2017年も あっという間に 1ヶ月が過ぎ去ってしまいました。
昨日は 当地 4月上旬から中旬の 異常な温かさでしたが 今日はまた 真冬の寒さに 戻っています。
先日から 毎日 メジロの番が 庭に現れていますが、多分 周辺の山林等に 餌となる虫や実が 少なくなっているからなんでしょう。
百日紅の枝に作った餌台のみかんをめぐって ヒヨドリとメジロの 奪い合いが 続いています。
ヒヨドリに追われて 直ぐ近くで 待機しているメジロ。
当地 今日は やや雲が多かったものの 時折 陽射しも有って 穏やかな日曜日でした。
まるで 色を失っている庭先で やっと 水仙が咲き始めました。
関東山沿いの当地、庭の梅は まだ 固い蕾のままです。
近所に定住(?)している 野良猫が 枯れ草ベットで 日向ぼっこ中。
前のお宅の庭の木では キジバト(?)が 休憩中。
春よ来い、早く来い、♪
昨年の暮れ頃から 台所の水栓のハンドル部を ある角度にすると 水が漏れてポタポタ垂れる状態になっていました。
だましだまし 使っていたようですが 徐々に ひどくなってきたようで これは 早めに 水道工事業者に修理を依頼せねばと いったんは 決めました。
先日 念のため 改めて 状態は?原因は? 点検してみたところ 全く 素人診断ですが どうも 水漏れは パイプの接合部で生じており パイプを伝って垂れていることが 分かりました。
「これは まさしく パイプの接合部の パッキンの経年劣化が原因で 生じている水漏れに間違いなし」と 独断。
であれば 水道工事業者に修理依頼することも無く 自分で出来そう。
ということで ホームセンターに出掛け 水道管の直径に合わせた 「水栓修理用品 パッキン」を 買ってきました。
接合部を外してみないと 内部のパッキンの形状が分からないので 念のため 2種類を買ってきましたが それでも 400円程度です。
工具は モンキーレンチだけで よさそうなので 用意。
先ず 庭の隅にある水道の元栓を 完全に閉めます。
モンキーレンチで 接合部のナットを緩め 外します。
接合部から パイプを抜き取ります。やはり パッキンは キズ付いており 弾力も無くなっていました。
2種類買ってきましたが 古い物と 同じ種類の方のパッキンを 用意。
パイプにパッキンを 取り付けます。
パッキンを取り付けたパイプを 接合部に押し込み モンキーレンチで ナットを締め付ければ 完了です。
最後に 庭の隅の 水道の元栓を 元通りに開け 水道管内の空気が抜けるまで しばらく 水を流します。
長年 D・I・Y(do it yourself)を好んで暮らしてきた 貧乏性な爺さんですが 最近は 気力体力の衰えからか いろんなことが面倒臭くなり なかなか 重い腰が上がらなくなっています。
取り掛かってみれば 案ずるより生むが易し、すぐ終わることが多いのですが。
水道工事の業者に修理を依頼すれば おそらく 出張費含めて 小1万円は 支払うことになるところでした。
第1 こんなことで わざわざ 見積もりに来て貰うなんて 水道工事業者にも 迷惑な話になるのではないか等と 気を回してしまう類なんです。
今冬 なかなか 現れなかった メジロの番、やっと 本日 ご到着です。
すでに ヒヨドリが 実効支配(?)している餌台にとまり みかんを啄ばみ始めました。
それを 上空で 目ざとく見つけた ヒヨドリが 「俺様の 餌台に 不法侵入 許さん」とばかり 突進してきて 追い払いますが メジロは 隣りの木蓮の枝に 一時退避し ヒヨドリが去るのを待ちます。
ヒヨドリが みかんを啄ばみ始めた時、窓ガラスを打つ 「ドンドン」に、びっくら仰天 飛び去ります。
「人間のやつめ、脅かしやがって、俺様に食わせない気か」
ヒヨドリが去ると直ぐ メジロが 餌台に戻ってきます。
1羽が見張りで、交互に食事です。
しばらくすると また ヒヨドリが 勢い良く 突撃してきて メジロを追い払います。
睨み付け 木蓮の枝に退避している メジロを威嚇します。
また 窓ガラスを打つ音、「ドンドン」、けたたましい鳴き声を発しながら 飛び去ります。
「よくも 俺様を悪者にしやがって。まあ 人間のやつめ ずっと見張ってることなんて出来っこないし、いなくなったら ゆっくり 頂戴するさ」
「この みかん 私たちのために 用意してくれたものなのにねー。先に 乗り込んできて 実効支配(?)するなんて かの国みたいだね」
「でも 良かったね。今年も 待っていてくれて」
M男は 昭和20年代、30年代、高校卒業まで 北陸の山村で暮らしていた。
戦後まもなくの時代であり 都市部と地方農村部との暮らしの格差は 大変なものだったに違いなく とにかく 貧しかった。
ここに 古いアルバムに貼り付けられていた 1枚の セピア色の集合写真がある。
M男が入学した 村立O小学校の 1年生の時の写真だ。
子供の着ている物は おおかた 上の子のお下がりだったり 仕立て直し手作りしたものだったりで 履いている物は ほとんど 自家製の 藁草履である。物が無い時代、物が買えない時代だったのだ。
皆 見るからに 栄養失調気味、やせこけていて 表情にも元気が無い。
わずか 60年~70年前の写真であるが 平成生まれの若者には 大昔の写真にしか見られないかも知れない。
O小学校は 1学年、1クラスの小さな学校で しかも 体育館や教員室等を共用、廊下で繋がった 村立O中学校が有り 今で言う 小中併設学校だった。
O小学校入学当時 37名だった同級生、病死1名、転校出入り1名が有ったものの ほぼ全員 小学校入学時の名簿のまま 中学卒業までの9年間、同じ学校で 机を並べて過ごしたのである。
大げさに言えば 実の兄弟と同じ位 長い時間を共にしたことになる。
写真の中央に座っているのは 小学1年、2年の担任だった ON先生。女子先生だ。
当時 子供の目では かなりの高齢に見えていたが 30才~40才だったのかも知れない。
物静かで 温かく 包容力のある先生で 父兄からも尊敬されていたし M男達にとっても 人生最初の師であり 忘れがたい先生だった。
わずか2年間担任だった先生にも拘わらず 年賀状のやり取りは 数十年続き 平成2年に行われたクラス会にも招いた。クラス会に出席された際はまだお元気で 皆と一緒に 建て替え解体工事寸前のO小学校校舎を訪れ 懐かしさで目頭を押さえておられたが その数年後 訃報が届いた。
ON先生の隣りに座っているのは IM校長先生で 放課後 1人 校庭で 木剣を振っていた姿が思い出される。厳格な印象とは うらはら 親しみ易く 子供達にも 良く声を掛けていた。
ON先生と同様、教職在任中はもちろん、退職されてからも 亡くなる寸前までの長い歳月 年賀状のやり取りが続いていた。
M男達は 在学中に 文部省推薦映画ということで 松竹映画「二十四の瞳」を見る機会があった。当時は 子供なりの感想しか持たなかったはずだが 後年になって 再三見ること有り その都度 戦前と戦後、時代背景が違い、世代も異なる物語ではあるが 自分の子供時代と 重なって 感無量になってしまうことがある。
そして、M男にとって兄弟みたいなO小学校同級生も 1年、1年 少なくなってきている。
当地 昼頃になっても 気温は 5~6℃、少し 風も出てきて 体感温度は さらに低く感じます。
お天気は、最高、腹熟しに 周辺の田舎道を 歩いてきました。
花も無し、殺風景な風景ばかりです。春は まだまだ 見えません。
道端にひっそり
古道の名残?
寒さ厳しい折、防寒のお地蔵様、
最近出来た 喫茶店、定休日でした。
山際をくねくね、裏道です。
六地蔵、
神社前
雑木林を抜ける遊歩道
歩数は 10,000歩超えていましたが 縮こまって歩いていたせいか なんだか 運動した気がしません。
「春よ来い、早く来い ♪」
当地の今朝の気温は、-7℃前後、今冬、一番の寒さとなった。
天気は 快晴、日本海側等各地から大雪の模様が伝わってきており、その大変さを想いながら過ごしている。
図書館から借りていた、藤沢周平著 「漆の実のみのる国」(上)(下)を、読み終えた。
江戸時代中期、貧窮に喘ぐ、出羽米沢藩の藩財政再建のきっかけを作った名君として知られる、第9代藩主、上杉治憲(後の上杉鷹山)を中心にして描かれた長編時代小説である。
史実に沿って、また綿密な時代考証もされており、藤沢周平独特の細かい自然描写、発想力もあり 歴史を知る上でも面白い作品だった。藤沢周平の絶筆となった小説なのだそうだ。
上杉治憲は、日向鍋島藩藩主秋月種美の次男として生まれ、米沢藩藩主上杉重定の養嗣子となり 家督を継ぎ、米沢藩藩主となった人物。
上杉重定の寵臣、森平右衛門を粛清した辣腕竹俣当綱を重用し、産業振興を重点においた藩財政再建をすすめたが、反改革派の騒動有り、大飢饉有りで、改革はままならず、藩の貧窮は困難を極めるばかり。
藩主を、養子の上杉治広(上杉重定の子)の譲り、隠居となり、後に上杉鷹山と改名したが、進展しない藩財政再建に心を痛め続ける。
藩財政再建の救世主として、竹俣当綱が推進した、漆が大変な見込み違いで、藩の貧窮は、なんら変わらず、改めて返り咲いた、中老莅戸善政の手腕に、託さざるをえなくなる。
池のほとりに立った上杉鷹山が、「若かった・・・」と述懐するところで、小説は終わっており 藩財政再建成功までのストーリーは、描かれていない。
当地 今日も 最低気温が ー5℃前後、最高気温 6℃前後と 寒さ厳しい1日でした。
こんな日の夕方は、つい出掛けるのが億劫になってしまうところですが 通っている スイミングクラブ成人クラスレッスン、今日が 1月の最終回でもあり、気合を入れて 出席してきました。
さすがに この寒さで 欠席者も多く、出席者は 通常の約半数でした。
毎度のこと 女性が 8割強、昔美人?の中高年の女性は 逞しく?、元気です。
今日は 前半 バタフライ、後半 クロールでした。
「皆同じ 水着の食い込み 怖くない」
レッスン終了後 居残った 前向きな2人と フリーコースで 500m泳いでから 帰ってきたところです。
泳いで帰ってきた後の遅い夕食、今日は 焼肉でしたが、こんなに寒くても やっぱり ビー・ です。
心地良い疲労感と ほろ酔いで 気分良くなっているところです。
鉢植えの観葉植物 トラディスカンティアは 寒さに弱い植物です。
毎年 晩秋、15℃を下回る頃には 庭から 室内に運び入れていますが 昨日 妻が
「花が 咲いてる」
と言うんです。
「えっ! こんな時期に?」
10年程前に 1度だけ 咲いた花を見つけたことが有りましたが その後は 全く 確認しておらず 久し振りに見る花です。
花は小さく、地味で 目立ちません。毎年 開花していたのかどうかも分かりませんし 開花していても 気がつかなかったのかも知れません。
当地 今朝の気温は 氷点下、日中も気温上がらず 寒い1日でしたが 午後遅い時間まで 快晴でした。
好天に促され 昼過ぎ、思い立って 出掛けてきました。
近くに住んでいながら これまで1度も訪れていなかった 「京王百草園」です。
ウオーキングを兼ねて 出発は 「京王高幡不動駅」とし 終着を 「京王聖蹟桜ヶ丘駅」としました。
歩行コース
京王高幡不動駅→高幡不動尊→(川崎街道 約1.2km)→「三沢」信号を右折→(急な登り道 約500m)→七生緑小の有る交差点を左折→(約250m)→(七生丘陵散策コース)→朝日山緑地→百草八幡神社前→京王百草園→(カーブ多い下り坂 約1.2km)→「一の宮」信号→(川崎街道 約800m)→京王聖蹟桜ヶ丘駅
京王高幡不動駅→京王百草園
高幡不動尊
三角点公園?
七生丘陵散策コース
西方、富士山は見えません。
百草八幡神社
京王百草園
入園すると いたるところに 「園内は 坂や階段が多いため 十分注意して下さい」の看板が目立ちます。
蝋梅や日本水仙、早咲きの梅の花が 見頃を迎えており 来園者の多くが 写真撮影をしていました。
園内の写真は 枚数が多く 拙劣写真ばかりなので デジブックにしました。
お時間お有りの方には ご笑覧下さい。
デジブック 『春を呼ぶ京王百草園』
京王百草園→京王聖蹟桜ヶ丘駅
京王百草園の正門を出てから カーブの多い居住者道路を 下っていきます。
途中に有る 牛舎。牛が 何頭も つながれていました。
「一の宮」交差点
京王聖蹟桜ヶ丘駅
今日の歩数は 14,000歩程度でしたが 程良い運動になりました。