古いアルバム、写真の類は 第三者には ゴミのような存在なのかも知れませんが 当人にとっては 思い出が詰まっていたりして なかなか簡単に ポイ出来なくなってしまう ある意味、宝物のような存在でもあると思います。
先日も 雑物整理中に 1冊の古いアルバムが目に止まってしまい その中の 家族で 尾瀬沼から尾瀬ヶ原を歩いた時の写真を 見返してしまいました。
30年以上も前の話
長男が11才、次男が7才の年、昭和59年8月の写真です。
息子達の夏休み直前に たまたま 地元旅行代理店の「尾瀬ハイクバスツアー」参加募集の新聞折込チラシが目に止まり 思い切って申し込んでいた山旅だったのです。(現在のように 大手旅行代理店が 広範囲に 大々的に 山歩きツアーを 企画募集するというような時代ではありませんでしたから)
職業柄、まとまった休みが取れなかったり、経済的な理由、息子達の年齢等も有って せいぜい 休日に 家族で 奥多摩や高尾山周辺の山歩きをするのが精一杯だった我が家でしたが 抒情歌 「夏の思い出」を聴いては 「はるかな尾瀬」に 想いを馳せていた頃でもあったのです。
「Youtube」を クリックして 視聴出来ます。
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「夏の思い出」~ 東京ソフィア女声合唱団
もちろん 代金が魅力で 申し込んだようなものですが その分 ツアー参加経験の無かったわが家族には かなりの強行軍のツアーでした。
午後10時に 東京都立川駅北口に集合し 夜行で 尾瀬に向かう企画だったのです。
登山口の 大清水には 深夜3時頃到着、中型バスとて 車内で仮眠等 出来たものではなく 睡眠不足のまま 早朝 ヘッドランプを点けて出発です。
出発地、大清水

山の知識情報も経験も乏しかった我が家、靴だけは なんとか 親戚から譲り受けたり、借りたりして揃えたものの ザックも、雨具も、衣類も ほとんどが 間に合わせでした。
ツアー参加者のほとんどは 山慣れしていそうな中高年や OL風、学生風の人達、子供連れは わが家族だけで 多分 「この人達 大丈夫なの?」っていう目で 見られていたのかも知れません。旅行代理店の随行員も ずっと わが家族をマークしていたことに気がついていました。

三平峠から下って 尾瀬沼が見え始めた時の 「はるかな尾瀬に 来たぞー!」という感動が 思い出されます。
尾瀬沼山荘から 大江湿原、沼尻に掛けては 水芭蕉のお化け(巨大化した葉)にびっくりしたり、ニッコウキスゲの群落に歓声を 上げたりしながら・・・。
ルン、ルン ♪

宿泊は 温泉小屋でした。
夏山シーズン最盛期でしたので、1畳に 2人、3人の大混雑でしたが 山小屋泊まり初体験のわが家族、そんなもんかと思ってしまったか それ程の苦痛もなく なんとか 睡眠が取れたような気がします。
翌朝 温泉小屋出発前

好天の下、鳩待峠まで 自由行動ということで ゆっくりのんびり 尾瀬ヶ原を堪能しました。

この「尾瀬ハイクバスツアー」参加が きっかけとなって とりあえずは 「毎年 夏には 家族で 登山しよう」ということになり 翌年以降 八ヶ岳、木曽駒、白馬、仙丈、北岳・・・等に 登ることに なっていったのです。
子供達が巣立った後は しばらく 山歩きも途絶えましたが 平成になった頃からは 力量をわきまえながら 夫婦だけのおいらく山歩きをしているという具合です。
その後 尾瀬には 至仏、燧、アヤメ平等 季節や コースを変えて 5回 訪れていますが 何回 訪れても また 訪れたくなります。