たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

2021年まもなく終幕・・アンコール !、アンコール !

2021年12月31日 15時57分16秒 | 懐かしいあの曲

戦前生まれの後期高齢者である。戦後の貧しい暮らしの中で育ち、高度成長期に乗り、バブル崩壊から経済低迷期に身を置き、昭和、平成時代を生きてきて、ようやく仕事から離れ、令和時代を生きようとした直後に、今度は、人類史上に大きく刻まれることになるであろうコロナ禍時代に、くしくも遭遇してしまったことになる。自粛生活を余儀なくされて早2年が経過、老い先短い年寄りには、2年間のブランクは大きいような気がしてしまう。体力気力意欲減退、あと何年、令和時代を見届けることが出来るのだろうか。あと数時間で、2021年(令和3年)も終わるが、コロナ禍が収束する見通しはまだ見えてこない。来たる2022年(令和4年)も、1日、1週間、1ケ月間、1年間を、我が家、我が身の出来る範囲で、自分流、マイペースで楽しんで暮らしていくしかないか・・と思っているところだ。


記憶力減退爺さんの
「自分のための記憶補助ツール」「備忘録、雑記録、回顧録の類」
決め込んでいる当ブログ・・・・、
にも拘わらず、
見ず知らずの数多の方々からエールを送っていただき、
それを励みにして、今年もまた1年、ブログを続けることが出来ました。
フォロワー登録していただいている数多の方々や、
随時覗いて下さる方々に、改めてお礼申し上げます。
いつも「ブログを書き込めなくなった時が、本当のお終いだな?」等と
つぶやいてはおりますが、
願わくば、1日でも長く、
来年も、再来年も、続けていきたいものだと思っているところです。
来年もよろしくお願い申し上げます。

(ネットから拝借イラスト)


2021年(令和3年)の終幕、
アンコール!、アンコール!、

ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ニュー・イヤー・コンサート」のアンコール曲の定番になっている、ヨハン・シュトラウス一世 作曲、「ラデッキー行進曲」
クラシック音楽に疎い爺さん、今更になってネットで調べてみると
「ラデッキー行進曲(Radetzky Marsch)(作品228)」は、1848年に、オーストリアのヨハン・シュトラウス一世によって作曲された楽曲で、ヨハン・シュトラウス一世の最高作と言われており、クラシック音楽全体の中でも人気の高い楽曲だった。

ヨハン・シュトラウス一世
(ネットから拝借画像)

因みに、ヨハン・シュトラウス一世は、「ワルツの父」と呼ばれ、さらに息子のヨハン・シュトラウス二世は、「ワルツの王」と呼ばれ、父子で功績を残している。

この曲が作曲された1848年頃、当時、オーストリア帝国の領国だった北イタリアに独立運動が起こったが、これを鎮圧、オーストリアの危機を救ったのが、ヨーゼフ・ラデッキー将軍。ヨーゼフ・ラデッキー将軍は、たちまちオーストリア国民の英雄となり、それを称える曲として、ヨハン・シュトラウス一世が作曲した楽曲が「ラデッキー行進曲」なのだそうだ。

ヨーゼフ・ラデッキー将軍
(ネットから拝借画像)

そのような歴史的経緯からも、「ラデッキー行進曲」は、オーストリア国民の愛国歌ともいうべき存在になり、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団のニュー・イヤー・コンサート等で、必ず演奏されるというのも頷ける。

小澤征爾指揮、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ラデッキー行進曲」
(YouTubeから共有)


思わず笑みも浮かび、気分も高揚する「ラデッキー行進曲」を聴きながら
2021年(令和3年)の「締め」にすることに。

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名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな

2021年12月31日 06時57分04秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。

(ネットから拝借画像)


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その15

名にしおはば 逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな

出典
後撰集(巻十一)

歌番号 
25 

作者
三条右大臣

歌意
逢って(共に)寝るという名を持っている逢坂山のさねかづらは
本当にその名の通りならば
そのさねかづらを手繰り寄せるように
他人に知られないで、
あなたのもとに、私が逢いに来られるような方法が
有って欲しいものだなあ。

注釈
「名にしおはば」は、「名の通りの実質を持っているならば」の意。
「逢坂山のさねかづら」の「さねかづら」は、つる性の低木。
山の名の「逢坂」の「逢う」と、人に「逢う」が掛詞になっている。
「さねかづら」の「さね」と、「さ寝る(共に寝る)」が掛詞になっている。
「人に知られで」は、「人に知られないで」の意。
「くるよしもがな」の「くる」は、「来る」の意。
さねかづらの蔓が伸びているのを「繰る(くる)(手繰り寄せる)」が
掛詞になっている。
「もがな」は、願望、詠嘆の係助詞「も」+終助詞「がな」。
「して欲しいなあ」の意。

愛する女性への切実な心情、他人に知られない恋の複雑さ、
どうしようもない恋の悩みを歌っている歌。


三条右大臣(さんじょうのうだいじん)
藤原定方(ふじわらのさだかた)のこと。京都三条に邸宅が有ったことから、そのように呼ばれた。父親は、内大臣藤原高藤。宇多天皇、醍醐天皇の両朝に仕え、要職を歴任。和歌、管弦にも優れた人物。家集に「三条右大臣集」が有る。中納言朝忠(藤原朝忠・ふじわらのあさただ)は、定方の次男。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


 

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ロウバイとカワセミ

2021年12月30日 16時39分52秒 | 散歩・ウオーキング

当地、早朝の気温は、ー3℃前後だったが、
日中は、よく晴れて、12℃前後まで上がったようだ。
体感的には、冷え冷えだったが、午後になってから、
買い物に出掛けたついでに、ちょこっと歩いてきた。
スマホの歩数計で、約6,000歩。

民家の塀際で、ロウバイ(蝋梅)が開花し始めているのを見掛け・・、

 

ダイサギ

今日も、カワセミ 発見
じっと 狙い定めて・・・、

小魚ゲット、

丸のみ・・・、

ゴクリ・・、

 

おニャン子

 

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「ペチカ」

2021年12月30日 09時23分48秒 | 懐かしいあの曲

(NHKテレビ 天気予報から拝借)

天気予報によると、今日30日から元日にかけて、日本列島付近に、再び強烈寒波が襲来し、日本海側を中心に広い範囲で雪となり、特に北陸等では、大雪になる恐れが有るようだ。大きな事故、災害が発生しないことを祈るばかりである。

雪深い北陸の山村で育った人間、滅多に雪の降らない首都圏に住んで50年以上になっても、雪の情報を聞くたび、帰る家の無くなっている郷里の情景を思い浮かべてしまう。
故郷は遠きにありて思うもの・・・なのかも知れない。

「雪」で、ふっと思い出した童謡がある。
小学校高学年の頃だったのか、中学生の頃だったのか、記憶曖昧だが、音楽の教科書に掲載されていた「ペチカ」だ。昭和20年代、30年代、北陸の山村の一般家庭の冬の暖房と言えば、炭火、のちに豆炭の掘り炬燵や火鉢しか無かった時代。「ペチカ」が ヨーロッパ、ロシアの暖炉のことであることを教わり、歌詞、メロディーも印象強く、脳裏に焼き付いたものだったが、曲名からして、かなり後年まで、ロシアの民謡かなにかだと思っていたような気がする。
改めてネットで調べてみると
「ペチカ」は、1924年(大正13年)に、「満州唱歌集」に収録された、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の童謡で、学校の音楽教科書に掲載されるようになった曲だった。大正時代、南満州鉄道が設立され、満州への移民が増え、その土地に合った歌が求められるようになり、南満州教育会から依頼された、北原白秋、山田耕筰が実際に満州を訪れ制作したのだそうだ。「ペチカ」は、ロシア語の発音では、「ペイチカ」。実際に歌う時は、「ペイチカ」と歌うように指導されているという。

「ペチカ」
作詞 北原白秋、作曲 山田耕筰

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
昔 昔よ 燃えろよペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ 表は寒い
くりやくりやと 呼びますペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ じき春来ます
今にやなぎも もえましょペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ だれだか来ます
お客さまでしょ うれしいペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
火の粉ぱちぱち はねろよペチカ

「ペチカ」・鈴木幾代と東京荒川少年少女合唱団 (YouTubeから共有)

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脳トレのつもりでひねる五七五 2021年振り返り・その4

2021年12月30日 06時08分05秒 | 川柳・俳句・五七五

数年前までは、まるで興味も関心もなかった川柳。ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、クソ真面目、まるで面白みの無い、川柳とは程遠い存在の爺さんが、ひょんなきっかけで、「面白そう?・・」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、単なる「五七五言葉並べ遊び」を始め、続けていたが、4年前頃に、相互ブログフォロワー登録しているのびた様からのお声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、拙句、駄句を、投句してしまうことにもなっている。結果、何も分からなかった川柳の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしている。
ただ、所詮、川柳の才能無しの爺さん。
スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に編むという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少役立つかも知れない等という期待感から 続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、爺さんが四苦八苦して?生んだ川柳(川柳もどき)、せっかく作った句を、忘れてしまわない内にブログに書き留め置くことにしているが、今年2021年、1年間に作った川柳(川柳もどき)を、振り返ってみた


お題「コロナ禍」

    ふるさとは行くな来るなで遠くなり

    すがる藁接種二回の有効性

    紅葉が見頃と言われ暦見る

お題「梅雨」

    梅雨空に薄紅の合歓(ネム)笑う

お題「欲」

    食欲が痩せたい思いねじ伏せる

    まゆつばの話信じる欲の皮

    目が欲しくつい手が伸びる意気地なし

お題「追う」

    追えなくてすーっと逃げる片思い

    マドンナの面影追って同窓会

お題「坂」

    あと一つ共に越えたい老いの坂

お題「帰る」

    定年で故郷(くに)に帰れば若手組

    帰るたび小さく見える母の背な

    執念ではやぶさ宇宙を持ち帰る

お題「前」

    下着替えトイレで焦る後ろ前

お題「選ぶ」

    たらればと過去の選択うらみ節

お題「我慢」

    虎ファンじゃ我慢強さじゃ負けやせん

    お互いに我慢の末に八十路(やそじ)越え

お題「慌てる」

    カード払いこれかあれかでレジ渋滞

お題「応援」

    家事手伝い猫よりましな我が亭主

お題「楽しい」

    つきまくりリーチロンツモ一人勝ち

お題「窓」

    恋すれば窓打つ雨もファンタジア

お題「節約」

    マスクすりゃ分からん手抜き半化粧

お題「届く」

    手が届く戸建て隣家に手が届く

お題「参加」

    村祭り60代は若い衆


前述のように、数年前から投句するようになっている、鹿児島のコミュニティFMぎんがの「てんがら川柳五七五」。今年1年間に投句した川柳の内の何句かが、撰者の石神紅雀様春田あけみ様に選んでいただき、
   爺さんもおだてられりゃ木に登る
の気分になったものだが、それに輪を掛けて、長年「てんがら川柳」に携わっておられる、相互フォロワー登録している村永チトセ様が描く己書色紙を、その都度いただき、川柳の才無し初心者の爺さんにとっては、まるで、宝物?、表彰状?、勲章?の如しになっている。諸般の事情により、その己書色紙、来年1月からはいただけなくなるだけに、ますます貴重なものなり、外付けHDのファイルにしっかり保管している。改めてこれまでのご苦労に感謝しているところだ。

作者の村永チトセ様ご本人からご承諾をいただいたので掲載させていただくことにした。

 


(おしまい) 


 

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「枕草子覚え書き」・まんがゼミナール「枕草子」 その35 (最終)

2021年12月29日 17時50分41秒 | 読書記

足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等は、かなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に、漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間でも、十分楽しめそうで、御の字の書である。


「枕草子覚え書き」・まんがゼミナール「枕草子」 その35

第319段 「この草子、目に見え、心に思ふ事を」
清少納言が「枕草子」の成立や流布のいきさつを語った跋文(後書き文)。最初に断り書きがあり、「つれづれなる里居」の時に書いた等と、執筆の場所が語られている。次に「枕にこそは侍らめ」と答えたことから書くはめになった等、執筆の動機と題名の由来が語られている。随筆文学の祖とされる「枕草子」の事情が良くわかる段。

自分の心にすばらしいと感じたことを、人にも語り、このように書き付ければ、中宮様の御ためには、軽々しいようでおまして、いとおそれ多いことでおます。
されど、この草子は、目に見え、心に思うことを、人が見るとは考えもせずに、つれずれなる里住まいの間に、書きつづったものでおました。
あいにく、人にとっては、不都合な失言まがいのことも所々にあるよって、よう隠しおいたつもりでおましたのに、心ならずも、世間にもれ伝わってしまいました。
中宮定子様に、兄上である内大臣の伊周(これちか)様が、真新しいとじ草子(白い紙のゴージャスなノート)を献上されはりました。
中宮定子「これに何を書いたらよろしおすやろ・・・、帝は、「史記」という書を写されたそうやけど」
清少納言「帝が、しき「敷」物でおわすなら、中宮様は、「枕」がよろしおす」
中宮定子「あらっ!、エッチ!」
清少納言「キャ!」
中宮定子「でも、とても気が利いたしゃれやワ。この「枕」、そなたに賜うで」
清少納言「キャーッ!、やったあ!」
ありがたく、いみじくしあーわせ。
というわけで、このエッセイ集は、「枕草子」なのでおます。このようにぎょうさんある紙に、書き尽くす意気でおましたが、わけもようわからん事も、ずいぶん書いてしまったようどす。ほかの和歌や物語と肩並べ、人並みに批評されようなんて思うてもおらへんどした。せやから、人に読まれたのは、残念に思うとります。


原文だよーん

この草子(さうし)、目に見え、心に思ふことを、人やは見むとすると思ひて、つれづれなる里居(さとゐ)の程に書き集めたるを、あいなう、人のために便(びん)なき言ひ過ぐしもしつべきところどころもあれば、よう隠し置きたりと思ひしを、心よりほかにこそもり出(い)でにけり。宮の御前(おまえ)に、内の大臣のたてまつり給へりけるを、「これになにを書かまし。上(うへ)の御前には、史記といふ書(ふみ)をなむ書かせ給へる」など宣(のたま)はせしを、「枕にこそは侍(はべ)らめ」と申ししかば、「さば、得てよ」とて、賜(たま)はせたりしを、あやしきを、こよやなにやと、尽きせず多(おほ)かる紙を、書き尽くさむとせしに、いともの覚えぬことぞ多かるや。


(注釈)

この草子は、私の目に映り、心に思うことを、他人が見るはずがないと思って、所在のない里居の時に、書き集めたものなのですが、困ったことに、他人に対して不都合な言い過ごしもしてしまいそうないくつかの箇所もあるので、十分隠して置いたと思っていたのに、心ならずも、世間にもれ出てしまいました。中宮様に、内大臣伊周様が献上なさって紙を前にして、中宮様が、「これに何を書いたらよいかしら。天皇様は、「史記」という書物をお書きあそばしたようだが」等とおっしゃるので、私が、「それでは、「枕」でございましょう」と申し上げたところ、「それなら、お前が取りなさい」と言って、その紙を下さったのですが、つまらないことを、あれよこれよと限りもなく沢山の紙に、全部書き尽くそうとしたので、そのために実に分けの分からないことが多いのですよ


清少納言のイメージ



(おしまい)

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「餅切り」と「あられ作り」は爺さんの出番

2021年12月29日 14時02分54秒 | 暮らしの記録

昨日、年末の「餅つき」をしたが、今日午前中は、「餅切り」と「あられ作り」と相成った。我が家では、毎度のこと、「餅つき」をした日の翌日、のして(伸して)おいた餅の「餅切り」をし、切れ端を「あられ」にすることにしている。「餅つき」の方は、妻一人で出来る仕事だが、「餅切り」「あられ作り」は、力仕事、爺さんの出番となる。
どうも関西地方では、ついた餅を「丸餅」にするのが主流のようだが、我が家の場合は、のした(伸した)餅を適度な大きさの「角切り」にし、直ぐ食べる分を除いては、冷凍庫に保存し、小出しにボチボチ食べることにしている。いい加減にのした(伸した)餅を角切りにするため、切れ端がかなり出来るが、それらはさらに細かく切り刻んで、「あられ」にすることにしているのだ。

(注)「のし餅」の「伸す(のす)」とは 「均等に力を加えて、物を伸ばして広げること」と 辞書に出ている。

「切り餅」

「あられ」


適度に乾燥させてから、フライパンで煎って 醤油をまぶせば 
自家製「あられ」が 出来上がる。


昭和20年代、30年代の子供の頃、
菓子類等、おいそれと買えなかった時代、
おやつのひとつだったこともあり 
その風味が懐しく、毎度、作ってしまっている。

出来上がった自家製「あられ」
(過去の写真)

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脳トレのつもりでひねる五七五 2021年振り返り・その3

2021年12月29日 06時44分39秒 | 川柳・俳句・五七五

数年前までは、まるで興味も関心もなかった川柳。ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、クソ真面目、まるで面白みの無い、川柳とは程遠い存在の爺さんが、ひょんなきっかけで、「面白そう?・・」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、単なる「五七五言葉並べ遊び」を始め、続けていたが、4年前頃に、相互ブログフォロワー登録しているのびた様からのお声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、拙句、駄句を、投句してしまうことにもなっている。結果、何も分からなかった川柳の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしている。
ただ、所詮、川柳の才能無しの爺さん。
スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に編むという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少役立つかも知れない等という期待感から 続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、爺さんが四苦八苦して?生んだ川柳(川柳もどき)、せっかく作った句を、忘れてしまわない内にブログに書き留め置くことにしているが、今年2021年、1年間に作った川柳(川柳もどき)を、振り返ってみた


お題「歌」

    八十路(やそじ)過ぎ十八番(おはこ)は唱歌童歌(わらべうた)

    平和です妻に鼻歌出てる内

お題「かわいい」

    初孫がにこりグーパーもみじの手

    カワイイと言われおどけるオバアチャン

お題「ゆるい」

    ゆるんでも切れないでいる赤い糸

    堅物のゆるいジョークで座がシラケ

    元とるぞベルトゆるめて食べ放題

お題「華やか」

    一輪のバラで華やぐ老いの部屋

    華やかな舞台の裏は汗埃

お題「澄む」

    君を待つ澄んだ夜空にカシオペア

    飢餓の国澄んだ瞳の子等悲し

お題「付く」

    付いて来い今じゃワイフに付いて行く

    付いてなきゃ何も出来ない我が亭主


前述のように、数年前から投句するようになっている、鹿児島のコミュニティFMぎんがの「てんがら川柳五七五」。今年1年間に投句した川柳の内の何句かが、撰者の石神紅雀様春田あけみ様に選んでいただき、
   爺さんもおだてられりゃ木に登る
の気分になったものだが、それに輪を掛けて、長年「てんがら川柳」に携わっておられる、相互フォロワー登録している村永チトセ様が描く己書色紙を、その都度いただき、川柳の才無し初心者の爺さんにとっては、まるで、宝物?、表彰状?、勲章?の如しになっている。諸般の事情により、その己書色紙、来年1月からはいただけなくなるだけに、ますます貴重なものなり、外付けHDのファイルにしっかり保管している。改めてこれまでのご苦労に感謝しているところだ。

作者の村永チトセ様ご本人からご承諾をいただいたので掲載させていただくことにした。

  

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今年もやっぱり、餅をつき

2021年12月28日 18時47分30秒 | 暮らしの記録

長男、次男がまだ子供だった頃から、
毎年、年末には必ず餅つきをしてきたが、
老夫婦だけで迎える年末年始になって久しく、
だんだん面倒くさくなってきて、
今年は、どうしようか?
毎度、躊躇するものの、
長年の習慣、餅つき位しないと、年末年始気分にもなれない感有りで、
今年も、やっぱり餅をつくことになり、今日。
量や手順も、毎年、同じ・・。
昨年は、29日に餅つきし、ブログに書き込んで有る。
全く同じことを書き込むのも億劫?、
「以下同文」として、リンク貼り・・・。


振り返り記事、
1年前、2020年12月29日「餅つき」
👇
こちら


 

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アネモネ

2021年12月28日 09時58分40秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

ブログを始めてからのこと、猫額庭で咲く花達や散歩・ウオーキングの途中で見掛ける花達をやたら撮り、ブログに載せることが習慣になってしまっている爺さんであるが、まるで草花に疎く、どれもこれも「君の名は?」。知らない花、忘れてしまった花の多さを痛感している。その都度、相互フォロワー登録している方々から教えてもらったり、ネット等で調べたりしてきたが、教えてもらっても、調べても そのそばから忘れてしまう老脳。記憶補助ツールとして、知った花名、分かった情報を ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにしている。
花に詳しい人からは「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と言われそうだが、花に疎い爺さんにとっては、新情報、新知識。「爺さんの備忘録的花図鑑」は、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になている。

先日の散歩・ウオーキング途中の花壇で見掛けた白色の花、やはり、花名同定出来ず、「君に名は?」だったが、スマホアプリ「Green Snap」の「調べる」に、「教えて下さい!」していたところ、「アネモネ」であることが分かった。「アネモネ」は、10年以上前まで、妻が我が家の猫額庭で育てていたことも有って、なんとなく知っていたが、春先に咲く花というイメージが有り、まさか師走に?」、と半信半疑だったが、どうも間違いなさそうで、気候不順で、狂い咲きしたのかも知れない。思い立って、外付けHDの残っていた古い写真も引っ張り出してみた。

先日の散歩・ウオーキング途中で撮っていたアネモネ

2004年4月8日に撮っていた猫額庭のアネモネ

2008年3月29日に撮っていた猫額庭のアネモネ

2021年4月9日に、散歩・ウオーキング途中で撮っていたアネモネ


アネモネ

キンポウゲ科、アネモネ属、球根植物、多年草
   別名(和名)「ベニバナオキナグサ(紅花翁草)」
         「ハナイチゲ(花一華)」「ボタンイチゲ(牡丹一華)」
原産地 ヨーロッパ南部、地中海沿岸
草丈 20cm~40cm
花色 赤、白、ピンク、青、紫、等々、
   一重咲き、半八重咲き、八重咲き 等 100種以上有る。
   花びらに見える部分は、がく(萼)で、本当の花びらは、中心部。
   光や温度に反応して、開いたり閉じたりを繰り返す。
開花時期 2月頃~5月頃
花言葉 「あなたを愛します」「はかない恋」
    白いアネモネ 「真実」「期待」
    紫のアネモネ 「あなたを信じて待つ」
    赤のアネモネ 「君を愛す」


 

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