足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に 漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間には、十分楽しめそうで、御の字の書である。(以上 過去記事コピペ文)
「あこがれドキドキ宮仕え」・まんがゼミナール「枕草子」その7
第84段 「宮に初めて参りたるころ」
平安時代の中流以上の階層では、女性は、父や夫以外の男性には、顔も姿も見せないようにするのがたしなみだった。ところが宮廷に上がって女房(女官)となると、当然男性に姿をさらして対応しなくてはならず、環境の変化に戸惑い、辛い気分になったようで、清少納言も、最初の内はうぶで、恥ずかしさと 一方では、華麗な宮廷のやり取りに対する好奇心が綯い交ぜだったことが分かる段になっている。
ゆうべは 一夜 宮のおそばに仕えました・・・。
あのような高貴なお方がこの世にいらはるなんて・・・。
ただただ自分が見苦しく思えたでおます。
ワテは あの女房たちのように、
いつか、物慣れて、伸び伸び出来るのやろか・・・。
殿のおなりー・・、
ワ!、関白道隆様がおいでや・・。
ほんまのおなりは 大納言伊周様でおます・・・。
あら、兄上様、
ワテはどこぞに隠れたいのやが・・・。
体がしびれたようになって動けへん。
これ、そこの女房、ゆうべは 夜遊びが過ぎたのではあらへんか?
いーえ!、おーけなねずみがうるそうて寝られへんどした。
ああ、雪に映えて、みごとな貴人や。
物語の中の人物のようで・・・。
ご冗談ばかりや、大納言様。
こよい付きおうたろか?
まあ!、女房たちと気安く口きかはって・・・。
おやっ、御几帳のかげからうかがっとるのはだれやな・・・?
新しく参った清少納言でおます、
はっ!
ほーう!、ほう!、
才媛のほまれ高い清少納言いうのは、そなたかいな、
ドキ、ドキッ!、
ヒョイ、あっ!
この絵はだれにかかせたのやッ!、
兄上様、あまりからこうてはあきまへん。
いやいや、彼女がワテをつかまえて離さんのやで・・・。
えっ!?
原文だよ~ん
宮に初めて参りたるころ、ものの恥づかしきことの数知らず、
涙も落ちぬべければ、夜々まゐりて、三尺の御几帳の後ろに候ふに
絵など取り出でて見せさせ給ふを、手にてもさし出づまじうわりなし。
(略)
しばしありて、前駆(さき)高う追ふ声すれば、「殿参らせ給ふなり」とて
散りたるものとりやりとりなどするに、いかで下りなむと思へど、
さらにえふとも身じろかねば、いま少し奥に引き入りて、
さすがにゆかしきなめり、御几帳のほころびより、はつかに見入れたり。
(注釈)
私が 中宮定子様の御殿に初めて参上したころ
(993年、中宮定子=17歳、清少納言=28歳の頃と推定されている)、
なんとなく恥ずかしいことが数知れず有って、涙も落ちてしまいそうなので、
毎日、夜になると、中宮様のおそばの三尺の御几帳の後ろに控えていると、
中宮様が絵等を取り出して見せて下さるのだが、
それに手も出せそうもない程たまらなく恥ずかしい。
(略)
しばらくして、先払いの声が高らかにすると、
「関白道隆様が参上なさるようです。」と言って、
女房たちが散らかっているものを取り片付け等するので、
私は 何とか自室に帰ろうと思うが、全く直ぐに身動きも出来ない様子なので、
もう1段と奥に引っ込んで、それでもやはり関白様の姿を見たいのだろうか、
御几帳のほころびの所から、少しばかり覗き込んだ。