たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

センリョウ(千両)、マンリョウ(万両)、投票日

2021年10月31日 15時06分31秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、曇時々雨、
薄日が射したり、小雨が降ったり、
パッとしない空模様の1日になっている。
午後になってから、やおら重い腰を上げ、衆議院議員選挙投票に出掛け、
その足で、傘を差して、ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で 約5,400歩。

エッ!、まだ咲いてる? 
??百合、

センリョウ(千両)

マンリョウ(万両)


爺さんの備忘録的花図鑑
「マンリョウ(万両)」
👇
2021年7月31日


 

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思い出の紅葉旅アルバム「東北屈指の紅葉名所・鳴子峡」(再)

2021年10月31日 10時13分58秒 | 旅行記

5年前、2016年11月4日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


かれこれ、5年前、2016年11月2日のこと、仕事を辞めて時間は出来たものの、今度は、気力体力が減退、旅行に出掛けるのにも、なかなか重い腰が上がらなかったが、「その内、いつか」等と言ってられない歳となっている老夫婦、思い切って旅行会社の格安バスツアーに申し込みをし、宮城県大崎市の「鳴子峡」を訪ねたことが有った。
「鳴子峡」は、東北自動車道古川ICから山形方面へ、車で約1時間、鳴子温泉郷の先にある、深さ100mにも及ぶ大峡谷で、東北屈指の紅葉の名所として知られている。
駐車場等が完備されており、鳴子峡レストハウス展望デッキからでも、見事な景観が堪能出来るが、遊歩道を巡れば、さらに素晴らしさが伝わってくる景勝地だ。
残念ながら、5年前には、本来の「鳴子峡遊歩道」(赤線)が、工事中のため、各所で通行禁止となっており、平成20年に新設されたという、「鳴子峡大深沢遊歩道」(青線)を巡った。
「鳴子峡大深沢遊歩道」は、鳴子峡レストハウスを起点にして、一周 約2.2kmの、アップダウンが少なく、変化の乏しいコースだが、のんびり歩くには最適。写真を撮りながら、ゆっくり歩いても、40~50分程度だろうか。  
今年も、鳴子峡の紅葉、丁度見頃を迎えている頃かも知れない。

5年前の案内書

鳴子峡レストハウスの展望デッキから眺められる景観

大深沢橋付近から 眺めた峡谷の一部。

 

大深沢遊歩道

旅行会社の強行スケジュール、格安バスツアーの宿命?、滞在時間は、僅か1時間位で、慌ただしかったと思うが、天候にも恵まれ、期待していた鳴子峡の紅葉を満喫した旅だった。

コンデジでやたら撮った写真は、以前「デジブック」にしていたが、「デジブック」は、すでに廃止されており、改めて、外付けHDから古い写真を引っ張り出して、動画アルバムにしてみた。日頃、旅行を楽しまれている方々には、ほんのささやかな旅?だと思われそうだが、帰省は別物として、国内旅行も海外旅行も、指折り数える程しかしてこなかった老夫婦には、貴重な旅になっている。

「思い出の紅葉旅アルバム 鳴子峡」

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「青い灯影(ほかげ)のブルース」(再)

2021年10月31日 07時04分09秒 | 詩・エッセイ

7年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年4月12日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「青い灯影(ほかげ)のブルース」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「青い灯影のブルース」と題した詩(もどき)が有った。「昭和39年6月のある日」と記されており、今から57年も前の独身時代に書いていたことになる。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことで、無茶苦茶、いい加減な詩であり、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って・・・。

(ネットから拝借画像)

「青い灯影(ほかげ)のブルース」

あやしく漂う 夏の夜の
甘き ささやき 聞きながら
舗道に映る 水銀灯の
青き灯影(ほかげ)を 慕いつつ
寄り添い歩む 若人に
緑の風の 清らかさ

白き炎に 燃えんとし
烈しき夏の 威に屈し
風を慕いて とどまらず
緑の影を 求めんを
今また 金色の夕映えの
美しき天然に 魅せらるる

やさしく 白き 手をのべて
髪の揺るるも 愛らしき
白き頬に 涙して
紅き唇口(くちびる) ふるわせる
君が胸を 抱かんと
立ちどまりては 惑うらむ

恋人たちの 語らいは
夜空に敷いた 星の如(ごと)
甘き恋の 語らいは
真夏の夜の 更けゆくを
明日の生命(いのち)も 忘れやり
青春の 青き灯影(ほかげ)の 美しき

(昭和39年6月のある日)

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思い出の紅葉旅アルバム「日光田母沢御用邸記念公園」(再)

2021年10月30日 15時28分29秒 | 旅行記

9年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2012年11月13日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


かれこれ9年前の2012年11月10日に、日光を訪れたことが有った。「日光見ずして、結構と言うなかれ」、美しい日光東照宮こそ、結構という言葉に価するもので、それを見ない内に、結構と言う言葉を使うな、という、東照宮の壮麗さを賞讃し、「にっこう」と「けっこう」の語呂を合わせた、言葉が有るが、実は、それまで、一度も日光を訪れる機会が無かった。「その内、いつか」等と言ってられない歳になってしまい、その年、思い切って出掛けたものだ。
どこから情報を入手したのかは忘れてしまったが、その当時、期間限定で、「JR・東武 日光・鬼怒川 観光フリーきっぷ」というのが有った。それは、JR新宿、JR品川、JR八王子、JR大船、JR千葉、各駅発で、東武日光駅まで直通で行け、しかも、全車座席指定特急、往復料金切符、余裕があれば 日光、鬼怒川エリアでは、乗り降り自由、また、料金には、現地で自由に使える、タクシー・バス クーポン券、1,500円分が含まれているという切符だった。
紅葉シーズンの日光方面は、車の大渋滞を覚悟しなければならず、街歩き後の疲労も考えると、高齢者が、マイカーで日帰りは、ちょっと厳しいが、超楽々、便利な 「JR・東武 日光・鬼怒川 観光フリーきっぷ」・・・、「いいね」、一度は、紅葉のシーズンの日光を訪れたいと思っていた人間にはもってこいの企画で、飛び付いてしまったのだった 

日光山内にある、二社一寺(東照宮、二荒山神社、輪王寺)の103棟の建造物と、それらを取り巻く、文化的景観は、1999年に、「日光の寺社」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されており、紅葉探訪を兼ねて、大満足の旅だった。

利用した列車は、東武日光駅着10時19分、帰りは、東武日光駅発17時4分、
日光滞在時間は、約6時間半だったが、タクシー・バス クーポン券を利用して、距離を稼ぎ、目いっぱい歩いて、1万5000歩~1万6000歩。かなり、疲れはしたが、お目当ての観光が予定通り出来、帰りの列車では、ビールを飲みながら、居眠りして帰れ、楽ちん、安心。旅行も、その気になりさえすれば、いろいろな手段、方法が有るもんだと、実感したものだった。

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「日光 号」

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東武日光駅

その1 日光田母沢御用邸記念公園

10時19分に、東武日光駅に到着。「フリー切符」が、改札機を通さないことから、改札口で、ゴタゴタ混雑したが、駅前タクシー乗り場には、行列無し。時間を惜しんで、先ずは、タクシーで、「日光田母沢御用邸記念公園」に向かった。駅前からは、119号線を真っ直ぐ、上りになるが、二社一寺の入口、神橋(しんきょう)付近では、駐車場に入ろうとする観光客の車等が詰まっている影響で、大渋滞、ノロノロ運転。「右折車線を作るとか、駐車場の案内表示板を もっと分かりやすくするとかすれば、こんなに渋滞することもないのに、いつまでたっても 改善しようととしない」等と、タクシーの運転手さん、ぼやくことしきり。タクシー料金は、1,200円~1,300円程度だったが、「タクシー・バス クーポン券(1,500円分)」で支払い、なんだか、タダ乗りのような、得した気分になった。

「日光田母沢御用邸」は、明治32年、嘉仁親王(大正天皇)ご静養のために造営され、昭和22年に廃止されるまで、三代に渡る、天皇、皇太子が、ご利用された施設で、明治期に造営された御用邸の中では、最大規模の木造建築で現存する唯一の建物なのだそうだ。江戸、明治、大正の三時代の建築様式をもつ、集合建築群で、国指定重要文化財にもなっている。現在は、公益財団法人栃木県民公園福祉協会により、記念公園として管理運営されている施設。
入園料=500円(クーポン券利用=20%割引、400円、ここでも得したような気分に)

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窓ガラス越しに眺める庭園の紅葉

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3階建の建物

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池に写る紅葉

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紅葉が見ごろの、日光田母沢御用邸記念公園だった。

コンデジでやたら撮った写真は、以前「デジブック」にしていたが、「デジブック」は、すでに廃止されており、改めて、外付けHDから古い写真を引っ張り出して、「ZUISO」にしてみた。拙劣写真ばかりだが、爺さんの思い出アルバムのつもりで・・・。
日々、旅行を楽しまれている方々には、ほんのささやかな旅?だと思われそうだが、帰省は別物として、国内旅行も海外旅行も、指折り数える程しかしていない老夫婦には、貴重な思い出となっているのだ。


ZUISO 「思い出アルバム 日光田母沢御用邸記念公園」
👇
こちら


 

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「中学生日記より」その49(再)

2021年10月30日 11時17分55秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その49 「P・T・A(父兄会)と映画『緑はるかに』」

昭和30年(1955年)6月21日、火曜日、天気 曇、
起床 5時25分、就床 9時5分

1限目、音楽 はにゅうの宿、
2限目、(自治会)

1、P・T・A(父兄会)なので 1限だけ、
2、櫂男が遊びに来た、
3、(隣り町の)劇場映画館)で映画を見た、
  (1)緑はるかに
  (2)??
  (3)ニュース、三種類くらい
  (4)予告編、ゴジラのぎゃくしゅう(逆襲)、風雲講道館、など

(宅) 10時半

M男の通っていた小中学校では、P・T・A(父兄会)が、年に1回か2回有ったような気がするが、その日が、P・T・A。1限だけで、下校。「音楽」の時間は、「埴生の宿」を習ったようだ。
小学生の内は、母親等も、結構授業参観したりしていたような気がするが、中学生になってからは、授業参観する父兄等、ほとんどいなかったように思う。農作業の合間に、たいてい、生徒が下校する時刻に、三々五々集まり出し、担当教師と面談をしていたのだと思う。

10時半には、帰宅。珍しく、同級生が遊びに来たようだ。
その同級生に誘われたのかどうか不明だが、隣り町の映画館に、映画を見に行ったと書いてある。当時、M男が通っていた中学校では、学校で推薦する映画に限っては、子供だけで映画館に見に行って良しとされており、この日、見に行ったのだろうか。
映画「緑はるかに」
M男の家では、当時、読売新聞を購読していて、子供向けの絵物語「緑はるかに」が連載されていたことは、おぼろげに記憶にあるが、格別の印象、関心が有った分けではなく、どんなストーリーだったか等、まるで記憶に残っていない。映画「緑はるかに」は たまたまその物語が映画化されたものだったということになる。
今更になってネットで調べてみると、「緑はるかに」は、1955年(昭和30年)5月に公開された日活映画だった。とすると、封切映画だったのか。
原作 北条誠、児童向け物語「緑はるかに」を、水の江滝子が、製作プロデュース、監督 井上梅次、出演 浅丘ルリ子、フランキー堺、高田稔、内海突破、市村俊幸、有島一郎、岡田真澄、北原三枝等の映画だった。この映画の主役、ルリ子役には、3,000人のオーディションから、当時15歳だった浅丘ルリ子が選ばれ、浅丘ルリ子の映画デビュー作となったということも、ずいぶん後年になってから知ったことだった。そんな情報等を知る由も無かったはずのM男だが、はからずも、まだ無名だった浅丘ルリ子を、いち早く見たことになる。
予告編に、「ゴジラの逆襲」、「風雪講道館」等と書いてある。
そんな時代だったかと、つくづく思う。

(ネットから拝借画像)

それにしても、起床 5時25分、早!、就床 9時5分 早!
テレビも無かった時代、北陸の山村の中学生は そんな暮らしをしていたのだった。

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木枯らしのような強風に煽られて

2021年10月29日 14時55分10秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日も、文句無しの快晴、
ただ、冷たい北風が吹き荒れて、枯れ葉や小枝が、そこここに吹き溜まっており、
木枯らし? 
午前中、図書館まで出掛け、ついでに、ちょこっと近くを歩いてきたが、
帽子を飛ばされないよう押さえながら、
体感的には 初冬。

ズームして見ると、高い山の上部では、紅葉が始まっている様子、

街路樹のイチョウも色付き始め・・、
やはり、今年は いつもより早いような気がする。

強風に煽られてゆれるススキの穂の波

ツワブキ

カワセミ        キセキレイ

晩秋のきらめき

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爺さんの備忘録的蝶図鑑 その16 「ダイミョウセセリ(大名挵)」

2021年10月29日 09時16分40秒 | 爺さんの備忘録的昆虫図鑑

蝶にも疎い爺さん、子供の頃から目の当たりにしていた モンシロチョウ、モンキチョウ位は、なんとか同定出来そうだが、その他の蝶については、実際に目にしても、ことごとく 「君の名は?」である。数年前までは、全く興味も関心も無く、蝶の写真を撮るなんてこともしていなかったような気がするが、ブログをやるようになってからのこと、数多の方々の蝶の写真等を見て、無知ぶりを痛感、次第に興味関心が湧き、以後、名前を知らない蝶でもなんでも、見掛けると、やたら写真を撮ってきたりするようになっている。帰ってきてから、息子達が子供の頃に使っていた「小学館昆虫図鑑」で調べたり、ネットで確認したりして、少しずつ分かる蝶も増えてはきているが、一度分かっても、そのそばから忘れてしまう老脳。ネット等から参照した情報を、記憶力減退老脳に代わる記憶補助として、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的昆虫図鑑」に 書き留め置こう等と思っているところだ。蝶に詳しい方からは 「なーんだ、そんな蝶も知らなかったの?」と笑われそうだが 爺さんにとっては新知識、新情報、自分のための蝶図鑑になる。


2年前、2019年7月30日の散歩・ウオーキング途中に撮っていた蝶の写真が有り、蛾か?蝶か?の判別も出来ず、「君の名は?」だったが、どうも「ダイミョウセセリ」という名前の蝶であることが分かった。もちろん、初めて知る蝶名、またすっかり忘れてしまわない内に、改めて書き留め置くことにした。

2019年7月30日に撮っていた「ダイミョウセセリ」(関東型)

 


ダイミョウセセリ(大名挵)

セセリチョウ科、ダイミョウセセリ属
   翅の形と模様が、家紋のついた裃(かみしも)に見立てられ、
   「大名(ダイミョウ)」の付いたようだ。
   挵(せせり)」とは、突っつく、からかう等という意の言葉、
   チョコマカ、落ち着き無く、飛び回ることから付けられて蝶の属名。
   大半のセセリチョウの仲間は、翅を半開きにして、三角錐のような格好で
   止まるが、ダイミョウセセリは、翅を水平に広げて止まることが多い。
特徴 前翅長 1.5cm~2cm、
   翅は、黒色に近い褐色、前翅の表裏に大小の白斑が入っている。
   関西以西のダイミョウセセリの後翅には、白帯が有るが、
   関東型には、白帯が無いか、淡い。
分布 中国、台湾、朝鮮半島、ロシア南部、日本等、東南アジア、
   日本各地で成虫がよく見られる時期は 4月~10月頃
生態 里山、雑木林周辺、畑地、河川敷等で生息、
   いろんな花で吸密する


 

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「黄昏のビギン」

2021年10月28日 17時36分27秒 | 懐かしいあの曲

「黄昏(たそがれ)」とは、
薄暗くなった夕暮れ時、人の見分けがつきにくく、「誰(た)そ、彼(かれ)は?」と問うことに由来した言葉なのだそうだ。人生の盛りを過ぎて終わりに近づこうとしている年代の例えとしても使われる言葉である。
秋の日は釣瓶落とし、当地 今日の日の入り時刻は 16時52分頃、あっという間に夕暮れ。
秋の夕暮れ時は、人生の黄昏を迎えている人間には、ひとしお身に染みて心悲しく(うらがなしく)映る。

スチールギター演奏 の 「黄昏のビギン」 (YouTubeから共有)

ちあきなおみ の 「黄昏のビギン」 (YouTubeから共有)

ふっと思い浮かんだ曲、「黄昏のビギン」
今更になってネットで調べてみると、
1959年(昭和34年)10月に、永六輔 作詞中村八大 作曲水原弘 唄で、リリースされた歌謡曲だった。1991年(平成3年)6月には、ちあきなおみがカヴァーし、リリースしており、どちらかというと、ちあきなおみの「黄昏のビギン」の方が、脳裏に焼き付いてしまっているが、哀愁を帯びたしっとりした曲調で、お気に入りの曲の一つになっている。

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天高く馬肥ゆる秋

2021年10月28日 15時16分19秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、ここ数日、ぐずついた天候が続いていたが、今日は 文句無しの秋晴れ、
どこーか、とーくへ いきたーい♫
絶好の行楽日和ではあるが、
もう、一週間も 畑に行って無いし・・・、
ということで、午前中、Go To 畑! と相成った。

(1)サトイモ、トウノイモ、
   茎葉が、だいぶ倒れており、収獲時期到来、
   例年より、1週間~10日、早いような気がする。
   近日、掘り起こしすることにして、2株、3株、試し掘り、

(2)ダイコン、今のところ順調の様子、
   待ち切れず、1本だけ、試し掘り、

(3)2番手のハクサイ、2番手のダイコン、間引き
   葉物、ワンサカの季節になってきた、

コマツナは、順調に育っているようだ、

畑地に、どこからか紛れ込んで、まだ、咲いているトレニア

 

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脳トレのつもりでひねる五七五 2019年12月

2021年10月28日 09時53分17秒 | 川柳・俳句・五七五

数年前までは、まるで興味も関心もなかった川柳。ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、クソ真面目、まるで面白みの無い、川柳とは程遠い存在の爺さんが、ひょんなきっかけで、「面白そう?・・」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、単なる「五七五言葉並べ遊び」を始め、続けていたが、3年半前頃に、相互ブログフォロワー登録している方からのお声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、拙句、駄句を、投句してしまうことにもなっている。結果、何も分からなかった川柳の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしている。
ただ 所詮 川柳の才能無しの爺さん。
スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に編むという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少役立つかも知れない等という期待感から 続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、爺さんが四苦八苦して?生んだ川柳(川柳もどき)、せっかく作った句を、忘れてしまわない内にブログに書き留め置くことにした。


2019年12月に作った川柳(もどき)


お題 「光」

    歳重ね渋い光を放つ友

    小春日に身じろぐ猫の影長し

老楽川柳

    老脳に鞭入れ撚るヘボ川柳

    薔薇一輪師走の庭に凛と咲き

    冬隣障子戸越しに月明かり 

    心淋し(うらさびし)窓を曇らす秋の雨

折句 「お・せ・ち」

    面白い先生がいた中学校

    おやつには煎餅等がちょうどいい

    

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