長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃の話、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が有っても、今度は気力体力減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっている。今となっては、あの日あの頃、思い切って、登山を敢行していたことが、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を備忘録、懐古録としてブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んだり、古い写真を引っ張り出して、「デジブック」にしたりして懐かしんでいたものだが、「デジブック」が終了してしまったこともあり、改めて、過去の記事を、コピペ、リメイクしてみようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。
その15 「家族で登った北岳」(再)
かれこれ29年前、1993年8月22日、23日、山小屋1泊で、妻と次男(当時、高校1年生)と3人で(長男は、受験勉強中で不参加)、白峰三山の一座、「北岳」を訪れたことが有った。当時はまだ、デジカメは持っておらず、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)で撮り、プリントした写真がアルバムに貼ってあるが、後年、スキャナーで取り込んだ何枚かが、外付けHDに残っており、改めて引っ張り出し、記録メモを見ながら記憶を炙り出しているところだ。
深田久弥著 「日本百名山」
「北岳」 冒頭の1節
日本で一番高い山は富士山であることは誰でも知っているが、第二の高峰はと訊くと、知らない人が多い。北岳だよと教えても、そんな山はどこにあるかといった顔つきである。甲斐の白嶺だと言うと、その名前だけは承知している。「平家物語」に、・・・・宇都の山辺の蔦の道、心ぼそくもうちこえて、手ごしをすぎてゆけば、北にとをざかって、雪しろき山あり。とへば甲斐のしら根といふ。其時三位中将おつる涙ををさへて、かうぞおもひつづけ給ふ。・・・・
おしからぬ命なれどもけふまでは
つれなきかひのしらねをもみつ
という有名な一節があるからである。(後略)
山行コース・歩程等
(1日目)広河原北岳登山口→(大樺沢)→大樺沢二股→(雪渓)→八本歯ノコル→
(北岳山荘直行道)→北岳山荘(標高2,880m)(泊)
(標準所要時間=約6時間30分)
(2日目)北岳山荘→北岳山頂(標高3,192m)→肩の小屋(標高3,000m)→
(小太郎尾根)→(草すべり)→白根御池小屋(標高2,240m)→
(樹林帯)→広河原北岳登山口
(標準所要時間=約6時間)
(昭文社の「山と高原地図」から拝借)
確か、台風の接近、通過の影響で、悩まされた山行だった気がする。最初の計画は、その1週間前の週末で、天気予報では、絶望的だったにも拘わらず、もしかしたらという期待をもって、激しい雨の中、車を走らせ、南アルプス林道を、危険を感じながら、広河原の駐車場まで行ったが、結局、天候回復の見込み無しで、それどころか、豪雨の予想に変わり、やむなく中止し、身の危険を感じながら引き返し、その1週間後に出直ししたものだったのである。
その当日も、天気予報はあまり芳しいものでなかったが、1週間前よりも良さそうということで、再度、広河原まで車を走らせたのだったが、今考えると、その頃はまだ、そんな無理も出来たし、元気だったんだなあとつくづく思ってしまう。
(1日目)
真夜中に自宅を出発、中央高速道、南アルプス林道を走り、
広河原の駐車場には、4時30分頃到着したようだ。
軽く朝食をとり、5時15分頃、「北岳登山口」を出発。
雨は降っていなかったものの、大樺沢上部から上は厚い雨雲に覆われており、
悪天候も覚悟の上の出発だった。
8時頃、「大樺沢二俣」に到着、大休憩、
次第に青空が広がり出し、喜んだものの
蒸し暑さでバテ始め・・・、
大樺沢上部は、さらに急登、雪渓も有り、果たして・・・・、
大樺沢右手には、かの有名な「北岳バットレス」
雪渓、急登を、ゼーゼーハーハー、喘ぎながら・・、
八本歯ノコル直下の急登、ハシゴ場、
一歩、一歩、頻繁休憩、
さらに、ペースダウン・・、
やっとの思いで登り詰めた池山吊尾根上、「八本歯ノコル」
暑い、キツイ!、
途中で、大休憩し、早めの昼食
13時頃、北岳山荘直行道分岐に到着、
雨雲が断続的に掛かっていたが爽快、
休憩すると冷える・・、
ヤッホー!な展望、
北岳山頂には向かわず、危険な箇所の多い北岳山荘直行道を、
慎重に、ゆっくりと・・
尾根上に出たところで望んだ、北岳山荘や、間ノ岳、農鳥岳方面、
14時30分頃、「北岳山荘」に到着したようだ。
夕方になり、ほんの僅かな時間、雨雲がすーっと消え去り
それまで姿を見せなかった富士山が、雲間からひょっこり・・・
ラッキー!、
日没頃には、再び雨雲が広がり出し、夜半からは雨模様となってしまい、
期待していた夕景や満天の星を眺める夢は、叶わなかった。
(第2日目)
4時30分に起床、
最悪の天候で、ご来光を拝む・・どころか、土砂降りの雨だった。
好天ならば、間ノ岳方面へ、尾根歩きする計画だったが中止。
7時頃には、「北岳山荘」を出発、北岳山頂へ向かったようだ。
8時30分頃、「北岳山頂(標高3,192m)」に到着
風雨共激しく、視界は、数メートル、
しばらく待機してみたが、天候回復する兆し全く無しで、
「いつの日か、また来ん!」と誓って、下山を開始したのだった。
9時20分頃、「北岳肩の小屋(標高3,000m)」到着
風雨は弱まったもののガスが掛かり、展望全く無し。
「草すべり」一帯は、一面のお花畑だったが、
当時はまだ、花の写真を撮ろうという意識が無かったようで、
高山植物の写真が1枚も無い。
北岳固有の高山植物「キタダケソウ」を知ったのも、
ずっと後年になってからのこと、残念・・、
11時30分頃、「白根御池小屋」到着、
広場で昼食。
「白根御池小屋」からは、長い樹林帯の急下降で、
次第に膝が笑い出し、限界寸前に・・・。
頻繁に休憩、ヘトヘトになりながらも、なんとかだましだまし・・・、
15時頃、広河原に、無事帰還したのだった。
広河原からは、大雨の後のこと、沢や崖から溢れ出る水に危険を感じながらも、慎重運転、南アルプス林道を、こわごわ抜け出してきたような気がする。
北岳山頂で、「いつの日か、また来ん!」と誓ったものの、次に訪れる機会は無く、今となっては 二度と登ること叶わない、遠い思い出の山になっているのである。