たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

久し振り?、トリトリ散歩・ウオーキング

2023年10月31日 09時04分41秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の日出時刻は、6時4分頃だったようで、
10月末日、とうとう、日の出時刻も、6時台になり、
早朝散歩・ウオーキングも、休みがち(サボりがち)になっている。
もう、3日間も、歩いてないし・・・。
やおら、重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
足、腰、の痛みを庇ってしまい、
どうしても、腰が曲がり、前屈みになってしまう、八十代の爺さん、
途中、何度も立ち止まり、背伸ばし、伸脚、屈伸、しながら、
  胸を張れ腹へっこめろ腰伸ばせ
スマホの歩数計で 約6,500歩。
今朝は、久し振り、鳥撮り散歩・ウオーキング、

キセキレイ

     アオサギ            カルガモ

 

ハト

コガモ

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12年前の今日、10月30日は?

2023年10月30日 21時17分46秒 | ブログ考

年齢差等を言う場合、「一回り」という言葉をよく使っている類で、もちろん、十二支が、1回巡る年数の意味で使っているが、他にも、いろいろ意味が有り、もしかしたら、年代によっては、誤解されるのかも知れないな等と、思ってしまっている。
相手が、「一回りもお若い」となると、ジェネレーションのギャップを感じるし、自分が、その歳の頃は、どんなだったろう・・とも思ってしまう。
「十年一昔」という言葉も有る。
10年前、12年前のことと言えば、つい最近のことであるような、随分と昔のことであるような、微妙な感じがするものだ。
時々、今から10年前の今日、12年前の今日、自分はどんな暮らしをしていたのだろう等と、過去のブログ記事を、クリックしてみることがある。
ほとんど記憶に残っていないことが多いが、写真やブログ記事をみると、
「そう言えば、そうだったなあ」・・・、記憶が蘇ってくる。


12年前、2011年10月30日、
当時は、「OCNブログ人」で、初めてブログを始めてから、まだ数ヶ月の頃で、自営業を続けていた頃だった。月に数件、書き込むのが精一杯だった気がするが、たまたま、その日は、ブログ・カテゴリー「畑仕事・見様見真似の野菜作り」に、書き込んでいた。
畑の写真を見る限り、まだまだ、気力、体力に、多少余裕が有ったのか、きれいになっており、
そうだよな、今より12歳若い自分(一回り違う自分)が、そこにいたんだよなあー
「エッ!、もう 大根が出来上がってたの?」
「へー!、そうっだったかなあー」


振り返り記事
2011年10月30日 「土日好日限定 野菜作り人」
👇
こちら


こんな風に、10年前、12年前の自分を振り返ることが出来るブログ、記憶力減退爺さんにとって、便利で、有難いツールだと思っている。
従来の紙ペースの日記、日誌では、過去を振り返る等、なかなか難しいことだが、ブログであれば、クリック、クリックで、瞬時に見ることが出来るというもの。
ブログを、自分のための日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録、生きている間の「引き出し」として利用している、「常識」な爺さんである。

 

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コマツナ、ごっそり収穫、

2023年10月30日 16時36分22秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日は、朝の内は、やや曇っていたが、次第に晴れ上がり、
気持ちの良い秋晴れになった。
最高気温は、23℃前後だったようで、絶好の行楽日和ではあったが、
 もう、5日間も、行ってないし・・・、
 今日は、どうしても・・・、
ということで、
午後になってから、やおら重い腰を上げ、
Go To 畑! と相成った。

(1)コマツナ、3回目間引き、収穫、
   この5日間には、若干お湿りも有り、ぐんと生育、
   ごっそり、採れてしまい・・・、
   どうする、どうする・・・、
   

   コマツナ大量収穫の場合、妻は、一度、熱湯を通してから、冷凍保存し、
   毎日、少しずつ、食材に使っているようだ。

(2)ネギ、収穫
   そろそろ、鍋物にも必要?


畑の周りの叢のカラスウリ、
赤い実(種)を、いっぱい付けている。

 

今日は、収穫だけ、
滞在時間、15分程度、
さっさと引き上げてきた。

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葉室麟著 「秋月記」

2023年10月30日 11時22分48秒 | 読書記

図書館から借りていた 葉室麟著 「秋月記(あきづきき)」(角川書店)を、読み終えた。本書は、本藩・福岡藩から、常に支配策謀を受ける、その支藩・筑前の小藩、秋月藩を題材にした、長編時代小説である。主人公である間小四郎が仲間藩士6人等と共に立ち上がり、専横を極める家老宮崎織部を糾弾、失脚させてしまうが、その背後には、本藩・福岡藩の巧妙な策謀が有ったことを知る。間小四郎は、実在の人物なのだそうで、史実に基づいて、小藩の存立に賭ける武士の矜持(きょうじ)を描いている大作、舞台も、秋月、福岡、大阪と広く、読み応えが有る作品である

▢主な登場人物
間小四郎(はざまこしろう、吉田小四郎→間小四郎→間余楽斎)
吉田太郎太夫(小四郎の父)、辰(小四郎の母)、みつ(小四郎の妹)
間篤(はざまあつし・小四郎の義父)、貞(篤の妻、小四郎の義父)、
もよ(井上武左衛門の娘→小四郎の妻)、
藤田伝助(秋月藩剣術指南、小四郎の師)、千紗(伝助の娘)
伊藤惣兵衛(伊藤惣兵衛→伊藤吉左衛門)、手塚安太夫、末松左内、坂本汀、手塚龍助
坂田第蔵、とせ(第蔵の妻)
海賀藤蔵、緒方春朔(おがたしゅんさく、藩医)
原古処(はらこしょ)、猷(みち・古処の娘)、
宮崎織部、渡辺帯刀、熊平(帯刀の中間)、七與(帯刀の妾)、吉田久右衛門
秋月藩藩主、初代黒田長興(ながおき)、八代長舒(ながのぶ)、九代長韶(ながつぐ)、
十代長元(ながもと)、
村上大膳(福岡藩中老)、姫野三弥(伏影)、姫野弾正(伏影)、
香江良介(福岡藩の医師)、
吉次(長崎の石工)、いと、久助、
沢木七郎太夫(秋月御用請持)、井出勘七(秋月御用請持)
大阪の商人・秋月藩の銀主、油屋可兵衛、葛野五左衛門、奥野善兵衛
杉山文左衛門(福岡藩御納戸頭)

▢あらすじ等
物語は、藩政の黒幕として君臨する間余楽斎(間小四郎、59歳)が、上意により捕らえられ、島流しの刑を言い渡されるという場面から始まり、専横を極めた家老宮崎織部の糾弾、排斥(島流し)を画策した政変「織部崩れ」を主導した清廉潔白なはずの小四郎が、何故、その織部と同じような存在になってしまったのか?、そもそも、織部も小四郎も本当に専横を極めた逆臣だったのか?を問う形で、それに至る小四郎の半生が描かれている。
物語の終盤、政変「織部崩れ」から18年後、島流しから赦免され戻ってきた織部に、小四郎が面会に行く場面が有り、織部が小四郎に語りかけた言葉が心に残る。
「ひとは美しい風景を見ると心が落ち着く。なぜなのかわかるか」
「山は山であることに迷わぬ。雲は雲であることを疑わぬ。ひとだけが、おのれであることを迷い、疑う。それゆえ、風景を見ると心が落ち着くのだ」
「間小四郎、おのれがおのれであることにためらうな、悪人と呼ばれたら、悪人であることを楽しめ。それが、お前の役目なのだ」
原古処の娘、猷(みち)が、江戸から訪ねてきた。
   孤り(ひとり)幽谷(ゆうこく)の裏に生じ
   豈(あに)世人の知るを願はんや
   時に清風の至る有れば
   芬芳(ふんぼう)自ら(おのずから)持し難し(じしがたし)
「間様はこの詩のような方だと思ってまいりました」と言う。
広瀬淡窓の「蘭」という詩だった。蘭は奥深い谷間に独り生え、世間に知られることを願わない。しかし、一たび、清々しい風が吹けば、その香を自ら隠そうとしても隠せない、という意味の詩だった。
宮崎織部、間小四郎(余楽斎)、この二人の武士の、自分の役目に徹し切った生き様を描いた作品になっている。
「秋月藩」、「秋月」、「古処山」、「秋月街道」、「日田街道」・・・、これまで、地名すら知らなかった類だが、随所の風景描写と現代地図を見比べながら、当時、常に、秋月藩を属国化して完全に吸収したいと考えている本藩、福岡藩と、独立自治を死守したいとする小藩、秋月藩の、確執、軋轢、闘争、内紛、暗躍に思いを馳せることが出来、小説の面白さを存分に味わえた気がする。
同じ「秋月藩」を題材にした、続編とも言える、葉室麟著「蒼天見ゆ」が有るという。この際、続けて読んでみたい気分になっているところだ。

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わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

2023年10月29日 09時49分56秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その33

わびぬれば 今はた同じ 難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

出典
後撰集(巻十三)

歌番号
20

作者
元良親王

歌意
あなたに逢えず、苦悩の底に沈んでいますから
今となってはもう、この身を捨てたのと同じことです。
いっそのこと、難波に有る「みおつくし」の言葉のように、
身を尽くして(身を捨てて)もいいですから、
お逢いしたいものですよ。

注釈
「わびぬれば」は、「相手に逢えず、つらく寂しい気持ちなので」の意。
「今はた同じ」は、「今となってはもう、身を捨てたのと同じ」の意。
「はた」は、「もはや」「やはり」と訳す副詞。
「難波(なには)なる」は、「難波潟に有る」の意。
「みをつくしても」は、「澪標(みおつくし)」と「身を尽くし」の掛詞。
「澪標」とは、「舟の進路を示す杭」のこと。
「逢はむとぞ思ふ」の「む」は、意志の助動詞。

「詞書(ことばがき)」には
相手の女性との秘密の恋愛関係が露見してしまった後に
その女性に送った歌であることが、記されており、
周囲から抑圧され、絶望状態の中で、
例えこの身を滅ぼしても構わないから逢いたいという、
一途な男の愛情が歌われている。


元良親王(もとよししんのう)

陽成天皇の第1皇子。
兵部卿であったため三品兵部卿とも呼ばれた。
平安朝随一のプレーボーイだったと言われており、
多くの女性との贈答歌は、
「元良親王御集」に収められている。
因みに、「わびぬれば」の相手の女性は、
宇多上皇が愛した女性だったと言われている。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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ハンターズムーン

2023年10月28日 23時02分57秒 | 暮らしの記録

当地、今日は、夕方から天気急変、
雷雲があっと言う間に広がり、雨が降り出し、
こりゃ、満月は ダメ、あるね、
と、思い込んでしまったが、
10月第4土曜日、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席し
帰ってからの遅い夕食時、念のため夜空を仰ぐと、
なんと、雲間にぽっかり、お月さん。
正確には、明朝、10月29日、5時24分が、満月なのだそうだが、
ほぼ、満月、
慌てて、カシャ、カシャ、

10月の満月は、「ハンターズムーン(狩猟月)」と、呼ばれているそうで、
その由来は、アメリカの原住民が、夏の豊富な餌で太った野生動物(鹿や狐等)を、
狩猟するのに絶好なタイミングだったことから、名付けた月名なのだという。

 

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脳トレのつもりで捻る五七五 2023年10月

2023年10月28日 17時28分30秒 | 川柳・俳句・五七五

数年前まで、まるで興味も関心もなかった川柳。ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、クソ真面目、まるで面白みの無い、川柳とは程遠い存在の爺さんが、ひょんなきっかけで、「面白そう?・・」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、単なる「五七五言葉並べ遊び」を始めたのも、やはりブログを始めてからのことだった。それが、5年前頃から、相互ブログフォロワー登録している方からのお声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、拙句、駄句を、投句してしまうことにもなっている。結果、何も分からなかった川柳の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしているが、所詮 川柳の才能等無しの爺さん。スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に紡ぐという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少は役立つかも知れない等と勝手に思い込んで続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、四苦八苦して?生んだ川柳、せっかく作った句を、忘れてしまわない内に、ブログ・カテゴリー「川柳・俳句・詩」に、書き留め置くことにしている。


2023年10月に作った川柳  団栗

2023年7月から、
気分一新、再スタートするつもりで、
投句名(ニックネーム)を
「たけじい」から、「団栗」に、変更している。

 


お題「長い」

   長電話挙げ句用件忘れてた

   ひとことが長く司会が困り顔

   八十の坂越えても長い老いの坂

   登りより緩くて長い老いの坂

お題「湯」

   宗旨替え美人の湯から長寿の湯

   エスエヌエス秘湯を人で溢れさせ

   女房も湯気の向こうじゃいい女

   湯の中で浮かんだ一句大賞に 

お題「読む」

   夢に見た晴耕雨読夢だった

   新学期教師困らすキラキラ名

   痩せる本寝て読みながら食う饅頭

   電車内新聞広げりゃ文化遺産

   出世には上司の顔を読む力

お題「歩く」

   あしあとが昭和に続く八十の坂

   八十路過ぎ百名山も目で歩く

   八十の坂越えても見えぬ終着地

折句「あ・き・の」

   アイディアを競った二人ノーベル賞

   呆れたね昨日も今日も飲んだくれ

折句「み・か・く」

   見栄を張りかっこつけても悔やむだけ

   みんなから可愛がられて暮す猫

ラララ川柳「す」

   すっぴんが素敵な彼女好きだった


(蛇足)
川柳 選者 初体験記

今年7月から投句し始めたばかりの

FMさつませんだいの番組「こころの川柳(ここせん)」で
先月、たまたま、「特選」に選ばれ、
「特選に選ばれた者が、次月の選者になる」というルールが有って、
10月、図らずも、選者となってしまった。
川柳を齧り始めてまだ数年の若輩者、
他人様の川柳作品を選評するなんて、想像もしていなかったことであり、
恐れ多いこと、参ったなあ・・・、

緊張しまくったが、自分流で選ぶしか無しで
最後の最後まで、「これで、いいのかな?」と、迷いに迷ったが、
今日10月28日に放送され、なんとか役目を果たせたようで、
ホッと胸を撫で下ろしているところだ。
やれ、やれ、


「ここせん10月」の結果発表
👇
「紅雀川柳ブログ」


 

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庭仕事、半日仕事になってしまい・・、やれ、やれ、

2023年10月27日 21時03分10秒 | 暮らしの記録

当地、今日は、天気予報通り、
午後には、一時、雷鳴と共に、パラパラ雨が降り出したが、
本降りとはならず、夕方には、夕焼けも見え、月夜となっている。

毎度のこと、放っぽらかしにしている我が家の猫額庭、
またまた、庭木の枝葉が、道路や隣家の敷地に張り出しており、
顰蹙を買っているのではないか、気になっていたが、
やっとその気になり、午後になってから、
やおら重い腰を上げ、取り掛かった。
妻は、主に、プランタの花の整理、土替え、種蒔き等々に掛かりきりと
なったが・・・・・・、

(1)キウイの枝葉剪定、
(2)サルスベリの枝葉剪定、
(3)枝葉の後始末、

ちょちょんのちょい・・・のつもりだったが、
結構 時間が掛かってしまい、
一段落したのは、日の入り時刻の17時頃、
まだまだ、やること有るものの、体力限界、時間切れ、
足、腰、痛!、痛!
やれ、やれ、

 

 

君の名は?
隅っこの鉢で、1m以上になり、小さな白い花を咲かせている木が有り、
「庭と花の係」の妻に、
「これ、何という木?、かな」
問うと、
「そんな木、植えた覚えが無い」
との返事。
野鳥が運んできた種が発芽し、生育したのだろうか?

 


おまけ
隣家のFさんの奥さんが、敷地内で鈴生りになっている柚子の実を、
わざわざもいで、持ってきてくれた。
毎年のようにいただいているが、今年も、有難く頂戴した。
妻は、白菜漬け等に利用している。

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朝日浴び秋色探し爺散歩

2023年10月27日 09時29分17秒 | 散歩・ウオーキング

天気予報によると、天気は全国的に下り坂のようだが、
当地、今日も、朝の内は、快晴、
5時台、ちょこっと近くを歩いてきた。
  朝日浴び秋色探し爺散歩
  胸を張れ腹へっこめろ腰伸ばせ
スマホの歩数計で 約6,900歩。

 

 

朝霧の中に佇むアオサギ

ルドベキア

この時期、鈴生りになっているはず?のマユミの実(種)
今年は、ポツリ、ポツリ
異常に暑く、長かった今年の夏の影響なのかな?


爺さんの備忘録的花図鑑「マユミ」
👇
こちら


君の名は?

君の名は?                     ランタナ

 

今どき、ツツジ?

君の名は?
えーっと、えーっと、思い出せない・・・、

(追記)
「センニンソウ(仙人草)」・・・だった。
これまで、何度も、書き込んでいながら、記憶出来ない老脳・・・、トホホ、

    シュウメイギク            キミガヨラン

 

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「地下室のメロディー(Melodie en sous-sol)」(再)

2023年10月26日 21時28分09秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、5年前の2018年6月に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「地下室のメロディー」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「地下室のメロディー(Melodie en sous-sol)」(再)

毎年、秋が深まる頃になると、若い頃、特別、のめり込んで聴いていたわけでもないくせに、なんとなくジャズを聴きたい気分になるのは、何故なんだろうと思う。
しかも、脳裏に焼き付いている曲等、ほんの指折り数える程しか無く、同じ曲を、繰り返し繰り返し聴いているという具合である。
「地下室のメディー」も、その一つである。

今更になってネットで調べてみると
「地下室のメロディー(Melodie en sous-sol)」は、1963年(昭和38年)に製作された、アンリ・ヴェルヌイユ 監督、ミシェル・マーニュ 音楽、ジャン・ギャバン、アラン・ドロンという、当時のフランス映画界の、新、旧、2大スターが共演した、フランス映画「地下室のメロディー(Melodie en Sous-sol )」の主題曲だった。
映画は、犯罪サスペンス的なストーリーで、暗い内容だったが、それにマッチングするような、モダンジャズ風の主題曲「地下室のメロディー」が、タイトルバックの他、全編に使われいて、印象強く、脳裏に焼きついたものだった。

(ネットから拝借画像)

「地下室のメロディー」 (YouTubeから共有)  

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