たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

藤原緋沙子著 「冬桜」

2024年06月30日 19時23分37秒 | 読書記

図書館から借りていた、藤原緋沙子著 「冬桜」(廣済堂文庫)を、読み終えた。
本書は、著者の長編時代小説、「隅田川御用帳(すみだがわごようちょう)シリーズ」第6弾
「第一話 桐一葉」「第二話 冬の鶯」「第三話 風凍つる」「第四話 寒梅」の連作短編4篇が、収録されている。
「隅田川御用帳シリーズ」は、縁切り寺「慶光寺」の御用宿「橘屋」の女主人お登勢(おとせ)に雇われた、元築山藩藩士の浪人塙十四郎(はなわじゅうしろう)が、「慶光寺」の寺役人近藤金吾や、橘屋の番頭藤七等と共に、縁切りを求めて「橘屋」に駆け込んでくるいろいろな女達の様々な事情を探り、絡み合う悪事や謎を解明、愛憎乱れる 女と男の深い闇を、人情と剣とで見事に解決していく、悲喜こもごもの物語である。


「第一話 桐一葉」
▢主な登場人物
 小田島右近(元備後国美山藩岩見銀警護方)・織江、幸太郎、
 市岡玄之進(大御番衆、元岩見大森代官所役人)、野呂、大原、
 稲富武一郎・稲富十太夫(美山藩お側衆)、
▢あらすじ等
 十四郎は、5年前の銀の道の騒動の諍いで幼馴染稲富武一郎を斬ってしまい出奔、
 流浪の浪人の身となり、愛深く辛苦の暮らしを続ける小田島右近、織江、幸太郎親子と
 出合い、橘屋に連れてくる。

 その小田島右近が惨殺された。・・・・、「許せぬ・・・」、
 焼き芋か・・・・、十四郎の脳裏に、枯れ葉の散り敷いた街道を踏み締め踏み締め、
 西に向かう織江親子の姿が浮かんできた。


「第二話 冬の鶯」
▢主な登場人物
 半次郎(元女衒)・おきよ(希代)、
 仙次、
 平山九郎(元原田伸吾、原田作左ェ門の三男
▢あらすじ等
 亭主半次郎と別れたいと慶光寺に駆け込んで半月足らずのおきよ、半次郎が何者かに殺され、
 「あんた・・・・、かんにん」、ぽろっと涙?、なにか深い事情が隠されている?、
 十四郎、藤七が、真相究明に・・・、

 思いもよらない真実が明るみに・・・、
 「希代・・・」、平山は、叫びをあげると手を伸ばして何かを掴むようにして開き、
 どたりと倒れ伏した。

 「おきよ、これでなにもかも終わったのだ・・・」


「第三話 風凍つる」
▢主な登場人物
 寺沢庄五郎(触次名主、ふれつぎなぬし)・与吉・お梶、おさよ、
 佐太郎(船頭)、粂吉、
 鬼頭又之助(お鳥見方役人)、菅野(お鳥見方役人
▢あらすじ等
 将軍家の鷹狩の獲物保護場御留場で、鶴が弓矢で殺害され、無実の罪を着せられた与吉、
 与吉の幼馴染佐太郎が大活躍、その裏の真実が明るみになる。
 悪行を繰り返すお鳥見方役人と、触次名主の癒着?、妻お梶の不義密通?

 果たして、その結末は・・・。


「第四話 寒梅」
▢主な登場人物
 留次(桶職人)・お栄、お久、
 岩井野江(岩井市左衛門の娘)、
 江口鉄之助、
 天竺屋総五郎(廻船問屋、物産問屋、諸藩御用達)、和兵衛(天竺屋番頭)、
 才次郎、喜久蔵、おさよ、

▢あらすじ等
 留次の女房お栄が慶光寺に駆け込んできたが、飲み屋のお久に一人狂いした留吉の目を覚まさせ
 1件落着させた十四郎だったが、一方で、「噂の女」、美貌の岩井野江と出合い、
 自殺を思い留まらせ、橘屋に連れてくる。

 野江は、仕官の話に乗って、肥後国熊本藩へ旅立ったまま帰ってこない許嫁の江口鉄之助を
 待ち続けている武家女だったが、父親を亡くし、労咳にかかり、借金のかたに妾奉公を
 強要され、絶望のふちにあった。駆け込み事件外のことだったが、十四郎は探索・・・・、

 その裏には、悪辣な天竺屋の存在が有り・・・、「許せない!」。
 十四郎のかっての許嫁雪乃によく似た野江の出現に、お登勢は、微妙に嫉妬。
 お登勢に、縁談?、

 十四郎は、言いようのない寂しさに襲われ・・・・。どうなる?、どうする?


 

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「爺さんの備忘録的花図鑑」(五十音別検索表) [2024年6月30日版]

2024年06月30日 10時14分25秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

草花にも超疎い爺さん、ブログを始めた頃までは、我が家の庭に咲く花であろうが、道端、空き地、畑地、川原等で蔓延っている野草であろうが、公園や植物園等で鑑賞出来る草木であろうが、まるで関心も興味も無しで、見ても、花名も知らず、分からず、覚えられずで、ほとんど珍紛漢紛だった気がする。数多のブログを拝見するようになってから、その無知ぶりを痛感、初めて、花名等を知ろうという気になったものだったが、教えてもらっても、自分で調べても そのそばから忘れてしまう老脳、出来る限り、写真を撮ってきて、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き込むことで、少しづつだが、分かる草花が増えてきたように実感している。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。花名を調べたり、知ったところで、ナンボになる分けでも無しだが、脳トレ、ボケ防止の一助になるかも知れない等と、勝手に思い込みながら・・・


「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と、勝手に決め込んでいる爺さん、
「塵も積もれば山となる」で、
ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、これまで書き込んできた記事数も、知らず知らず、かなり溜まってきており、我ながらビックリしている。
ただ、せっかく書き込んで有っても、
「えーっと?、えーっと?」、
「イ?、イ?・、たしか、イ?・・ナントカ?・・・だった気がするけど」、
すっかり忘れてしまい、
「ブログ内検索」すらも出来ないこと多しで、情けない有り様。
順次、まとめて、「五十音別」でも検索出来るようにしていきたい等と思いついたところだ。
ただ、結構時間掛かりそう?で、出来上がるの、いつになることやら・・・・、だが。


「爺さんの備忘録的花図鑑」(五十音別検索表)
[2024年6月30日版]
(◯をクリック)
  
◯ア  ◯イ  ◯ウ  ◯エ  ◯オ  
◯カ  ◯キ  ◯ク  ◯ケ  ◯コ     
◯サ  ◯シ  ◯ス  ◯セ  ◯ソ   
◯タ  ◯チ  ◯ツ  ◯テ  ◯ト
◯ナ  ◯ニ  ◯ヌ  ◯ネ  ◯ノ  
◯ハ  ◯ヒ  ◯フ  ◯ヘ  ◯ホ    
◯マ  ◯ミ  ◯ム  ◯メ  ◯モ    
◯ヤ      ◯ユ      ◯ヨ   
◯ラ  ◯リ  ◯ル  ◯レ  ◯ロ
◯ワ              ◯ヲ   


 

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鬱陶しい早朝、

2024年06月30日 09時48分57秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の日の出時刻は、4時31分頃、
早朝から、ムシムシ、鬱陶しい曇天、
日中は、30℃前後まで気温は上がりそうで、
「熱中症情報」=「警戒」、
体調イマイチだったが、
少しでも涼しい内に、歩いてこなくちゃ・・・、
やおら重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
  君の名は花に訊ねつ爺散歩
スマホの歩数計で、約4,000歩。

君の名は?
「ヘクソカズラ(屁糞蔓)」

「アオギリ(青桐)」の花?

 

君の名は?
(追記)
スマホの無料アプリ「GreenSnap」の「調べる」で、
「花名、教えて下さい!」したところ、
「ツキヌキニンドウ(突抜忍冬)」という
つる性植物の花であることが分かった。
「へー!、そんなんだ・・・」
もちろん、初めて聞く花名であり、
すぐまた忘れてしまいそう・・・、

「ヤマユリ(山百合)」
蕾が膨らんでおり、近日中には、開花しそう?

  


爺さんの備忘録的花図鑑「ヤマユリ」
👇️
こちら


 


10年前の今日、2014年6月29日のブログ記事・・・、

2024年06月29日 22時14分13秒 | スイミング

「十年一昔」という言葉が有る。
10年前のことと言えば、つい最近のことであるような、随分と昔のことであるような、微妙な感じがするものだ。
時々、今から10年前の今日、自分はどんな暮らしをしていたのだろう等と、過去のブログ記事を、クリックしてみることがある。
ほとんど記憶に残っていないことが多いが、写真やブログ記事をみると、
「そう言えば、そうだったなあ」・・・、記憶が蘇ってくる。
そこには、確実に今より10歳若い自分がいたのだと、感慨深くもなる。

10年前の今日、2014年6月29日のブログ記事は、スイミングの4種目の「スタートの練習」をしたことが、書き込まれていた。
すっかり忘れていたが、
「へー!、そうだったかな?」・・・、
である。
そう言えば、それ以後、ほとんど、「スタートの練習」等していないような気がする。
しっかり出来ている人もいれば、いい加減なスタートをしている人もおり、バラバラ。
もちろん、全員が競技に出場すること等に無縁の高齢者グループ、それでいいのだが、
長い年月、スイミングレッスンを受けてきた人間とて、
もうちょっと、かっこいい?スタートをしたいものだな、等とも思う今日この頃である・


振り返り記事「4種目のスタート練習」
👇️
こちら


今日は、6月最後のスイミングクラブ成人クラスレッスン日、
身体、怠ーい、重ーい・・・だったが、
いかん、いかん、こんな日こそ泳いで来るべし、
やおら重い腰を上げ、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席、
先程 帰ってきたところだ。
若い頃からの持病の腰痛対策、
リハビリ的運動と決め込んで
続けているスイミング、 
細くても、長ーく続けるべし・・・、
継続は力なり・・・、

今日は、若手のH指導員によるバタフラ中心レッスン、
たっぷり、泳ぎ・・・・、
無理しちゃいかん、
いつもの居残りスイムは、パスして、
そそくさと引き上げてきた。
毎度のこと、泳いで帰ってくれば、
心地よい疲労感と、それなりのスッキリ感、
遅い夕食、
格安缶ビール350mlで、
いい気分になっているところだ。


「爺さんの備忘録的花図鑑」・「ク」

2024年06月29日 13時11分04秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

「爺さんの備忘録的花図鑑」

「ク」

◯クサギ(臭木)             ⇨ 2023.09.12
◯クズ(葛)               ⇨ 2019.08.08
◯クチナシ(梔子)            ⇨ 2018.07.09
◯グミ(茱萸)              ⇨ 2022.05.29
◯クモイコザクラ(雲居小桜)       ⇨ 2022.02.24
◯クモマグサ(雲間草)          ⇨ 2022.03.21
◯クラウン・ベッチ            ⇨ 2023.05.30
◯グラジオラス              ⇨ 2022.06.26
◯クリスマスローズ            ⇨ 2021.12.18
◯クリンソウ(九輪草)          ⇨ 2021.05.04
◯クルマユリ(車百合)          ⇨ 2023.07.17
◯クレオメ(西洋風蝶草)         ⇨ 2021.08.26
◯クレマチス(鉄線)           ⇨ 2023.04.26
◯クレマチス・プリンセス・ダイアナ    ⇨ 2021.06.11
◯クロガネモチ(黒鉄黐)         ⇨ 2018.11.08
◯クロッカス               ⇨ 2022.03.01
◯クロバナロウバイ(黒花蝋梅)      ⇨ 2022.05.25
◯クロユリ(黒百合)           ⇨ 2022.02.18
◯クマガイソウ(熊谷草)         ⇨ 2019.04.27
◯クンシラン(君子蘭)          ⇨ 2023.02.26


 


民謡をたずねて・その35

2024年06月28日 16時07分31秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、ページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、日本全国の「民謡をたずねて」・・・、みよう等と思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その35
「佐渡おけさ」
(新潟県)

「佐渡おけさ」もまた、NHKの「あなたが選ぶ民謡ベスト100選」等で、「江差追分」等と並び、常に、トップ、または、ベスト5にランクされるような民謡のひとつである。
子供の頃から、すんなりと脳裏に焼き付いている民謡のひとつでもあり、「日本の民謡」と言えば、第一に、「佐渡おけさ」・・・、と答えてしまう類である。
今更になってネット等で調べてみると
「佐渡おけさ」は、新潟県佐渡の民謡として、全国的に広く知られている民謡ではあるが、実は、北九州の「ハイヤ節」が元になっている民謡なのだと言う。「ハイヤ節」とは、江戸時代、日本海側の港港を結びながら蝦夷地(北海道)まで、物資を運んだ北前船の船頭達が酒盛りの席で歌った船頭唄だったが、北前船の寄港地のひとつ、佐渡金山で掘り出されて金の積み出し港だった小木港にも伝わり、小木では、「ハイヤ節」は、「小木おけさ」となり、座敷踊りとして振り付けされたのだと言われる。
さらに、相川金山の選鉱場の作業唄「選鉱節」として歌われるようになり、振り付けに工夫が凝らされ、「相川おけさ」となったが、1924年(大正13年)に、創設された相川町の民謡保存団体「立浪会」が、「佐渡おけさ」と命名し、演奏されるようになり、1926年(大正15年)には、地元の歌手村田文三によりレコード化されたり、山田耕筰により採譜されたりし、全国的に広がったのだそうだ。哀調を帯びた旋律、洗練された優雅な踊りは、人々を魅了し、次第に、日本の民謡の代表的存在になったようだ。
1931年(昭和6年)には、浪曲師寿々木米若が、民話「佐渡情話」をアレンジ、浪曲中に、「佐渡おけさ」を取り入れて大ヒット、「佐渡おけさ」が、さらに脚光を浴びたのだそうだ。
ところで、「佐渡おけさ」の「おけさ」とは?
その語源には、諸説や伝説が有るようで、例えば、桶屋佐助(おけやのさすけ)のふいご唄から始まったから、だとか、盆踊りの浮かれ坊主の袈裟(けさ)にちなんで生まれた言葉、だとか、相川に落ち延びた織田信長の娘とその腰元達が生活の糧に稼ぐために歌ったもの、だとか、古くから小木港で歌われていた「おきこ節」がなまって「おけさ節」になった、だとか、
いずれも、明確では無いようだ。
「へー!、そうだったのか」
目から鱗・・・、である。

「佐渡おけさ」  (YouTubeから共有)


振り返り記事・「佐渡情話・寿々木米若」
👇️
こちら


 

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土砂降りの雨の中を、Go To 畑!、

2024年06月28日 13時55分22秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日の天気予報は、「雨、時々止む」、
だったので、
止んだら、畑へ・・・、
と思っていたものだが、
朝から土砂降りで、一向にやむ気配無し、
  もう、3日間も行ってないし・・・・、
  明日、明後日は、予定有り、行けないし・・・、
  今日はどうしても、様子を見てこなくちゃ・・・、
ということで、
結局、土砂降りの中を、Go To 畑! と相成った。

(1)キュウリ、ナス、収穫、

(2)インゲンマメ、収穫、
   またまた、
   「トレスギチャッテ コマルノー ♫」
   どうする?、どうする?・・・・、

やれ、やれ・・、


振り返り記事・「ノンノン旅立つ」

2024年06月28日 09時19分55秒 | 暮らしの記録

「十年一昔」という言葉が有る。
10年前、12年前のことと言えば、つい最近のことであるような、随分と昔のことであるような、微妙な感じがするものだ。
時々、今から10年前の今日、12年前の今日、自分はどんな暮らしをしていたのだろう等と、過去のブログ記事を、クリックしてみることがある。
ほとんど記憶に残っていないことが多いが、写真やブログ記事をみると、
「そう言えば、そうだったなあ」・・・、記憶が蘇ってくる。
そこには、確実に今より10歳若い、12歳若い自分がいたのだと、感慨深くもなる。

12年前の今日、2012年6月28日
当時はまだ、「OCNブログ人」で、初めてブログを始めてから1年目位で、自営業を続けていた頃だったが、その日、我が家の飼い猫ノンノンが息を引き取ったことを、書き込んでいた。
「そうか、12年前だったか・・・」、
すっかり、脳裏から薄れていた記憶が、蘇ってきた。


振り返り記事・「ノンノン旅立つ」
👇️
こちら


2019年1月4日のノンノン


民謡をたずねて・その34

2024年06月27日 11時36分47秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり記憶が無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

                  

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、
この冊子のページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、
日本全国の「民謡をたずねて」・・・、
ブログ・カテゴリ-「懐かしいあの曲」に、書き留め置こう等と、思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その34
「田原坂(たばるざか)」
(熊本県)

「田原坂」もまた、NHKの「あなたが選ぶ民謡ベスト100」等で、常にランクインされる民謡のひとつであり、子供の頃から、ラジオ等から流れてくるのを聞いていて、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡である。ただ、子供の頃は、「田原」を、なんで「たばる」と読むのか、違和感を感じていたような気がする。後年になって、九州地方には、「原」を「ばる」と読む地名が、沢山有ることを知り、納得したものだったが・・・・。

今更になってネット等で調べてみると、
「田原坂」は、熊本市北区にある坂で、明治時代までは、昼なお暗いほど立ち木に覆われていた地で、1877年(明治10年)の西南戦争の激戦地になってから有名になったのだそうだ。
西郷隆盛率いる薩摩軍が、近代的装備をもつ官軍に決戦を挑んだものの、3月20日には、敗戦が確定的になり、その戦況を、薩摩軍の本陣が有った人吉まで伝える役目を命じられたのが20歳の美少年三宅伝八郎で、「右手(めて)に血刀、左手(ゆんで)に手綱(たづな)、馬上ゆたかに美少年」と、歌詞によみこまれている。実際に、この曲が出来たのは、明治37年頃、日露戦争の頃なのだそうで、かっての田原坂の激戦を歌って、日本軍の士気を鼓舞しようとしたものだとも言われているようだ。
「へー!、そういう民謡だったのか・・・」
目から鱗・・・、である。

「田原坂」  (YouTubeから共有)
 


脳トレのつもりで捻る五七五 2024年6月

2024年06月26日 11時00分57秒 | 川柳・俳句・五七五

「OCNブログ人」で初めてブログを始めた2011年頃までは、「川柳」にも、まるで興味も関心も知識も無かった気がする。どちらかというと、ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、まるで面白みの無い人間、それまでイメージしていた「川柳」は、程遠い存在だと思っていた。それが、ブログを開設して数年後のある時、新聞を読んでいて、「川柳人気急上昇」「初めての川柳」等という記事が、何故かふと目に止まり、「なんだか、簡単そう?、面白そう?・・・・」、「もしかしたら、頭の体操に、いいかも?」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、とりあえず、「五七五言葉並べ遊び」を始めたのだった。当然、「川柳」等と言えるものでなく、自己満足だけのものだったが、今から5年前頃のこと、相互ブログフォロワー登録している方から、お声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、そんな拙句、駄句を、投句してしまうことにもなってしまった。結果、何も分からなかった「川柳」の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしているが、所詮 「川柳」の才能等、まるで無しの爺さん。スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に紡ぐという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少は役立つかも知れない等と、勝手に思い込んで続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、四苦八苦して?生んだ「川柳」(川柳もどき)、忘れてしまわない内に、ブログ・カテゴリー「川柳・俳句・五七五」に、書き留め置くことにしている。


脳トレのつもりで捻る五七五 2024年6月

団栗

お題「しずく」
  手水鉢(ちょうずばち)雨垂れ受けてショパン弾き
  顔覆う(おおう)腕に滴る(したたる)汗涙
  蹲(つくばい)が雨垂れ受けて子守唄
  目薬の一滴いくら弾く(はじく)妻

お題「箱」
  下駄箱で待ちかねているハイヒール
  欲の皮粗品も大の箱選ぶ
  下駄箱で待ち草臥れた登山靴
  今の世に娘を入れる箱は無い

お題「雨」
  粋な雨バラにも真珠プレゼント
  雨かいな祝辞変えるに大慌て    (ちかよし選・ここせん「入選」)
  雨垂れに合わせてうつら老夫婦

お題「折る」
  折れぬ妻最後にゃ俺折れ平和維持
  腰折られ何話してた人に訊き
  五七五指折るクセがついちゃった

折句「く・す・り」
  草臥れて少し早いがリタイアしょ
  悔しくて直ぐ立ち直りリベンジを

折句「き・れ・た」
  記憶無くレシート出して確かめる
  きっとまた列が出来てる宝くじ
  緊張の連続だった谷渡り