たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

台風消滅、雨上がり散歩

2024年05月31日 18時08分46秒 | 散歩・ウオーキング

台風1号が消滅、予想された暴風雨も無く、
当地、今日は、風も弱く、「曇時々小雨」、
仰々しい暴風雨警戒報道で、身構えていた分、拍子抜け?・・
の感有りだが、幸いなこと。
午後になってから、ちょこっと近くを歩いてきた。
  君の名は?花に問いつつ爺散歩
スマホの歩数計で、約6,000歩。

ビヨウヤナギ

マユミの実(種)

     君の名は?            君の名は?

 

八重咲きドクダミ

 

君の名は?
ヒペリカム・ヒドコート・・・かな?

君の名は?
えーっと?、えーっと?
出てこない・・・、
(追記)
相互フォロワー登録している方のコメントで、ようやく、思い出した。
多分、「オカトラノオ」

 

     君の名は?              君の名は?

 

君の名は?
キリンソウ・・・かな?、

 

君の名は?
(追記)
なかなか、名前が出てこなかったが、
やっと、気がついた。
「スモークツリー」

おまけ

突然、頭上で、ウグイスが、鳴き出し・・・、
コンデジ、オートフォーカス、老眼で、ピント合わず、
やたら当てずっぽうに、十数枚、
なんとか、写っていたのは、1枚だけ、
これまで、ほとんで撮れたためしがないウグイス、
チャンスだったのに・・・、残念、

コメント (4)

民謡をたずねて・その15

2024年05月31日 08時37分10秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、ページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、日本全国の「民謡をたずねて」・・・、みよう等と思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その15
「小諸馬子唄(こもろまごうた)」
(長野県)

歌い出しが、「小諸出てみよ、浅間の山に、今朝も煙が三筋立つ・・・、」で知られる「小諸馬子唄」は、信濃路や碓氷峠を往来した馬子衆によって歌われた馬子唄で、長野県小諸市周辺を発祥とする民謡とされているが、実は、昭和12年に、元々有った「小室節」の特徴、歌詞を活かしながら、それをコンパクトにして作曲され、芸者歌手赤坂小梅が歌って、レコードを発売したことから、定着したものなのだそうで、厳密に言うと、「新民謡」の類に入るのだそうだ。
「へー!、そうだったの」・・・、目から鱗・・・、である。

「小諸馬子唄」  (YouTubeから共有)


振り返り記事「民謡をたずねて」
👇️
こちら


(参考・参照)
👇️
小諸市オフィシャルサイト・「小諸馬子唄」


 


「爺さんの備忘録的花図鑑」・「ツ」

2024年05月30日 22時02分34秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

「爺さんの備忘録的花図鑑」

「ツ」

◯ツキヌキニンドウ(突抜忍冬)      ⇨ 2024.07.04
◯ツマトリソウ(褄取草)         ⇨ 2022.03.25
◯ツユクサ(露草)            ⇨ 2022.07.03
◯ツリフネソウ(釣船草)         ⇨ 2022.10.15
◯ツルニチニチソウ(蔓日々草)      ⇨ 2023.04.03
◯ツルハナナス(蔓花茄子)        ⇨ 2021.08.12
◯ツルボ(蔓穂)             ⇨ 2021.08.29
◯ツルマンネングサ(蔓万年草)      ⇨ 2020.05.25


 


台風1号がやってくる?

2024年05月30日 19時20分35秒 | 散歩・ウオーキング

(日本気象協会 tenki.jp より拝借)

進路予想では、本州南方、伊豆諸島付近を北東に抜けていくようだが、
当地も、暴風雨に見舞われるのかどうか?
備え有れば憂い無し、
庭やベランダの鉢植え等を格納したり、最低限の防災対策をして・・、

今日のところは、なんとも不安定な空模様ではあったが、「曇時々晴」
湿度が高く、身体、だるーい、重ーい・・だったが、
歩け!、歩け!、
ちょこっと近くを歩いてきた。
足、腰、の痛みを庇ってしまい、
どうしても、腰が曲がり、前屈みになってしまう爺さん、
  胸を張れ腹へっこめろ腰伸ばせ、
  君の名は?花に問いつつ爺散歩
スマホの歩数計で、約8,000歩、

君の名は?

ヤマボウシ

 

君の名は?

 

 

 


「爺さんの備忘録的花図鑑」・「キ」

2024年05月30日 10時27分09秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

「爺さんの備忘録的花図鑑」

「キ」

◯キエビネ(黄海老根・黄蝦根)      ⇨ 2022.04.23
◯キケマン(黄華鬘)           ⇨ 2024.04.21
◯キダチチョウセンアサガオ(木立朝鮮朝顔)⇨ 2021.09.30
◯キダチベコニア(木立ち性ベコニア)   ⇨ 2019.09.27
◯キツネノカミソリ(狐の剃刀)      ⇨ 2023.08.02
◯キツリフネ(黄釣船)          ⇨ 2022.09.14
◯キバナオドリコソウ(黄花踊り子草)   ⇨ 2020.04.20
◯キバナカタクリ(黄花片栗)       ⇨ 2023.03.26
◯ギボウシ(擬宝珠)           ⇨ 2023.05.20
◯キミガヨラン(君が代蘭)        ⇨ 2022.08.17
◯ギョイコウ(御衣黄)          ⇨ 2022.04.19
◯キョウチクトウ(夾竹桃)        ⇨ 2022.06.06
◯キランソウ(金瘡小草)(地獄の釜の蓋) ⇨ 2022.07.21
◯キリンソウ(麒麟草)          ⇨ 2021.06.01
◯キンギョソウ(金魚草)         ⇨ 2021.12.16
◯キンセンカ(金盞花)          ⇨ 2022.03.02
◯ギンバイカ(銀梅花)          ⇨ 2021.06.23
◯キンミズヒキ(金水引)         ⇨ 2019.08.28
◯キンモクセイ(金木犀)         ⇨ 2019.10.20
◯ギンヨウアカシア(銀葉アカシア)    ⇨ 2021.03.15
◯キンラン(金蘭)            ⇨ 2020.05.01
◯ギンラン(銀蘭)ササバギンラン(笹葉銀蘭⇨ 2022.03.27


 


民謡をたずねて・その14

2024年05月30日 09時39分41秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、ページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、日本全国の「民謡をたずねて」・・・、みよう等と思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その14
「南部俵積み唄(なんぶたわらつみうた)・俵つみ唄」
(青森県)

子供の頃、なんとなく聞いていた民謡の中には、まるで曲調も歌詞も記憶に残っていないものがほとんどだが、後年になってから、へー!、そういう民謡だったのか・・・等と改めて思い直し、お気に入り?に入れているような民謡もかなり有る。
「南部俵積み唄(単に「俵つむ唄」と呼ばれることも有るようだが)も、そのひとつ。
今更になって、ネットで調べてみると、
「南部俵積み唄」は、旧南部領(現在の青森県三戸郡)に伝わる民謡で、元々は、「門付唄(かどづけうた)」だったのだという。
「門付(かどづけ)」とは、正月や節分等の節目に、家々の門口や座敷を訪れ、太鼓や三味線ともに、舞などを披露して、米や銭を受け取る大道芸の一種で、そこで歌われた唄が「門付唄(かどづけうた)」。
「門付」は、三戸地方に限らず、江戸時代から全国各地で見られ、現代の「漫才」のルーツだと言われている。
そんな「南部俵積み唄」を、昭和30年代後半、民謡歌手の館松栄喜が歌い、レコードを発売したことで、全国的に知られる民謡に育っていったのだそうだ。

「南部俵積み唄」  (YouTubeから共有)

 


葉室麟著 「陽炎の門」

2024年05月30日 07時06分43秒 | 読書記

図書館から借りていた、葉室麟著「陽炎の門(かげろうのもん)」(講談社)を、読み終えた。本書は、伊予来島水軍の勇将黒島興正を藩祖とする、九州豊後鶴ヶ江に六万石を領するという架空の小藩「黒島藩」を舞台にした長編時代小説「黒島藩シリーズ」の第1段の作品だった。さらに、第2段に「紫匂う」、第3段に、「山月庵茶会記」が有り、引き続き読んでみたいと思っているところだ。

▢目次
(一)~(二十九)

▢主な登場人物
桐谷主水(きりやもんど、37歳、氷柱の主水)・由布(ゆう、20歳)、
芳村綱四郎(よしむらつなしろう)・芳村喬之助、
浅井孤竹・藤、
尾石平兵衛(おいしへいべい、黒島藩筆頭家老)、渡辺清右衛門(黒島藩次席家老)、
樋口次郎左衛門(黒島藩勘定奉行)、大崎伝五(黒島藩町奉行)、笠井武兵衛(黒島藩郡奉行
渡辺一蔵(義仙、渡辺清右衛門の嫡男)、早瀬与十郎(渡辺清右衛門の四男、妾腹の子
榊松庵・吉太郎、
森脇監物(元家老)、熊谷太郎左衛門、
黒島興世(くろしまおきよ、黒島藩藩主、曙山
貫井鉄心、竹井辰蔵、

▢あらすじ等
家禄五十石の下士の家に生まれ、若くして両親を亡くし、天涯孤独の身で苦難を重ねながら精進し、37歳の若さで黒島藩の執政となった桐谷主水(きりやもんど)が、執政として初出仕するところから物語が始まっている。
城内で、「氷柱の主水(つららのもんど)」等と呼ばれ、妥協を許さない切れ者の主水だったが、下士からの異例の出世は、他の執政達には目障りであり、さらに、10年前の出来事で、重い過去を背負っている主水に対し、さらに、追い詰め、陥れようとする空気が、最初から漂っている。
主水には、10年前、藩主黒島興世を中傷する落書をしたとされた親友の芳村綱四郎を庇うこと出来ず、落書きの筆跡が芳村綱四郎のものだ断定してしまい、切腹に追いやり、しかも介錯をした過去が有ったのだった。
己は友を見捨て出世した卑怯者なのか?、
娶った妻は、その親友綱四郎の娘で、17歳年下の由布であり、揺れ乱れる心情、
さらに、綱四郎の息子芳村喬之助(由布の弟)が、親の仇討ちとして現れる。
裏で蠢き、罠を仕掛けているのは誰?、
10年前の忌まわしい事件、後世河原の騒動が鍵?、
不可解な落書の真相?、疑念、謎、
「百足(むかで)」の正体は?、 
窮地に陥る主水、黙って死ぬわけにはいかない・・・、

序盤から終盤まで、畳み掛けるような波乱の展開、
著者の峻烈な筆で、武士の矜持を描き出す渾身の長編時代小説である。

  一連の事件解決後、主水は、次席家老となった。黒島藩では異例の出世である。
  登城する主水は、潮見櫓の門を潜ると立ち止り、「出世桜」に目を向けた。
  一年前、執政として初登城した時を思い出しながら・・・。
  その時、主水はささやくような声を耳にした。
  「・・・・桐谷様」
  振り返ると、門の向こうの石段に若い武士が立っており、早瀬与十郎だとわかった。
  「与十郎、いかがした」
  思わず、主水は声をかけた。
  その若い武士ははにかんで少し笑ったように見えた。
  だが、武士の姿は立ち昇る陽炎にゆらいだ。

  主水がはっと気がつけば、そこには誰もおらず、桜の花びらが風に乗って散るばかりだった。
  主水は、眉尻の傷に触れそうになった手を止め、次席家老の威厳溢れる面持ちで、
  石段を踏みしめるように上がっていった。

で終っている。


36勝4敗?

2024年05月29日 21時39分26秒 | スイミング

当地、昨日の大荒れの天候とは打って変わって、
「曇時々晴」、最高気温 28℃前後、
週末には、台風1号が接近するようだが、
嵐の前の静けさ?
湿度が高く、身体、重ーい、怠ーい、
だったが、
いかん、いかん、
こんな日こそ、泳いで来るべし・・、
やおら、重い腰を上げ、
19時~20時、スイミングクラブ成人クラスレッスンに出席、
先程、帰ってきたところだ。



今日は、ベテランのN指導員によるバタフライ中心レッスンだったが、
M4グループ、女性8人、男性2人,
2レーン使用、1レーン 5人、
トータル 950m?
疲れ果てて帰ってきたところだ。


今年の年初、目標のひとつとして、
若い頃からの持病の腰痛対策、
リハビリ的運動と決め込んで続けている、
週2回、月8回のスイミングスクール、
「出来る限り休まないことにしよう」等と、
ブログにも書き込んだものだったが、
5ヶ月経過したところで、
カレンダーでチェックしてみると、
なんとか、4回休んだ(サボった)に、留まっている。
何をするにしても、いい加減で、
なかなか重い腰が上がらない爺さん、
この調子を続けるためには、
さらに自分にハッパをかけるしかない。
なにか、いい方法が無いか?
ふっと、子供の頃から、新聞のスポーツ欄等で見慣れている、
大相撲の星取り表を思い出した。
成績?が、一目で分かる。
「いいね!」、
「これで行こう!」、
と 決め込んだところだ。

出席した日=⚪️、欠席した日=⚫

1月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (8勝0敗)
2月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚫ (7勝1敗) 
3月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚫️ (7勝1敗)
4月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (8勝0敗)
5月 ⚪️⚫⚪️⚫️⚪️⚪️⚪️⚪️ (6勝2敗)

5月末現在、通算、36勝4敗、
果たして、今年の年末、通算、何勝何敗になるかだ。
・・・・・・・・・継続は力なり・・・・・・・・・


民謡をたずねて・その13

2024年05月29日 14時48分52秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、ページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、日本全国の「民謡をたずねて」・・・、みよう等と思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その13
「阿波よしこの(阿波おどりのお囃子・唄)」
(徳島県)

「エライヤッチャ、エライヤッチャ、ヨイヨイヨイヨイ ♫」
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々 ♫」
「阿波おどり」のお囃子・唄で有名な「阿波よしこの」、
子供の頃から、耳に馴染んでいる民謡の一つではあるが、これまでずっと、なんとなく見聞きしているだけで、その歴史や背景等、詳しいことを知らないままできており、
今更になって、「へー!、そうだったの」
目から鱗・・・、である。

「阿波よしこの(阿波おどりのお囃子・唄)」 (YouTubeから共有)


古い写真から蘇る思い出の山旅・その51

2024年05月29日 10時41分08秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その51
「臼杵山(うすきやま)・市道山(いちみちやま)・陣馬山(じんばさん)」(再)

かれこれ27年前の1997年2月22日のこと、ようやく春の日射しがこぼれる候だったが、当時一時的に所属していた山の会の仲間と、東京都西部の戸倉三山の2座(臼杵山・市道山)、陣馬山等を縦走したことが有った。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケットサイズのフィルムカメラ)しか持っていなかった頃だったが、撮った写真は、プリントして、アルバムに貼ってある。
ピンボケ、拙劣写真ばかりだが、「OCNブログ人」でブログを始めた頃に一度、スキャナーで取り込んで、ブログ・カテゴリー「山歩記」にも、書き留めたことが有り、外付けHDに残っている。コピペ、リメイクして、改めて「古い写真から蘇る思い出の山旅」に書き留め置くことにする。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだ等と自嘲しながら・・・。


山行コース・歩程等

荷田子バス停→荷田子峠→(グミ尾根)→臼杵山菜黄御前→臼杵神社→臼杵山山頂→
市道山山頂→イッポチ山→(吊尾根)→醍醐峠→和田峠→陣馬山山頂→(栃尾根)→
栃尾集落→落合集落・陣馬山登山口バス停、
(標準歩行所要時間=約6時間30分)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

JR五日市線五日市駅に、午前8時集合、
バスの便が少なく、待ち時間が無駄になるため、タクシーに分乗し、
出発地、「荷田子バス停」まで向かったようだ。
8時30分頃、「荷田子バス停」を出発、いきなり、樹林帯の急登に喘ぎ・・、
9時頃、尾根上、「荷田子峠」に到着、
10時頃、「臼杵神社」に到着
北方、展望良し、大岳、御前山等が、目の前に・・・・、
アップダウンを繰り返しながら
10時30分頃、「臼杵山山頂(標高842.1m)」を通過、
11時50分頃、「市道山山頂(標高795.1m)」に到着、
天気晴朗なれども冷たい強風で、手が悴む程だったが、南斜面は、ポカポカ陽だまり、
昼食タイムとなった。

生藤山への分岐・「醍醐峠」からは、急な下りとなり、
14時30分頃、「和田峠」を通過。
駐車場には、数台の車が駐車していたが、路面の一部は凍結しており・・、
和田峠からは上り返し、
14時50分頃、「陣馬山山頂(標高857m)」に到着したようだ。
冷たい強風が吹き荒れており、休憩も10分程度で、出発。
澄み切った青空の下、富士山、大山、扇山・・・、奥多摩秩父上州の山々、
八王子市街等、360度、展望出来たようだ。
陣馬山山頂からは、栃尾根をひたすら下り、「栃谷集落」を経て、
16時頃、「落合集落・陣馬山登山口バス停」に、到着。
最後には、膝が笑い出したが、なんとか持ちこたえ・・・。
バスの便が少なく、ここでまた30分待ち時間、
JR中央線藤野駅に着いたのは、暗くなった17時頃だったようだ。
一般向き山歩きコースとされていたが、歩行時間的には、やや健脚組向きコース?とも思われ、
よくも、歩けたものだと、我ながら驚いたものだった。
「臼杵山・市道山・陣馬山」もまた、今となっては、二度と歩くことの叶わない、遠い思い出の山旅となっている。