たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「貴女の面影」?

2023年11月22日 09時02分36秒 | 詩・エッセイ

記憶から完全に喪失していた物が、数年前、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、まるでタイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。後期高齢者の今となっては、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。


その中に、色褪せたレポート用紙に、無題で、「X’masパーティー控えて」、「貴女の面影を追う男より」として、走り書きした、詩(もどき)も有った。
日付は、「昭和42年11月16日」と記されており、今から56年も前、独身の頃に、感傷妄想で書き殴った物で、50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかった物である。幼稚、拙劣、無茶苦茶、いい加減な詩(もどき)であり、自嘲もしてしまうが、これも又、自分のあしあとの一つと居直って、恥も外聞もなく、ブログ・カテゴリー「川柳・俳句・詩」に、書き留め置くことにした。

無題
(X’masパーティーを控えて)
昭和42年11月16日

この日のために
貴女のために
つたない詩(うた)を贈ります。

もしも 貴方が
夜空のかわいい星ならば
小高い丘に背のびして
少しでも近くにいたい

いいえ 貴方が
花びら運ぶ風ならば
通り過ぎても何んにも言えず
黙って行方を見つめていよう

ああ でも 貴方が
甘くはかない夢ならば
潤んだ瞳を忘れずに
やさしく抱いて眠りたい

貴方の面影を追う男より

 

 

 

 

 

 


「山のあなた」(再)

2023年10月10日 07時50分56秒 | 詩・エッセイ

(15年前、2008年11月9日 長野県の風景)

相互フォロワー登録している数多の方々の中には、日々、欠かさず、自作の詩を、ブログ上で発表されている方もおられる。詩を書く等、無縁の爺さん、よくも、次々と、心のほとばしりを、言葉で表現出来るものよ、と感じ入るばかりであるが、毎年、秋になると、中学生の頃、高校生の頃、国語で習った?、暗記した?(暗記させられた?)、ような気がする、いくつかの詩が思い浮かび、バカの一つ覚え、繰り返し、繰り返し、ブログに書き留めるようになっている。
よく、「秋は、人を、詩人にする」等と言われているように、なんとなく、詩人気分に浸りたくなるのかも知れない。
カール・ブッセの「山のあなた」も、そのひとつ。「ブログ内検索」してみると、5年前の秋にも書き込んでいたことが分かったが、懐かしくなり、コピペ、リメイクすることにした。

「山のあなた」 
カアル・ブッセ(カール・ブッセ)
上田敏訳

山のあなたの空遠く         
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ   
噫(ああ)われひとゝ尋(と)めゆきて
涙さしぐみかへりきぬ        
山のあなたになほ遠く        
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ   

山のずっと彼方に、「幸せの理想郷」が有るというので、探しに行ってみたが、どうしても見つけることが出来ず、涙ぐみながら帰ってきた。あの山のはるか彼方に、「幸せの理想郷」が有ると 人は言うが、幸せは、遠くでなく、すぐ近くに有るもので、どんなに遠くに行っても見つけることは出来ない・・・・、等という意味合いの詩なのだろうか。

今更になってネットで調べてみると
「山のあなた」は、詩人上田敏が、1905年(明治38年)に出版した、主に、ヨーロッパの詩人29人の詩57篇を訳詩した詩集「海潮音」に掲載された詩のひとつ、カール・ブッセの詩だった。七五調で、わずか数行の詩であり、おそらく、知らない人はいない程、愛唱されている詩であると思う。同じく、同詩集に掲載されている、上田敏訳、ポール・ヴェルレーヌの「落葉(秋の歌)」と共に、脳裏に焼き付いており、未だにふっと思い浮かぶ詩である。
「昨日の夕食、何食べた?」かも、とっさに思い出せない老脳にも拘わらず、何十年も前に覚えた詩が、さっと思い出せるから、なんとも不思議な気がしてならない。
実際に、詩集「海潮音」を手にとった記憶も無ければ、上田敏についても、詳しく知っている分けでもない爺さんだが、「詩」というと、思い浮かんでくる「山のあなた」である。


振り返り記事
「落葉(秋の歌)」
👇
こちら


 

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「道程」 高村光太郎

2023年07月24日 19時01分27秒 | 詩・エッセイ
先月2023年6月に、「古い写真から蘇る思い出の山旅・安達太良山」で、(蛇足)として、高村光太郎の詩「智恵子抄」「あどけない話」を書き込んだことが有ったが、正直、高村光太郎に関しては、ほとんど無知で、気になっていたものだ。高村光太郎から、サッと思い浮かべることが出来るといえば、せいぜい、詩「智恵子抄」と詩「道程」位なものであるが、いずれも、中学生の頃の教科書に載っていたような気がする位で、ほとんど覚えてもいない。

今更になってネットで調べてみると、
高村光太郎は、1883年(明治16年)3月13日生、1956年(昭和31年)4月2日没(享年73歳)の詩人、歌人、彫刻家、画家だった。
彫刻家の高村光雲の長男に生まれ、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)彫刻科に入学したが、文学に関心を寄せ、与謝野鉄幹の新詩社の同人となったり、ニューヨークへ1年2ヶ月留学したりした。帰国後、旧態依然の日本美術界に不満を持ち、父親にも反抗、東京美術学校教職も断り、しばらくは、かなり烈しい耽溺生活に陥リ、精神的な危機を経験する。
「道程」は、1914年(大正3年)3月に、「美の廃墟」で発表されたが、元々、102行に及ぶ長い詩だったのだという。その詩、同年10月に出版された、詩集「道程」では、よく知られている、下記、9行の詩になって、発表されている。
「へー!、そうだったの」・・・、である。
同年12月には、福島県出身の長沼智恵子と結婚、その智恵子とは、1938年(昭和13年)に死別。1941年(昭和16年)8月には、詩集「智恵子抄」を出版している。
1945年(昭和20年)4月、東京大空襲でアトリエや作品が焼失、岩手県花巻の宮沢清六(宮沢賢治の実弟)方に疎開。戦後は、花巻郊外に、粗末な小屋を建てて移住、約7年間、戦争中、戦争協力の詩を作った自責自省の念を持ち、独居自炊の暮らしを送ったが、肺結核で苦しむようになったのだという。
 
「道程」
高村光太郎

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

(ネットから拝借画像)

(参考)
「道程」 高村光太郎
👇
青空文庫


振り返り記事「古い写真から蘇る思い出の山旅・安達太良山」
👇
こちら


 


「あはれ花びらながれ おみなごに花びらながれ・・・・」

2023年04月02日 11時13分23秒 | 詩・エッセイ

当地、今日はまた、曇天に戻り、気温も急低下、
花冷え?、花曇り?
満開になっている桜も、そろそろ散り始めているが、
毎年、この時期になると、なんとなく思い浮かんでくる詩がある。
まるで、疎覚えではあるが、
「あはれ花びらながれ おみなごに花びらながれ・・・・」
新学期を迎え、桜吹雪の下を、うきうきと賑やかに通り過ぎる女の子達の情景を
勝手に連想している爺さんであるが・・・・、
今更になってネットで調べてみると、
その詩は、詩人、三好達治が、1930年(昭和5年)に刊行した、詩集「測量船」で発表した抒情詩「甃(いし)のうへ」だった。もしかしたら、中学だか、高校だかの国語の教科書の載っていたのかも知れない。

「甃のうへ」 
三好達治、詩集「測量船より」


            あはれ花びらながれ
            をみなごに花びらながれ
            をみなごしめやかに語らひあゆみ
            うららかの跫音(あしおと)空にながれ
            をりふしに瞳をあげて
            翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
            み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
            廂(ひさし)々に
            風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
            ひとりなる
            わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ

「甃(いし)」とは、石畳、敷き瓦(石畳のように敷き並べた平たい瓦)のこと。
標準漢和辞典に無かった「甃」、PCでは、「いしだたみ」で変換され、ビックリ・・・、
「わが身の影をあゆまする甃のうへ」
爺さんの勝手な連想とは違って、緑に囲まれたお寺の桜の散る下を、静かに語らい歩く娘達の情景を見ながら、甃を歩く青年の孤独な思いを表現した詩だった。


「初恋」 島崎藤村

2023年02月13日 08時37分57秒 | 詩・エッセイ

先日、相互フォロワー登録している方のブログを拝見していて、ふっと思い出した詩が有る。
島崎藤村の詩「初恋」だ。
せっかく思い出させていただいても、何日かすると、何を思い出したかも、思い出せなくなる老脳、また思い出せなくなる前に、ブログ・カテゴリー「川柳・俳句・詩」に、書き留め置くことにする。

島崎藤村の詩、「初恋」、記憶は曖昧になっているが、確か、高校生の頃に出会った詩のような気がする。
にも拘わらず、おぼろげながらも、八十路過ぎて未だにほぼ口ずさめるから、不思議なことだと思う。七五調で、初恋の甘酢っぱさ、初々しさを描いた詩「初恋」、
北陸の山村で、初(うぶ)で多感だった頃に心を打たれ、脳裏に焼きついてしまったのだろう。
今更になってネットで調べてみると、「初恋」は、1897年(明治30年)に刊行された、島崎藤村の処女詩集「若菜集」に収められた詩51編の中の一つだった。これまで意識したことも無かったが、「林檎(りんご)」「初めし」が、3回も使われていて、この詩のキーワードになっている。

          「
初恋」 島崎 藤村

          まだあげ初めし前髪の
          林檎(りんご)のもとに見えしとき
          前にさしたる花櫛(はなぐし)

          花ある君と思ひけり

          やさしく白き手をのべて
          林檎をわれにあたへしは
          薄紅(うすくれない)の秋の実に
          人こひ初めしはじめなり

          わがこゝろなきためいきの
          その髪の毛にかゝるとき
          たのしき恋の盃(さかずき)

          君が情(なさけ)
に酌(く)みしかな

          林檎畠(りんごばたけ)
の樹(こ)の下に
          おのづからなる細道は
          誰(た)
がふみそめしかたみぞと
          問ひたまふこそこひしけれ

島崎藤村の「初恋」には、数多の作曲家が曲を付けているそうで、
その一つ、若松甲・作曲、舟木一夫・唄 の「初恋」を YouTubeから共有させていただいた。

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冬来たりなば春遠からじ

2023年01月19日 17時58分33秒 | 詩・エッセイ

昭和20年代~30年代の北陸の山村の実家の近くの風景
村落で自動車を保有している家等無かった時代、
当然、現在のような除雪車両等無く、
根雪になると、雪解け時期までは、雪上をかんじきで踏み固めた一本道を 
長靴でズブズブ埋まりながら往来、登校したものだった。


「冬来たりなば春遠からじ」

「つらい時期を耐え抜けば、必ず幸せな時期は来る」というたとえ、長い冬を耐えて春を待つ気持ちの表現としてのことわざ・慣用句であり、若い頃から馴染んでいる言葉であるが、最近になって、それが、イギリスの詩人、パーシイ・ビッシュ・シェリー(Percy・B・Shelley)が、1819年、27歳の時に書いたと言われる長詩、「西風に寄せる歌(西風の賦)」の最後の一節、「If winter comes, can spring be far behind?」に、由来していることを知った。シェリーの作品は、明治時代以来、日本でも、数多の人たちに研究されたり、和訳されたりし、詩題も、訳詞も何通りかが有るのだそうだが、その一つ、平井正穂訳の「西風の賦」を、ネットから転載させていただいた。


「西風の賦」

パーシイ・ビッシュ・シェリー 作、
平井正穂 訳

(1)荒れ狂う西風よ、迸り出る秋の息吹よ、
   枯葉の群れが、今見えざるお前の傍らから吹きまくられ、
   妖魔から逃げ惑う亡霊のように飛び散ってゆく、
   そうだ、黄色く、黒く、青白く、或るいは不気味な赤みを帯びて、
   あたかも瘴癘に苦しむ者の群れのような、
   枯葉の群れがお前に翼をもった種子が暗い冬の寝床へと追いやられ、
   そこで、凍え、地中深く眠ろうとしている、まさに、
   墓場の下で眠る死骸のようにだ、だが、やがて、
   紺碧の空をかけるあの春風が、お前の妹が、やってくる、
   夢を見ている大地に向かって嚠喨たる喇叭を吹き鳴らし、
   (青草を食み勇みたつ羊のように、青空を仰ぐ蕾を萌えたたせ)
   野や山に生色を漲らせ、香気をあたりに撒きちらすはずだ、
   西風よ、お前は天地に充満し躍動する烈しい霊だ、
   破壊者であり保存者だ、聴け、この叫びを聴け、

(2)西風よ、揺れ動く大空を引き裂いて駆け抜ける奔流よ、
   今、その流れの上を、地上の枯葉にも似たちぎれ雲の群れが、
   縺れた枝のように空と海が絡み合った彼方から引き千切られ
   流れてゆく。この雲こそ、雨と稲妻の前触れなのだ、怒涛の、
   ように荒れ狂うお前の面の上に、あたかも恐るべき狂乱の、
   巫女の、天を衝かんばかりの爛々たる毛髪さながらに、
   朦朧と霞む地平線の彼方から中天にかけ、
   まさに今迫ろうとする嵐の振り乱した暗雲が、
   蕩々と拡がり一面に覆おうとしている。おお、西風よ、
   逝かんとすると死を悼む挽歌よ、刻々に迫り来る夜こそ、
   濛々と不気味に湿気のたちこめる、
   巨大な納骨堂の円蓋というべきか、陰々たる、
   その蜜雲から、まもなく暗き雨と閃光と雹が、
   迸りでるはずだ、聴け、この叫びを聴け、

(3)西風よ、お前は夏の日の夢を貪っていた青き地中海の眠りを、
   破った、そうだ、バイア湾に浮かぶ熔岩の小島の、
   ほとり澄明な潮流の渦巻きの音を子守唄と聞きながら、
   海面の波を通して射してくる強い日光をうけて揺れ動き、
   心に描くだけでも感覚が麻痺するような、
   蒼い苔に覆われた、
   遠い昔の宮殿や高い塔の夢をうっとりと、
   夢見ていた地中海の眠りを破ったのだ、
   西風よ、お前がひとたび大西洋の海原を疾駆すれば、
   漫々と漲る溢れる波濤は、忽ち裂けて深い溝となり、
   海底では、大海原の深海独特生気なき、
   葉を茂らせながら揺れる玉藻や海草の群れが、
   お前の怒号を聞きつけ、恐怖の余り突如として蒼白になり、
   うち震え、力を失い、畏怖するのだ! おお、聴け、

(4)私は、自分がお前に空高く舞い上げられる枯葉であり、
   お前とともに天翔ける雲であり、
   お前の恐るべき力を畏れて喘ぎ、お前の猛威に
   呼応して荒れ狂う怒濤であれば、と願う、たとえ、
   西風よ奔放なるものよ、お前の奔放さに及ばないまでも、
   いや、せめて少年の頃の自分であり、あの頃のように、
   大空を翔けめぐるお前の仲間であればと願う、ああ、あの頃は、
   大空を翔けるお前の速さを凌ぐことも、夢ではなかった、
   今こうやって苦境に喘ぎ、祈り、せめてお前にあやかりたいと、
   願う自分のこの惨めさを、私は悲しむ。西風よ、波のように、
   枯葉のように、雲のように、私を軒昂たらしめてくれ、
   私は今人生の茨の苦痛に悶えている、血を流しているのだ、
   永年にわたるこの世の重圧が、余りにお前にも似た者を、
   不羈奔放で誇り高き者を、私を、呪縛してしまったのだ、

(5)西風よ、あの森と同じく私もお前の竪琴にしてくれ、たとえ、
   あの枯葉のように、私から枯葉が散っていても構わぬ、
   それよりも、お前の激しい響きが、森と私の叫びと交じり合い、
   沈痛な、そうだ、悲しみを帯びながらもなお快い、秋の調べを
   奏でることを私は望む、西風よ、烈々たる霊よ、私の霊と、
   一つになってくれた、奔放なる者よ、私と一つになってくれ、
   西風よ、お前が枯葉を撒き散らすように、私の死んだように
   見える思想を全宇宙に撒き散らし、その再生を促してくれ、
   まだ消え去らぬ暖炉の灰燼と残り火と撒き散らすように、
   私のこの詩の呪術の力を用いて、私の言葉を、
   全世界の人々に向かって撒き散らしらてくれ、
   西風よ、私の唇を通して、また醒めやらぬ全世界に対する、
   予言の喇叭を響かせてくれ、おお、西風よ、
   冬来たりなば春遠からじ、と私は今こそ叫ぶ、


 

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「寒の雨(かんのあめ)」

2023年01月15日 15時52分55秒 | 詩・エッセイ

当地、今日は、終日、冷たい雨が降り続き、本当に久し振り、本格的な雨の1日だった。
名実とも、「雨の日曜日」である。
「寒中」に降る雨のことは、「寒の雨(かんのあめ)」と呼ばれ、
俳句では、「冬の季語」なのだそうだ。
冷たく、暗いイメージではあるが、どちらかというと、冬としては、
気温が高めの日に降る雨であり、雨無しが続き、乾燥注意報が出る太平洋側等では、
むしろ歓迎されるのではないかと思われる雨でもある。
因みに、「寒中」とは、寒の入りの1月5日頃から、寒の明けの2月4日頃までの30日間で、この間に降る雨を、「寒の雨」というようだ。

詩 「寒のあめ」 金子みすゞ

しぼしぼ雨に  
日ぐれの雨に、 
まだ灯のつかぬ、
街灯がぬれて、 

きのうの凧は  
きのうのままに、
梢にたかく、  
やぶれてぬれて 

重たい傘を、  
お肩にかけて、 
おくすり提げて、
私はかえる、  

しぼしぼ雨に、 
日ぐれの雨に、 
蜜柑の皮は、  
ふまれて、ぬれて


心に染みる言の葉(再)

2023年01月08日 18時37分10秒 | 詩・エッセイ

一つ一つの名言が、心に染みます。
深ーい!、

「たった一つの名言があなたの生き方を変える」 (YouYubeから共有) 

             心が変われば、態度が変わる
             態度が変われば、行動が変わる
             行動が変われば、習慣が変わる
             習慣が変われば 人格が変わる
             人格が変われば 運命が変わる
             運命が変われば、人生が変わる


「ミラボー橋(Le pont Mirabeau)」(再)

2022年12月03日 20時10分40秒 | 詩・エッセイ

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、もう6年も前に書き込んでいた記事、「ミラボー橋の下セーヌは流れる」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。


振り返り記事
2016年11月16日
「ミラボー橋の下セーヌは流れる」

今日は、午前と午後、夫婦が交互に病院予約有りの日だった。高齢者には、病院行きも仕事の内?、なんとも落ち着かない1日だったが、出たり戻ったりの合間の手持ち無沙汰な時間に、先日 押入れの奥から出てきた古い詩集を広げてみた。記憶曖昧だが、何十年も前の若い頃に、その気になって手に入れたものだが、ほとんど眠ったままの詩集で、初めて見るような新鮮味?さえ有る。9冊セットだったのだろう。その内の1冊「世界恋愛名詩集」のページを捲ってみると、なんとなく覚えている、懐かしい詩に、付箋が付いていた。
ギョーム・アポリネール作、堀口大學訳の「ミラボー橋」だ。その詩集には、赤木靖恵朗読の「ソノシート」が付いていて、確かに、何回か、聴いた記憶が有る。

今更になって、ネットで調べてみると
詩、「ミラボー橋」は、イタリア生まれ、ポーランド人のギョーム・アポリネールが、1912年(大正1年)に、文芸誌に発表したもので、パリのミラボー橋の下のセーヌ河の流れを比喩的に表現して、時間の経過に伴って愛の喪失していくといった内容で、画家のマリー・ローランドとの恋とその終焉を綴ったものと言われている。
日本では、堀口大學が日本語に訳した「ミラボー橋」が、最もよく知られており、また、この詩に、レオ・フェレ、ルイ・ベシェール等が、曲を付けたシャンソンが有る。
秋の夜長、なんとなく、ジャズやシャンソンの調べを聴きたくなるのは、古い昭和人間なりのせいだろうか。

「ミラボー橋(Le pont Mirabeau)」
ギョーム・アポリネール 作、堀口大學 訳

ミラボー橋の下を セーヌ川が流れ
われ等の恋が 流れる
わたしは 思い出す
悩みのあとには 楽しみが来ると

鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る

手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
こうしていると 
二人の腕の橋の下を
相も変わらぬまなざしの 疲れた水が流れゆく

鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る

流れる水のように 恋もまた死んでゆく
恋もまた死んでゆく
命ばかりが長く
希望ばかりが大きい

鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る

日が去り 月がゆく
過ぎた時も 昔の恋も
二度とまた 帰って来はしない
ミラボー橋の下を セーヌ河が流れ

鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る

「ミラボー橋」(日本語訳詞付) (YouTubeから共有)

 

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与謝野晶子の秋桜の詩

2022年10月07日 17時46分12秒 | 詩・エッセイ

毎年、7月頃から11月頃、散歩の途中や畑地や公園等、あちらこちらで見掛ける花の一つに、「コスモス(秋桜)」が有る。コンデジでやたら撮った拙劣写真が、外付けHDにたまっているが、昨年の秋に、その何枚かを引っ張り出して、与謝野晶子の詩を付けて、「ZUISO」にしていたことを思い出した。せっかく作ってある「ZUISO」、たまには見てみようという気になり・・・。
「コスモス(秋桜)」は、秋晴れによく似合う花であると思っている類であるが、今年は、なんとも天候不順、天高い秋の空が長続きせず、しっかり見ていない内に、そろそろ見頃が過ぎようとしている感じだ。


ZUISO 「コスモスの花」 与謝野晶子
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「コスモス」(「壺の花・小曲十五章」より) 与謝野晶子

一本のコスモスが笑ってゐる
その上に、どっしりと
太陽が腰を掛けてゐる

そして、きゃしゃなコスモスの花が
なぜか、少しも撓(たわ)まない
その太陽の重味に

「コスモスの花」 与謝野晶子

少し冷たく、匂(にほ)はしく
清く、はかなく、たよたよと
コスモスの花、高く咲く
秋の心を知る花か
うすももいろに、高く咲く

「晩秋の草」 与謝野晶子

野の秋更けて、露霜(つゆしも)に
打たるるものの哀れさよ
いよいよ赤む蓼(たで)の茎
黒き実まじるコスモスの花
さてはまた雑草のうら枯れて
斑(まだら)を作る黄と緑

「無題」 与謝野晶子

うす紫と、淡紅色(ときいろ)と
白と、萌黄と、海老色と
夢の境で見るやうな
はかない色がゆらゆらと
わたしの前で入りまじる
女だてらに酔ひどれて
月の明かりにしどけなく
乱れて踊る一むれか
わたしの窓の硝子(がらす)ごし
風が吹く、吹く、コスモスを

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