たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

タカネマツムシソウ(高嶺松虫草)

2024年10月31日 13時19分21秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまで、散歩・ウオーキングの途中や山歩き、畑地や我が家の猫額庭等で、やたら、コンデジで、カシャ、カシャ撮ってきた花の写真が、外付けHDに大量に溜まっており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理をしているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまったりもする。そんな古い花の写真の中から目に止まった花の写真を引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにしている。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。


先日、ブログ・カテゴリー「山歩記」に、「霧ヶ峰・車山・八島ヶ原湿原」を書き込んだばかりだが、あの山歩きのお目当てが、「タカネマツムシソウ」だったことを思い出し、その後の山歩きでも、「タカネマツムシソウ」を見掛けると、何故か惹かれたことを思い出した。
改めて、外付けHDに放り込んである古い写真の中から、「タカネマツムシソウ」の写真を何枚か引っ張り出し、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、加えることにした。。

1996年9月3日、霧ヶ峰・車山・八島ケ原湿原を歩いた時に撮っていた
「タカネマツムシソウ」

2012年8月21日~22日、白山の砂防新道、観光新道で撮っていた、
「タカネマツムシソウ」

 

2014年10月4日、八方尾根で撮っていた、
「タカネマツムシソウ」


タカネマツムシソウ(高嶺松虫草)

マツムシソウ科(スイカズラ科)、マツムシソウ属、多年草、
     別名「ミヤママツムシソウ(深山松虫草)」
     花名「松虫草」は、夏の終わりの頃、松虫(鈴虫)が鳴く頃の咲くことに
     由来している。
原産地・分布 日本(本州以北、四国の高地等)、日本固有種
       高山の草地、砂礫地等に生育する。
草丈 30cm~50cm、
花色 紫色、
開花時期 8月頃~9月頃、
花言葉 「悲しみの花嫁」「未亡人」「恵まれぬ恋」「不幸な愛情」


振り返り記事・「松虫草の花咲く」
👇️
こちら


 

コメント

朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木

2024年10月31日 09時35分35秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その10

朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる 瀬々の網代木



出典
千載集(巻六)

歌番号
64

作者
権中納言定頼

歌意
夜がほのぼのと明けてくるころに、
宇治川一面に立ち込めていた川霧が、
絶え間を見せ始め(晴れてきて)
浅瀬ごとに立っている網代木が
次第に現れてくる、
なんとも趣が有る景色であることよ、

注釈
「朝ぼらけ」=ほのぼのと夜が明ける頃の意。
「宇治の川霧」=宇治川に立ち込める霧の意。
琵琶湖から出た瀬田川は、
現在の京都府宇治辺りで宇治川と呼ばれ、
下流では、淀川となる。
「たえだえに」=「とぎれとぎれに」の意。
「川霧がとぎれとぎれになる」ことと、
「瀬々の網代木は切れ目切れ目に現れわたる」ことと掛けている。
「瀬々の網代木」の「瀬々」は、川のあちこちの浅瀬のこと。
「網代木」は、浅瀬で魚をとるため、
竹や木を編み重ねた張る漁具の支柱(杭)のことで、冬の景物。


権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)

藤原公任(ふじわらきんとう)の子、
藤原定頼(ふじわらさだより)のこと。
権中納言・兵部卿(にょうぶきょう)・正二位になり
四条中納言とも呼ばれた。
和歌、書道の名手だったが
歌合で、小式部内侍をからかった際に
歌で答えられ、返歌に詰まったという逸話が有る。


振り返り記事・小式部内侍
👇️
こちら


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

コメント

「爺さんの備忘録的花図鑑」・「タ」

2024年10月31日 08時38分29秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

「爺さんの備忘録的花図鑑」

「タ」

◯タイサンボク(泰山木)         ⇨ 2022.06.05
◯タカオスミレ(高尾菫)         ⇨ 2022.03.28
◯タカサゴユリ(高砂百合)        ⇨ 2022.08.22
◯タカネビランジ             ⇨ 2022.02.21
◯タカネマツムシソウ(高嶺松虫草)    ⇨ 2024.10.31
◯タケニグサ(竹似草・竹煮草)      ⇨ 2022.07.28
◯タチアオイ(立葵)           ⇨ 2022.05.24
◯ダチュラ・チョウセンアサガオ(朝鮮朝顔)⇨ 2021.06.27
◯ダッチアイリス             ⇨ 2020.04.23
◯タツナミソウ(立浪草)         ⇨ 2023.05.11
◯タニウツギ(谷空木)          ⇨ 2024.05.04
◯タマスダレ(玉簾)           ⇨ 2021.08.31
◯タラヨウ(多羅葉)           ⇨ 2020.12.08
◯ダリア                 ⇨ 2023.06.20
◯ダンスパーティー            ⇨ 2022.06.11
◯タンチョウソウ(丹頂草)        ⇨ 2021.03.29


 

コメント

ハゼラン(爆蘭)

2024年10月31日 05時55分37秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

昨日の散歩・ウオーキングの途中で見掛けて撮ってきた花の写真の中に、やはり花名知らず分からず、「君の名は?」だった花が有ったが、
スマホの無料アプリ「GreenSnap」の「調べる」で、「花名、教えて下さい!」したところ、その花名は、「ハゼラン」であることが分かった。
多分、初めて見掛けた花で有り、「へー!、そうだったの・・」、目から鱗・・・、である。
教えていただいても、自分で調べても、そのそばから忘れてしまう老脳、また、すっかり思い出せなくなる前に、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにする。
草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識。今度見掛けた時等に、確認したりするのに役に立つ存在になる。
花名を調べて知ったところで、ナンボになる分けでも無しだが、脳トレ、ボケ防止の一助になるかも知れない等と、勝手に思い込みながら・・・。


ハゼラン(爆蘭)

スベリヒユ科(ハゼラン科)、ハゼラン属、一年草(本来は、多年草)、
   別名「サンジソウ(三時草)」「サンジカ(三時花)」
     「サンジノテンシ(三時の天使)」「サンジノキコウシ(三時の貴公子)」
     「ハナビグサ(花火草)」「コーラルフラワー」
   花名「爆蘭」は、蕾が爆ぜる(はぜる)ように花が咲き、蘭に例えられたからという説や
   丸い蕾が、線香花火を想わせることから付けられたという説等が有る。
   花名「三時草」「三時花」「三時の天使」「三時の貴公子」は、
   午後3時頃になると、蕾が爆ぜる(はぜる)ように咲き、夕方には、
   閉じてしまうことに因んで付けられたもの。
   花名「花火草」は、線香花火のような雰囲気を持っていることから付けられたもの。
原産地 南アメリカ、
    日本には、明治時代中頃に、観賞用として渡来したが、
    繁殖力が強く、北海道を除く、本州、四国、九州で野生化した。
    コンクリートの割れ目等からでも、発芽し、開花する。
草丈 30cm~50cm、
   葉は、やわらかく、ホウレンソウの代用品として利用される。
花色 白色、淡いピンク色、
   濃いピンク色の蕾が爆ぜるようにして、5mm~6mm程の小さな花を咲かせる。
   花後、赤い実が黒っぽくなり、弾けて小さな種が飛び出す。
開花時期 8月頃~10月頃。
花言葉 「真心」「永遠にあなたのもの」。


 

コメント

カワセミと秋の夕暮れ

2024年10月30日 18時43分54秒 | 散歩・ウオーキング

当地,今日は、天気予報通り、
朝方までは、昨日からの雨が残っていたが、
午前中には、晴れ間が広がり、
やや雲が多かったものの、
爽やかな秋晴れとなった。

なんやかんやで、また5日間も休んでしまった(サボってしまった)散歩・ウオーキング、
体調イマイチ、身体、重ーい、怠ーい・・・・、だったが、
いかん、いかん、
歩け!、歩け!、
日が傾きかけてから、
やおら重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
足、腰の痛みを庇ってしまい、
どうしても、腰が曲がり、前屈みになってしまう爺さん、
  胸を張れ腹へっこめろ腰伸ばせ、
途中、何度となく立ち止まり、
伸脚、屈伸、アキレス腱伸ばし、腰伸ばし、しながら・・・・、
スマホの歩数計で、約6,900歩。 

久し振りに、カワセミ、メッケ!

君の名は?

 

釣瓶落とし
秋の夕暮れ

コメント

脳トレのつもりで捻る五七五 2024年10月

2024年10月30日 05時28分20秒 | 川柳・俳句・五七五

「OCNブログ人」で初めてブログを始めた2011年頃までは、「川柳」にも、まるで興味も関心も知識も無かった気がする。どちらかというと、ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、まるで面白みの無い人間、それまでイメージしていた「川柳」とは、程遠い存在だと思っていた。それが、ブログを開設して数年後のある時、新聞を読んでいて、「川柳人気急上昇」「初めての川柳」等という記事が、何故かふと目に止まり、「なんだか、簡単そう?、面白そう?・・・・」、「もしかしたら、頭の体操に、いいかも?」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、とりあえず、「五七五言葉並べ遊び」を始めたのだった。当然、「川柳」等と言えるものでなく、自己満足だけのものだったが、今から5年前頃のこと、相互ブログフォロワー登録している方から、お声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、そんな拙句、駄句を、投句してしまうことにもなってしまった。結果、何も分からなかった「川柳」の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしている。ただ、所詮、「川柳」の才能等、まるで無しの爺さん。スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に紡ぐという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少は役立つかも知れない等と、勝手に思い込んで続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、四苦八苦して?生んだ「川柳」(川柳もどき)、忘れてしまわない内に、ブログ・カテゴリー「川柳・俳句・五七五」に、書き留め置くことにしている。


脳トレのつもりで捻る五七五 2024年10月

団栗

お題「秋」
  食欲が読書スポーツ押し退ける

お題「隣」
  居眠りの隣りの美女にゃ肩を貸し
  塀越えて隣家の庭で実る柿
  日めくりも日毎駆け足冬隣

お題「自慢」
  謙遜の裏に自慢が見え隠れ
  聞くたびに尾ひれついてる武勇伝
  自慢するものがないのが自慢どす
  自慢した愛妻弁当部下に負け

お題「柿」
  柿八年あんた十年なにしてたん   (大西泰世選・NHK関西発ラジオ深夜便・ぼやき川柳「入選」)
  塀越えて隣りの庭で生った柿
  柿泥棒渋柿齧り顔顰め 
  柿もぎも出来ずたわわの過疎の村 
  廃屋に主も知らずに実る柿 

お題「惜しい」
  あと一歩足らずアレンパ逃げてった
  年金の元取れるまで生きてやる
  見栄を張り祝儀弾んだ姪離婚  

折句「さ・け・の」
  最低の結果にエヘヘ呑気者

折句「つ・ま・み」
  ついホロリまだあんたには未練有り


「脳トレのつもりで捻る五七五」レベルの爺さん、
とてもじゃないが、他所様の作った川柳を評価選定する「選者」等、
恐れ多く、出来っこないと思っているところだが、
たまたま、先月9月に、ラジオ川柳「ここせん」で「特選」に選ばれ、
ルールにより、今月は、その「選者」をする立場になってしまった。
不安いっぱい、緊張しまくったが、逃げること叶わず、
「自分のレベルで選ぶしか無し」、「何事も経験」等と 
居直ったものだったが、
個人的には、
2024年(令和6年)の大事件?の一つ
(大袈裟・・・・)
その主宰者石神紅雀様の、結果まとめブログ記事を、
ご本人のご了解を得て、
下記、リンクさせていただくことにした。

👇️

紅雀川柳ブログ
団栗 選・「ここせん10月」


斯々然々、数年前まで、まるで「川柳」とは無縁だった爺さんが、今、全く自分流ではあるが、「川柳」を楽しめているのは、やはり、ブログをやっていたからこそのことで、そのきっかけを作っていただいたのは、相互フォロワー登録している、のびた様や、ラジビタはな様や、宗和様、等々の、お声がけやお誘いやアドバイスだったという気がしている。
以後、村永チトセ様、青葉太郎様、うばゆり3様、ミルク様、gose-sugi-jun様、yamaguti2520様、そして、石神紅雀様、等々、多くの川柳繋がりのブログも、ほぼ毎日、拝見拝読させていただいているが、直接的、間接的に、勉強になっている気がしている。
常々、人生も暮らしも、アミダクジ?のようなものだと思っている類で、ある時点で、横線を1本加えることで、進路がどんどん変わり、それまで予想もしていなかった出口へと向かうことを、実感しているが、あの時、ブログを始めていなかったら、あの時、川柳を始めていなかったら、今の自分は、別物?だったかも知れない等とも思ってしまう。
やり直しが出来ない一生、歩んできた道もそうだが、残された道も、自分流で行くしか無いと、居直っているところだ。




コメント

古い写真から蘇る思い出の山旅・その66

2024年10月29日 16時19分49秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その66
「初めての谷川岳」(再)

かれこれ31年前1993年10月9日に、初めて訪れた「谷川岳」の写真がアルバムに貼ってある。当時は、バカチョンカメラ(ポケット型小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、証拠写真?的拙劣写真ばかりだが、ほんの数枚、プリントしたものだった。
ブログを始めた頃に、一度、スキャナーで取り込んで、ブログに書き込んだことが有ったが、その写真が、外付けHDに保管されており、改めて引っ張り出して、コピペ、リメイクしてみることにした。
当時も今も、毎年、9月下旬頃?になると、必ずといっていい程、新聞紙上等に、「谷川岳紅葉真っ盛り」等という見出しや写真が踊り出るが、その誘惑に駆られて、その年、思い立って出掛けたのだと思う。
当時はまだ、自営業を続けていた頃で、時間的余裕、精神的余裕も無かった頃だったが、たまたま、予定が入っていなかった土曜日、行楽気分で、急遽出掛けたような気がする。
ほとんど記録、メモがも残っておらず、何時頃に自宅を出発し、何時頃帰ったのか等の記憶も無いが、確か、まだ園央道も出来ていなかった時代、真夜中に自宅を出発し、深夜に帰宅したような気がする。
記録や記憶が無くても、古い写真を見ると、あの日、あの場所の情景が炙り出てくるから不思議である。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながらも、あの日あの頃を思い出しているところだ。


山行コース・歩程等

谷川岳ロープウエイ天神平駅→(天神尾根)→熊穴ノ頭→肩ノ広場→
谷川岳山頂(トマノ耳)→谷川岳山頂(オキノ耳)→肩ノ広場→熊穴ノ頭→天神峠駅 
(標準歩行所要時間=約4時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

自宅を何時に出発し、谷川岳ロープウエイ駐車場に何時頃着いたのか等、全くメモが残っていないが、紅葉真っ盛りの土曜日とあって、すでに、駐車場は満車直前状態、ロープウエイ乗車待ちの長蛇の列が出来ていたことだけは、記憶に有る。

谷川岳ロープウエイ土合口駅

ロープウエイで、天神平駅までは、約10分。
高度が上がると、目指す谷川岳の双耳峰が見え、
「エッ!、あそこまで・・」
期待と不安が入り混じる。

谷川岳ロープウエイ天神平駅、

谷川岳ロープウエイ天神平駅を出発、
高度を上げていくと、次第に展望が広がり・・、

天神尾根を辿り、いざ、 あの谷川岳へ!

宣伝文句に偽り無し、紅葉満喫!

爽快、

爽快

谷川岳山頂(トマノ耳)(標高1,963.2m)、
山頂は、老若男女で超満員。

谷川岳は、トマノ耳、オキノ耳、2つの山頂が有る双耳峰。
後方が、オキノ耳(標高1,977m)。

往路を戻り、谷川岳ロープウエイ天神平に戻り着いた時間帯は
下山する観光客や登山者が、ロープウエイに殺到する時間帯で、
乗車待ちの列が延々と伸びていた。
その最後尾について、多分、1時間以上は、待機したような気がする。
山歩き初心者、くたくたに疲れ果てながら、
渋滞の関越自動車道、一般道を、何時間位掛かったのか不明だが、
深夜に家に帰り着いたような気がする。
あの頃はまだ、そんな無理も出来たということだが、
足、腰、痛!、痛!の今となっては、
「谷川岳」もまた、遠い思い出の山になってしまっている。

 

 

コメント

タマネギの苗、植え付け他

2024年10月29日 13時36分22秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日の天気予報は、「曇のち雨」、
午前中は、なんとか大丈夫そう?
なかなか、タマネギの苗、植え付け、出来ずにいたが、
雨が降る前に、やるっきゃないか、
やおら重い腰を上げ、
午前中、Go To 畑! と相成った。

(1)タマネギの苗、植え付け、
   ホームセンターで買ってあった苗、100本、
   下準備済みの畝に、マルチングシートを張り、
   元肥を施し、植え付け、水やり、
   昨年は、超不出来だったが、
   今年は、どうかな?

(2)コマツナ、2回目収穫、

(3)サトイモ、試し掘り、(2株だけ)
   大きさ、数共、イマイチ?
   こんなものかな?

 

発芽、生育、不良で、種を蒔き直ししたりした、今年のダイコン、
バラツキが有るものの、ようやく、ダイコンらしくなってきた。

2時間余り掛かってしまい
やれ、やれ、の、11時過ぎ、
細かい雨が降り出してきて、
急いで、引き上げてきたが、
タイミング、グー!、
今日もまた、午後は、うつらうつら、居眠りしそう?

コメント

懐かしい映画と映画音楽・その79

2024年10月28日 20時09分20秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと
同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「白い恋人たち」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その79
映画「白い恋人たち」と主題曲「白い恋人たち」(再)

当地、今日は、「雨のち曇」
「キョウヨウ無し」、「キョウイク無し」の爺さん、
(今日は、特別な用も無し、特別行く所も無しの爺さん)
ほとんど、1日中、家籠もり、
午後には、なんだか疲れが出てしまい、
うつらうつら、1時間以上、居眠ってしまった。
夕食の準備をする習慣?がついてしまい、飛び起きたが、
妻が、そろり準備に掛かっており、
ちょっと手を貸したところで、手を引き、
ぼーっとしているところだ。
ふっと思い浮かんだ曲、「白い恋人たち」、
数年前にブログに書き込んでいることが分かり、コピペ、リメイク(再編集)することにした。

今更になってネットで調べてみると
「白い恋人たち」は、今からもう56年前、1968年(昭和43年)に、フランスのグルノーブル行われた、第10回冬季オリンピック大会の記録映画として、クロード・ルルーシュによって製作され、公開された、「邦題 白い恋人たち・原題 「Treize jours en France(フランスにおける13日間)の主題曲として、ピエール・バルーが作詞、フランシス・レイ(Francis Lai)が作曲した楽曲だった。
日本でも、同年に公開されたようだが、公開当時に映画館に足を運んで観たものか、後年になってテレビの映画番組かなにかで観たものか、記憶は定かで無くなっている。
確か、ナレーション等も無く、ストーリー性も無い、記録映像を編集したような映画だったような気がしている。
映画の内容自体の記憶は残っていないが、映画全編に渡って、強く、弱く、効果的に流れていた主題曲、ランシス・レイ演奏の「白い恋人たち」の方は、印象深く脳裏に焼き付いたものだった。
同曲は、その後、数多の楽団に演奏されたり、数多の歌手に歌われ、世界で大ヒット、
日本でも、ザ・ピーナツ等が、日本語でレコーディングする等していたようだ。
後年になっても、毎年、北国から雪の便りが届く頃になると、なんとなく思い浮かんでくる曲の一つになっているが、「白い恋人たち」を聴くと、若かりしあの日あの頃の青春の1ページが、蘇ってくる・・、そんな人も多いのではないかとも思う。

(ネットから拝借画像)

「白い恋人たち」・演奏 フランシス・レイ (Youtubuから共有)

「白い恋人たち」・唄 ザ・ピーナッツ (YouTubeから共有)

コメント

わたの原 こぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波

2024年10月27日 13時04分41秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その9

わたの原 こぎ出でて見れば ひさかたの
雲居にまがふ 沖つ白波


出典
詞花集(巻十)

歌番号
76

作者
法性寺入道前関白太政大臣

歌意
大海原にこぎ出して眺めると
白い雲と見間違えるような
沖の白波が立っていることよ

注釈
「わたの原」の「わた」は、「海」の古語で、「原」は、広々としている所、
「大海原」の意。
「こぎ出でて見れば」=「こぎ出して見ていて、その結果は・・」と訳す。
「ひさかたの」=「雲居」に掛かる枕詞、
「雲居(くもい)」=「雲の有る所」の意、
「雲」そのものの他、
「天」「空」、時には「宮中」を指す場合も有る。
「まがふ」=「見分けがつかなくなる、入り混じってはっきりしなくなる」の意、
「沖つ白波」の「つ」は、格助詞で「の」にあたる。
「沖の白波」と訳す。

「詞花集(しかしゅう)」の詞書(ことばがき)には、
「海上遠望といふことをよませ給ひけるによめる」と有り、
心の中のイメージを描いた題詠である。
題詠ではあるが、白雲が浮かぶ大空と沖の白波とが
見分けのつかないほど一つに融合した壮大な大自然の迫力を、
技巧を用いず、格調高く、堂々と表現している歌になっている。


法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん

摂政関白藤原忠実(ふじわらただざね)の長男、藤原忠通(ふじわらただみちのこと。
別荘が法性寺(ほっしょうじ)の傍らに有ったことから、
「法性寺殿」と呼ばれた。
25歳で関白となり、鳥羽、」崇徳、近衛、後白河、四朝に仕え、
長年、摂政、関白の地位にあったが、
弟藤原頼長との不和が元で、保元の乱の一因を作った。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

コメント (1)