たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

百人一首で「春」を詠んだ歌(まとめ)(再)

2025年01月07日 17時36分02秒 | 懐かしい小倉百人一首

「小倉百人一首」で、「春」を詠んだ歌と言われているものは、一般的に、9首とされている。
これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきた記事を振り返り、
改めて、まとめてみた。


百人一首で「春」を詠んだ歌

歌番号                                   作者
15 君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ    光孝天皇
   ⇨ こちら

35 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける     紀貫之
   ⇨ こちら

61 いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな     伊勢大輔
   ⇨ こちら

33 久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ       紀友則
   ⇨ こちら

09 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に 小野小町
   ⇨ こちら

67 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ   周防内侍
   ⇨ こちら

73 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ     前中納言匡房
   ⇨ こちら

96 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり    入道前太政大臣
   ⇨ こちら

66 もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし     前大僧正行尊
   ⇨ こちら


 

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小倉百人一首で、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌意外の歌(まとめ)

2024年12月20日 11時02分21秒 | 懐かしい小倉百人一首

小倉百人一首で、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌意外の歌を、1年掛かりで、気まぐれに、順不同、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に、書き留めてきたが、ようやく終わった。
出揃ったところで、整理、まとめてみた。
古い記事を、「ブログ内検索」、「Excel 並べ替え」等、
クリック、クリック・・・・、で、
簡単にまとめることが出来るのも、デジタルのおかげ、
便利な世の中だと、つくづく思う。


小倉百人一首で、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌意外の歌


歌番号                                           作者           
  07 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも      安倍仲麿          ⇨ 2024.10.20
  08 わが庵は 都のたつみ しかぞ住む世 をうぢ山と 人はいふなり     喜撰法師          ⇨ 2024.11.12
  10 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関     蟬丸            ⇨ 2024.01.13
  11 わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣舟    参議篁           ⇨ 2024.11.18
  12 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ      僧正遍昭          ⇨ 2024.01.07
  16 立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む    中納言行平         ⇨ 2024.12.03
  22 吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ   文屋康秀          ⇨ 2024.11.02
  34 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに        藤原興風          ⇨ 2024.11.05
  37 白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける     文屋朝康          ⇨ 2024.11.25
  55 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ   大納言公任         ⇨ 2024.10.25
  57 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな 紫式部           ⇨ 2024.01.04
  60 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもせず 天の橋立       小式部内侍         ⇨ 2024.01.17
  62 夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関は許さじ     清少納言          ⇨ 2024.01.11
  64 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木    権中納言定頼        ⇨ 2024.10.31
  68 心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな    三条院           ⇨ 2024.11.30
  69 嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり        能因法師          ⇨ 2024.11.22
  71 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く      大納言経信         ⇨ 2024.12.12
  75 契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり     藤原基俊          ⇨ 2024.12.18
  76 わたの原 こぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波    法性寺入道前関白太政大臣      2024.10.27
  83 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる      皇太后宮大夫俊成      ⇨ 2024.12.06
  84 ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき  藤原清輔朝臣        ⇨ 2024.11.15
  93 世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも      鎌倉右大臣         ⇨ 2024.12.15
  95 おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染めの袖    前大僧正慈円        ⇨ 2024.12.09
  99 人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆえに 物思ふ身は     後鳥羽院          ⇨ 2024.11.09
100    ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり    順徳院           ⇨ 2024.10.22


 

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契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり

2024年12月18日 14時30分08秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その25

契りおきし させもが露を 命にて
あはれ今年の 秋もいぬめり

出典
千載集(巻十六)

歌番号
75

作者
藤原基俊

歌意
「私がいる限りは頼みにせよ」と約束して下さった
あの「させも草」という恵みの露のような、
有難いあなたのお言葉を命としてきましたが、
その甲斐もなく、
ああ、今年の秋も、望みが叶わないままに、
むなしく過ぎていくようです。

注釈
「契りおきし」=「約束しておいた」の意。
「おき」は、「露」の縁語。
「させもが露」の「させも」は、「さしも草(よもぎ)」のこと。
「露」は、「させも草」「命」「秋」の縁語で、
「恩恵」の意味を含む。
ここでは、
「関白藤原忠通が清水観音の歌を使って作者に約束してくれたこと」
を意味している。
「命にて」=「命として」「生きる力として」の意。
「あはれ」=感動詞、「ああ」、
「いぬめり」の「いぬ」は、「往ぬ」で、「行く」「去る」の意。
「めり」は、不確かな推量を表す助動詞、
「・・・のように思われる」「・・・のようだ」と訳す。

「千載集」の詞書(ことばがき)には、
作者が、作者の子僧都光覚(そうずこうがく)を、
維摩会(ゆいまえ)の講師に就かせようと
氏の長者である関白藤原忠通に訴えたところ、
「清水観音の歌」を引用して約束してくれたが、
結局、選にもれてしまい、
忠通を恨んで詠んだものとある。
行く秋の悲しみと、
我が子を思う父親の嘆きが響き合う歌、
その哀調に心打たれる歌である。

「清水観音の歌」
「なほ頼め 標茅(しめぢ)が原の させも草 わが世の中に あらむかぎりは」
(やはり、私を頼みにしなさい。そのようにも、私がこの世の中にいるであろう限りは)
「新古今集(巻十)釈教」
忠通が、基俊に対して、
「失望せずに私に任せなさい」と、
確約している内容に受け取れる歌。


藤原基俊(ふじわらのもととし

右大臣藤原俊家の子、藤原道長の曽孫、
名門に生まれながら、
従五位上・左衛門佐に就いた後、
出家した。
「無名抄(むみょうしょう)」で、
性格が傲慢であったと語られている。
家集に、「藤原基俊集」がある。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(完)

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世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも

2024年12月15日 10時27分45秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その24

世の中は 常にもがもな 渚こぐ
あまの小舟の 綱手かなしも



出典
新勅撰集(巻八)

歌番号
93

作者
鎌倉右大臣

歌意
この世の中は、永久不変であってほしいものよ、
波打ち際を、漁夫の小舟が、綱で引かれていく風情は、
しみじみといとおしいものであるよ。

注釈
「常にもがもな」の「常」は、「無常」の反対語で、「永久不変」の意、
「いつまでも変わらないでほしいものだなあ」の意。
「渚こぐ」の「渚」は、「波打ち際」の意。
「こぐ」は、「渚から小舟の引き綱を引く」の意。
「あまの小舟(をぶね)の」の「あま」は、「海人」「漁夫」のこと。
「綱手(つなで)かなしも」の「綱手」は、引き舟のへさきに付けた綱のこと。
「かなし」は、「愛し(かなし)」で、「いとおしい」の意。

広い海の波打ち際で、
小さな舟が一筋の綱で引かれている一点景を詠んでいるが
作者には、それが、はかないもの、いとおしいものに
感じられたのだろう。
世の中は、そんなはかないものであってほしくない、
無常であってほしくない、と
世の中の無常を嘆いている歌である。


この歌の「本歌(ほんか)」二首、
川上(かわのへ)の ゆつ岩むらに 草むさず
常にもがもな 常処女(とこをとめ)にて 
(万葉集・巻一)  
陸奥(みちのく)は いづくはあれど 塩釜の
浦こぐ舟の 綱手かなしも 
(万葉集・巻二十)


鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん

源頼朝の次男、源実朝(みなもとのさねとも)、
母親は、北条時政の女政子、
12歳で征夷大将軍になり、27歳で右大臣となったが、
翌年、鶴岡八幡宮参拝の帰途、
源頼家の子で、甥の源公暁(みなもとのくぎょう)に暗殺された。
京の文化に憧れ、藤原定家に師事、
新古今風時代に、格調高い万葉調の歌を詠んだ。
家集に、「金槐集」がある。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く

2024年12月12日 09時30分53秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その23

夕されば 門田の稲葉 おとづれて
芦のまろやに 秋風ぞ吹く

出典
金葉集(巻三)

歌番号
71

作者
大納言経信

歌意
夕方になると、
秋風が家の門前にある田の稲葉に
そよそよと音を立てて吹き、
その風が芦で葺いた小屋にも
吹き渡ってくることだ。

注釈
「夕(ゆふ)されば」の「され」は、
「来る」「近づく」の意の動詞「さる」の未然形。
「ば」は、確定条件を表す接続助詞。
「夕方がやってくると」の意。
「門田(かどた)の稲葉(いなば)」=「家の門前に有る田の稲葉」
「おとづれて」=「音をたててやってくる」の意の動詞「おとづる」の連用形。
「訪れる」の意を響かせている。
「芦のまろや」の「まろや」は、「粗末な家」、「小屋」のこと。
「屋根を芦で葺いた粗末な家・小屋」の意。
「秋風ぞ吹く」の「ぞ」は、強意の係助詞。

「金葉集(きんようしゅう)」の詞書(ことばがき)によると、
この歌は、「田家秋風」という題による題詠(だいえい)で、
京都の西、桂川の近くの梅津(うめづ)という山里の別荘で、
詠まれたものだとされている。
秋風を目で追い、耳でとらえて、
秋の夕暮れ時の田園風景を
立体的感覚で表現している。


大納言経信(だいなごんつねのぶ

民部卿源道方(みんぶきょうみなもとのみちかた)の六男、
源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)の父親、
源経信(みなもとのつねのぶ
蔵人頭、参議を経て、大納言・正二位となり
太宰権師(だざいのごんのそち)に任じられ、
任地九州で没した。
漢詩、音楽、有職故実等、博学多才で、
桂大納言と称せられた。


(狂歌)
夕されば 門田のいなば おとづれて
権兵衛(ごんべい))内(うち)なら 一合やらうか
「おい、居るかい、居るのなら、たった一合の酒だが、
権兵衛さん、一杯やろうか」


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染めの袖

2024年12月09日 17時33分37秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その22

おほけなく うき世の民に おほふかな
わが立つ杣に 墨染めの袖

出典
千載集(巻十七)

歌番号
95

作者
前大僧正慈円

歌意
身の程も弁えずに、辛いこの世に生きる人々を
救いたいものだ。
私が住み始めることになった比叡山における
仏道修行によって。

注釈
「おほけなく」=「自分の身の程を弁えないで」「分不相応にも」の意。
「自分の力には及ばないことではあるが・・・」という
謙遜の気持ちを表している。
「うき世の民に」の「うき世」は、「憂き世」で、
仏教でいう「現世」の意。
「おほふかな」の「おほふ」は、「覆う」で、
「黒染の衣の袖を覆うこと」、
「仏の加護があるように祈念すること」
「僧として、世の人々を救うこと」の意。、
「わが立つ杣(そま)」の「杣」は、材木を切り出す杣山のことだが、
ここでは、比叡山を指す。
「黒染めの袖」=「黒く染めた法衣」と「住み初め」の掛詞。
「墨染めの袖を、おほふかな」と解釈する。(倒置法)

名門の出ながら、
幼少時から、天台宗の僧として、
厳しい修行を積んだ作者の若い頃の
純粋な仏教的信念、決意を表現した作品。


前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)

関白藤原忠通の第6子、九条兼実の弟、
11歳で比叡山に入り、14歳で出家、
4回に渡って、天台座主(てんだいざす)(最高位の僧職)に
就任し、信望を集めた。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

2024年12月06日 11時39分52秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その21

世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

出典
千載集(巻十七)

歌番号
83

作者
皇太后宮大夫俊成

歌意
この世の中というところは、
どこにも、憂きことから逃れる道はないのだなあ、
逃れようと思い込んで入ってきた
この山の奥にも、
私と同じような気持ちで、
鹿が悲しい声で鳴いているようだよ、

注釈
「世の中よ」=「この世の中というものはまあ」の意。
「よ」は、詠嘆の助詞。
「道こそなけれ」=「道はないものだなあ」の意。
「道」=「手段、方法」、
「思ひ入る(おもいいる)」=「考え込む」の意。
「山に入って行く」の意味と掛けている。
「山の奥にも」の「も」は、並列の係助詞。
「俗世間と同じように、山の奥にも」の意。
「鹿ぞ鳴くなる」=「鹿が鳴いているようだよ」の意。

作者27歳の時の作品、
藤原道真の流れをくむ名門公家の出身でありながら
官位に恵まれず、受領(じゅりょう、地方官)生活に
甘んじなければならなかった境遇の中で、
行き場所の無い無常の嘆きを歌った作品。


皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)

権中納言藤原俊忠の子、藤原定家の父、藤原俊成、
俊成は、「しゅんぜい」とも読む。
皇太后宮大夫(皇太后宮の長官)・正三位から出家、
法名「釈阿(しゃくあ)」
保守派歌人藤原基俊と進取派歌人源俊頼に学び、
独自の幽玄の歌風を確立した歌人。
平安末期の歌壇を指導、
後白河上皇の命により、「千載集」を撰進した。
歌論書「古来風体抄」、家集「長秋詠藻」等の作品も有る。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む

2024年12月03日 16時09分03秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その20

立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば 今帰り来む


出典
古今集(巻八)

歌番号
16

作者
中納言行平

歌意
ここで今、あなたと別れて、
因幡の国へ下って行くとしても(行くけれど)、
その因幡の山の峰に生えている松という名のように、
あなたが私を待っていると聞いたなら、
すぐに帰京するつもりですよ。

注釈
「立ち別れ(たちわかれ)」=「ここで今、別れて」の意。
「いなばの山の」の「いなばの山」は、
鳥取県に有る「稲葉山」か、「因幡(いなば)の国の山」、
ここでは、「因幡の国の山」と解釈。
「往なば(いなば)」(行くとしても、行くけれども)との掛詞。
「まつ」=「松」と「待つ」との掛詞。
「し」は、強調の副助詞。
「今帰り来む」の「今」は、「直ぐに」の意味の副詞。
「む」は、意思を表す助動詞。

38歳にして、任地に赴かなくてはならなくなった不安と
都の親しい人との別離の悲しさ、惜別の情を
歌った作品。


中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)

平城天皇(へいぜいてんのう)の皇子阿保親王の第二子、
在原行平(ありはらのゆきひら)
臣籍に下り、弟の業平と共に、「在原」の姓を賜った。
兵庫県の須磨に流され、
「源氏物語」の「須磨」の帖のモデルとされている。


須磨に流された折、その地で、「松風」「村雨」という
二人の汐汲み女と親しくなったと言われている。

謡曲「松風」

江戸川柳
「中納言名ある女性(にょしょう)を二人しめ」


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな

2024年11月30日 09時08分31秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その19

心にも あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき 夜半の月かな

出典
後拾遺集(巻十五)

歌番号
68

作者
三条院

歌意
もはや、この世に生き長らえたい望みはないが、
心ならずも、今後も、辛くて苦しいこの世に、
生き長らえるならば、
さぞかし、恋しく思い出されることであろう、
今宵のこの美しい夜半の月であるなあ、

注釈
「心にもあらで」=「不本意にも」「自分の本心ではなくて」の意。
「うき世にながらへば」の「うき世」は、「憂き世」に通じて、
「辛い、苦しいことの多い世の中」の意。
「ながらへ」は、「生き長らえる」の意。
「恋(こひ)しかるべき」=「恋しくなるだろう」の意。
「べき」は、推量の意を表す助動詞。
「夜半(よは)の月かな」の「夜半」は、夜中のこと。
後拾遺集の詞書(ことばがき)には、
「例ならずおはしまして(御病気でいらっしゃって)、
位など去らむとおぼしめしけるころ、
月のあかかりけるを御覧じて」
とあり、
退位が迫った絶望の嘆きと
美しい月を見ての感慨が表現されている。


三条院(さんじょういん)

第63代天皇冷泉天皇の第2皇子、第67代天皇、
母親は、藤原兼家(ふじわらかねいえ)の娘超子(ちょうし)、
在位5年で譲位、翌年に崩御、
病弱だったこと、在位中に二度も内裏が炎上したこと、
藤原道長の圧迫を受け退位を迫られたこと等々、
薄幸の天皇だった。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

2024年11月25日 09時21分46秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その18

白露に 風の吹きしく 秋の野は 
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

出典
後撰集(巻六)

歌番号
37

作者
文屋朝康

歌意
草葉の上の白露に風が
しきりと吹きつける秋の野は
まるで、しっかりと糸を通していない白玉(真珠)が
ハラハラと散りこぼれているように、
美しく見えることよ。

注釈
「白露(しらつゆ)」=草の葉の上に置いた、白く光っている露のこと。
「風の吹きしく」=「風がしきりに吹きつける」の意。
「しく」は、「しきりに」の意。
「つらぬきとめぬ玉」=「糸(紐)を通していない宝玉(真珠等の玉)」の意。
「玉」は、「白露」の比喩。
「散りける」の「ける」は、詠嘆の助動詞。

真珠の玉を散らばした美しさは人工的なものであり、
白露の美しさは自然のもの。
その両方の美しさを絡ませて、詠んだ作品で、
「古今集」、「後撰集」時代の特色の一つと考えてよい。


文屋朝康(ふんやのあさやす)

文屋康秀の子、
家柄のせいで、いくつかの歌合等に参加していたが、
作品は、「古今集」に一首、「後撰集」に二首しか見られず、
経歴、生没年等、未詳。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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