たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

久し振りに、オナガの群れを見掛けたのに・・・、

2023年01月31日 17時31分12秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、天気予報では、1日中、「晴」だったが、
午後には、急に曇ってきて、
夕方には、今にも小雪がチラつきそうな空模様になり、
冷え込んできた。
まだ、青空が広がっていた昼過ぎ、
風が強く、手が悴むようだったが、
ちょこっと、近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約5,400歩。

なにやら、鳥の群れが騒々しく飛来してきて、高木の枝で止まった。
遠目、どうも、オナガのようで・・・、
慌てて、コンデジ、望遠域、オートフォーカスで撮ってみたが・・、
やっはり、ピンボケ・・・、
久し振りに見掛けたオナガだったが・・・、残念!

 

アオサギ

オオバン                    カイツブリ

 

 


爺さんの備忘録的鳥図鑑その31 「アオジ」(訂正版)

2023年01月30日 20時30分44秒 | 爺さんの備忘録的鳥図鑑

鳥にも疎い爺さん、子供の頃から目の当たりにしていた スズメ、ツバメ、カラス、ハト位は、パッとみて直ぐに分かるが その他の野鳥については、実際に見掛けても、数年前までは、ことごとく「君の名は?」だった。
それが、ブログをやるようになってからのこと、数多の方々のブログで鳥の写真等を見て、次第に興味関心が湧き、散歩・ウオーキング途中等で鳥を見掛けると、やたら写真を撮ってきたりして、それまで知らなかった鳥名を教えて貰ったり、自分で調べたりして、少しずつ分かる鳥が増えてきている気がしている。ただ、一度分かっても、そのそばから忘れてしまう老脳。ネット等から参照した情報を、記憶力減退老脳に代わる記憶補助として、ブログ カテゴリー 「爺さんの備忘録的鳥図鑑」に 書き留め置こう等と思っているところだ。鳥に詳しい方からは 「なーんだ、そんな鳥も知らなかったの?」と笑われそうだが 爺さんにとっては新知識、新情報、備忘録的鳥図鑑になる。


昨日のこと、寒さ厳しい1日だったが晴天で、
午前中、食料買い出しに出掛けたついでに、近くをちょこっと歩いてきた。
  右、左、上見て、下見る 爺散歩。
スマホの歩数計で、約5,400歩。

かなり遠くのフェンスに止まっている鳥を見つけた。
何の鳥だか、肉眼では確認出来ず、当てずっぽうで撮ってきた鳥、
どうも、モズ(百舌鳥)のメスのような?

 

どこからか飛来してきて、5~6m先の木の枝に止まった鳥有り、
肉眼では何の鳥だかも分からないまま、
老眼鏡を掛ける暇無し、コンデジの液晶画面もよく見えず、
ピント合わせもいい加減で、カシャ、カシャ、
帰ってから確認すると、やっぱりピンボケばかり、
1枚だけ、なんとか・・・。
ネットや図鑑で確認照合して、「マヒワ(真鶸)」だと思ったが、
再度、確認照合してみると、どうも「アオジ」のようだ。
いやはや、頭をかきながら、訂正することにした。
「マヒワ」と「アオジ」、
一見、良く似ており、注意しないとなかなか見分けがつかないようだ。
「アオジ」もまた、これまで見掛けたり、写真に撮った記憶は無く、
「初めまして、アオジ・・・」である。
ラッキー!


アオジ

スズメ目、ホウジロ科、ホウジロ属
形態 全長 14Cm~16Cm、
   黄色と緑色の羽毛、
分布 夏場に、中国北部、ロシア南東部、朝鮮半島北部等で繁殖し、
   冬季は、中国南部、台湾、インドシナ半島、日本等に渡り越冬する。
   日本では主に、冬季、本州の日本海側や九州等の開けた森林や林縁で見られ、
   「冬鳥」とされている。
生態 食性は、果実、種子、草木の芽、小さな昆虫等、雑食性。


 

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「ラストダンスは私に(Save the Last Dance for Me)」

2023年01月30日 18時17分08秒 | 懐かしいあの曲

夕食前の手持ち無沙汰な時間、古いCDを引っ張り出して聴いているが、今日は、オールディーズ。その中の1曲、「ラストダンスは私に」を、YouTubeから共有させていただいた。

今更になってネットで調べてみると
「ラストダンスは私に(Save the Last Dance for Me)」は、1960年(昭和35年)に、アメリカのコーラスグループ、ザ・ドリフターズ(The Drifters)がリリース、爆発的にヒットした楽曲だった。日本では、その翌年、1961年(昭和36年)に、岩谷時子訳詞、越路吹雪が歌った「ラストダンスは私に」が発売され、大ヒット。ラジオ等からよく流れていて、メロディー、歌詞共、脳裏に焼きついている。
ただ、当時は、シャンソン歌手越路吹雪が歌っていたことから、なんとなくシャンソンの雰囲気で聴いていたような気がするが、後年になってから、アメリカのポピュラー・ソングだったことを知ったのだった。

ザ・ドリフターズの「Save the Last Dance for Me」 (YouTubeから共有)

越路吹雪の「ラストダンスは私に」 (YouTubeから共有)



平岩弓枝著「はやぶさ新八御用帳・(一)大奥の恋人」

2023年01月30日 16時26分10秒 | 読書記

図書館から借りていた、平岩弓枝著、「はやぶさ新八シリーズ」の「はやぶさ新八御用帳・(一)大奥の恋人」(講談社)を、読み終えた。本書は、隼(はやぶさ)新八郎が活躍する長編時代小説「はやぶさ新八捕物帳」の第1作目の作品である。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に 書き留め置くことにしている。


▢目次
 「淀橋の殺人」「大奥」「闇の中の声」「鬼子母神」「椿」「お犬」「鷹野」「お志賀の方」
 「籠の鳥」「雛の日」「無月」「あの男」
「御代参」「春の影」「庵崎にて」「心中」

▢主な登場人物
 隼(はやぶさ)新八郎(南町奉行所内与力)、郁江、
 お鯉、仙之助、
 神谷伊十郎、左尾、神谷鹿之助、雪江、
 根岸肥前守鎮衛(南町奉行所奉行)、高木良右衛門(肥前守の用人)、
 大竹金吾(用部屋手付同心)、船越参之助、熊五郎(岡っ引き)
 鶴丸屋清兵衛(京菓子屋)、お辰、
 結城長七郎、田宮数馬、
 吉兵衛(千駄ヶ谷村名主)、弥之助、お春、正之助、
 お志賀の方、お利尾の方、お宇多の方、お登勢の方、お蝶の方、お満の方、お楽の方、
 お千世、音羽、滝川、お千世、お久美、お喜久、おやの(お鯉)
 小林利七(伊賀者)

▢あらすじ
主人公は、南町奉行根岸肥前守鎮衛の懐刀、隼新八郎。神道無念流の名手で頭脳明晰、心やさしい好青年だが恋には晩生(おくて)。長年新八郎の屋敷で奉公していたお鯉が実家に帰ってから、強い恋慕に気が付くが遅過ぎた。新妻郁江を迎えたが心通わず、ただ、あからさまに出来ない犯罪を、密かに探る奉行直属の内与力の役について多忙。折しも、淀橋と成子坂(なるこざか)で2つの殺人事件が発生、さらに、雑司ヶ谷鬼子母神での惨劇に拡大する。新八郎自身も、訪ねたお鯉の家からの帰路、如法暗夜の淀橋の殺人現場で襲撃され、危うく命拾い、鶴丸屋清兵衛が殺され、鬼子母神では、市中取締役の船越参之助、大奥御年寄音羽が殺され、成子坂では、首なし死体が・・・。
下手人は?、事件の関連性は?・・・、複雑に絡みついて謎だらけ・・・、探察を重ね、次第にそのもとが大奥へ結びついていることに気付くが、大奥は男子禁制、町方の探索及ばない世界。そこで・・・。
義兄神谷鹿之助(妻郁江の兄)も協力、お鯉を、大奥へ送り込み・・・。

最終章「心中」で、結城長七郎がすべてを明らかし・・・・、結末・・・、

「共に死ねというよりも、お前だけでも生きよと申すのが、人の心ではございますまいか」・・、お鯉の言葉に、新八郎は、「それは、田宮が、武士だったからだ」、「お侍とは、悲しいものでございますね」・・・、
遠ざかって行く女の背が泣いているのを、新八郎は途方に暮れて見送った。(第1話・完)



 


古い写真から蘇る旅の思い出・「大連・旅順」

2023年01月29日 15時17分13秒 | 旅行記

昨年12月、静岡県浜松市在住の義兄が亡くなり、コロナ禍の下、ここ3年程、一切遠出をして無かったものだが、本当に久し振りに電車旅をし、通夜葬儀に列席してきて、ブログにも書き込んでいた。その故人を偲ぶお斎(おとき)の席で、義兄夫婦と共に何度か旅行した思い出話が出た。その旅行の一つは、今から21年前2002年に、旅行会社の格安海外旅行ツアーで行った「大連・旅順」の旅だった。たまたま、その頃、次男が大連に短期駐在していたことと、親族が戦前大連に住んでいてその思い出話を物心ついた頃から聞かされていた義兄、一度は訪れてみたいと長年念願だったこともあり、話が合ってしまい、実現したものだった。
お互いに、長期休暇等取れない自営業をしていたことも有り、海外旅行等、夢のまた夢だったものだが、「いつ行くの?、今でしょ!」とばかり、決断、「大連・旅順」の旅が、生まれて初めての海外旅行となったのだった。
「ブログ内検索」してみたら、11年前の2011年12月10日、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に、ブログ・カテゴリー「旅行記」に、すでに書き込んでいたことが分かったが、懐かしくなってしまい、コピペ・リメイクしてみることにした。
当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、後年になって、アルバムに貼って有った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだ写真が外付けHDに残っており、改めて引っ張り出してみた。記憶はどんどん曖昧になってきているが、写真や、当時の記録・メモ等を見ると、あの日、あの場所の情景までが蘇ってくるから不思議なことだと思う。


振り返り記事
2011年12月10日
古い写真から蘇る旅の思い出「大連・旅順」(再)

先日、何気なく点けたテレビで、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲・第3部」が放送されていて、結局最後まで見てしまった。どうも、第1部放送から3年目になり、最終章だったようだ。日露戦争の旅順攻略を生々しく描いた部分、司馬遼太郎原作の作品をテレビドラマ化したものだが 確かに、「1年に1部」制作だけあって、見応えが有った気がする。日本海海戦編等、まだまだ続編が有るらしい。大国ロシアに真っ向うから立ち向かった日本、無謀とも思える作戦で、大変な犠牲を出し、国家存亡の危機だったとして、歴史に残る旅順攻略を、改めて知ることになった。当然 旅順、203高地、東鶏冠山、大連等の地名が、頻繁に飛び交う場面が多く、2002年9月13日~16日に、旅行会社のツアーで、大連・旅順を旅したことがあったため、思いを馳せてしまった。バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)で撮りプリントしアルバムに貼ってあった写真の何枚かをスキャナーで取り込んでみた。当時はまだ、日露戦争後、40年間日本の統治下に置かれ、満鉄が進めた街の趣や史跡が残っているとされていた大連、旅順だった。

(1)旅順 203高地、

歩いて登ることが難しい観光客目当ての商売?、駕籠屋?
しつっこく付き纏ってきた。が、無視!。

(朝日新聞の記事から拝借)

砲台

203高地から旅順港を望む、

(2)旅順 東鶏冠山                                                 

今尚、軍事施設とされ、公安があちこちで警備に当たっており、
添乗員・ガイドからは、撮影禁止区域等に カメラを向ける等して、
不審な行動と見られないように注意された。
当時、日本人等が、拘束される事件が頻発しており、緊張感が漂ってもいた。

 

(3)星海公園

 

(4)大連 勝利広場
   大連市街には、大きな広場が、あちこちに有る。

大連市街

(5)大連・旧ロシア人街

 

(6)大連・旧日本人街
   当時はまだ、戦前、日本人が暮らしていた住宅建物が、ほぼそのまま残っていた。

 

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(7)大連・北大橋

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(8)老虎灘公園

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(9)大連・大連賓館(旧大和ホテル)
   中山広場に面した立派な建物、戦前、満鉄が経営していたホテルだったが健在。
   内部の一部は見学出来(有料)、カフェも有るということだったが、
   時間の都合で、玄関・フロント部だけを見学(無料)。

(ネットから拝借画像)

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(10)大連・繁華街

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(11)大連外国語学院

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今更になってネットで調べてみると
「大連」は、もともと寒村に過ぎなかった地で、19世紀末に同地を租借した帝政ロシアが開発、都市計画を進め、地名を、「ダリニー(はるかに遠い地)」と名付けたのだそうだ。日露戦争後、日本が町づくりを引き継ぎ、「ダイレン(大連)」と改名したが、その中心となった担い手が、「南満州鉄道会社(略称・満鉄)」だったのだ。


「大連・旅順」の旅、最終日、何らかの理由で、帰国便が、当初の予定から変更になり、大連から青島経由、成田となった。急遽、中国の国内線・山東航空公司の小型機に搭乗した分けだが、何しろ、初めての海外旅行で飛行機慣れしていない人間には、ハラハラ、ドキドキ、緊張の連続だったことが思い出される。

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青空に映えるロウバイ

2023年01月28日 15時32分22秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、早朝から午前中、青空が眩しい程に、良く晴れ上がった。
午後には、やや雲が掛かり始めたが、風も無く好天。
やおら重い腰を上げ、ちょこっと、近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約6,600歩。

ロウバイが、青空に映える

モズ
かなり距離有り、当てずっぽうに、カシャ、カシャ、ピンボケ

 

羽を広げて乾かしているカワウ


爺さんの備忘録的鳥図鑑「カワウ」
👇
こちら


橋桁にカワセミ

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「カポック、咲いてるヨー!」

2023年01月28日 14時32分49秒 | 暮らしの記録

「カポック、咲いてるヨー!」
昨日、妻から声が掛かり、「花の写真を撮るだけ係」の爺さんの出番となった。
毎年、冬季間だけ、ベランダから室内に運び込んでいる鉢植えのカポック、
樹高2mにもなっており、狭い部屋をより狭くしているが、
今年は、珍しく花を咲かせたようだ。
あまり面白みのない観葉植物であり、普段は、鬱陶しい?位の存在であるが、
久し振りに、花の写真を撮らせてくれ・・・・。

 


爺さんの備忘録的花図鑑・「シェフレラ(カポック)」
👇
こちら


 

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ほんのり薄化粧した山並み

2023年01月28日 10時05分18秒 | 暮らしの記録

記録的寒波来襲のここ数日、全国各地で降雪積雪による交通混乱や水道管凍結破裂による断水等の被害が生じ、ご苦労されておられる皆さんも多いのではないかと思われる。
関東南西部、山沿いの当地も、度々、異常低温、降雪、路面凍結等に対する警戒等を呼び掛けられて、身構えているものの今のところ、大きな被害は生じていない様子で、昨日夕方から未明に掛けては、「降雪、積雪」の予報も出ていたが、それも外れ、今朝は、周辺の山並みが、ほんのり薄化粧している程度、叢に、霜の如くの積雪が見える程度、路面には全く積雪も無し、路面凍結も無しのようだ。

 

 


「七つの水仙(Seven Daffodils)」(再)

2023年01月27日 17時45分07秒 | 懐かしいあの曲

今冬最強の寒気の襲来で、ここ数日、当地も、最低気温が氷点下になる日が多くなっているが、そんな厳しい寒さの中でも、健気に花を咲かせている植物の一つに、水仙が有る。
散歩・ウオーキングの途中でも見掛けるし、我が家の猫額庭でも咲いている。
春爛漫の候とは異なり、どこか寂しげな風情を感じてしまうが、どうなのだろう。

「水仙」から、思い浮かぶ曲の一つに、「七つの水仙」が有る。
記憶曖昧だが、昭和40年代前半頃だったろうか。ザ・ブラザーズ・フォア「七つの水仙」が、よくラジオ等から流れていて、そのゆったり、しみじみした曲調が耳に馴染んだものだった。
歌詞の内容が、家も土地もお金も無い貧しい大学生が恋人に七つの水仙を捧げようと詠んだ恋詩だったことを知ったのは、かなり後年になってからのことだが、就職間も無い頃、独身寮で、薄給に喘ぎながら、なんとなく切ない?暮らしをしていた当時の気持ちが、「七つの水仙」の曲調とダブっていたのかも知れない。
今更になってネットで調べてみると、
「七つの水仙(Seven Daffodils)」は、元々、フォークソング・グループ、ウイーバース(The Weavers)が、1957年(昭和32年)に発表した楽曲で、1964年(昭和39年)に、ザ・ブラザーズ・フォア(The Brothers Four)がカバーしてから、大ヒットしたのだそうだ。
そして、「七つの水仙」は、「グリーン・フィールズ」、「遥かなるアラモ」等と並ぶ、ザ・ブラザーズ・フォアの代表曲の一つになっている。

ザ・ブラザーズ・フォアの「七つの水仙」 (YouTubeから共有)

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1年前の今日は?

2023年01月27日 16時10分14秒 | ブログ考

2023年1月27日、
当地、今日は、午前中、時々晴れ間も見えていたが曇天で、冷え込みが厳しく、
午後には、今にも小雪がチラついてきそうな空模様になっている。
寒!、寒!、またまた、縮こまって家籠もり、
ブログネタも無し。
昨年の今日は、どうだった?
日記、日誌、雑記録、備忘録、懐古録の類、記憶力無しの爺さんの、自分のための「記憶補助ツール」と決め込んでいる弊ブログ。
すっかり忘れていても、
クリック、クリックで、瞬時に、1年前、5年前、10年前の記憶を
呼び戻すことが出来、「ブログ内検索」でも、確認も出来、
今や、ブログは、大変有難い存在になっているのだ。
昨年の今日1月27日は、好天で、
「都立小宮公園」に出掛け、フクジュソウとロウバイを見てきたことが分かった。
「へー!、そうだったかなあー」・・・である。


振り返り記事
2022年1月27日「フクジュソウとロウバイ」
👇
こちら