予定の列車乗車時刻までの僅かな時間も、別府の街中を散策し、
一浴出来る施設でもあれば、一浴しようと決めていたものだが、
あいにく、雨が降り出してしまい断念、JR別府駅周辺のみをぶらつくに留めることに
なった。

別府駅前

観光バスの添乗ガイドが、「是非、どうぞ!」と勧めていた別府名物「とり天」とは?、
見れば、あっちもこっちも、「とり天」の看板、幟。
「とり天」は、鶏肉にころもをつけて揚げた料理で、大分県中央部の郷土料理なんだそうだ。
昼食は、旅人気分で、「とり天うどん」としたのだった。

 

 

街中のあちこちに有る手湯

 

鳩も 温泉を飲んでおり・・・



何しろ、時間に余裕のない、慌ただしい「九重山山歩き」の付録的「ちょこっと観光」、
初めて、せっかく、湯の町、別府を訪れながらも、ゆったりと温泉に浸かる時間もなく、
後ろ髪引かれながら、予定の列車に乗り込み、帰途についたのだった。

 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その1
「九重山」
👇️
こちら


 


古い写真から蘇る旅の思い出・「由布院街歩き」(再)

2024年03月26日 20時33分00秒 | 旅行記

気力も体力も減退してしまった老夫婦、旅行や山行等で遠出することがほとんど無くなり、最近は専ら、外付けHD内の古い写真を引っ張り出しては、懐かしがっているところだ。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだ等と自嘲しながら・・・。

9年前の2015年(平成27年)5月、まだまだ自営業を続けていた頃ではあったが、すでに、「その内いつか・・・」等と言ってられない歳になっており、強引に休みをとり、どうしても一度は訪れたかった九州の「九重山」を訪ねたことが有った。「九重山」については、すでに、ブログ・カテゴリー「山歩記」に、書き留めているが、その際、「ちょこっと観光」も楽しんだのだった。
その一つは、「由布院街歩き」だった。
「由布院街歩き」も、旅行らしい旅行等、指折り数える程しかしていない老夫婦にとっては、貴重な旅の思い出の一つになっており、今となっては、あの時、思い切って行ってて、本当に良かったとつくづく思っているところだ。


古い写真から蘇る旅の思い出
「由布院街歩き」(再)

旅行報誌等の「行きたい温泉地ランキング」で、常に上位にランクインされている由布院温泉(湯布院温泉)、若い頃から、一度は訪ねてみたいと思っていながら、仕事柄、時間的、経済的、精神的余裕が無く、なかなか実現出来なかったが、「その内いつか・・・」等と言ってられない歳になり、清水の舞台から飛び降りる思い?・・・・・で、訪れたのだった。とは言っても、主目的は、「九重山山歩き」で、「由布院」は、その前日午後に入り、1泊するのみの、「ちょこっと観光」ではあったが・・・。

案内書によると、由布院(湯布院)は、かっては、観光客向けの大型ホテルや歓楽街等が無い、鄙びた温泉地だったということだが、40数年程前から、地元旅館の若主人達が中心となって、独特の街造りを続けて、今日の観光地になっているのだそうだ。
際だった観光スポットや大型施設、きらびやかなイベント等が無いことを、プラスにして、女性が訪れたくなるような、情緒あふれる環境に整備したことが、正解だったとも言える。

「豊後富士」と称される「由布岳」の山麓に広がる温泉地、由布院(湯布院)。
温泉の湧出量は、全国3位、源泉は、852本、別府温泉に次いで、第2位、
一般家庭でも、温泉を利用している程 豊富な湯量を誇っているのだそうだ。

由布院 街歩きマップ

◯湯の坪街道・たけもと通り

情緒豊かな店構えが軒を連ねている。

◯由布見通り

辻馬車

由布岳(標高1,584m)

◯JR久大本線由布院駅

礼拝堂をイメージした黒塗りでシックな外観の木造駅舎、

高さ12m、吹き抜けとなっているロビー

改札口の無い、オープンな造り

◯宿泊先・温泉宿「山ぼうし」

JR由布院駅から徒歩7分、湯布院ICから車で7分、
湯の坪街道入口にある、家庭的な温泉宿だった。

男女、内風呂、露天風呂、有り、旅の疲れが癒される。

夕食は、地元食材を使った和食系料理、献立も多彩だった。

ところで、「由布院温泉」と「湯布院温泉」・・・、どちらが正しいの?

大分自動車道のインターチェンジ名は、「湯布院IC」、
JRの駅名は、「由布院駅」、
宿泊先温泉宿「山ぼうし」の住所は、「大分県由布市湯布院町由布見通り」、
ややこしや・・・・。
実は、昭和30年に、「由布院町」と「湯平町」が合併し、「湯布院」という地名になったそうだが、市名は、「由布市」。
旅行観光案内書等では、「由布院温泉」、「湯布院温泉」、まちまちの表示が
されているような気がしており、九州、初めての旅行者、戸惑ったものだった。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その1
「九重山」
👇️
こちら


 


古い写真から蘇る旅の思い出・「蘇州」その6・「寒山寺」(再)

2024年03月05日 10時27分23秒 | 旅行記

古い写真から蘇る旅の思い出
「蘇州」その6
「寒山寺」(再)


かれこれ18年前の2005年12月に、当時、次男が駐在していた中国江蘇省蘇州市(苏州市、スージョウ、スーチョウ、英語 Suzhou)を訪ねたことが有った。まだまだ自営業を続けていた頃でもあり、時間的、経済的に余裕も無かった頃だったが、「今、行くしか無い」、「今でしょ!」と、清水の舞台から飛び降りる思いで出掛けたものだったが、海外旅行等不慣れな老夫婦、ましてや、日本語で通じる添乗員付きのツアー旅行ならまだしも、中国語たるや、「ニーハオ」、「シェイシェイ」、「ハウチー」位しか知らない類で、航空券の手配、ホテルの手配等は日本の旅行会社にしてもらい(フリープラン)、次男には、上海浦東空港まで迎えに来てもらい、帰りには、空港まで送ってもらうまで、何から何まで次男を頼った旅だった。
ほんの数日間の中国滞在ではあったが、次男の案内で、乗り方も分からない鉄道、路線バス、タクシーで移動し、上海市や蘇州市の街中をそぞろ歩いたり、食堂や土産店に入ったり、駅の待合室で並んだり、一般の観光ツアー旅行では味わえない、貴重な体験が出来たものだった。
上海市のホテルに2泊、蘇州市のホテルに2泊したが、蘇州市では、お目当てだった蘇州の名所旧跡観光を、まる1日、やはり次男の案内で忙しく訪ね歩き、大満足の旅だった気がしている。訪ねた先々で撮った写真が残っており、記憶力無しの老脳ではあっても、そんな古い写真を見ると、あの時、あの場所が、昨日のように蘇ってくる。


「留園」「北寺塔」「拙政園」「観前街」「盤門三景」を巡った翌日は、上海に戻る日だったが、蘇州駅発上海行き、特急の発車時刻が 12時45分になったため、
ホテルをチェックアウト後、荷物を一時預かってもらい、
やはり、次男に付き添ってもらい、
午前中、蘇州観光一番のお目当てだった「寒山寺」を訪れることになった。
ホテルから、タクシーで、15分程度、
「寒山寺(ハンシャンスー)」には、9時30分頃、到着したようだ。
その日は、小雪が舞うような、寒さ厳しい朝だったが、
日曜日だったこともあり、門前には、すでに、参拝客、観光客等が、
かなり大勢いたような気がする。
当時の参観券は、20元(当時の円換算で、約300円)、

参観券売り場

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「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」 張継(ちょうけい)

月落ちて(つきおちて)烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天に満つ、
江楓(こうふう)の漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す。
姑蘇城外(こそじょうがい)の寒山寺(かんざんじ)、        
夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る。



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太い線香を手に 祈る参拝者。

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(参考・参照)
「寒山寺」
👇
こちら


「蘇州夜曲」 (YouTubeから共有)


「寒山寺」境内で、1時間程滞在したが、とにかく寒む過ぎ、
再び、タクシーで移動、
時間に余裕が有り、石路繁華街のマクドナルド店?で、ゆっくり休憩しようとしたが、
店内は、全く、暖房している様子無しで、出入り口ドアは、開けっ放し、
客は、分厚い防寒着着用のまま、
日本の店舗であれば、自動ドア、冷暖房完備が当たり前のところ、
当時の中国、それが当たり前で、平気で、はつらつとしており、ビックリだった。
わずか15分間程だったが、足下から冷え込んで、ゆっくりも出来ず・・・。

11時30分頃には、ホテルに戻り、預かってもらった手荷物を受け取り、
タクシーで、「蘇州駅」に向かった。
最初から、次男が、上海まで送ってくれることになっていて、
前日、上海行き特急列車の乗車券座席指定券3人分を予約しようとしたところ、
満席?、切符売り切れ?、という回答だったようで、不安になったものだったが、
なんと、当日の朝には、ちゃんと3人分の特急乗車券座席指定券が、
連番で入手出来ていた。
どうも、当時は、列車の切符も、ダフ屋?みたいな者が買い占めてしまい、
何割か増しで売るというルートが有ったらしく、
次男が、手配、交渉して、入手してくれたものだった。
実際に列車に乗車してみると、なんのことはない、
満席どころか、2~3割、空席が有り、
なるほど、それも中国・・・、と、へんに納得してしまったものだ。

「蘇州駅」

「蘇州駅~上海駅」
当時の一般座席指定料金は、15元(当時の円換算で、約225円)
当時の特急料金は、22元(当時の円換算で、約330円)
次男が、手配、交渉して、買い入れてくれたので、
実際、いくら支払ったのかは、不明だったが・・。

13時30分頃、「上海駅」に到着。


送ってくれた次男は、蘇州へとんぼ返りするため、
「上海駅」の切符売場で別れ、徒歩で数分のホテルへ直行。
無事にチェックインし、慌ただしい蘇州の旅が終わったのだった。

(おわり)


古い写真から蘇る旅の思い出・「蘇州」その5・「盤門三景・盤門景区」(再)

2024年03月03日 15時02分25秒 | 旅行記

古い写真から蘇る旅の思い出
「蘇州」その5
「盤門三景・盤門景区」(再)


かれこれ18年前の2005年12月に、当時、次男が駐在していた中国江蘇省蘇州市(苏州市、スージョウ、スーチョウ、英語 Suzhou)を訪ねたことが有った。まだまだ自営業を続けていた頃でもあり、時間的、経済的に余裕も無かった頃だったが、「今、行くしか無い」、「今でしょ!」と、清水の舞台から飛び降りる思いで出掛けたものだったが、海外旅行等不慣れな老夫婦、ましてや、日本語で通じる添乗員付きのツアー旅行ならまだしも、中国語たるや、「ニーハオ」、「シェイシェイ」、「ハウチー」位しか知らない類で、航空券の手配、ホテルの手配等は日本の旅行会社にしてもらい(フリープラン)、次男には、上海浦東空港まで迎えに来てもらい、帰りには、空港まで送ってもらうまで、何から何まで次男を頼った旅だった。
ほんの数日間の中国滞在ではあったが、次男の案内で、乗り方も分からない鉄道、路線バス、タクシーで移動し、上海市や蘇州市の街中をそぞろ歩いたり、食堂や土産店に入ったり、駅の待合室で並んだり、一般の観光ツアー旅行では味わえない、貴重な体験が出来たものだった。
上海市のホテルに2泊、蘇州市のホテルに2泊したが、蘇州市では、お目当てだった蘇州の名所旧跡観光を、まる1日、やはり次男の案内で忙しく訪ね歩き、大満足の旅だった気がしている。訪ねた先々で撮った写真が残っており、記憶力無しの老脳ではあっても、そんな古い写真を見ると、あの時、あの場所が、昨日のように蘇ってくる。


「観前街」から、タクシーで移動し、
15時30分頃、「瑞光塔」前に着いたようだ。

「瑞光塔」は、247年に孫権によって創建された普済禅寺の敷地に建てられた13層の塔だったが、現在の塔は、12世紀前半に八角七層の再建されたものなのだそうだ。
境内に入るには、入場料が必要で、さらに塔に登るには別途料金が必要だったようで、
時間的にも余裕が無くて、確か、入場せずに、外から覗き込んで、写真を撮っただけ
だったような気がする。

「瑞光塔」は、隣接する「盤門」「呉門橋」と共に、「盤門三景」「盤門景区(パンメン ジングウー、pán mén Jingqu)」と称され、ユネスコの世界遺産にも登録されている。
数多の中国の世界遺産の中にあって、
「盤門」は、「北で万里の雄大さを見、南で盤門の麗しさを見る」と言われる程、美しい蘇州の水陸城門遺跡。歴史は古く、三国志の呉の孫権とも係る「瑞光塔」や「呉門橋」等、蘇州らしい風景が集約された場所で、古城遺跡公園として整備保存されている。

「盤門(パンメン、盘门、pán mén)」は、紀元前508年、呉国が蘇州に築城した際に作った、水門8門のひとつで、元代の1351年に再建されたもの。外城河に囲まれた蘇州城に唯一残っている城門のこと。
運河と城壁を組み合わせた造りで、陸の城門と運河の水門が並んでいる。敵に対する砦であり、船が往来する交通路でもあったことが分かる、城壁の周囲には砲台も置かれているというが、見掛け無かったのか、気が付かなかったのか・・・。

「呉門橋」は、盤門口に有り、一つの穴を持つアーチ橋。蘇州市内では最も高く、傾斜がきつい橋で、下を船が通れるようになっている。北宋時代の1084年に建造され、当時は「新橋」と呼ばれていたが、北宋時代の最後に壊され、南宋時代に復旧された際、「呉門橋」と名付けられたのだそうだ。現在の橋は清の同治年間に復旧されたもので、蘇州市内に残る石橋の中では最も古いものと言われている。


(参考・参照)
「盤門三景・盤門景区」
👇
こちら


ここでも、観光客目当ての露店がちらほら有ったが、それほど執っこい売り込みも無く、浮浪者風の男が寄ってきてお金をせびられたが、次男が体よく断り、まとわりつかれることも無かったような気がする。雨が降りそうな天候と、季節柄、観光客、行楽客は少なく、閑散としており、むしろ予想外の寂しい、わびしい風景だった。
(つづく)


古い写真から蘇る旅の思い出・「蘇州」その4・「観前街」(再)

2024年03月01日 08時30分25秒 | 旅行記

古い写真から蘇る旅の思い出
「蘇州」その4
「観前街」(再)


かれこれ18年前の2005年12月に、当時、次男が駐在していた中国江蘇省蘇州市(苏州市、スージョウ、スーチョウ、英語 Suzhou)を訪ねたことが有った。まだまだ自営業を続けていた頃でもあり、時間的、経済的に余裕も無かった頃だったが、「今、行くしか無い」、「今でしょ!」と、清水の舞台から飛び降りる思いで出掛けたものだったが、海外旅行等不慣れな老夫婦、ましてや、日本語で通じる添乗員付きのツアー旅行ならまだしも、中国語たるや、「ニーハオ」、「シェイシェイ」、「ハウチー」位しか知らない類で、航空券の手配、ホテルの手配等は日本の旅行会社にしてもらい(フリープラン)、次男には、上海浦東空港まで迎えに来てもらい、帰りには、空港まで送ってもらうまで、何から何まで次男を頼った旅だった。
ほんの数日間の中国滞在ではあったが、次男の案内で、乗り方も分からない鉄道、路線バス、タクシーで移動し、上海市や蘇州市の街中をそぞろ歩いたり、食堂や土産店に入ったり、駅の待合室で並んだり、一般の観光ツアー旅行では味わえない、貴重な体験が出来たものだった。
上海市のホテルに2泊、蘇州市のホテルに2泊したが、蘇州市では、お目当てだった蘇州の名所旧跡観光を、まる1日、やはり次男の案内で忙しく訪ね歩き、大満足の旅だった気がしている。訪ねた先々で撮った写真が残っており、記憶力無しの老脳ではあっても、そんな古い写真を見ると、あの時、あの場所が、昨日のように蘇ってくる。


13時頃、鉄道の「蘇州駅」にほど近い、蘇州の代表的な商業地区、「観前街(观前街、グアンンチェンジエ)」に到着。小雨がパラつく天候になったが、傘を差す程でもなく、大変な人混みの中に突入。
「観前街」という地名は、街の東側中央部には、「玄妙観」という道教寺院が有り、道教寺院のことを「道観」と言うようで、「観前街」の「観」は、「見る」の意味では無く「寺院の建物」の意味、つまり「道教寺院の門前町」という意味合いなのだそうだ。
清時代からの歴史有る飲食店等、老舗が立ち並んでいるメインストリートは、全長約800mm程で、歩行者天国になっており、年中賑わっているという。
「玄妙観」は、西晋時代の西暦276年に建立された中国最大の道教寺院で、つては呉国王闔閭の宮殿だったとも言われているが、現在の「玄妙観」は、1999年に南宋時代に作られたものをベースにして大規模修復されたものだそうだ。

「観前街」の入口?
日本で言えば、浅草浅草寺の雷門という感じなのだろう。

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中国人はよく喋る?、音声のキーが高い?というか、街全体が、まるで野球場の応援のような 騒々しさ?、良く言えば「活気が有る」?、悪く言えば「うるさい」?
しかも、おのぼりさん?、観光客?とみられると、
前から後ろから、右から左から、
押し売り、客引きが、次々と執っこく纏わりついてきて、
「ブー、ヨー」、「ブー、ヨー」
追い払うのに忙しく、
ゆったりと歩いていられない感じだった気がする。

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「日本式料理」?
なんとなく安心感有り、ここで遅い昼食としたが、
「食」にまったく拘りを持たない我が家流、
結局、なんの変哲もない、ラーメンを食べて・・・、

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「玄妙観」

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書店に入り、記念に、中国の年賀状?(立派過ぎ)を、買ったような気がするが、
あの年賀状、どうしたかな?、記憶が無い。
「観前街」には、結局、2時間程、滞在したようで、
15時頃、次男が、タクシーをつかまえ、「瑞光塔」へ、向かった。
(つづく)


古い写真から蘇る旅の思い出 ・「蘇州」その3・ 「拙政園」(再)

2024年02月29日 10時35分44秒 | 旅行記

古い写真から蘇る旅の思い出
「蘇州」その3
「拙政園」(再)


かれこれ18年前の2005年12月に、当時、次男が駐在していた中国江蘇省蘇州市(苏州市、スージョウ、スーチョウ、英語 Suzhou)を訪ねたことが有った。まだまだ自営業を続けていた頃でもあり、時間的、経済的に余裕も無かった頃だったが、「今、行くしか無い」、「今でしょ!」と、清水の舞台から飛び降りる思いで出掛けたものだったが、海外旅行等不慣れな老夫婦、ましてや、日本語で通じる添乗員付きのツアー旅行ならまだしも、中国語たるや、「ニーハオ」、「シェイシェイ」、「ハウチー」位しか知らない類で、航空券の手配、ホテルの手配等は日本の旅行会社にしてもらい(フリープラン)、次男には、上海浦東空港まで迎えに来てもらい、帰りには、空港まで送ってもらうまで、何から何まで次男を頼った旅だった。
ほんの数日間の中国滞在ではあったが、次男の案内で、乗り方も分からない鉄道、路線バス、タクシーで移動し、上海市や蘇州市の街中をそぞろ歩いたり、食堂や土産店に入ったり、駅の待合室で並んだり、一般の観光ツアー旅行では味わえない、貴重な体験が出来たものだった。
上海市のホテルに2泊、蘇州市のホテルに2泊したが、蘇州市では、お目当てだった蘇州の名所旧跡観光を、まる1日、やはり次男の案内で忙しく訪ね歩き、大満足の旅だった気がしている。訪ねた先々で撮った写真が残っており、記憶力無しの老脳ではあっても、そんな古い写真を見ると、あの時、あの場所が、昨日のように蘇ってくる。


10時30分頃、「拙政園」の着き、入園した。
当時の門票(入園料)は50元(当時の円換算で、約750円)、

「拙政園(せっせいえん、zhuō zhèng yuán、ジュオ ジォン ユェン)」は、明の時代につくられた庭園で、園名の由来は、西晋の潘岳による「閑居賦」の一節「拙者之為政」(愚かな者が政治をつかさどる)から取ったものなのだそうだ。「中国四大庭園」の一つとされていて、面積 約4万平方メートル、蘇州では、一番広い庭園で、「東園」、「中園」、「西園」の三つの景観からなっている。敷地の半分以上が、池や堀、水がテーマになっている。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている「蘇州古典庭園」のひとつ。
蘇州の庭園作りの方法の一つに、外にあるものを庭園に取り込む「借景」という手法があるが、「中園」を入ってすぐのところから、「北寺塔」を借景とする風景があり、一番のお勧めポイント。


(参考・参照)
「拙政園」
👇
こちら


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「拙政園」園内を、約1時間、逍遥した後、
タクシーで、「観前街」に向かったが、
たまたま、運転手は女性で、男性運転手顔負けの乱暴な運転でビックリ、
急な車線変更、割り込み、対向車線はみ出し追い越しも、平気の平左、
ハラハラ、ドキドキ、約20分間、降車するまで、緊張の連続だった気がする。
日本では、考えられないことで、
運転マナーも、交通ルールも有ったものでなく、
プロの運転手、そんな運転、当たり前だと聞き、
さすが中国?・・、と、つくづく恐れ入ったものだった。

(つづく)


古い写真から蘇る旅の思い出・「蘇州」その2・「北寺塔、旧市街」(再)

2024年02月27日 08時26分29秒 | 旅行記

古い写真から蘇る旅の思い出
「蘇州」その2
「北寺塔、旧市街」(再)


かれこれ18年前の2005年12月に、当時、次男が駐在していた中国江蘇省蘇州市(苏州市、スージョウ、スーチョウ、英語 Suzhou)を訪ねたことが有った。まだまだ自営業を続けていた頃でもあり、時間的、経済的に余裕も無かった頃だったが、「今、行くしか無い」、「今でしょ!」と、清水の舞台から飛び降りる思いで出掛けたものだったが、海外旅行等不慣れな老夫婦、ましてや、日本語で通じる添乗員付きのツアー旅行ならまだしも、中国語たるや、「ニーハオ」、「シェイシェイ」、「ハウチー」位しか知らない類で、航空券の手配、ホテルの手配等は日本の旅行会社にしてもらい(フリープラン)、次男には、上海浦東空港まで迎えに来てもらい、帰りには、空港まで送ってもらうまで、何から何まで次男を頼った旅だった。
ほんの数日間の中国滞在ではあったが、次男の案内で、乗り方も分からない鉄道、路線バス、タクシーで移動し、上海市や蘇州市の街中をそぞろ歩いたり、食堂や土産店に入ったり、駅の待合室で並んだり、一般の観光ツアー旅行では味わえない、貴重な体験が出来たものだった。
上海市のホテルに2泊、蘇州市のホテルに2泊したが、蘇州市では、お目当てだった蘇州市の名所旧跡観光を、まる1日、やはり次男の案内で忙しく訪ね歩き、大満足の旅だった気がしている。訪ねた先々で撮った写真が残っており、記憶力無しの老脳ではあっても、そんな古い写真を見ると、あの時、あの場所が、昨日のように蘇ってくる。


「留園」から、タクシーで約15分、
10時45分頃、「北寺塔(ベイスーター)」に到着したが、
「北寺塔」門前には、「修復工事中」の表示有り、残念なから入園出来ず、
門前で、証拠写真?、カシャ!

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「北寺塔」は、庭園が集まる蘇州の「旧市街」の北に位置に有る「報恩寺」の境内に建つ仏塔のことで、蘇州でもっとも古い史跡の一つなのだという。
三国時代、西暦250年前後に、呉の王が母のために建てたとされているが、現存の塔は、その後、南宋時代に修復されたもの。塔の高さは、76m、八角形で、蘇州駅や拙政園などからも見え、蘇州の最古のランドマークとも呼ばれているのだそうだ。塔の内部に入ることも可能で、最上部からは蘇州の街全体を見渡すことが出来るという。


(参考・参照)
「北寺塔」
👇
こちら


「北寺塔」を断念し、次に訪れる「拙政園」に向かおうとして、バス停へ。
どうも、時間的に、都合の良いバス便が無かったことと、
歩いて行ける距離だというので、「旧市街」を歩くことにした。

「北寺塔」バス停

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蘇州の「旧市街」の街並み、
街路樹の鈴懸(プラタナス)が、印象的だった。
「根本が白いのは、何?」
毎年冬季間、寒さから守るため、また、防虫対策として、
地面から1m位まで、石灰?が塗られることになっているそうで、納得。

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商店街

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八百屋

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本屋

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居酒屋?

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食堂?

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「旧市街」の通りをぶらつくような観光客等はいないだろうな等と話しながら・・・。

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蘇州の「旧市街」は、「東洋のベニス」と呼ばれている程で、
いたる所に、古い水路や運河が見られる。

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遊覧船乗り場?

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30分程歩いて、「拙政園」入口方面への道路に着いたが、
工事中で道路は通行止めになっており、
「拙政園」へは、さらに、グルっと半周しなければならないことが分かった。
移動時間節約のため、
次男は、すかさずタクシーをつかまえ、「拙政園」入口へ向かった。

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


古い写真から蘇る旅の思い出・「蘇州」その1・「留園」(再)

2024年02月26日 10時14分46秒 | 旅行記

「gooブログ」に引っ越してくる前、
「OCNブログ人」で初めてブログを始めて間のない頃に、
一度書き込んでいた記事を、今更になって、
順次、コピペ、リメイク(再編集)することにしている。


古い写真から蘇る旅の思い出
「蘇州」その1
「留園」(再)

かれこれ18年前の2005年12月に、当時、次男が駐在していた中国江蘇省蘇州市(苏州市、スージョウ、スーチョウ、英語 Suzhou)を訪ねたことが有った。まだまだ自営業を続けていた頃でもあり、時間的、経済的に余裕も無かった頃だったが、「今、行くしか無い」、「今でしょ!」と、清水の舞台から飛び降りる思いで出掛けたものだったが、海外旅行等不慣れな老夫婦、ましてや、日本語で通じる添乗員付きのツアー旅行ならまだしも、中国語たるや、「ニーハオ」、「シェイシェイ」、「ハウチー」位しか知らない類で、航空券の手配、ホテルの手配等は日本の旅行会社にしてもらい、次男には、上海浦東空港まで迎えに来てもらい、帰りには、空港まで送ってもらうまで、何から何まで次男を頼った旅だった。
ほんの数日間の中国滞在ではあったが、次男の案内で、乗り方も分からない鉄道、路線バス、タクシーで移動し、上海市や蘇州市の街中をそぞろ歩いたり、食堂や土産店に入ったり、駅の待合室で並んだり、一般の観光ツアー旅行では味わえない、貴重な体験が出来たものだった。
上海市のホテルに2泊、蘇州市のホテルに、2泊したが、蘇州市では、お目当てだった蘇州市観光を、まる1日、やはり次男の案内で忙しく訪ね歩き、大満足の旅だった気がしている。訪ねた先々で撮った写真が残っており、記憶力無しの老脳ではあっても、そんな古い写真を見ると、あの時、あの場所が、昨日のように蘇ってくる。

蘇州で、まず最初に訪れたのは、ユネスコの世界遺産に登録されている「蘇州古典園林」の一つ、「留園(リイウユエン、リユウユアン)」だった。清代の個人庭園の傑作と評され、「中国四大庭園」の一つに数えられている庭園だ。
当時の門票(入場料)は、30元(当時、約450円)。

蘇州市は、上海の西側に位置し、江蘇省東南部に位置する人口約1000万人の都市。北に、長江が流れ、北京と杭州を結ぶ京杭大運河が通るなど古くから運河を利用した水運が生活に用いられ「東洋のヴェニス」とも称され、その地の利から古くから経済の中心地として栄えてきた。
紀元前に、城壁が築かれ都となり、すでに2500年の歴史を持っており、現在はどう変わっているか不明だが、当時はまだ、「旧市街」には、新しいビルなどはほとんど無く、一方、「新市街」には、近代的なビルや高層住宅などが立ち並び、開発途上、「新」と「旧」が共存している都市というイメージだった気がする。

 

「留園」の園内風景

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「留園」のハイライトの一つ。まっすぐに天に向かって伸びる太湖石「冠雪峰」。
高さ6.5m1枚岩で、その姿は迫力がありながら、エレガントな佇まいでもある。

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庭園内には、さまざまな趣向を凝らした美しい建物が有り、
その内部には、繊細な装飾や重厚感のある調度品が設えられている。

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まずは世界遺産の庭園「留園」を見学

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当時、中国のトイレには、間仕切りが全く無い「ニイハオトイレ?」が有ると聞かされていて、「ニイハオトイレだったらどうしよう」とビクビクしていた気がするが、さすがに世界遺産の園内の公衆トイレは、最新式の水洗トイレに改装されていた。本物か偽物かは不明だったが、確か、「ToTo」の文字が見えたような気がする。
出てきてから、思わず、「水洗トイレだったよ」と、声を上げた記憶がある。
「留園」の園内を1時間程で巡って後、移動時間節約、タクシーで、「北寺塔(ベイスーター)」へ向かった。


(参考・参照)
「蘇州市公式観光サイト」
👇
こちら


(つづく)


そうか、もう10年前だったか・・・・、

2023年03月17日 17時39分27秒 | 旅行記

気力も、体力も 減退し、旅行、山行等、遠出することが少なくなっている老夫婦、最近は、もっぱら外付けHD内の古い写真を引っ張り出しては懐かしがっているところだが、季節は、春、花の季節、ふっと、山梨県富士河口湖町本栖の「富士芝桜まつり」を訪れた時の写真が目に止まった。やたら、コンデジで撮った拙劣写真は、以前、「デジブック」にしていたものだが、「デジブック」が廃止となってからは、お蔵入になっており、改めて引っ張り出して、「ZUISO」にしてみた。
「富士芝桜まつり」も、旅行らしい旅行等、指折り数える程しかしていない老夫婦にとっては、貴重な旅の思い出の一つ。今となっては、あの時、思い立って行ってて、本当に良かったとつくづく思っているところだ。
そうか、もう、もう10年前だったか・・・、


古い写真から蘇る旅の思い出
「富士芝桜まつり」

10年前の2013年5月12日、
前日に、かなりまとまった雨が降り、未明まで雨模様だったため、やむなく、予定していた畑仕事を中止し、さて、どうするか?、それでは・・、ということで、車で1時間半程で行ける、「富士芝桜まつり」を訪れることにしたのだった。たまたま、ネットで、「5月11日、12日は、朝6時開園」という情報を見て、その日、早朝に出発、会場に6時頃到着したようだ。
前日から朝方まで悪天候だったせいだったのか、車の量は極めて少なく、中央高速道下り線は、スイスイ、予定通りに会場に到着出来、しかも、幸運にも、会場に到着する直前から、雨、霧がサーッと上がり、青空が広がりだし、富士山が見え始め、最高のシチュエーションとなった。
すでに、大駐車場の2割程が来場者の車で埋まっており、あとからあとから切れ目なく到着する車で、どんどん埋まっていく様子に、すごーい!と思いながら、車中、コンビニのおにぎりで朝食。さすが、この時期の人気スポットと 頷いたものだ。
早速入場、広々と、ゆったりした園内、富士山と芝桜のコラボが見事で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮った写真は、以前、「デジブック」にしていたが、「デジブック」が、すでに廃止されており、今回、改めて、外付けHDから古い写真を引っ張り出して、「ZUISO」にしてみた。

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古い写真から蘇る旅の思い出
「富士芝桜まつり」
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古い写真から蘇る旅の思い出「春は名のみの越中五箇山相倉」

2023年02月28日 17時11分59秒 | 旅行記

今から13年前、2010年4月15日に、旅行会社の格安バスツアーで、「五箇山相倉合掌造り集落」を訪れたことが有った。気力的にも体力的にも、「その内いつか・・・」等と言ってられない歳になり、「今でしょ!」とばかり、思い立ってツアーに参加申し込みし、出掛けたものだった。格安バスツアーならでは強行スケジュールで疲れ果てた旅行ではあったが、夫婦で旅行・・等、指折り数える程しかない類にとっては、大満足、貴重で、記憶に残る旅行だったと思っている。
コンデジでやたら撮った写真は、以前、「デジブック」にしていたが、「デジブック」は、すでに廃止になっており、今回、改めて、外付けHDから古い写真を引っ張り出して、ZUISOにしてみた。今となっては、あの時、思い切って行ってて、本当に良かったと思っている。

五箇山(ごかやま)相倉(あいのくら)合掌造り集落は、富山県南砺市に有り、1995年に、菅沼集落、白川郷萩町集落等と共に、ユネスコの世界文化遺産に登録され、国指定史跡にもなっている。                                

訪れたのは4月中旬だったが、まだまだ残雪が有り、小雪が舞っており、周辺の山は雪山、春は名のみの厳しい寒さだったが、その厳しい寒さの中、外国人観光客が予想外に多かったことを覚えている。ユネスコの世界文化遺産に登録されたこともあって、日本の文化や歴史、風俗等に関心を持つ外国人にも人気が有るのだろう。
北陸の山村育ちの人間には、どこか懐かしく、故郷に帰ったような思いがしたものだったが・・・。                                      

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「春は名のみの越中五箇山相倉」
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