「書初め(かきぞめ)」とは 新年になって 初めて 毛筆で 詩句等を書くこと、または その書いたものをいい 古来 1月2日行われる習わしと 辞書には 有る。
昭和20年代、30年代、M男が通った O小中学校では 毎年 冬休みの宿題に 必ず 「書き初め」が有り たのしい正月気分に 水をさされるような思いをしていた。しかも 3学期初めに 提出した「書き初め」全員分が 各学年、各教室の壁に 貼りだされ 出来栄えの良い順に 金色、銀色、銅色の短冊が付けられ 全校生朝礼の場で 表彰状授与までするという学校だった。
「習字」「書道」という授業科目があったかどうか曖昧だが その都度 重い硯箱を 登下校運んだ記憶が有る。しかし 大概は 半紙に 4文字とか6文字を書き 文化祭等に展示する程度のものであった。半紙3枚をつなぎ合わせたような用紙に 「初日の出」とか「希望の光」等と 大書きする「書き初め」については 小さな「お手本」を渡されるだけで 各自 思い思いに書いて良し という指示だったと思う。他の子供達が 各家で どのように書いていたのかは 知る由もないが M男の場合は 父親が教師役であった。正月早々、弟や妹、近所の子供達が寄り集まってかるたやすごろくで盛り上がる炬燵の有る茶の間から離されて 火鉢1個の寒々しい座敷に連れて行かれ 畳の上に 茣蓙を敷き 先ずは 硯で 墨摺り。多分 小学校高学年になった頃からか 墨汁なるものが出回ってきて 墨摺りは 省略したように思うが 墨摺りは 精神統一をするための所作等と諭されていたように思う。
M男の父親は 厳格なイメージ等 全くない人だったが 何故か 子供の「書き初め」に対してだけは 真剣だったような気がする。手がかじかむような冷え切った座敷で 正座させられ 何枚も書かされた。「そこで トメル!」、「ハネル」 凛とした座敷で 父親の声だけが大きく響いていた。最初は 新聞紙を 縦長に切って 練習し いざ 本番となるが 子供とて 最後まで 集中するのは 難しい。仕上げて 最後に 左横に 学年と 名前を 小筆で書き入れるところで 失敗することもたびたび。10数枚 仕上げても 一長一短有り 「良し」というものには なかなか成らないが 座敷にズラリ並べて もっとも良さそうなものを 学校提出用に、次々 良さそうなものは 近所の子供のいる家に 配って歩くのが常だった。その頃 子供達が書いた「書き初め」を お互い配り合い 茶の間の壁等に並べて貼り 年始回りで行き来する人が 炬燵で歓談する時 品評するといった正月風景もあった。父親にしたら 自慢気なのだろうが M男には 恥ずかしくて仕方のないことで お世辞、おべっかを言われることが大の苦手であった。
M男の父親は 特に「書道」の素養が有った訳ではなかったが 「書き初め」に限らず 「字」に対しては 異常な程 こだわっていたように思う。戦前 一時 海軍の印刷局で働いたこともあったという父親、戦後 郷里に戻り 隣町の小さな印刷店に勤め 当時は 活版印刷が主で 活字拾い、校正等の仕事をしていたようで そのことと関係が有ったのかも知れない。
M男が小学生で 漢字を習い始めた頃は まだ ノート(帳面)も ふんだんには 買ってもらえない時代だったが 父親は 勤務先の印刷店兼文房具店から 売れ残りと思われる大量のノートをもらってきて M男は 使い放題、毎日 漢字書き取りをさせられた。M男は 後年ずっと 楷書でしか 文字を書けなくなったのは 子供時代 「トメル!」「ハネル!」と 楷書で いやという程 漢字を書かされたことと無関係ではないように思っている。