たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「A列車で行こう(Take the 'A’ Train)」(再)

2025年01月04日 15時08分45秒 | 懐かしいあの曲

■メモ■
2025年1月2日(木)午前5時27分頃、
NTTドコモのシステムに対するサイバー攻撃によって発生した
システム障害で、
gooブログも、「繋がらない」「開けない」事態となり、
一部では、翌日1月3日に、復旧していたようだが
今日、1月4日(土)午前10時頃になって、
ようやく復旧したことがわかり、
やれ、やれ、


gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。
「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ
古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。

そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、
「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしている。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に
決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、
大いに活用しているという次第。

8年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「A列車で行こう」
アクセスが有ったことに、、先日気が付いた。

「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


正月もさして変わらぬ老夫婦、
あっという間に3ヶ日も過ぎ、
1月4日
「キョウヨウ無し」「キョウヨウ無し」の爺さん、
ネタも無し、
久し振りに、ジャズを聴きたい気分になり、
いつ頃、手に入れたのかの記憶も無い、
CD、「Duke Elington」を、引っ張り出して聴いているところだ。


「A列車で行こう」、「黒と茶の幻想」、「サマー・タイム」、「ザ・ムーチ」、「キャラバン」、「クリオール・ラヴ・コール」、「ディープ・パープル」、「言い出しかねて」、「ムード・インディゴ」、「C・ジャム・ブルース」、「ガット・イット・バット」、「イン・ア・センチメンタル・ムード」、「スウイングしなけりゃ意味がない」、「インディアン・サマー」

その中の「A列車で行こう」を、YouTubeから共有させていただくことにした。

今更になってネットで調べてみると
「A列車で行こう(Take the 'A’ Train)」は、1941年(昭和16年)2月に、デューク・エリントン楽団(Duke Ellington)演奏のレコードが発売され大ヒットした曲であり、デューク・エリントン楽団のバンド・テーマ曲にもなっていたという曲だが、それを知ったのは、随分後年になってからだった気がする。
初めてこの曲を聞いて知ったのは、昭和40年頃だったと思う。
それは、コーラスグループ、デューク・エイセスが歌っていた「A列車で行こう」だった。
デューク・エーセスは、1964年(昭和39年)のNHK紅白歌合戦で、「A列車で行こう」を歌い、翌年にレコード発売したようで、当時、ラジオ等からもよく流れていたような気がする。親しみ易い軽快な曲で、世界中の歌手や楽団にカバーされているが、後年になって、なんと美空ひばりも歌っていたことを知ったものだった。
「(ジャズを楽しめる)ハーレムに行くなら、速く行ける、'A'看板の電車('A' Train=8番街急行)に お乗りなさい」という意味合いの曲なのだそうだ。

デューク・エリントンの「A列車で行こう」 (YouTubeから共有)


デューク・エイセスの「A列車で行こう」 (YouTubeから共有)


美空ひばりの「A列車で行こう」 (YouTubeから共有)


振り返り記事
「ブラボー!、81歳!、A列車で行こう!」
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冬になると聴きたくなる曲・その4

2024年12月28日 09時31分30秒 | 懐かしいあの曲

毎年、冬になると、なんとなく思い浮かんでくる、子供の頃や若い頃、聴いたり歌ったりしていた懐かしい曲が、いくつかあり、これまでも、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、繰り返し繰り返し、書き留めてきたが、童謡・唱歌「冬景色」も、その一つである。
今年もまた・・・・。

今からおよそ21年程前にもなる、2004年1月18日に、撮っていた当地の雪景色の写真10数枚が残っている。その日、当地としては珍しく積雪があったようで、「犬は、喜び、庭駆け回る・・・」ではないが、多分、北陸の山村育ちの爺さん、雪景色に浮かれて?、歩き回り、カシャ、カシャ、撮ったんだと思う。

その後も、何度か降雪、積雪したはずだか、雪景色の写真が、さっとは見当たらない。
北国では当たり前の雪景色ではあるが、何年かに数回、降雪、積雪するかどうかの当地、
写真を撮りたくもなる。
こんな写真を見ると、思い浮かんでくる曲が、童謡、唱歌の「冬景色」である。
小学校だか中学校で習ったような気もする「冬景色」。
最近の音楽、知らず分からず覚えられずの爺さんにもかかわらず、1番だけではあるが、未だにソラで歌えるから不思議なことだと思う。
今更になってネットで調べてみると
「冬景色」は、1913年(大正2年)発行の「尋常小学唱歌第五学年用」の掲載された文部省唱歌だった。4分の3拍子の曲で、歌詞は、冬の初めの頃の、1番、水辺の朝、2番、田圃の昼、3番、里の夕方を描写したものだが、作詞、作曲 共 不詳なのだそうだ。
2007年(平成19年)には、「日本の歌百選」に選ばれている。

「冬景色」
作詞・作曲 不詳、文部省唱歌

さ霧消ゆる 湊江(みなとえ)の
舟に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして
いまだ覚めず 岸の家

烏(からす)啼(な)きて 木に高く
人は畑(はた)に 麦を踏む
げに小春日(こはるび)の のどけしや
かへり咲(ざき)の 花も見ゆ

嵐吹きて 雲は落ち
時雨(しぐれ)降りて 日は暮れぬ
若(も)し灯火(ともしび)の 漏れ来(こ)ずば
それと分かじ 野辺(のべ)の里

「冬景色」・ひまわり   (YouTubeから共有)

「冬景色」・ 宗次郎   (YouTubeから共有)

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懐かしい映画と映画音楽・その85

2024年12月22日 18時11分17秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと
同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「メロディ・フェア」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイク、「懐かしい映画と映画音楽」に、加えることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その85
映画「小さな恋のメロディ」と主題曲「メロディ・フェア」


今更になってネットで調べてみると、
「メロディ・フェア(Merody Fair)」は、1971年(昭和46年)に、ワリス・フセイン監督、マーク・レスター、トレイシー・ハイド主演で、製作、公開された、イギリス映画「小さな恋のメロディ(原題 Melody)」の主題曲だった。

映画を実際に観たのは、ずいぶん後年になって、テレビの映画番組かなにかだったような気がするが、ストーリー等、まるで覚えていない。
ただ、主題曲「メロディ・フェア(Merody Fair)」の方は、当時、ラジオ等からよく流れていて、耳の馴染み、脳裏に焼き付いていて、聴けば懐かしくなる。
映画では、ビー・ジーズ(The Bee Gees)が歌った主題曲「メロディ・フェア(Melody Fair)」が、全編に流れていたようだ。
「メロディ」とは、この映画のヒロインの名前だった。

(ネットから拝借画像)

ビー・ジーズの「メロディ・フェア」 (YouTubeから共有)

宗次郎のオカリナ演奏の「メロディ・フェア」 (YouTubeから共有)

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懐かしい映画と映画音楽・その84

2024年12月20日 09時00分28秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代から40年代頃は、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年に、「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中には、特に懐かしく思うような映画音楽がかなり有る。その中から、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、「懐かしい映画と映画音楽」に、書き加えることにした。


懐かしい映画と映画音楽・その84
映画「黄色いリボン」と主題曲「黄色いリボン」(再)

映画が一番の娯楽だった時代、昭和20年代~40年代の一時期、西部劇映画ブームが有った。地方の映画館でも次々上映され、結構、映画館に出掛けていたような気がする。
映画の題名、ストーリー、出演者等、すでに記憶曖昧になってしまっているものが多いが、ジョン・フォード監督、ジョン・ウエイン主演の映画の主なものは、ほとんど観ていて、男も惚れ惚れするようなジョン・ウエインのかっこ良さや、映画の中で流れていた主題曲等は、脳裏に焼き付いており、懐かしく思い出される。
「黄色いリボン」も、そのひとつである。


今更になってネットで調べてみると
「黄色いリボン(She Wore a Yellow Ribbon)」は、1949年(昭和24年)に、監督 ジョン・フォード出演 ジョン・ウエイン、ジョアン・ドルー、ベン・ジョンソン等で、製作、公開された、退役を目前にした、年老いた騎兵隊長の最後の6日間を描いた、アメリカの西部劇映画だった。
日本でも、1951年(昭和26年)に公開されたようだが、当然、公開当時に観ているはずはなく、後年になってから、地方のリバイバル映画館で観たのだと思う。
「黄色いリボン」は、ジョン・フォード監督の数多の西部劇映画の中で、「アパッチ砦」、「リオ・グランデの砦」と共に、「騎兵隊三部作」のひとつと評された映画で、アカデミー撮影賞を受賞している。
ミッチ・ミラー合唱団歌う、主題曲「黄色いリボン」は、後年もずっと、レコード等で聴いており、聴く毎に、若かりし当時のことまで蘇ってくる気がしている。

(ネットから拝借画像)


「黄色いリボン(She Wore a Yellow Ribbon)」 (YouTubeから共有)
 

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冬になると聴きたくなる曲・その3

2024年12月19日 09時39分14秒 | 懐かしいあの曲

「冬になると・・・」というよりは、
「初冬、初雪の便りが届く頃になると なんとなく思い浮かんでくる曲」として、
これまでも、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、何度か書き留めている曲に
フォー・セインツ「小さな日記」がある。
カレッジ・フォークソングであり、特に、「冬」に因んだ曲ではないが、
3番の歌詞に
「山に初雪降る頃に・・・、帰らぬ人となった彼・・・・・♫」
があり、全体の曲調からして、若い頃から、初冬のイメージを持ってしまい
晩秋、初冬の頃になると、思い浮かぶようになっているのだ。

(ネットから拝借画像)

作詞 原田晴子、作曲 落合和徳、
唄 フォー・セインツ
「小さな日記」

1 小さな日記に綴られた
  小さな過去のことでした
  私と彼との過去でした
  忘れたはずの恋でした

2 ちょっぴりすねて横向いて
  黙ったままでいつまでも
  やがては笑って仲直り
  そんなかわいい恋でした

3 山に初雪降る頃に
  帰らぬ人となった彼
  二度と笑わぬ彼の顔
  二度と聞こえぬ彼の声

4 小さな日記に綴られた
  小さな過去のことでした
  二度と返らぬ恋でした
  忘れたはずの恋でした


振り返り記事
「小さな日記」
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スチールギター演奏の「小さな日記 」  (YouTubeから共有)

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冬になると聴きたくなる曲・その2

2024年12月18日 14時36分23秒 | 懐かしいあの曲

「冬になると・・・」というより、
「師走の中旬頃になると、なんとなく思い浮かんでくる、懐かしい曲」等として、
これまでも、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、
毎年のように、繰り返し繰り返し、書き留めてきた曲のひとつに、
ビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」が有る。
今年もまた・・・、

(ネットから拝借画像)


振り返り記事
「ホワイト・クリスマス(White Christmas)」
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カーペンターズ(Carpenters)の「ホワイト・クリスマス」  (YouTubeから共有)
 

スチールギター演奏の「ホワイト・クリスマス」   (YouTubeから共有)

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冬になると聴きたくなる曲・その1

2024年12月17日 17時04分52秒 | 懐かしいあの曲

多分、最近になってからのことだと思われるが、
gooブログの「編集トップ」に、「今日のひとこと」なるコーナーが設けられ、
コメントを受け付けていることを知った。
時々、興味関心の有るテーマには、目を止めているが、
今日のテーマは、「冬に聴きたい曲は?」だった。

「冬になると、なんとなく思い浮かんでくる、懐かしい曲」等として、
これまでも、「ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、
子供の頃や若い頃、聴いていた懐かしい曲を、やたらと書き留めてきたが、
そのひとつに、高英男、ダーク・ダックスの「雪の降る町を」がある。
今年も、また・・・、


振り返り記事
「雪の降る町を」(再)
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ダーク・ダックス の 「雪の降る町を」 (YouTubeから共有)

スチール ギター 演奏 の 「雪の降る街を」 (YouTubeから共有)

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懐かし映画と映画音楽・その83

2024年11月21日 09時43分45秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと
同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その83
映画「麗しのサブリナ」と挿入曲「ラ・ヴィ・アン・ローズ」(再)

オードリー・ヘプバーン出演の映画やその主題曲が次々と思い出され、何度もブログに書き込んできた気がするが、映画「麗しのサブリナ」と挿入曲「ラ・ヴィ・アン・ローズ」もそのひとつだ。
改めて、以前の記事をコピペ、リメイクし、「懐かしい映画と映画音楽」のひとつに加えることにした。

今更になってネットで調べてみると
映画「麗しのサブリナ(Sabrina)」は、1954年(昭和29年)に、ビリー・ワイルダー監督、オードリー・ヘプバーンハンフリー・ボガードウイリアム・ホールデン主演で製作、公開されたアメリカのロマンチックコメディー映画だった。
映画「ローマの休日」に続く、オードリー・ヘプバーンの大ヒット作品だが、この映画も、公開当時に、映画館で観ているはずは無く、かなり後年になってから、リバイバル映画館で観たか、テレビの映画番組で観たかしたもので、何回も観ている気がする。
随所に、メロディーの美しい音楽が流れていたが、それが、シャンソン歌手エディット・ピアフが、1946年に歌ってヒットした、「La Vie En Rose(ラ・ヴィ・アン・ローズ)」(バラ色の人生)のオーケストラ版であることを知ったのは、随分後年のことだった。
映画も記憶に残る一つであるが、主題歌として使われていた「バラ色の人生(La Vie En Rose)」も、お気に入り曲の一つになっている。

(ネットから拝借画像)

映画「麗しのサブリナ(Sabrina)」と「ラ・ヴィ・アン・ローズ (la vie en rose)」
(YouTubeから共有) 

エディット・ピアフの「バラ色の人生(La Vie En Rose)」 (YouTubeから共有)

ルイ・アームストロングの「バラ色の人生(La Vie En Rose)」 (YouTubeから共有)

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「シング・シング・シング(Sing Sing Sing)」

2024年11月13日 22時03分09秒 | 懐かしいあの曲

(6年前の2018年11月、東京都 御岳渓谷を訪ねた時に撮っていたモミジ)

「秋の日は釣瓶落とし」
当地、今日の日の入時刻は、16時37分頃、
ますます、日暮れが早くなり、
秋の夜長が感じられる今日この頃である。
夕食までの手持ち無沙汰な時間、
毎度のこと、若い頃聴いていた懐かしい曲ばかりを、
YouTubeで聴いているところだが、
今日は、その中の1曲、
ブラボーな演奏、「シング・シング・シング(Sing Sing Sing)」を、
共有させていただくことにした。
  「ジャズ聴いて爺もスイング秋の宵」

「シング・シング・シング」・鈴木章治とリズムエース (YouTubeから共有)

「シング・シング・シング」  (YouTubeから共有)

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懐かしい映画と映画音楽・その82

2024年11月08日 20時49分36秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと
同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、4年前に、ブログ・カテゴリー「暮らしの記録」に書き留めていた記事、「翼よ!あれが巴里の灯だ」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その82
映画「翼よ!あれが巴里の灯だ」と挿入曲(再)

4年前、2020年6月18日のこと、
「録画してある映画でも 観る?」
夕方になって、手持ち無沙汰な時間、
テレビ奉行の妻から、声が掛かった。
その日は、「キョウヨウ無し」「キョウイク無し」の1日だったようで、
たまには、映画鑑賞も良かろう、となったのだと思う。
映画は、「翼よ!あれが巴里の灯だ」だった。
リンドバーグが、大西洋横断飛行を成し遂げた時の言葉として有名であり、
その映画も、若い頃に1度は見たことが有るような気もしないではないが、
映画の記憶は、まるで残っておらず、初めて見る感覚だった。
「へー!、こういう映画だったのか」
目から鱗・・・だった気がする。

今更になってネットで調べてみると、
映画「翼よ!あれが巴里の灯だ(原題 The Spirit of St.Louis)」は、1957年(昭和32年)に、ビリー・ワイルダー監督、ジェームズ・ステュアート主演で、製作、公開された、アメリカ映画だった。
チャールズ・リンドバーグ著作「The Spirit of St.Louis」を原作とした、チャールズ・リンドバーグの伝記映画である。
歴史的な大西洋横断飛行を成し遂げたリンドバーグの話は、余りにも有名であるが、この映画により、リンドバーグのひととなりや、ニューヨーク、ルーズベルト飛行場離陸からパリ、ル・ブルジェ飛行場着陸その過程、様子が詳しく分かった。
リンドバーグが、1927年(昭和2年)に、「スピリット・オブ・セントルイス」と名付けた単葉単発単座のプロペラ機で、ニューヨークのルーズベルト飛行場を離陸、睡魔と機体の着氷と戦い、推測航法に苦難しながら、パリのル・ブルジェ空港に着陸するまでを描いた作品だが、飛行中に、回想シーンや同乗者?の蝿とのエピソード等が盛り込まれたりしている。
若きジェームズ・ステュアートの演技が光っている映画でもある。

(NHKテレビから拝借画像)

(ネットから拝借画像)


映画「 翼よ! あれが巴里の灯だ」 opening credit original source  (YouTubeから共有)

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