たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

選挙、選挙

2012年11月28日 23時53分05秒 | 川柳・俳句・五七五

ころころ 日替わりで 離合集散、新党の動きが報じられ 選挙直前になって ますます 混沌としてきました。これまでにない 政党の数、どうしましょうか?、川柳、「政党って何ぞや」。

「飛び出して 飛びついた指 助け舟」                                  飛び出して 新党を作り まだ 何ケ月も経たない内に 選挙に勝てる自信が無くなったのか この指とまれの助け舟に飛び乗ったような感じの政党もあるようで・・・。

「本人達よ 息巻いているけど 国民冷めている」                           簡単に新党を作ったり 合流したりして それぞれが気合を入れていますが 本当は 自分が選挙に勝つためにはどうするということだけで右往左往している人達に見え・・・。

「簡単に 看板出し 引っ込めて 能天気」                                わけの分からない党名の看板を 出したり引っ込めたり。国民に 「なにやってんだか」と 思われていることに気づいているのかいないのか・・。

「次々と 党渡り歩く 議員増え」                                 「渡り鳥 今年は 何島(党)で 春を待つ」                                     簡単に離党したり 新党を結成したり 鞍替えしたり 身を翻す議員が後を絶たず 信用出来なくなってしまいますが・・。

 

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あの日あの頃・・セナコウチ?

2012年11月24日 22時26分35秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

M男の実家は 北陸の辺鄙な山村にあって すでに 空き家になって 久しい。終戦直後に 急ごしらえで建てられ その後 大きな改築もされずにきた 安普請の建物なので 客観的に見れば 空き家になる前から 廃屋に見えていたが M男にとっては 高校卒業するまで 暮らした家であり なんとも言い難いものがある。空き家のままでは 周辺に心配や迷惑を掛けることになるため 気が気でなく M男は 出来るだけ早く 解体工事を実施すべく 年間 数回は 実家に通い 家財、道具類等の整理始末作業や段取りを続けてきたが やっと目途がたち まもなく 解体工事を実施する運びとなった。先日 最終確認のために行ってきたが M男が子供時代に 目にして その後 全く見ていない 懐かしい物が ちょこちょこ出てきて 思わず 写真だけでも 残しておこう等という気にもなるのである。

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セナコウチ?

昭和20年代から30年代、まだまだ貧しかった地方の農村では 男の子で 小学校高学年、中学生、高校生ともなれば 一人前の男衆として 農作業を手伝うくらい当たり前だった。M男も 弱弱しい体つきではあったが 田植え、稲刈り、畑仕事、芝刈り、薪木運搬、等々 良く手伝ったものだ。疎覚えであるが 当時 大人も子供も 「セナコウチ」と 呼んでいたと思う物が 作納屋の奥から出てきた。多分 方言なのだと思うが 重い物を 背負う時に 縄が 肩や背中にくいこむのを和らげるもので 「背中当て」とでも 言うべきものだ。M男も 実際 これを 背中に付け 刈り取ったばかりの重い稲の束を 背負い 稲架場(はさば)まで 運んだりした。縄の食い込みを和らげるとは言っても 子供の肩や背中には この「セナコウチ」自体が 痛く 顔をしかめながら 何回も何回も往復した記憶が有り 今でも忘れることはない。最近 調べてみると 今では 各地の民俗資料館等に同じような物が 展示されているようで 貴重な存在になっているのかも知れない。ちなみに 新潟県の佐渡では 「セナコウジ」と呼ばれていたらしく 同じ北陸地方なので 「セナコウチ」も 見当違いの呼び方ではなさそうである。カビがはえているが まだ 現役で使えそうな程 しっかりしている。稲を脱穀した後の藁を叩いて やわらかくし 編み上げたもので もちろん 農家の自家製、冬期 雪に閉じ込められながら 俵や 藁草履、筵(むしろ)等を せっせと製作する暮らしが そこにはあった。 

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玉ねぎの苗植え付け 等々

2012年11月24日 19時14分04秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

今日の当地 朝の内はまだ 小雨が降っており どうしようかなと迷うところでしたが 天気予報通り 午前中には 青空が広がり出し 畑仕事には もってこいの日となりました。かくして 重い腰を上げて 10時頃から取り掛かり 宿題の 玉ねぎの苗植え付け  キヌサヤエンドウ、スナックエンドウ、ツタンカーメンエンドウ、グリーンピース等の種蒔き を しました。先日 あらかじめ 耕しておいたスペースに 鶏糞、配合肥料等の肥料を入れこみ 玉ねぎ 2畝、エンドウ類 4畝、が 予定していた仕事でしたが 隣りの畑のHさんから ノラボウの苗が余っているが要らないか?との 声が掛かり 遠慮なくいただくこととなり 1畝 追加 植え付けました。午後4時頃 冷えてきて 疲れ果て 打ち止めにしましたが 筋肉痛になりそうな予感です。今夜の 成人クラススイミングレッスンは 休みます。

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玉ねぎの苗植え付け

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エンドウ類の種蒔き

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ノラボウの苗植え付け

 

 

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シャコバサボテンが咲き始めました

2012年11月22日 07時52分39秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

昨年より 2週間程 遅い開花ですが この花の開花時期は 10月末から1月末とされていますので 順当なのかも知れません。日中は 南側の部屋の 日当たりの良い窓際に置いていますが 夜間は 冷え込み厳しい当地とて 少し移動し 窓際から離しています。

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キウイ収穫

2012年11月20日 20時38分14秒 | 暮らしの記録

当地 このところ ずっと 寒い日が続いており 我が家の狭い庭で幅を利かせているキウイも たまらず 葉っぱを パラパラ落とし始めました。そろそろ 収穫しなければと 今日の午後、妻が 三脚、高枝鋏で 奮闘、伸びきった枝を落しながら 全てのキウイの実を �据ぎ取りました。下から見上げている限りでは 今年は かなり 出来が良くないなと なかば がっかりしていたのですが いざ 収穫してみると 意外と 平年並み、というか 結構 大き目な粒が揃っていて まずまずというところでした。個数は 130個。早速 知り合いにお裾分けの 算段開始。毎年 キウイを収穫する時期は 本格的 冬将軍がやってくる時期。今日の北海道、東北からは 積雪のニュースが流れています。

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今日の国道148号線、白銀の後立山

2012年11月19日 19時56分31秒 | 暮らしの記録

昨日は 強い寒気と冬型気圧配置の影響で 北海道等では 平地でも積雪、関東、中部でも 標高の高い山の多くで 積雪が有ったようですが 今日は 一転 全国的に高気圧に覆われて 晴の地域が多かったようです。土日滞在した北陸の実家では 降雪こそありませんでしたが 北西の季節風と冷たい雨で大荒れ、参りましたが 今日は 朝の内 北陸の冬期では めったにないような快晴となりました。今回は 国道148号線を通って帰ってきましたが 途中 思惑通り 紅葉と白銀の嶺々の風景が広がり 何回か 車を止めては 眺めてしまいました。特に 白馬岳、杓子、白馬鑓、小蓮華、不帰ノ嶮、五竜、鹿島槍、爺ケ岳、等 後立山の嶺々が 素晴らしく お天気様に感謝です。

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明星山

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国界橋

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小蓮華山

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白馬三山(白馬、杓子、白馬鑓)

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不帰ノ嶮

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八方尾根

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五竜

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鹿島槍、爺ケ岳

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常念岳

名称変更された 「安曇野IC」(旧豊科IC)から 高速道路に入りましたが 走行しながら 諏訪湖、八ヶ岳等の紅葉風景も 十分堪能出来ました。

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日光 世界遺産と紅葉 探訪 (6)

2012年11月15日 22時30分46秒 | 旅行記

日光山輪王寺(にっこうざんりんのうじ)・逍遥園(しょうようえん)

東照宮を出て 表参道を少し下り 黒門から 日光山輪王寺境内に入りました。「本堂(三仏堂)」は 現在 「平成の大修理」工事中で 大伽藍は 巨大な 素屋根(すやね)に 覆われていて 全景を見ることは出来ません。ただ 工事中であっても 本尊の三仏を拝観出来るように 堂内には 展望見学通路が設けられており まるで 工事現場の中を進むが如きですが 一巡することが出来ます。本尊の 阿弥陀如来、千手観音、馬頭観音の 三体は いずれも 高さ 7~8m、金色で 燦然として 威容を誇っていますが 今は 工事用鉄骨や枠組の間から 垣間見る状態です。(堂内は 全面 撮影禁止です)                   日光山輪王寺は 今から約1200年前 奈良時代末に 勝道上人によって 日光山が開山され 中禅寺の地に 四本龍寺を建立したのを祖とし 江戸時代に 天海大僧正が この地に 移して 朝廷より 輪王寺(りんのうじ)の号が 与えられたとされています。鎌倉時代の神仏集合、明治時代の神仏分離、等々の歴史を乗り越えて 現在の輪王寺が有るとのことです。

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表参道、標高634m=スカイツリーと同じ高さ。

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32111x_3 黒門

311111x3 本堂(三仏堂)

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「逍遥園・宝物殿」。入園には 別途料金(300円)が 必要です 。

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「宝物殿」は 内部 写真撮影禁止です。国宝、重要文化財等 6000点余りが おさめられています。

「逍遥園」は 紅葉の見頃、あちこちで 感嘆の声しきり。もっと ゆっくり 探勝したいところですが そうもいかず 逍遥園を後にしました。予定通り 二社一寺巡りを終えて 「神橋(しんきょう)」の横を通り 街の中、119号線を そぞろ歩き 東武日光駅に向かいました。途中 人だかりがしていた 落合商店で足が止まり 日光名物 手造り 「志そとうがらし」を ゲット。列車内で食す夕食には 東武日光駅で 駅弁「日光 鶏飯」を 買い求めました。

142133x 世界遺産 石碑、

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19135x 神橋

22137x 日光東武駅

日光滞在時間 約6時間半の 世界遺産と紅葉 探訪。小さな旅ですが いい旅が 出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日光 世界遺産と紅葉 探訪 (5)

2012年11月14日 20時17分21秒 | 旅行記

日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)

二荒山神社鳥居前に戻り 西参道を横断し まっすぐ進むと 表参道に出ます。左折すると 日光東照宮です。東照宮は 「遺体は 久能山におさめ 一周忌が過ぎたら 日光山に 小さな堂を建て 神として祀るように」という 徳川家康の遺言に従って 造営されたもので 朝廷から 東照大権現という 神号がおくられたことによるもの。家康が望んだ 小さな堂は 家康を敬愛した 3代将軍家光によって 現在のような 絢爛豪華に生まれ変わったとされています。現存する建物のほとんどが 「寛永の大造替」で建て替えられたものだそうです。    重要文化財の「石鳥居(いしどりい)」をくぐると 左側に やはり 重要文化財の 「五重塔(ごじゅうのとう)」が 聳えています。

1082x 石鳥居

2100x 五重塔

重要文化財の東照宮最初の門 「表門(仁王門)」をくぐると 左方に 素木造りの小さな建物がありますが もともとは神馬をつなぐ厩、「神厩舎(しんきゅうしゃ)」です。欄間に飾られた 8面の猿の彫刻は 猿の一生を描いたものですが 人の生き方について 伝えていると言われています。昔 猿は馬を守ると されたようです。

5084x 神厩舎

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8面の彫刻の中の3番目が 有名な 「見ざる言わざる聞かざる」の三猿。

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国宝「陽明門」。いつまで見ていても見飽きないというところから 「日暮の門」とも呼ばれています。

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東西透塀、唐門、本殿、拝殿等 5棟6件は 平成の大改修 工事中です。

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国宝「唐門(からもん)」

9088x_2 祈祷殿

東回廊(眠猫・奥宮・家康墓所)に入るには 別料金が必要です。門の前で 特別拝観券(520円)を購入。

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国宝「眠猫」、左甚五郎作と伝えられています。下に 「頭上に眠猫」の張り紙がありますが うっかり見落としてしまう程の小さな彫刻です。

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家康公墓所

28097x 本地堂

天井に描かれた竜の頭の下で 拍子木を打つと 音が反響して 竜が鳴いているように聞こえる 有名な 「鳴竜」。堂内は 撮影禁止です。大変な混雑でした。

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大変な混雑でしたが 東照宮参拝を終え 表参道を 輪王寺へと向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日光 世界遺産と紅葉 探訪 (4)

2012年11月13日 17時58分36秒 | 旅行記

日光輪王寺・大猷院(たいゆういん

「大猷院」とは 徳川3代将軍家光が 死後 後光明天皇から賜った法号。日光輪王寺大猷院は 徳川家光の墓所になります。家光の 「死んだ後も 尊敬する祖父 東照大権現(家康)にお仕えする」という遺言を受けて 徳川4代将軍家綱が完成させたもので 江戸時代の代表的な建築物、本殿、拝殿、唐門、夜叉門等 主なものが 重要文化財となっており、世界遺産(文化遺産)に 登録されています。ただ 奥院(家光の墓所)は 現在 一般公開されていません。

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大猷院の入口で 第1の門、仁王門。

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二天門

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夜叉門

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唐門

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拝殿。

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本殿、相の間、

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奥院(家光の墓所)は さらに この上奥?

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日光輪王寺・大猷院は 「二社一寺共通拝観券」で 拝観出来ます。二荒山神社の鳥居前に戻り 次は 東照宮に 向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日光 世界遺産と紅葉 探訪 (3)

2012年11月13日 16時41分06秒 | 旅行記

日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)

田母沢御用邸を出て直ぐ向かい側の 「めん処 縞屋」で昼食後 120号線を進み 左方 西参道に入ると 拝観券売り場が有ります。 先ず 「二社一寺共通拝観券」(1,000円)を購入してから 西参道を 二荒山神社に向かいました。

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西参道

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日光二荒山神社鳥居

日光二荒山神社は 奈良時代末 延暦9年 勝道上人が 日光の三つの山の神を祭神として 本宮神社を建てたのが始まりと言われています。境内は 伊勢神宮に次ぐ広さで 樹齢1000年の杉の御神木や 日光山最古の建造物の 本殿、拝殿等があり 荘厳な雰囲気に包まれています。この山内が本社で 中禅寺湖北岸に中宮祠、男体山頂上に奥宮が 祀られています。これらの建造物等は 「日光の社寺」として 世界遺産(文化遺産)に 登録されています。

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神門

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拝殿

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本殿

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縁結びに 訪れる人が 多いようです。

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杉の御神木

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大黒殿。男体山の祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)。

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日光二荒山神社は 「二社一寺共通拝観券」で 拝観出来ます。再び 日光二荒山神社の鳥居に戻り 次に 右へ進み 家光廟「大猷院」へ 向かいました。

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