たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ジョビ男とジョビ子とetc

2022年01月31日 17時00分43秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、穏やかな快晴、
風が無かった分、ポカポカ、春を思わせる温かさ。
好天に誘われて、午後になってから、ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約10,000歩。

久し振りに見掛けた ジョウビタキのメス
カワユイ!

ジョウビタキのオスも

キセイキレイ

 

ビルの屋上で、のんびり毛づくろいするダイサギ

カルガモ

 

アネモネ             シバザクラ?

 

君の名は?

 

 

 

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振り返り記事 「新雪」

2022年01月30日 20時32分14秒 | 懐かしいあの曲

gooブログから、ちょうど1年前に書き込んでいた記事が、届いた。
1年前に何を書き込んだか等覚えているはず無しの爺さん、
「そう言えば・・・」、・・・、記憶が蘇ってきた。
ブログは、有難い・・・、

2021年1月30日の記事 「新雪」
👇

 
「新雪」

昭和20年代、30年代、子供の頃や若い頃は まるで音楽等というものに興味も関心も無く、環境的にも無縁だったような気がしている。ただラジオ等から流れていた歌謡曲等を聴くとも無しに聴い......
 

                           👆


サラ川

2022年01月30日 17時02分41秒 | 川柳・俳句・五七五

毎年、第一生命が公募している「サラリーマン川柳」(サラ川)、楽しみにしている類だが、先日、1月27日に、第35回の優秀句100句が決定、発表され、その中から、ベスト10を選ぶための投票も開始された。今回の応募総数は、62,657句とのことで、その人気振りが分かる。今回発表された優秀句100句は、第一生命のホームページ、ニュースリリースで見ることが出来る。
五七五、わずが17文字で、サラリーマンの悲哀や世相を表現する「サラリーマン川柳」、川柳の達人の皆さんの着眼、ユーモアセンスに拍手、いずれも傑作である。
投票は、一人1句と定められており、100句から1句を選ぶのは辛いが、投票してみようかなと思っているところだ。投票締め切りは、3月18日、ベスト10発表は、5月下旬になるようだ。

今回は、やはり、新型コロナウイルスに纏る川柳が多かったようだが、目に止まった何句かを上げてみると
   マスクとる緊急事態ノーメイク
   ふところが寒いもともとキャッシュレス
   打ちました!ワクチン?いいえ大谷さん
   乾杯でマスクとったらどちら様 
   8時だよ!昔集合今閉店
   パパいるの!在宅続きまたいるの?
等々、数多。

(ネットから拝借イラスト


出典
👇
第一生命ニュースリリース「第35回第一生命サラリーマン川柳コンクール優秀100句決定


 

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「シャル・ウイ・ダンス?(Shall We Dance?)」(再)

2022年01月30日 11時27分44秒 | 懐かしいあの曲

ふっと思い浮かんだ曲「Shall We Dance?」
5年前、2017年12月19日にも書き込んでいることが分かり、コピペ、リメイク。


「シャル・ウイ・ダンス?(Shall We Dance?)」
今更になってネットで調べてみると、元々は、1951年(昭和26年)に初演されたミュージカル「王様と私」に使用された、オスカー・ハマースタイン 作詞、リチャード・ロジャース 作曲の楽曲で、1956年(昭和31年)に、制作されたアメリカのミュージカル映画「王様と私(The King and I)では、マーニ・ニクソンが吹き替え歌唱した楽曲だった。
デボラ・カーユル・ブリンナーが主演した映画「王様と私」の方は、かなり後年になってから、テレビの映画番組かなにかで観たような気がするが、王様とアンナが踊り始めるシーンが有り、そのナンバーが、「シャル・ウイ・ダンス?(Shall We Dance?)」(踊りませんか?)。 
ちょうど、中高年の社交ダンスブーム到来の頃で、「シャル・ウイ・ダンス?」なんて、よく、ふざけて使っていたような気がする。

古いLPレコード盤「ヒット・ミュージカル集(11曲)」にも
収められている。

映画「王様と私」「"Shall We Dance" 」 (YouTubeから共有)

 


ふっと思い出した故郷の言葉 No.66 「くべる」

2022年01月29日 17時38分42秒 | 懐かしい故郷の方言

昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごした爺さん、当時 聞いたり、話したりしていた言葉(方言)も、ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民ではなかった家族の中で育ったこともあり、身に染み込んでいなかったからだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に 爺さんの引き出し(ブログ カテゴリー)「懐かしい故郷の方言」に 書き留め置くことにしている。

懐かしい 昭和20年代、30年代の農村風景
相互フォロワー登録している「気ままぶらぶら」たなのぶ様のパソコン画。
ご本人のご了解を得て拝借している。


No.66 「くべる」

昨日、10年前に書き込んでいた記事「横井戸、水汲み、風呂焚き」をコピペ、リメイクしていて、すっかり忘れていた言葉「くべる」が目に止まった。
ネットで調べてみると、「くべる(焼べる)」は、「燃やすために、火の中へ、燃料となる薪や紙等を入れること、補充すること」の意の標準語なのだそうで、方言では無さそうだが、子供の頃は、単純に「燃やす」の意で聞いたり、使っていたような気もして、「火が消えないように追加する」の意だったとは知らなかった。いずれにしても、燃料が、プロパンガス、都市ガス、電気等に代わり、全く使われなくなった言葉で懐かしい。

例えば

「ソコノ カミクズ クベテクンナイ」
(そこの紙くず、燃やして下さい)

「クベルマキ ナイヤンナッタソイ ウラカラモッテコイヤ」
(燃やす薪、無くなりましたので 裏から運んで来て下さい)

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「横井戸、水汲み、風呂焚き」(再)

2022年01月28日 21時11分33秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

10年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2012年6月24日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)。


「横井戸、水汲み、風呂焚き」

M男は、昭和30年代後半まで(高校を卒業するまで)、北陸の山村で過ごしたが、その頃はまだ、M男の家には、水道が無く、飲料水、生活水は、全て井戸水でやりくりしていた。井戸と言っても、通常の縦井戸ではなく、山際の崖を横に掘って地下水を集め、屋敷まで引いてくる形のもので、横井戸と呼んでいて、後年になって思ったものだが、沢水を引いてくるのと大差ないものだった。その横井戸も、専門の業者に、水脈を調査してもらったり、機械で掘削してもらったものでなく、父親と数人の親戚の男衆が、スコップ、ツルハシ、カッサビ等を使って人力で、何日もかけて、掘ったもので、うまく、地下水脈に当たらなければ、何度も場所を変えて掘り直していたような気がする。当時、子供の目からするとかなり奥深くまで掘り進めていたように感じたものだが、実際は、2~3mだったのかも知れない。掘った後、周囲をコンクリートで固める等もせず、ただ内部からしみ出した水を溜めておく堰を作り、そこから、鉄管で屋敷まで引いてくるという簡単な工事であった。それを台所まで伸延する技術や資材や資金が無かったのだろう。玄関から、7~8mの敷地の隅に鉄管の先が出て、常時、勢いよく流れ落としていたのだ。直ぐ脇に村道が有り、通る人達がよく立ち寄って、柄杓(ひしゃく)で、のどを潤し、「うまい水だ」と絶賛していたので、かなり、良質な地下水だったのかも知れない。

問題は、台所の水瓶風呂桶(木製、大きな樽状浴槽)に、日々、人力で、その水を運搬しなければならないことだった。当時は、ブリキのバケツを使っていたが、満杯にするとかなり重く、何回も往復する大変な作業だった。父母は、勤めや農作業のため、暗くなるまで、家に居ないため 家事全般は、祖母が担っていたが、その水汲み作業も、最初は、大部分祖母がやっていたように思う。元々、痩せて華奢な祖母で、その重労働を見てはおれなくなったM男は、小学校高学年になった頃からは、代わって自ずとやるようになっていたのだ。台所の水瓶には、毎日、2~3回往復程度で良かったと思うが、風呂桶を満たすとなると、20数回往復しないとならず、かなりつらい仕事ではあったが、弱音は吐かなかったような気がする。

風呂焚きも、だいたいM男の役割だった。風呂釜に、まず、紙屑と枯れた杉葉を入れてマッチで焚きつけ、野積み乾燥のを運んできて、くべる(焼べる)のだが、煙突の無い風呂釜だったこともあり、燃えにくく、頻繁に消えたり、くすぶったりで、その都度、火吹き竹で送風、火の勢いをつけるが、家中、煙が充満、茶の間の天井近くには、高窓が有って 煙を排出させてはいたものの、柱や梁は、燻されて黒光りしていたものだった。 

台所の隅には、薪をくべる(燃べる)竈(へっつい、かまど)が有って、朝夕、お釜(おかま)で 炊飯していた。炊き上がったご飯を御鉢(おはち)に移すのは祖母がしていたが、こげつき(おこげ)が出来た時等、祖母は、よく醤油でまぶしておにぎりにしてくれたものだった。夕食前、腹ペコの食べ盛りのM男達とっては、たまらなく美味しく感じた、うれしいおやつで、飛びついて食べたものだった。

(ネットから拝借画像)
竈(かまど)・へっつい      囲炉裏(いろり)
   
 

台所には、囲炉裏もあり、吊るされた自在鉤(じざいかぎ)に、大きな鍋を吊るし、味噌汁等の煮炊きをしていた。戦前、東京で定食屋のような店をやっていたことも有った祖母は料理上手で、貧しい食材を上手く工夫し、近所でも評判だったような気がする。

後年になって、「あの頃は、家族全員それぞれが、自然と役割が決まって、日々をこなしていた時代だったんだな」とつくづく思ったものだ。

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2週間振りに畑へ、

2022年01月28日 16時05分19秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

このところずっと、最低気温が氷点下で、雨無しの日が続いている当地、
カラッカラッに乾燥しており、畑の作物、どうなってるだろうか。
  もう2週間も行っていないし・・・、
  ホウレンソウ、大根を 採ってきたいし・・・、
ということで、午後になってから、やおら重い腰を上げ、
Go To 畑! と相成った。

(1)大根1本、収穫、
   今にところ、どういうわけか、今年の大根、スも入っておらず健常?
   ほぼ毎日、何らかの食材に大根を使っているようだが、
   太ッチョ大根とて、1本消費するのに何日も掛かってしまい・・・。
(2)ホウレンソウ、収穫
   今年のホウレンソウ、相変わらず、生育悪く、小さいままで、
   とてもお裾分け等出来ないが、ウチで食する分には、十分な量。

残っている大根、この分だと、2月、3月まで、間に合いそう?

厳しい寒さと乾燥に耐えて、なんとか生きているタマネギ

サラダ菜サニーレタスは、全然生育せず小さいまま。果たして生育するのかどうか。

キヌサヤスナックエンドウは、かなり寒さにやられて枯れており、風前の灯

寒冷に強いノラボウ菜は、今のところ健在。

収穫して保存している白菜も、ボチボチ漬けては食しているが
まだ10個程残っており、2月中くらいは、白菜漬けも賄えそうだ。

 


「マイ・プレイヤー(My Prayer)」(再)

2022年01月27日 20時13分53秒 | 懐かしいあの曲

午後になって、さらに冷え込んできた。
今冬、東日本から北日本では、平均気温が平年より低くなっているようだ。
まだまだ寒の内、当地も、厳しい寒さの日が続きそうだ。
夕食前の手持ち無沙汰な時間帯、またまた、古いLPレコード盤等を引っ張り出して、聴いているところだが、久し振りに、「ゴールデン・ザ・プラターズ」(全14曲)
ジャケットの隅に、「41.8」と書かれており、多分 「昭和41年8月」の意。56年も前に買ったもののようだ。若い頃、繰り返し、繰り返し聴いていたレコード盤で、溝がすり減り、音質も悪くなってしまっているにも拘らず、廃棄処分出来ずにダンボール箱に詰め込んでいたものだが、最近になってまた、引っ張り出している次第。

「引き潮」「コロラドの月」「港の灯」「レイジー・リバー」「スローボート・トゥー・チャイナ」「夕日に赤い帆」「スリーピー・ラグーン」「トワイライト・タイム」「煙が目にしみる」「マジック・タッチ」「マイ・プレイヤー」「オンリー・ユー」「リメンバー・ホエン」「ザ・グレート・プリテンダー」

その内の1曲、「マイ・プレイヤー(My Prayer)」
今更になってネットで調べてみると、曲名 「My Prayer」は、「私の祈り」だが、原曲は、ジョルジョ・ブーランジェ 作曲、ジミー・ケネディ 作詞の「Avant de Mourir(死ぬ前に)」なのだそうだ。ザ・プラターズの他、ブレンダ・リー、グレン・ミラー楽団等にカヴーされている。

 「マイ・プレイヤー」・ザ・プラターズ(The Platters) (YouTubeから共有)  

 


フクジュソウとロウバイ

2022年01月27日 15時54分50秒 | 散歩・ウオーキング

関東南西部山沿いの当地、今朝の気温は、ー2度前後、
日中は、10度前後まで上がったようだが、風が有った分、
体感的には、気温以上に、寒!、寒!。
家籠もりになるところだったが、歩け!、歩け!、
車で買い物に出掛けたついでに、少し足を伸ばして、
雑木林の公園、「都立小宮公園」に立ち寄り、ちょこっと歩いてきた。
お目当ては、園内の一区画におよそ100本程植樹されているロウバイ(蝋梅)
昨年もこの時期に訪れていた記憶有り、
今年も、行ってみようということになった次第。
快晴と言えども、寒さ厳しい冬の雑木林の公園
来園者の数は、極めて少なく、まばら・・、
広い園内には、ほとんど人影が見えず、静か。
1時間程、のんびり園内を散策してから帰ってきた。
スマホの歩数計で、約5,800歩。

 

 

富士山遠望

 

フクジュソウ

 

ユーカリ

ロウバイ

 

ツグミ

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不要不急の外出自粛励行をし続けてはいるけれど・・、

2022年01月26日 23時06分15秒 | 暮らしの記録

今日、1月26日、東京都内の新型コロナウイルス感染確認者数は、過去最多の1万4,086人だったようだ。猛烈な勢いで増えており、まだまだしばらくは増え続きそうで、「蔓延」という言葉が浮かび上がってくる。感染防止対策を十分とっていようがいまいが、ワクチン2回接種していようがいまいが、感染経路不明、症状無し感染者が増大し、誰が感染してもおかしくない状況になりつつあり、PCR検査だ、濃厚接触者だ・・・、保育園も、幼稚園も、学校も、職場も、右往左往している様子が、伝わってくる。

(NHK ニュース より)

オミクロン株は、重症化する可能性が低いと言われてはいるものの、病床使用率が、急激に高まっており、医療崩壊に繋がりかねない。3回目のワクチン接種が急がれているが、未だに序の口。今日になって、「接種日=2月7日」の通知が届いたが、感染が最大拡大する時期になりそうで、なんだかなあ・・である。

今日は、1月第4水曜日、
通っているスイミングクラブ成人クラスレッスン日。
感染防止対策万全、3密無し、高齢者、少人数固定メンバー、
ソーシャルディスタンス徹底している施設で、
今のところ、通常営業しており、
19時~20時のレッスンに出席してきた。
今日は、ベテランE指導員によるバタフライ中心レッスン
Mグループ、女性8人、男性2人、2レーン使用、5人、5人
例によって、レッスン終了後も居残り、
疲れを知らない?60代、70代?の女性陣のうしろにくっついて
5秒間隔スタート
クロール 50m✕10本、4種目、25m✕4本
なんとか泳ぎ切って、引き上げてきた。
「コロナ蔓延で休館」等ということにならないよう願うばかりだ。