たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

映画「シャレード」と主題曲「シャレード」

2023年02月28日 20時49分20秒 | 懐かしいあの曲

先日、古いレコードで、オードリー・ヘプバーン主演映画「昼下がりの情事」の主題曲、「魅惑のワルツ(Fascination)」を聴いていて、次々とオードリー・ヘプバーン出演の映画やその主題曲が思い出されてきた。その一つに、「シャレード」も有る。「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、書き留めていたが、懐かしくなり、コピペ、リメイクすることにした。

(ネットから拝借画像)

今更になってネットで調べてみると
映画「シャレード(Charade)」は、スタンリー・ドーネン監督、ケーリー・グラントオードリー・ヘプバーン主演で、1963年(昭和38年)に公開された、アメリカのサスペンスタッチ映画だった。この映画も、公開当時に映画館で観ているはずはなく、後年になって、リバイバル映画館で観たのか、テレビの映画番組で観たかだが、何回か観ている。ただ、ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini)作曲の同名の主題曲「シャレード」の方は、数多の歌手や楽団にもカヴァーされ、大ヒット、当時、随分とラジオ等から流れていて、脳裏に焼き付いたように思う。

ヘンリー・マンシーニの「シャレード」 (YouTubeから共有)

スチール・ギター演奏の「シャレード」 (YouTubeから共有)

 

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古い写真から蘇る旅の思い出「春は名のみの越中五箇山相倉」

2023年02月28日 17時11分59秒 | 旅行記

今から13年前、2010年4月15日に、旅行会社の格安バスツアーで、「五箇山相倉合掌造り集落」を訪れたことが有った。気力的にも体力的にも、「その内いつか・・・」等と言ってられない歳になり、「今でしょ!」とばかり、思い立ってツアーに参加申し込みし、出掛けたものだった。格安バスツアーならでは強行スケジュールで疲れ果てた旅行ではあったが、夫婦で旅行・・等、指折り数える程しかない類にとっては、大満足、貴重で、記憶に残る旅行だったと思っている。
コンデジでやたら撮った写真は、以前、「デジブック」にしていたが、「デジブック」は、すでに廃止になっており、今回、改めて、外付けHDから古い写真を引っ張り出して、ZUISOにしてみた。今となっては、あの時、思い切って行ってて、本当に良かったと思っている。

五箇山(ごかやま)相倉(あいのくら)合掌造り集落は、富山県南砺市に有り、1995年に、菅沼集落、白川郷萩町集落等と共に、ユネスコの世界文化遺産に登録され、国指定史跡にもなっている。                                

訪れたのは4月中旬だったが、まだまだ残雪が有り、小雪が舞っており、周辺の山は雪山、春は名のみの厳しい寒さだったが、その厳しい寒さの中、外国人観光客が予想外に多かったことを覚えている。ユネスコの世界文化遺産に登録されたこともあって、日本の文化や歴史、風俗等に関心を持つ外国人にも人気が有るのだろう。
北陸の山村育ちの人間には、どこか懐かしく、故郷に帰ったような思いがしたものだったが・・・。                                      

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ZUISO
追想旅アルバム
「春は名のみの越中五箇山相倉」
古い写真から蘇る旅の思い出
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映画「マイ・フェア・レディ」と「踊り明かそう」

2023年02月27日 20時07分33秒 | 懐かしいあの曲

先日、古いレコードで、オードリー・ヘプバーン主演映画「昼下がりの情事」の主題曲、「魅惑のワルツ(Fascination)」を聴いていて、数々のオードリー・ヘプバーン出演の映画が思い出されてきた。その一つに、「マイ・フェア・レディ」が有る。

(ネットから拝借画像)


今更になってネットで調べてみると、
映画「マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)」は、ジョージ・キューカー監督、オードリー・ヘプバーンレックス・ハリソン等主演で、1964年(昭和39年)に公開された、アメリカのミュージカル映画。
「マイ・フェア・レディ」は、元々、1913年(大正2年)に、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」を原作としたミュージカルで、1956年(昭和31年)にブロードウエイで公演されて大成功し、映画化されたというものだった。
この映画も、公開当時にリアルタイムで観たはずはなく、後年になって、リバイバル映画館で観たか、テレビの映画番組等で観たか・・・だと思うが、何回か観ている。なんと言っても、ミュージカル映画であり、映画の中のいろいろなシーンで使われていた数多の楽曲は、魅力的、印象的で、脳裏に焼きついている。いずれも、聴けば懐かしい楽曲ばかりではあるが、映画「マイ・フェア・レディ」・・と聞けば、さっと思い浮かんでくる曲のいくつかを、YouTubeから共有させていただき、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、書き留め置くことにした。

映画「マイ・フェア・レディ」の数多の楽曲の中で、最初に思い浮かんでくる曲と言えば、やっぱり、「踊り明かそう(I Could Have Danced All Night)」・・・・・、かな。
数多の歌手や楽団にカヴァーされている「踊り明かそう」。
YouTubeから共有させていただいた。


その5 「踊り明かそう(I Could Have Danced All Night)」

映画「マイ・フェア・レディ」・「踊り明かそう」、

マントヴァーニ楽団演奏の「踊り明かそう」、

さっと思い浮かんでくる曲が、5曲、有ったところで、
ひとまず、おしまいにする。

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春うらら霞か雲かスギ花粉か

2023年02月27日 16時59分01秒 | 散歩・ウオーキング

今日の当地、最高気温は、13℃前後だったようだが、
風が無く、陽射しが強く、
体感的には、ポカポカ陽気の1日だった。
好天に誘われて、午後、ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約5,800歩。

霞か、雲か、はたまた 杉花粉か・・、

周辺の山には、杉の木も多く、
見ただけでも、クシャミが出そうな、杉の花がワンサカ・・、
杉花粉飛散、これからが最盛期、
思いやられる。

途中の草むらに咲いていたクロッカス?

垂れ梅

我が家の猫額庭のクリスマスローズも満開になり・・、


「中学生日記より」その63

2023年02月27日 12時14分16秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その63 「夏休み中の1日のこと」

昭和30年(1955年)8月6日、土曜日、曇一時雨、
起床 5時15分

1、家のまわり(周り)の草取りをした、
2、8時半ごろ(頃)、学校へいって(行って)、
  図書の本をかりて(借りて)きた。(ハムレット)
3、いわれないで(言われないで)、なす(茄子)畑の草とり(草取り)をした。
4、原山のマスエが、オケヤへ来た。
5、佳子の誕生日

夏休み中の変哲もない1日のことが書かれているが、全く喪失していた記憶が、かすかに炙り出されてくる。
起床=5時15分、・・・・、当時の山村の暮らしは、大人も子供も、早寝早起き、夜明けと共に動き出していたように思う。
1、毎年、お盆が近付いてくる頃に、家の周りの草取りをすることは、子供の仕事になっていて、この日も、少ししたようだ。
2、夏休み中に学校へ行って、本を借りてきた等という記憶は全く無いが、1学年1クラスの小さな田舎の学校で、当時は、出入り自由、おおらかだったのかも知れない。図書と言っても、廊下の隅のコーナーの棚に並んだ僅かな蔵書の中から借りるものもので限られていたはずだが・・・。
「ハムレット」?、多分、児童向け絵入り図書位だったのだろうと思う。

3、毎度、親に言いつけられて、いやいや手伝っていた畑仕事、その日は、気をまわし、指示されない内に、自分で畑の草取りをしたようだ。自分で自分を褒めているような・・・。
4、離れた集落の歳上の従姉妹が、近所の叔父の家(父親の生家)に、お使いか何かでやってきたようだ。隣り近所に誰がいつ来た等、みんな分かる土地柄、時代だった。M男は、姉さん風を吹かす彼女を、やや敬遠していたような気がする。
5、8月6日は、妹の誕生日だった。何歳?、まだ幼児だったはず。当時は、子供の誕生日に、お祝いとか特別なことをすること等、まるで無かった気がする。


映画「マイ・フェア・レディ」と「時間通りに教会へ」

2023年02月26日 19時58分44秒 | 懐かしいあの曲

先日、古いレコードで、オードリー・ヘプバーン主演映画「昼下がりの情事」の主題曲、「魅惑のワルツ(Fascination)」を聴いていて、数々のオードリー・ヘプバーン出演の映画が思い出されてきた。その一つに、「マイ・フェア・レディ」が有る。

(ネットから拝借画像)


今更になってネットで調べてみると、
映画「マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)」は、ジョージ・キューカー監督、オードリー・ヘプバーン、レックス・ハリソン等主演で、1964年(昭和39年)に公開された、アメリカのミュージカル映画。
「マイ・フェア・レディ」は、元々、1913年(大正2年)に、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」を原作としたミュージカルで、1956年(昭和31年)にブロードウエイで公演されて大成功し、映画化されたというものだった。
この映画も、公開当時にリアルタイムで観たはずはなく、後年になって、リバイバル映画館で観たか、テレビの映画番組等で観たか・・・だと思うが、何回か観ている。なんと言っても、ミュージカル映画であり、映画の中のいろいろなシーンで使われていた数多の楽曲は、魅力的、印象的で、脳裏に焼きついている。いずれも、聴けば懐かしい楽曲ばかりではあるが、映画「マイ・フェア・レディ」・・と聞けば、さっと思い浮かんでくる曲のいくつかを、YouTubeから共有させていただき、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、書き留め置くことにした。

さっと思い浮かんでくる曲、4曲目は、「時間通りに教会へ(Get Me To The Church On Time)」。


その4 「時間通りに教会へ(Get Me To The Church On Time)」

イライザ・ドゥーリトルの父親、アルフレット・ドゥーリトルは、アメリカの投資家の遺産相続人になり、4000ポンドの年金を受け取る身分となり、愛人と結婚式を挙げることになる。ビシッとモーニングを着込んだアルフレッドが歌う賑やかな楽曲。

映画「マイ・フェア・レディ」・「時間通りに教会へ」 (YouTubeから共有)

(つづく)

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藤沢周平著 「闇の傀儡師」

2023年02月26日 17時37分27秒 | 読書記

図書館から借りていた、藤沢周平著「闇の傀儡師(やみのかいらいし)」(上)(下)、(文春文庫)を、読み終えた。本書は、週間文春の昭和53年8月17号から昭和54年8月16日号までに連載された長編時代伝奇小説である。

              

▢目次
  「八嶽党(はちがくとう)」「追跡」「老剣客」「忍びよる影」「春の雷鳴」「暗い雲」
  「辻斬り」「世子評定」「風力・雷刀」「往きて還らず」
 あとがき 藤沢周平
 解説 清原康正 

▢主な登場人物
 鶴見源次郎、織江、都留、鶴見由之助、
 細田民之丞、
 塚本喜惣、興津新五左衛門、
 赤石道玄(赤石藤七郎)、奈美、
 伊能甚内、八木典膳、お芳、
 松平右近将監武元、
 松平上総介定信、白井半兵衛、
 田沼主殿頭意次、
 一橋民部卿、
 佐五(松崎佐五郎)、杉江作蔵、鹿間弥六、布施重助、

▢あらすじ
10代将軍徳川家治の治世、幕府に積年の怨みを抱く謎の秘密結社八嶽党一味の暗躍に対して、元御家人の主人公鶴見源次郎が探索に乗り出し、次期将軍の座をめぐる徳川家の争い、権力抗争、陰謀の渦中に巻き込まれ、公儀隠密を交えた壮絶な死闘を緊迫感に包まれながら展開していく。

主人公の鶴見源次郎は、無眼流の剣の達人だが、妻織江と離別し御家人の身分を捨て、長屋住いをしていたが、ある日、斬り合いの場面に遭遇し、瀕死の公儀隠密に密書を託されるところから物語が始まっている。その紙片には、「八は田に会す、用心」とあり、老中主席松平右近将監宛のものだった。「八」は、徳川将軍家が代がわりする度に、暗躍してきた正体不明の徒党八嶽党のこと。
源次郎は、否が応にも、「八嶽党」をめぐる陰謀に巻き込まれていき、幕府の隠密とともに追跡、死闘の日々をおくることになる。そこには、次期将軍世子を巡る複雑怪奇な陰謀策略暗躍が有り、随所に、藤沢周平ならではの、容赦ない、息を飲む、壮絶な死闘、決闘の描写が有り、一方では、自害した妻の妹津留との物語にもなっている気がする。さらには、最初敵対していた八嶽党に対する源次郎の認識が次第に変化していき、滅びゆくものへの憐憫の情が生まれたり、老剣士の宿命の対決、等々が描かれ、様々な要素が織り込まれて融合した、読み応えのある作品だと思う。
「暗い庭で誰かが笑っていた。・・・・・そしてふたたび、こらえかねたようにひとり笑いがひびいた」
真の傀儡師、黒幕とは誰なのか?。作者は、最後の最後まで、「あのお方」で通して、名を明かさないが、読者には判る。「万事うまくいった・・・」と笑う人物とは?

▢あとがき 藤沢周平、
(一部抜粋、引用)
私にはいまも濫読の癖が残っているが、最初の濫読時代というものを挙げるとすれば、それは小学校の五、六年のころだったろうと思う。それは昭和十年代前半のことで、そろそろ戦争の匂いがして来たころだったが、その匂いはまださほど強くなく、私が住む村は、朝夕静かなたたずまいを見せる農村だった。そのころはテレビなどというものはむろんなく、ラジオのある家さえめずらしかった。また映画といえば、お盆と正月の年二回、小学校にまわって来る無料映画を見るだかだった。歩いて三十分ぐらいのところに鶴岡の町があり、そこに行けば映画館があることを知っていたはずだが、村の子供は、町に映画を見に行く才覚もお金も持ち合わせていなかった。(中略)。
そういう時代だから、いわゆる子供の遊び、矢投げという戦争ごっことか、水泳とか、メンコ(ペッチといった。私は一時、タンスの小引出しが一杯になるほど、戦利品のペッチをためたことがある)とかをのぞけば、あとの楽しみは本を読むぐらいだった。(中略)。
その頃の親たちは、すぐに遊びに走り出る子供をつかまえて、仕事を手伝わせることに躍起となっていたが、勉強しろとは言わなかった。私も家に帰ってから学校の勉強をしたことはない。要するに朝から晩まで遊んでいたのだが、その遊びの中で、本を読む時間の占める比重がどんどんふえて行った。(中略)。
譚海という、ちょっと小型の雑誌で読んだ時代小説が、どういう筋でどんな題名だったかはもう思い出すことが出来ない。たとえばそのひとつが、神道無念流戸ヶ崎熊太郎の門人が主人公だったことと、その小説は無類におもしろかったことをおぼえているだけである。(中略)。
その遠い記憶が、この「闇の傀儡師」にもつながっている。(後略)。昭和五十五年五月
 

クンシラン(君子蘭)(再)

2023年02月26日 10時43分16秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

関東西部山沿いの当地、冬季の最低気温は、平地と比べて大抵1℃~3℃低く、ー5℃以下になることも多く、気象条件によっては降雪積雪も有る土地柄なので、毎年、ベランダや庭先に並べている鉢植え植物で耐寒性の弱い植物等は、年末から3月頃まで、室内に運び入れている。狭い部屋がより狭くなっており、1日でも早く屋外に出したいものだが、まだまだ、油断出来ない季節、もうしばらくは、室内に留めるしかない。
株分けされて何鉢にもなっているクンシラン(君子蘭)もその一つで、今年も開花し始めている。これまで毎年のように撮ってきた写真を何枚か引っ張り出して、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにする。

実は、このクンシラン(君子蘭)、もう40数年前に、妻が勤務先の近くの花屋で、500円で買ってきたもののようで、これまで何回も何回も、株分けして、友人知人にも上げてきたもののようだが、未だに健在、感心する植物なのだ。


クンシラン(君子蘭)

ヒガンバナ科、クンシラン属(クリビア属)、多年草、
   別名 「クリビア・ノビリス」、「クリビア・ミニアタ」
      「ウラザキクンシラン」、

   花名に、「ラン」とついているが「ラン科」ではない。
   明治時代に 「クリビア・ノビリス」という種が渡来したが 
   「ノビリス=高貴」に因んで、「君子蘭」と名付けられたという。
   肉厚でつやの有る葉とオレンジ色の花を楽しむ植物、
原産地 南アフリカ・ナタール地方(平原)、
草丈 30cm~50cm
花色 オレンジ色、黄色、白色、緑色、
開花時期 2月頃~5月頃
花言葉 「高貴」、「誠実」、「情け深い」、


 

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クンシラン(君子蘭)、咲き出したよー、

2023年02月26日 09時36分41秒 | 暮らしの記録

「クンシラン(君子蘭)、咲き出したよー」、
昨日、妻から声が掛かった。
毎年、年末から春先に掛けては、寒さに弱い鉢植え植物を、ベランダや猫額庭から室内に運び込んでいるが、妻が、株分して何鉢にもなっているクンシラン(君子蘭)もその一つ。
「ブログ内検索」してみると、昨年は、2月初旬から咲き始めていたようだが、今年は、2月下旬の今頃になって、やっと・・・。
当地、まだまだ、最低気温が5℃以下になる日も有り、ベランダや庭に運び出せないが、三寒四温、春隣(はるとなり)を感じさせてくれる植物である。
狭い部屋を狭くしている鉢植え植物を、早くベランダや庭に運び出して、開放感を味わいたい季節になってきた。

 

 


映画「マイ・フェア・レディ」と「運が良けりゃ」

2023年02月25日 11時46分27秒 | 懐かしいあの曲

先日、古いレコードで、オードリー・ヘプバーン主演映画「昼下がりの情事」の主題曲、「魅惑のワルツ(Fascination)」を聴いていて、数々のオードリー・ヘプバーン出演の映画が思い出されてきた。その一つに、「マイ・フェア・レディ」が有る

(ネットから拝借画像)


今更になってネットで調べてみると、
映画「マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)」は、ジョージ・キューカー監督、オードリー・ヘプバーン、レックス・ハリソン等主演で、1964年(昭和39年)に公開された、アメリカのミュージカル映画。
「マイ・フェア・レディ」は、元々、1913年(大正2年)に、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」を原作としたミュージカルで、1956年(昭和31年)にブロードウエイで公演されて大成功し、映画化されたというものだった。
この映画も、公開当時にリアルタイムで観たはずはなく、後年になって、リバイバル映画館で観たか、テレビの映画番組等で観たか・・・だと思うが、何回か観ている。なんと言っても、ミュージカル映画であり、映画の中のいろいろなシーンで使われていた数多の楽曲は、魅力的、印象的で、脳裏に焼きついている。いずれも、聴けば懐かしい楽曲ばかりではあるが、映画「マイ・フェア・レディ」・・と聞けば、さっと思い浮かんでくる曲のいくつかを、YouTubeから共有させていただき、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、書き留め置くことにした。

さっと思い浮かんでくる曲、3曲目は、「運が良けりゃ(With A Little Bit Of Luck)」。「ブログ内検索」してみたら、5年前にも、書き留め置いたことがわかったが、懐かしくなり、コピペ、リメイクすることにした。


その3 「運が良けりゃ(With A Little Bit Of Luck)」

お調子者でどこか憎めない、イライザ・ドゥーリトルの父親、アルフレット・ドゥーリトルが歌っている楽曲。

映画「マイ・フェア・レディ」・「運が良けりゃ」 (YouTubeから共有)

 

 

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