雨が上がるのを待って畑に出掛けた「野菜収穫係」の妻、
やっと戻ってきました。
困った!困った!、
採れ過ぎちゃって困るのー♪
放ったらかしだったここ数日間、恵みの雨のお蔭なのか、ナスもキュウリも どんどん大きくなり、
数日まで全く気が付かなかったインゲン豆も 大量に生っていて、
収穫するに時間が掛かったようです。
早速 小分けしてお裾分けの準備にかかっています。
今日はこれから 車で30分~40分の丘陵住宅地で独り暮ししている義姉(妻の長姉)宅へ 向います。
雨が上がるのを待って畑に出掛けた「野菜収穫係」の妻、
やっと戻ってきました。
困った!困った!、
採れ過ぎちゃって困るのー♪
放ったらかしだったここ数日間、恵みの雨のお蔭なのか、ナスもキュウリも どんどん大きくなり、
数日まで全く気が付かなかったインゲン豆も 大量に生っていて、
収穫するに時間が掛かったようです。
早速 小分けしてお裾分けの準備にかかっています。
今日はこれから 車で30分~40分の丘陵住宅地で独り暮ししている義姉(妻の長姉)宅へ 向います。
6月30日、当地 今日も 典型的な梅雨空になっている。
午前中 降っていた雨は 午後には上がったものの、雨雲は低く垂れこめており パッとしない。
雨が上がったところで
「野菜収穫係」の妻、
「もう 何日も 畑に行っていないし・・・」、
やおら 畑に向かい、なかなか帰ってこない。
手持ち無沙汰な時間、またまた 古いCDを引っ張り出して 聴いているところだ。
「Carpenters(カーペンターズ)」(全22曲)、
このCDも 自分で買った記憶は全く無く 多分 長男か次男が学生の頃 どこかで仕入れた中古CDに違いない。
おこぼれ頂戴で 今では ちゃっかり爺さんの所有物となっている。
その内の1曲、
「青春の輝き(I Need To Be In Love)」 (YouTubeから共有)
昭和20年代から30年代前半、幼少期から高校卒業まで M男は 北陸の山村で暮した。
太平洋戦争末期、戦禍を逃れ 東京から自主疎開した地(父親の郷里)に定住した家で育ったのである。
バラックの如くの粗末な家屋、水道もガスも無く 飲料水は 山際に掘った横井戸から染み出る水を溜めたもので有り、
五右衛門風呂(ごえもんぶろ)や竈(かまど)、囲炉裏(いろり)の燃料は 薪木(たきぎ)だった。
猛暑の夏は 全ての引き戸を開け放ち、簾(すだれ)越しに外気を流通させ、団扇(うちわ)で涼を感じる位しか無く、
雪深く厳しい冬も 茶の間の炬燵(こたつ)や火鉢(ひばち)、寝床には湯湯婆(ゆたんぽ)、行火(あんか)で暖をとる位しか無かった暮らしだった。
集落には商店等は1軒も無く 食料は自給自足が原則、わずかな田んぼと畑で米や野菜を作る暮らしが続いていた。
野良仕事は家族総出が当たり前だった時代、長男で有るM男等は 小学校高学年位からは男衆の一員として 当てにされ 学校から帰ると直ぐ 田んぼや畑へかり出されたものだ。
小学校、中学校は 1学年1クラスの小さな村立の併設学校だった。
同級生のほとんどが農家の子供であり、転入転出も無く 9年間 全く同じ顔ぶれで過したのである。
田舎の中学卒業生は 当時は 金の卵等ともてはやされ、半数以上が 東京を中心に、大阪、名古屋等へ 就職していき、
地元に残ったのは 数人の高校進学組と 専業農家後継者という状況だった。
M男は 疎開者(よそもの)、極貧の家庭に有り 最後の最後まで 就職、進学を迷ったが、
担当教師が 何度も両親を説得し ぎりぎりで進学を決めたのだと思う。
親戚、知り合いから どんな目で見られていたかは分らないが プレッシャーが掛かっていたことに間違いなく、
レベルが違う 町の子?に負けてなるものか 歯を食いしばった気がする。
通学は 家から田んぼ道を30分程歩いた旧国鉄の駅からの列車利用になり、
それまでの暮らしとは一変、かなり緊張したような気がする。
丁度 旧国鉄が各路線で 電化やディーゼル化を推進していた時期だったのだと思う。
記憶曖昧だが M男が通学していた路線も 1年生か2年生の時、蒸気機関車からディーゼル車に変わった。
当時は 列車利用者が結構多く満員状態、M男達 高校生男共は デッキにたむろしていることが多かったが
途中に短いトンネルが有り トンネルに入るとたまらない。
時には 煤だらけになったりしたが そんなことも まるで頓着しなかった。
M男の高校生時代は 決して 明るい青春時代とは言い難かったが
今に思えば それも青春・・・、
今に繋がっていると言える。
もし 「ウチはとても高校進学させる余裕等無い。本人には諦めてもらうしかない」等という両親に従っていたら、
蒸気機関車の列車で 通学することも無かったし その後 どうなっていたのだろうか。
まるで アミダクジに 1本 線を加えたり、1本 線を消すことと同じように、
随分 別の人生を歩むことになっていたはずである。
蒸気機関車 (YouTubeから共有)
6月も明日で終わりになる。
今年も あっという間に半年が過ぎてしまった。
1日、1週間、1ケ月・・・、
時の過ぎ行く速さに愕然とするばかりだ。
当地 今日は 雨が降ったり止んだり
典型的な梅雨模様だった。、
1日中 くすぶっており
いかん!いかん!、
やおら 重い腰を上げ、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席、
先程 帰ってきたところだ。
今日は 6月最後の土曜日、
O指導員による バタフライ中心レッスンだったが
毎度のこと 基本、基本の繰り返し、
特に ストローク、
手を伸ばし、広げ、掻き込み、プッシュの動作、姿勢を
チェックされた。
バタフライのストローク (YouTubeから共有)
レッスン終了後 例によって居残ったが
今日は 欠席者が多く
居残ったのも 他にベテラン女性3人だけ、
今日は 軽く・・・と頷き合って
クロール 50m×5本、4種目 25m×4本で
お終いにし 引き上げてきた。
泳いで帰ってくれば それなりに すっきり感有り、
心地好い疲労感と 1杯のビールで
いい気分になっているところだ。
梅雨の真っ只中ですが 畑の周りの叢で コスモスがチラホラ咲き始めています。
「コスモス」は メキシコ原産、キク科の1年草、
秋に 白、紅、ピンク等の花を咲かせる植物、
「秋桜(アキザクラ)」とも呼ばれ、俳句では 「秋」の季語ですが
最近では 夏前から咲く園芸種が野生化してしまい
梅雨の時期に あちらこちらで見かけられるようになっているようです。
春夏秋冬、季節感を楽しむ向きには 少々迷惑?な情景になってしまいそうですが。
さだまさし の 「秋桜」
(YouTubeから共有させていただきました)
当地 今日の天気予報は 曇のち雨、ところによっては 激しい雷雨になるとのことでしたが
午前中は なんとか 大丈夫そう?、
ということで、
昨日 防獣ネット撤去とジャガイモ収穫で草臥れてしまい てばってしまった畑仕事をするため
やおら 重い腰を上げました。
ジャガイモを収穫した後の畝を耕し、下仁田ネギを定植する作業です。
種を蒔いて育てていた下仁田ネギが 急速に大きくなっていて 急かされていたのでした。
まだ小さい苗もかなり有り、残しておき しばらくしてから 追加定植することになりました。
先日 植え付けしたサツマイモの苗、ほぼ なんとか根付いたようです。
枝豆・・もうちょっと というところ、
まもなく 初収穫、ビールのつまみになりそうです。
インゲン豆、花が咲き 実が生り出しています。
いかにも降り出しそうな雲行きですが 昼過ぎになっても まだ雨は降ってきません。
ど素人の野菜作り、
気まぐれ、マイペース、無理せず ボチボチやっていますが
2日連続の畑仕事となってしまい、筋肉痛、腰痛 発症、
今日も 午後は 骨休め、
ゆっくりしたいところです。
当地 今日は 湿度は高いものの 快晴になりました。
最高気温は 30℃前後にもなったようです。
梅雨の間の貴重な快晴、
明日からはまた当分 梅雨空が続きそうだし・・・、
ジャガイモ掘り、今日 やるっきゃないか、
真夏の暑さの中、熱中症要注意ですが、
やおら重い腰を上げ、畑仕事と相成りました。
(1)ジャガイモ 三分の一 収穫、
今年は 春先から イノシシが再三出没し、ジャガイモ畑も荒らされました。
その度に 植え直しや補植、防獣ネット張り、等々 余計な労働をさせられました。
生育が良いはずは有りません。
予想通り 不作です。
多分 これまでの内で 最悪の出来、
大は ほとんど無く 中が少し、小ばかり、
これでは お裾分けどころでは有りません。
後の三分の二は もうしばらく様子見した後に収穫することにしました。
(2)キュウリ、ナス、ピーマン等 収穫
数日毎に 次々生っており 今回初めて 近所の方にお裾分けしたようです。
(3)地這いキュウリの種蒔き、
先日 収穫したタマネギのマルチングしたままの畝を利用して 地這いキュウリの種を蒔きました。
キュウリが採れなくなる頃に 生れば良いのですが・・・。
サトイモは やっと 揃ってきた感じです。
頻繁に休憩、水分補給、
しばらく 梅雨寒が続き、いきなり30℃前後の暑さでは、身体がついていきません。
汗ダクになり 疲れが倍に感じます。
無理せず 昼には引き上げ、午後は ウツラ、ウツラ 船を漕いでいるところです。
庭のコボウズオトギリ
習ったことの無い難漢字でも すっかり忘れてしまった漢字でも、
パソコンやスマホの漢字変換ソフトのお蔭で 平気で使えてしまう時代です。
特に知ったかぶりして書いているつもりがなくても、
自分ではとても読めない、書けない難漢字を 無意識に使っていることに
後で気がついて、なんとなく後ろめたさのような気持ちになることもあります。
かっては 知らない漢字、分らない漢字は 国語辞典、漢和辞典で調べて使っていたものですが、
今は クリック一発で入力まで出来てしまう時代。
機械を頼り 老脳は ますます漢字を記憶しようとしなくなっている気がします。
便利さの反面、まるで意味の異なる漢字に変換されていることに気が付かず使ってしまい、
良く恥をかいている爺さんでもありますが。
「猫の額の庭のフェンス際で大きくなり過ぎ 枝葉が隣家の敷地に張り出し 顰蹙を買っているんではないかと気が気でなく・・・・」等と、
再三 ブログに書き込んでいます。
言葉では 良く使う 顰蹙。
いざ 漢字を 読め!、書け!と 言われると ?????。
そんな読めない、書けない難漢字を 頻繁に使ってしまっている自分が有り・・・・、
どうなんでしょう。
読み
「ひんしゅく」
意味
「眉をひそめること、顔をしかめて嫌がること」
例
「彼は いつも 会合に遅れてくるので 顰蹙を買っている」
今日は やや湿度の高い曇天でしたが 夕方になって 晴れてきました。
湿度が高いせいでしょうか。山並みは霞んで見えます。
今日も ほとんど動いていないし・・・、
日没まで たっぷり時間有るし・・・、
少し 歩いてきたら・・・、、
やおら 重い腰を上げ 近くを歩いてきました。
コンデジで カシャ、カシャ しながら
スマホの歩数計で 約8,500歩、
「徘徊と 似ても非なるぞ 爺散歩」
おまけ
30代の半ばで脱サラし 自営業の道を歩み始めた際に 最も 深刻に考えたのは 年金問題だったように思う。
厚生年金から国民年金に切り替わり 厳しい収入から夫婦の保険料納付も大変だったが
その時点で もはや 老後、年金は当てに出来ないものと覚悟を決めたような気がする。
そんな当てに出来ない国民年金で有っても国民の義務、
長男次男が学生時代の一時期等は 4人分の保険料を納付、
家計は火の車だったが なんとか凌ぎに凌いで 切れ目を生じさせないようやってきた。
「国民年金だけじゃ 老後の暮らしは 絶対出来ない・・・」、
それじゃ どうする・・・、自問自答しながら やってきたような気がする。
圧し掛かる 住宅ローン、教育資金、等々と闘いながらの 長い長い歳月の自転車操業、
やっと年金受給資格の歳を迎えた時には、ローン返済等からも解放され やれやれだったが、
仕事を辞めるわけには行かず 結局 74歳まで現役を通したのである。
現在は 夫婦の国民年金+アルファでなんとか暮しているが かなり厳しい。
厚生年金を満額受給しておられるような方々の暮らし振りを見聞きするたび、
正直 情け無くも思うこともある。
とても真似出来るものではなく 他人は他人、我は我・・と 根っから観念している。
あと何年生きる?
更なる老後に備えて 減車、固定電話廃止(休止)、保険解約、等々 経費節減に拍車を掛けているところだ。
出来る範囲で 残りの日々を暮していくしか無い。
ケ・セラ・セラ・・・、
なるようにしかならないか。
うたごえ等で よく唄われているという 「年金時代」(「青春時代」の替え歌)が 思い浮かんでしまった。
YouTubeから共有させていただく。
「年金時代」(「青春時代」の替え歌)
「他人(ひと)は他人(ひと)、我(われ)は我(われ)なり しあわせ度」