足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。
百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その16
わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと
人には告げよ あまの釣舟
出典
古今集(巻十五)
歌番号
11
作者
参議篁
歌意
広々とした海のはるかかなたの多くの島に向かって
今、私はこぎ出したと、
都にいるあのなつかしい人に告げておくれ、
漁夫の釣舟よ、
注釈
「わたの原」=「大海原」の意。
「わた」は、「海」の古語。
「原」は、「広々としている所」の意。
「八十島(やそしま)」=「多くの島」
「八十」は、数が多いという意味で、
「八十」という数のことではない。
「かけて」=「めざして」の意。
「こぎ出でぬと(こぎいでぬと)」の「ぬ」は、完了の助動詞。
「人」=「都にいる親しい人」の意。
「妻」とみてもよい。
「あまの」の「あま」は、「海人」「海士」「蜑」とも書き
「漁師」のこと。
「釣舟(つりふね)」=「漁師が使う舟」の意。
詞書(ことばがき)には、
隠岐島に流された時、舟出の際に、
都にいる人に送った歌だと記述されている。
自分の孤独、絶望感と、
都の人(妻)に対する慕情が
抑え切れず、
それを漁師の釣舟に呼びかけることしか出来ない、
(返歌の望み無しの)
作者の寂しさが表現されている。
参議篁(さんぎたかむら)
参議小野岑守(さんぎおののみねもり)の子、
小野篁(おののたかむら)。
博識多才、多感直情、
平安時代初期の、漢詩人、歌人、
同時代の在原業平とは、双璧と言われた人物。
37歳の時、遣唐使の副使となったが、
乗船せず、遣唐を風刺した詩文を作ったため、
隠岐島に流罪となり、2年後には許された。
「参議」とは、「大納言」「中納言」に次ぐ官位、
(蛇足)
参議篁の機転のきいた作品
(「子」と言う文字を十二個詠み込んだもの)
「猫の子の子猫獅子の子の仔獅子」
(子子の子の子子子、子子の子の子子子)
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)